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薬師チャティスと狂戦士と  作者: 白銀悠一
第七章 バーサーカーとベルセルクと
46/62

運命会敵

「――俺の敵はどこだ。お前は一体どこにいる」


 暗い漆黒の中で、クリスは問いかけた。

 だが、返事はない。ここにいるのは死者ばかりで、生者は自分しかいなかった。

 襲いかかってくる屍人たちはまだ弱い。屍人が喰らう者へと進化を果たすためには、一定以上の同族捕食が必要だ。

 屍人同士の喰い合いもあちこちで散見できた。放っておけば今後の憂いになるとわかってはいるが、クリスの目的はこの腐海を創り上げた張本人である。

 しかし、先程からずっと捜索を続けているが、手がかりらしき物は見つからない。腐海へと変質していなければ何かしら痕跡を見つけられただろうが、深淵の一部と化した死者の街では、砂場で金の砂粒を探すようなものだった。


(……フォーリアスの言った通り、一度帰還するべきか。敵は近く行動を起こす。目的が何であれ、ある程度の指針は推測できるはずだ)


 と踵を返したところ、闇の中を舞う不自然な生き物が。


「ボイドペンギン……の聖獣か」


 重力魔術で飛行能力を獲得したペンギンが暗闇を飛んでいた。

 恨まず受け入れた人間。狂戦士を忌避しなかった聖獣。本来氷河地域に生息するかの鳥は、しかし何の不自由もなく闇の中を滑空している。


「……俺の敵はどこだ」


 クリスの問いかけに聖獣は答えない。代わりに、道案内するかのように先を飛んだ。

 クリスは聖獣について行く。ペンギンは漆黒の霧を貫き、外へ出た。

 そして、何かを訴えるようにくるくる回る。羽をはためかせて、ある方向を指し示す。


「何だ……――ッ!!」


 クリスは色濃く感情を露わし愕然とした。視線の先にあるのは赤山。

 赤山のふもと部分……ヤクド共和国が煌々と燃え上がっている。


「俺の敵はそこか!!」


 クリスは地面を踏み割って、ヤクドへ……チャティスがいる場所へと跳躍する。



 ※※※



「お前は知らぬか、人間。……同類がどこにいるか」

「……なんのことやらさっぱり……ぐふっ」


 大剣で腹を貫かれた薬師が血を吐き、薬屋の床を濡らした。

 吐血しながらも、薬師は平然を保ったままだ。未だ正気を保つ人間に、男は再度詰問する。


「では、少女を見なかったか? 茶髪の奇妙な少女だ。チャームが掛かっている。此度の虐殺はその少女のせいだ」

「……見たことは、ないな。ハハ、こりゃあ傑作だ……アンタは人違いで俺たちを殺してるってわけだ」

「嘘だな。もう一度訊くぞ」


 男は確信したまま、同じ問いを薬師へ投げる。

 騙せないと察した薬師が、笑みを絶やさず口を開いた。


「アンタ……勘がいいな。……知ってるか? 嘘を吐くとな、罪悪感を感じるんだよ。でも大人になるにつれて罪悪感って奴は薄れて、全く感じなくなる。平気で嘘を吐けるようになるんだ。……だが、そんなものは建前だ。本当は心の底で罪悪感に苛まれている」

「何が言いたい?」


 回りくどい薬師の物言いに男が訊き直す。

 薬師はもう一度にやりと笑い、達観した表情でこう言った。


「さっき嘘を吐いた時、俺は微塵も罪悪感を感じなかった。……嘘を吐いた自分を誇りに思っていたんだよ。アンタみたいな男を足止めできて、俺はもう大満足だ。チャームだなんだのは……関係ない……」

「……見事。楽にしてやろう」


 男は大剣を抜き取り、薬師の首を刎ねる。血を振り払い、目標の追跡を再開する。



 ※※※



 虐殺の音楽が奏でられている。

 剣が煌めき、人が死ぬ。血肉が舞うたび、悲鳴が轟く。

 ヤクドの民族戦士たちでは狂戦士に歯が立たない。そもそも人間の身で狂戦士に抗うこと自体が間違いだ。

 今ヤクドにいる人間が取れる最良の方法は、生きることを諦め自殺するのみ。

 他者で不意に与えられる痛みより、自分による意図的な痛みの方がまだマシだ。

 だというのに、チャティスは生存を諦めていなかった。死ねない理由が彼女にはある。


「……どうするの、フォーリアス!」


 とはいえ神経は高ぶり興奮状態だ。不安をひしひしと感じさせる声音で老魔術師を問いただすと、全て織り込み済みと言わんばかりにフォーリアスは頷いた。


「逃げるしかないのう。勝ち目はない。……ヤクドの民には申し訳ないが」

「何とかして救えないの!」


 口を衝いて出るチャティスの想い。しかし、大陸最高の魔術師は首を横に振る。

 隣のキャスベルが、フォーリアスの代わりに声を上げた。


「無茶言わない! ここで正義ぶっても死ぬだけよ」


 諭すように怒鳴ったキャスベルにチャティスは反論できない。

 初めて狂戦士から襲われる理不尽に直面して、チャティスは対抗策が一切存在しないことをはっきりと自覚させられている。

 今までチャティスの傍にはクリスがいた。だからどうにかなった。だが今はクリスがいない。

 ここに味方の狂戦士はいないのだ。ひとりとして。ここにいる狂戦士は敵であり、今ヤクドを壊滅させる勢いで殺戮している。


「私なら、何とかなる」

「シャル……っ。ごめん、私が我儘言っただけだよ」


 チャティスは、すっかり頭の中から抜け落ちていた狂戦士シャルの肩に手を置く。

 チャティスはシャルをもう人間だと思っていた。思い込んでいた。

 だが、チャティスが失念していても、その胸にかけられた小瓶はシャルが人間でないことの証明だ。

 シャルに無理はさせまいと、すぐに自分の考えを改めた。

 きっとみんなだってヤクドの民をどうにかしたいに決まっている。でもできないから逃げるのだ。

 情けなく感じてしまうが、その情けこそ傲慢者の証である。

 勝てぬ者に抗う人間を人は英雄とは言わない。


「転移で逃げるの?」

「うむ。こちらに皆寄るのじゃ」


 フォーリアスは赤い林で、皆を一纏めにした。

 丸い円の形となり、手を握ったチャティスだが、林の中に逃げ込んできた少女を見つけ手を離す。


「あなたっ! あなたもこっちに――」


 と少女を招きよせた瞬間に、


「やっと見つけたぞ」


 少女を救えなかったことを知る。


「やはり行き違いか。まぁよい。……殺せば否が応でも辿りつく」


 少女を叩き潰した男は大剣に血を滴らせ、チャティスへと接近する。


「くそっ!」


 フォーリアスがチャティスの前へ出る。チャティスの横へシャルとキャスベルが。

 男が足を踏みしめる。フォーリアスが詠唱を行う。

 フォーリアス以外の仲間が光に包まれる。


「フォーリアス!?」

「案ずるな、チャティス。ジジイはこの先長くない。腐海の研究や強力な魔術の行使は人の寿命を縮めるのじゃ。何も気に病むことはない」

「何言って――」


 チャティスはフォーリアスに手を伸ばそうとした。だが、届かない。

 チャティスの視界は急速に真っ白となり、フォーリアスの姿が遠のいていく。


「ジジイはの、嬉しかったんじゃ。お前さんみたいなおなごに出会えて。人生とは何が起こるかわからんの。長生きしてみた価値は十二分にあった」

「フォーリアス!」


 チャティスはもう一度叫ぶ。何とかしてフォーリアスの背中を掴もうと、前かがみになって手を伸ばす。

 しかし、どうやっても届かない。チャティスはもう半分ほど転送先に転移しており、空間の齟齬が生じている。

 それでも諦めない。諦める理由がない。

 やっとフォーリアスは休めるのだ。人類の未来を憂い献身を捧げてきた老人が、やっと人生を謳歌できるのだ。

 それなのに、こんな最後は絶対に受け入れられない。


「ありがとう、チャティス。後は頼んだぞ」

「――フォーリアス!!」


 無情にも、いや情があるからこそ、チャティスは絶叫だけを残して掻き消えた。

 居残ったフォーリアスが男を睨む。男は大剣をフォーリアスの胸に突き刺しながら呟く。


「捨て身か。蛮勇だな」

「……かもしれんのう。しかし、せっかくできたいとまじゃ。自分のやりたいことをするのが一番かと思ってのう」


 フォーリアスは吐血しながらも屈強な意志で男を射抜く。

 杖を振るい、現時点で執れる最高の魔術を発動させる。


「叶わぬとわかる相手に戦う者は愚か者。だがの、若い芽を守るためなら、ジジイは喜んで愚か者へと身を落とそう」

「……素晴らしい。賛辞を送ろう」


 表情こそ変わらないが、むしろそのおかげで本気かどうかを推し量れる。

 狂戦士の男が心からの賛辞を送り、フォーリアスは自身をも巻き込んだ自爆魔術を発動させる。


「きっと、綺麗な花が咲く。ジジイはあの世から見守っておるぞ」

「――ッ」


 小国を巻き込み、フォーリアスは狂戦士ごと自爆した。



 ※※※



「――フォーリアスッ!!」


 チャティスの絶叫は大平原によく響いた。

 だが、聞いて欲しかった相手には届かない。チャティスたちが転移してすぐ後に、赤山の方角から大地を揺るがすほどの爆発音が聞こえた。

 薄明りの星空のもと、チャティスは自分が泣いてることに気づく。


「そんな……どうして……」

「……チャティス」


 シャルはチャティスを励まそうとした。だが、キャスベルがそんな暇はないわよ! と厳しい口調で一括してくる。


「急いで逃げるの! 馬車もいっしょに転送してくれたようだし、とりあえずはフストのノア様のところへ!」

「でも……」

「でもじゃない! 早く乗って!」


 乗車を躊躇ったチャティスだが、キャスベルの頬にきらりと輝くものを捉え、すぐに首肯した。

 キャスも辛いのだ。いや、むしろキャスベルだからこそ辛いのだ。

 事実、キャスベルは涙を流していた。怒声は自身の悲しみを押し隠しているに過ぎない。

 悔いる暇もなく、死は迫っている。少々変なところはあったものの、フォーリアスはキャスベルにとって命の恩人だ。

 それが、恩を返す間もなく、突然死んだ。理不尽に殺された。

 加えて仇を討つこともできず、まんまと逃げ出すこととなった。命の恩人を見捨てて、感謝も謝罪も、何一つ伝えられずに。

 もはや、キャスベルが取れる手段は限られている。フォーリアスの恩に報いるためには、チャティスを守りクリスと合流させるほかない。


「早く! あなたが手綱を握って! 私は付近のアサシンたちに――」


 そう叫んでいたキャスベルの身体が宙を舞う。草原の草をむしり取る勢いで吹き飛ぶ。

 予想できなかった打撃。チャティスもシャルもキャスベルも、皆ここは安全だと誤解していた。

 あまりの衝撃に、チャティスはキャスベルの名前を呼ぶことさえ叶わない。


「え――ぁ――」

「……チャティス!」


 シャルが呼ぶ。チャティスは反応できない。

 ただ茫然と、キャスベルを殴り飛ばした男が自分に近づく姿を見つめていた。

 黒髪で無表情の男。右手に携える大剣には、血が滴り落ちている。

 人間の血。フォーリアスの、遺血。


「う、うわあああああ!!」


 チャティスは叫びながらホイールロックリボルバーを抜いた。

 今頭を巡るのはキャスベルの生死。自分を庇って死んだフォーリアス。虐殺されたヤクドの人たち。

 キャスの生死は不明。彼女は肉眼で捉えるのが難しいほどの猛撃で飛んでいった。

 だが、重傷なのは間違いない。急がなければ。

 急いでキャスベルを治療しなければ。もう誰かが死ぬ姿を見たくない。

 急がないと。急いで救わないと。

 はやく早く速く――。


「チャティス!!」


 シャルがナイフを抜きながらチャティスを制止するが、チャティスは聞く余裕もなく、無駄と知りながらも引き金を引く。

 キン、と銃弾を弾く音。大剣で難なく防いだ男は感心した声を上げる。


「ほう?」

「――――!!」


 声にならない咆哮と共に、予備武器であるフリントロックピストルを発射。

 今度は金属音が響かない。男は足を動かして避けていた。

 さらに不思議がるような声を放つ。


「わざとか。意図的な攻撃?」

「邪魔するな! 来るな! どけ! 後にしろ! 今はまだ!!」


 喉が張り裂けんばかりの声を出し、チャティスはフリントロックを投げ捨て、リボルバーのホイールを回す。

 撃つ。避けられる。装填。撃つ。躱される。装填……。

 ゆっくりと歩んだ男の左手が、とうとうチャティスの首を捕らえた。


「ぐ……ぁ……」


 首を絞められ、まともな悲鳴を上げることすらままならない。

 だが、苦しみ喘ぎながらも、銃を持つ右手だけは動かせた。

 リボルバーが男の――左肩へと放たれる。が、


「……妙だな、やはり。お前は奇妙だ」

「く……ぅ……」


 男は興味深そうにチャティスを見つめ、左手に力を込めた。

 小柄な体躯で足をばたつかせていたチャティスの全身から力が抜けていく。


「離せ!! チャティスを、離せ!!」

「……バーサーカー」


 自分の左腕が切りつけられて、男は初めてシャルを認識した。

 シャルの特徴的な青髪、赤い瞳、首に掛けられた小瓶の青い花の順に目を動かし、


「……面白いな。面白い人間だ」

「うあっ!?」


 ただの一撃。シャルのナイフは弾き飛び、シャル自身も地面を転がった。

 あまりにも素早い斬撃は、風の追従すら許さない。追い付いた風が遅れて吹き鳴いた。


「あ……チャティス……」


 すがるようにチャティスへと手を伸ばすシャル。

 だが、チャティスはもう動かなくなっていた。死んだようにだらりと手を下ろし、被さった外套のフードで表情すら窺えない。

 息をしているかどうかさえ見分けられない。非情な現実を前に、シャルは小瓶のひもを引きちぎろうと手を掛けた。

 だが、


 ――守りたいからついて来るんじゃなくて、友達だからついて行くって言って欲しいかな……。


「っ」


 チャティスとの会話が回想され、シャルの手が固まる。

 チャティスがシャルの狂化を望んでいないことは、シャルとて重々承知していた。

 だが、こうしてこのままではチャティスが死んでしまう。クリスがいない今、狂戦士に対抗できるのは同じ狂戦士であるシャルだけだ。

 だがそれでも、過去のチャティスはシャルに自分を救えと訴えない。


 ――私はどこにもいかないよ。それに、私は天才だから大丈夫だし。

 ――シャルはこれから、たくさんの人と出会うんだから。


 聞こえてくるのはチャティスの声。友達の言葉。

 友達を救うためには、友達との約束を破らなければならない。


「あ……待て……」


 男は大剣を仕舞いチャティスを抱きかかえ、シャルから背を向けた。

 足を踏みしめ、地面を砕く。丁度、クリスが遠距離跳躍をする時と同じように。


「お前は運がいい」

「チャティ……ス……」


 男が飛び立つと同時に、シャルも気を失った。



 ※※※



 ――ふふ、何度もあなたと邂逅できて、私は嬉しい限りです。ですが、あまり好ましいとは言えませんね。

 ここは生と死の狭間です。あなたはとても死に近しい。生と死の間を行き来している。

 あなたの友人として助言をひとつ。もう少し、自分を大切にしてください。自殺した私が言うな、と言われればそれまでですが。


「ミュー……ル……」


 目の前にミュールがいる。またいつもの場所だとチャティスは想う。

 何度も何度も訪れた暗い場所。もしかするとここは魅了がみせる自分を堕落させるための幻想世界なのかもしれない。


 ――あなたが泣くのはとても悲しい。胸が痛みます、チャティス。

 フォーリアス、かの偉大な魔術師の死は大変遺憾でした。あの方は、わざわざアリソンに訪れ、ソダス……父を諫めようとしてくれたのです。

 この時のことを考え、あなたに警告しておくべきでした。クリスにも。

 私はあなたを襲ったあの男の存在を認知していたのです。


「……知ってたの」


 なぜかミュールは全てを見通している気がしていて、チャティスはあまり驚かなかった。


 ――ええ。おかしいとは思いませんでしたか? いくら念密に計画していたとはいえ、ちょっとした拍子に狂化してしまう王が統治していたアリソンを。

 ソダスは、あの男と通じていました。配下、というわけではなく立場が平等の協力者として。

 狂戦士たちは独自の情報網を構築していたのです。戦いで理性を失ってしまう彼らにとって、連携と協力は必然でした。

 無論、そんなことが周知されれば、只事では済みません。内密に、極秘裏に、その網は範囲を広げていきました。

 とはいえ、全ての狂戦士に通達されていたわけではないようです。彼らも完ぺきではなかった、ということですね。

 ……ただひとりを除いては。


「ただ……ひとり……」


 思考のおぼつかないチャティスは、ただ受け答えするほかない。

 ミュールの言葉を流し聞いて、曖昧なまま事実として受け入れていく。


 ――あの男です。狂戦士の中の狂戦士。

 私も拝見したことはありませんが、恐らくは彼と同じ……またはそれ以上でしょう。

 運命だったのかもしれません。最初から、そう決められていたのです。そういう流れだった。

 偶然ではなく、必然。

 彼とあの男が相対するのは。


「……なんの……こと……」


 ミュールが何を言っているのかわからない。

 ただ聞く。耳を傾ける。友人の言葉に。友達の忠告に。


 ――無事では済まないでしょう。あなたも、彼も。

 でも私は信じています。あなたの綺麗な想いが、きっとみんなを幸せにする。

 運命に翻弄されても、負けないで、チャティス。あなたは――。


「私は……バーサーカーと……人に……希望を与える天才……」


 ミュールが微笑む。チャティスが手を伸ばす。

 ミュールが消える。チャティスも薄れる。

 世界が、消失する。



 ※※※



「……ッ!!」


 チャティスは飛び上がるように跳ね起きた。

 冷や汗をじっとりと背中に欠いている。おまけに、身体のあちこちが痛い。

 全てこの寝難い床のせいだ、と文句を垂れてハッとする。


「どこ……ここ……?」


 ここはチャティスの知っている馬車の中ではなかった。

 ヤクドの宿でもない。もちろん、ティルミの我が家ですらない。


「牢屋……?」


 目に留まる鉄格子。

 瞬間、チャティスはやっと現実に追い付いた。


「そうか、私は……! あのバーサーカーに襲われて……っ!!」


 腐海を調査するため別れたクリス。自分たちを守るためひとり居残ったフォーリアス。

 役目を果たそうと努力し殴り飛ばされたキャスベル。自分を救おうと抗ってくれたシャル。

 仲間の顔が頭の中を駆け巡り、自分が誘拐されたことを思い出す。


「そんな! 私は! こんなところで止まってる暇は!」


 焦るまま鉄格子を掴み、外れないか試行錯誤するチャティス。

 だが、頑丈な格子はびくともしない。銃はないかとホルスターに手を伸ばし、ノアから借り受けたピストルが牢屋外のテーブルに置いてあるのを見て取った。


「くっ、届かない!」


 鉄格子の隙間から手を出してみたが、やはり距離が足らない。

 体力の浪費と精神の疲労を避けるため、一度手を休めたチャティスは石床に座り込む。


「どうしよう、どうすれば……」


 独り言を呟いて、自分の身体が欲望に正直なことを思い知る。

 腹の音がぐーっとなった。こんな時に。非常事態なのに。


「お腹なんて空いてる場合じゃないのに」


 だが、腹が減っては戦はできぬ、という。脱出のための思考整理などもっての外だ。

 先が見えず不安になったチャティスの鼻孔を、パンの香しい匂いがくすぐった。

 誰かの足音。十中八九敵だろうとチャティスは心構えをする。


「もう昼だ。腹が減ったろう」

「パンで釣ろうとしても無駄――あなたは!?」


 食事を運んできた予想外の人物に、チャティスは瞠目した。

 香ばしいパンを運んでいるのは……ヤクドを壊滅させ、フォーリアスを刺し殺した狂戦士ベルセルクだったからだ。

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