家庭調和
家族水入らずの家庭内には沈黙が漂っている。
父親は腕を組んで沈痛な面持ちを浮かべ、母親は諦めを顔に滲ませている。
これもそれも、先程チャティスの発した一言が発端だった。
「――私、クリスの旅路について行く。反対されても、絶対に」
そう宣言した途端、家族団欒から一点、ぴりついた空気が場を支配している。
特に父であるティロイだ。ティロイはずっとチャティスの旅に反対していたので無理もない。
だがしかし、チャティスとしてはクリスに同行する気満々である。泉でクリスの独白を聞いて以来、その想いはますます強まった。
ゆえに、今度は家出ではなく、ちゃんとした冒険として両親の許可を求めている。親の認可を貰い、後ろめたいことは何もない状態で胸を張って旅に赴くのだ。
とはいえ、すんなり両親が危険極まりないクリスとの冒険を許すはずもない。想定内と言えばその通り、ティロイは静かに娘を諭し出した。
「チャティス、クリスはバーサーカーだ。人間とバーサーカーでは、身体能力が違い過ぎる。バーサーカーでは問題ない局面も、人間なら死にかねない。……賢いお前ならば、理解しているだろう」
「わかってるよ。でも理屈じゃわかってても、どうしようもないことってあるよね」
一切譲らず、父親を見つめ返すチャティス。真摯な視線に射抜かれて、父親は若干たじろいだ。
「それは否定しない。だが、危険なんだ、チャティス。お前の身体では間違いなく――」
「父さんだって、旅に出たよね。私が行かないで、って言ってもさ」
「チャティス――」
狼狽する父へチャティスは恨んでるわけじゃないよ、と前述し、
「感謝してる。父さんが私を治療するために大陸中を旅して薬を作ってくれたこと。ずっと私を看病してくれた母さんにも。……娘を大切にしない親はいないって、二人はいつも言う。なら、親に感謝しない娘だっていないんだよ」
「しかし」
「私はもう丈夫なの。元気いっぱいなんだよ? とっくの昔に病弱なチャティスは過去の人間となり、あなたたちの前にいるのはとっても頭の良い、運にも恵まれた天才チャティスなんだよ。今までだって何とかなった。これからも絶対に、って確証を持ってはいえないけど、私は確信してるんだ。自分の進む道が正しいって。色々脇道に逸れたし、本来の目的からも少しばかり外れてるから、後々修正しなきゃならないけどね」
チャティスは今までずっと言えなかった想いを、正直に白状した。
ティロイは絶句し、チャリアは心配そうに娘を見守っている。
「父さんも母さんも、心配し過ぎなの。私は……守られるだけの人間じゃない。二人の助けがなくてもきっとうまくやってみせるから。見守っててよ、私が成り上がる姿を。大金をせしめて帰ってくるんだから」
娘の、無知で無邪気な、見通しの甘い展望を聞き咎めない親はいない。
ティロイは何とかして娘の説得を試みようとするが、その口は娘ではなく、妻の一声で塞がれた。
「もう無駄よ。私たちの負け」
「なっ何を言うチャリア! 私は――」
「無駄だって言ったの。あなたの娘を見る目は節穴かしら? 私たちのチャティスは笑顔が愛らしくて、嫌なことがあるとすぐにむすっとして、でも裏では色々考えていて、人を想って行動できる自慢の娘なのよ。それにね」
チャリアは娘と夫を見比べつつ心中の想いを吐露する。
母親として、夫の良き妻として、ティロイを見咎め指摘した。
「あなたとチャティスってびっくりするぐらい似てるのよ。親子ってここまで似るモノなのね。チャティスは私に容姿は似てるけど、中身はあなたそっくり。人のためとか何とか言って飛び出しちゃうところとか、自分が正しいと信じて譲らないところとかね。それに、さも自分が賢いって思ってる自意識過剰なところとかもよ。……すっかり慣れっこになったし、最近は大人しめだけど、初めて出会った時のあなたは強烈だったわ。聞いてもいないのに持論をべらべら述べて、私は正しく君は間違っているなんて押し付けてきて」
「わ、私はそこまでじゃないよ、母さん……」「……私もだぞ、チャリア」
ばっさりと斬られた父娘はそんなことないと自分の評価を覆すため言い訳するが、チャリアは母親特有の心眼とも言うべき眼を向けて両者の分析を積み上げていく。
「いーえ、違いません。あなたたち二人は不器用なのよ。言えば済むことをわざわざ胸の内に隠してる。格好でもつけてるつもりなのね。母さんは悲しいわ、チャティス。あなたには健気で謙虚でおしとやかな、可憐な少女に育って欲しかったのに、家出はするわひとりで勝手に思い詰めるわ、妙に強気なところはお父さん譲りだしで、私の理想とする娘とは程遠いもの」
「う、う!」
なぜこうなったかは定かではないが、ダメ出しは心に響くものだ。父親はすっかり黙りこくり、チャティスもばつが悪そうに視線を逸らしている。
チャリアは確かにチャティスを、深窓の令嬢のような愛くるしくなるほどの少女に育てたがっていたが、そもそもチャティスの家は金持ちではなく一年に十人客が来ればいい方の薬屋だ。
その点に関してチャリアは了承していたようで、そこまでチャティスを深く追求しないものの、チャティスとしては気まずいことこの上ない。
でもね、とチャリアの長話はまだ続く。
「私はチャティスを産んで良かった。チャティスの母親で大満足なのよ。病気にかかった時、それはもう心苦しくてね。夜通し泣きっぱなしだった。でも、お父さんはこう言ってくれたの。治せない病気はない。治療薬がないのなら、私が作ってみせようって。……お父さんは昔から変わらないの。チャティス、あなたと同じように私が病気になった時、勝手に薬を持ってきたのよ。病気で弱ってた女の子のとこに、頼んでもないのに颯爽と薬を携えて現れる薬師。……まぁ、恋に落ちないわけはないわよね」
「えっと……」
愚痴かと思えば、惚気へと変化した。母親の話がころころ変わるのはよくあることだが、急に父とのなれ初めを語られても反応に困るだけ。
父も父で気恥ずかしいのか顔を背けたままであり、張りつめていた空気が一変、母親の独壇場となってしまった。
これも母親という女性の持つ力なのかもしれない。だとすれば、さっさと話が終わらないかとチャティスは願わずにいられない。
「まぁ、この話は置いておくわ。でも、人の弱ったところに付け入るような不埒な男とは付き合っちゃダメ、とだけ言っておく。……長くなっちゃったけど、私が言いたかったのはあなたを応援するってこと。あなたの願いはとても綺麗だわ、チャティス。でも、忘れないで。それだけ輝いていると、色んな人が羨んであなたのことを邪魔しにくる」
「わかってるよ、母さん。……ありがとう」
チャティスが改めて母に礼を述べた直後、ゆりかごの中で眠っていた赤ん坊が泣き出した。
あらあらとチャリアは呆れ声を漏らしながら、立ち上がる。その顔はとても嬉しそうで、チャティスは喜ぶ半面複雑な心境となった。
「あらチャティス。親離れしたんじゃないの?」
「な、何のこと。すぐに会えるんだし」
くすくすとからかうように笑ったチャリアは、夫と娘を今一度見つめ直し、達観した瞳で助言する。
「二人で話したいこともあるでしょう。お母さんはこの子の相手をするからここまで。……じっくり話し合ってらっしゃい」
「……チャティス。銃を持ってついて来なさい」
母の言葉を受けた父は有無を言わさず、マッチロックピストルを持って戸口へ向かった。
チャティスもまた、ホイールロックリボルバーを持って父の背中を追いかける。
「――本当にそれでいいの? 何なら予備のフリントロックを貸すよ?」
「舐めるな、チャティス。……重要なのは銃器の性能ではなく、射手の腕前だ。どれほど素晴らしい得物を持っていたとしても、扱う者の腕がボンクラならば、宝の持ち腐れだ」
ティロイはマッチロックピストルを点検しながら言い諭す。
チャティスとティロイは、村から少し離れたところにある開けた草原で、射撃勝負をしようとしていた。
一対一の決闘勝負ではあるが、狙うのは人ではない。テリーに頼んで拵えて貰った五本の的の内、三本先取した方が勝ちとなるシンプルなゲームだ。
「お前が最低限自分の身を守れるのかテストする。……これで私に負けるようならば、お前はクリスの足手まといにしかならない。彼のことを想うのなら、ここで潔く身を引くべきだ」
「……一理あるね」
父の提案をあっさり承諾したチャティスだが、外野で見守っているキチュアはその様子を見てテリーにひそひそと耳打ちしていた。
「いやおかしい。おかしいでしょこれは。おじさんって薬師としても相当すごいけど、銃の扱いにも長けてなかった?」
「薬の材料を探す旅の中で、盗賊たちや兵士、凶悪な魔物たちと対峙したらしいからね。間違いなく村一番の実力者だよ。……チャティスの前では一度も銃を撃ったことがないけどね」
「どういうこと?」
その内緒話を真横で聞いていたシャルが突然話に割り込んで、キチュアは小さく跳び上がる。
「うわぁびっくりした! 驚かされるのはあの子の奇行だけで十分よ!」
「急に怒り出す、短気なひと。……で、今の話は」
「あのティロイって男が優れた銃使いで、チャティスはそのことを知らないまま無謀な戦いを挑んでるってことでしょ。言っちゃ悪いけど大人げないわね」
口を挟んだキャスベルの解説を聞き、シャルはチャティスへ不安げな視線を送る。
だが、キャスの話はまだ終わっていなかった。キャスは以前目の当たりにしたチャティスの腕前を述べ立てていく。
「存外、勝負はわからないわよ? あの子もなかなかいい線いってるしね」
「チャティスが? 私のことを騎士にもらったピストルで撃ち抜きかけたあの子が? 有り得ない有り得ない」
肩を竦ませるキチュア。彼女は数年前に自分の頭をぶち抜きかけた幼馴染の暴走を未だ赦してはいない。
だがテリーだけは冷静に状況を見つめている。
「意外とその子の言う通りかも。……あの構え方」
「そ。あの子は独特の構え方をする。普通、ピストルは片手で構えるものなんだけどねぇ」
テリーに同意したキャスの視線の先には、ピストルを両手で構えるチャティスがいる。
ピストルを両手で構える人間は特異だ。軍事教練を受けた者やさすらいの冒険者、敵を殺すことに特化した暗殺者の中でも、あのような構えをみせる者はごく僅か。
どちらかというと、素人の構え方。その持ち方ならば片手より反動を抑えられるものの、基本的にピストルは近距離戦を想定した銃器だ。片手で構え、空いた方の手で剣や予備のピストルやらを構えた方がずっといい。
だが、銃を撃つことしかできない非力なチャティスにとっては、その構えこそふさわしいとも言える。
「両手で構えるのか、チャティス」
「……私にとってはこの構えが一番いいの。それに、クリスといっしょに考えたしね」
父親の言及にチャティスはきっぱりと応じる。娘の確たる態度を見てティロイはより深く追求するかとも思えたが、それ以上何も言わなかった。
わざわざ言う必要もない。すぐに結果は瞭然となる。
「あの的を人間だと思って撃ちなさい。自分を襲ってくる敵だと」
「……人間、か」
ぼそりと呟いたチャティスの独言をティロイは聞き流し、マッチロックピストルに装填を開始する。
チャティスも父に倣い銃に弾丸を込める。装填速度に関しては、ティロイのマッチロック式の方が早い。
チャティスの場合は六回装填しなければならないからだ。敵との会敵を想定した場合、チャティスは既に死んでいてもおかしくはないが、あくまで今回の試験は銃が装填済みであることを前提したものだ。
そのため、リロードタイムの長さは選考外となる。それにガルドの遺したリボルバーの本領はここから発揮されるのだ。
隣でティロイがマッチで火縄に火を点けている横で、チャティスはやっと弾倉に弾と火薬を込め終えた。
火皿に点火薬を載せて閉じ、スパナをスピンドルにはめてホイールを回す。
「遅いぞ、チャティス」
「今終わったとこ。この銃の欠点は装填速度の遅さだけど、発射速度はそっちより早いよ」
「さて、どうかな。……先程言った通りだ。今までやった通りの実力を、私に見せてみろ」
ティロイが近場で見守っているフォーリアスへと目配せする。老魔術師は頷いて、一歩前へと進み出た。
「これより決闘を始める! ……なんて堅苦しいのはナシじゃな。両者とも準備は良いかの」
チャティスとティロイが同時に首肯すると、フォーリアスは杖を掲げ、音響魔術を発動させる。
「では――始め!」
喧しい合図とともに、銃声が拡散する。
先制したのはティロイだ。開幕と同時に撃ち放たれた弾丸は円状の的中心を撃ち抜いた。
チャティスの方は――外している。的より右斜めの部分を飛来していた。
「ちょ、あのバカっ!!」
キチュアの叫び声。チャティスはその焦り声を背中で受け流しつつ弾倉を手回し、点火薬を載せ再度ホイールを回す。
隣では、ティロイが装填を始めている。チャティスは歯を食いしばりながら狙いを付ける。
再びの銃声。外で見つめていたシャルがぁ、と小さく声を漏らした。
また、チャティスの銃撃は的を外れている。
「……どうした、チャティス」
父親の問いかけにチャティスは応えない。
その後もずっと、チャティスの銃弾は的をかすめさえしなかった。六連発式のリボルバーも、当たらなければ何の価値もない。
全弾外したチャティスが顔を俯かせている横で、ティロイが最後の的を撃ち抜いた。
「あーあ。あの子、残留決定ね。しょうがないわ、実力がないんだもの」
しょうがないしょうがない、とキチュアが顔をにやつかせていると、
「やけに嬉しそうだね、キチュアは」
「なっ……! 嬉しくなんかないわテリー! 私は天才だとか得意げになってたアイツが負けた姿を見て喜んでいるだけよ!」
「やっぱり嬉しがっている。でも……」
テリーが意味深な眼をチャティスたちへ向けていると、遅れてやってきたクリスが彼の言葉を引き継いだ。
「――はたして、本当に負けたと言えるのか」
またもや驚かされたキチュアが勢い余ってテリーに抱き着いている横で、シャルがどうして? と疑問を振りまく。
「すぐにわかる。見ていろ」
クリスが答えた先では、丁度ティロイがチャティスに話しかけたところだった。
「――なぜ、外した。……いや、語弊がある。なぜ当てなかったんだチャティス。お前の狙いは的確だった。お前はわざと的から外して銃を撃ったな。……なぜだ?」
「だ、だって……。ううん、なんでもない。私の負けだよ」
口答えを止め、また顔を下へと向けるチャティス。十六を超えた娘の複雑な心境をティロイは推し量る。
チャティスから視線を的へと移す。次にチャティスの弾道を思い返す。最後に自分の発言を顧みる。
そこでティロイはハッとした。腰を落として娘の高さへと合わせると、その頭に手を置いた。
「もう少し早く言ってくれればいいものを」
「……父さんは何も間違ってなかったし」
ティロイは苦笑交じりに首を横へ振る。
「いいや、私が間違っていた。あの的を敵だと……人と思って撃て、と言ったから、お前は普段通り、急所を外して撃ったのだな。……私と似たように、人を殺さぬため銃の腕前を上げた。殺人は実力がなくても可能だが、不殺を貫くためには一定以上の実力が必要となるからだ」
「でも、足を撃ったからって敵が攻撃を止めない保証はないよ。自分の身を守るためには人殺しだって受け入れないと、いつ足元を掬われるかわからない。……だから、父さんが正しいよ」
「チャティス」
ティロイはチャティスを抱き上げた。いくら娘とは言えもう抱っこにおんぶをされる年頃でもない。わっ、と赤面するチャティスにティロイは謝罪を口にする。
「すまなかった、チャティス。お前はもうこんなにも大きくなっていた。……母さんの言う通り、私の目は節穴だったらしい。私はずっとお前をあの時の、幼い子どものままだと思っていた。だが、もう違う――」
ティロイはチャティスを地面へ下ろし、もう一度その頭を撫でた。
「もう自分の足で歩いて行くことができるんだな。誰かに守られるだけの幼子ではない」
「……うん」
顔を朱色に染め上げながら肯定するチャティスにティロイは微笑んで、片手を挙げ降参する。
「私の敗北だ、チャティス。完敗だよ。お前の銃弾は一発たりとも敵を外してはいなかった。いや、戦う前から負けは決まっていたのだな」
「それは大げさだよ、父さん。父さんがすごいことは変わらないんだから」
愛らしい笑顔をみせるチャティス。ティロイは清々しい表情で娘の冒険を許諾した。
「いいだろう。冒険へと繰り出しなさい。……お前が大陸を旅している間、私は花の研究を続けておく。久方振りに腕が鳴る案件だ。娘の頼みごとでもあるしな」
「ほ、本当、父さん!?」
嬉々として驚くチャティスにティロイは苦笑いしながら言う。
「そういう約束だったろう。だが、あくまで私は最低限の調査しか行わない。……最後は自分で作りなさい、チャティス。旅の合間も、薬の研究を怠らないように」
「もちろんだよ! これは私のやりたいことだからね!」
破顔したチャティスはクリスたちに向かって手で大きく丸を作った。大丈夫、という掛け声を高らかに響かせて、キチュアががっかりと気落ちし、テリーがその様子を見て笑う。シャルはおめでとう、と賛辞を送り、キャスはふんと腕を組みながら鼻を鳴らす。
クリスだけは普段と同じく無表情でチャティスを見つめ返していた。
何も言わないので、クリスが何を考えているかはわからない。チャティスが遠目で考えを見通そうと目を凝らしても、クリスの感情は読み取れなかった。
賛成なのか、反対なのか、謎のまま。だが、それでチャティスは良しとする。
そもそも自分勝手なのだ、ずっと。相手が賛成していようとなかろうと、チャティスはクリスについて行くと心に決めている。
理由は単純明快――放っておけないから。
「……一つだけ忠告しておく、チャティス」
「ん、何?」
クリスを注視するチャティスは父へと振り返らず、忠告を流し聞こうとする。が、放たれた父の言葉ですぐに慌てふためくこととなった。
「父さんは覚悟している。お前はもう数年もすれば、立派な女性となるし、いずれどこぞの男と恋仲になることもあるだろう。だがな、バーサーカーとだけは……」
「ち、違うって! 何を言ってるの!!」
憤慨したチャティスは、顔を赤く染め上げ絶叫する。
それはある意味魂の叫び。どいつもこいつも、まさか父親までもが、恋だどうだと口出しするとは。
「クリスと私はそういう関係じゃない! 母さんも、父さんまでも!! 私とクリスは相棒! 冒険仲間なの!」
「……本当にそうか? 私としては不安で仕方ない――」
「もうしつこい! 私は恋愛する気なんて一切全くさらさらないの――ッ!!」
簡略された決闘広場に響くチャティスの叫び。嘆息したり、首を傾げたり、面白そうに頬を緩ませたりと各々の反応は様々だが、キチュアだけは熱心に頭の良い恋人へと問いかける。
「ねえ、本当にあの子の言う通りだと思う? テリーならわかるでしょ、ねぇ」
「……さぁ、僕にはさっぱり。乙女心は複雑だからね」
テリーはそう嘯いて、お腹が空いたと広場を後にしてしまう。悶々としたキチュアがその後を追いかけた。
どうやら本気で勘に障ったらしいチャティスと娘を案じるティロイの言い合いを眺めながら、クリスは誰の耳にも届かない独り言を呟く。
「――俺は君の理想に近づいているか、サーレ」
答えはないが、不思議にもサーレの理想に近づけているとクリスは確信していた。
※※※
フストとエドヲン、大平原の先にあるアラジエの赤山を越え、そこに連ねるヤクド共和国とグランクエンド峠。
峠からかろうじて遠視することができるゴスコード帝国の帝王ウェン・ゴスコードは、哀れにも震えながら、謁見の間を這いずり回っていた。
豪奢な室内は赤を基調とした配色が目立つ。……否、その赤は王が好んで塗布したものではない。
血だ。広間を塗りつぶしてしまうほどの真っ赤な鮮血。
血の捻出元は帝王の配下や召使いたち。染め塗ったのは自身も返り血で赤く染まった無表情の男。
「く、くそ! 何が! 何が起きて……!!」
パニック状態となった王は、血だまりに足を取られながらも男から逃走する。
扉を開き、助けを求めて城内を駆ける。途中後ろを振り返ったが、幸いなことに男はついて来ていない。
「くそ! くそ! 誰か! 誰か余を助けよ……あぁっ!?」
瞠目した帝王が見たのは自分を救うべき兵士たちの死体。男や女、兵士かどうかを問わず、皆虐殺されている。
発狂しかかった帝王は、奇声を上げながら城を出た。市街地へと逃げ込み、もうどうしようもないことを悟り止まる。
街にいる生者は帝王だけだった。大人も子どもも老人も身分の差すら関係なく、平等かつ公正な判断を持ってして皆殺しにされている。
「バカな……バカな……! こんなことをすれば腐海が発生するぞ……! 余は攻めこまれぬために国民を市街地へと集わせたというのに……っ」
腐海発生条件を逆手にとった自衛術だった。一定以上の人間が死ねば腐海が発生し、略奪することもままならなくなる。ならば、その理を逆手にとり、人で街を溢れかえらせれば、敵は攻め入ることはない。
攻勢に出るとすれば狂戦士と生贄の人間たちが必要となるが、攻める気がなければこれほど単純で強力な自衛方法はない。
国家の防衛とは、攻撃から国を守ることだけではなく如何に国を攻めさせないかも重要となる……はずだった。
「……人間相手には有用だったのかもしれんが、俺には通用せんぞ」
「き、貴様……バーサーカー……! 忌々しき悪魔め!!」
いつの間にか背後に立っていた男に、帝王は恨み言を放つ。だが、男は気にした様子をみせない。
感情を窺えないのだ。仮面のような無表情で、男が何を考えているのか、喜怒哀楽すら垣間見えない。
「悪魔、か。ふむ、俺にはどちらが悪魔かどうかわからん。……お前はバーサーカーを悪魔と呼ぶが……なぜだ? 狂うからか? 狂う者は忌むべき悪魔……だと?」
「……く、そうだ! そうに決まっておろう! バーサーカー、バーサーカーめ!!」
憎しみ深く声を荒げる帝王。それに呼応するように呪詛のような声が死体から漏れ出した。
バーサーカー、バーサーカー。殺す殺す、殺してやる。
正気すら疑いたくなるほどの光景だが、男はやはり動じない。
「恨むか、憎いか? 俺が。……では存分に恨むがいい。憎しみを滾らせるがいい。ただし、一つだけ誤りを訂正しよう。俺はバーサーカーではない――」
男は背の鞘から大剣を振り抜き、頭上へと掲げた。
「――俺は狂戦士だ、人間」
帝王の身体が二つに斬り別れる。漆黒の魔力が零れ出る。
空が黒く染まり、深淵がゴスコードを支配する。光は闇へと下り、死者が闊歩する魔界に変質する。
「さぁ思うがまま、存分に狂しめ。悪魔共め」
狂った声があちこちから湧き上がる。屍人が歩き出し、生者を求めて彷徨いさすらう。
幾人かの死者が狂戦士に襲いかかってきたが、大剣で難なく斬り倒した。
男は、大剣で邪魔者を薙ぎ払いながら闇の世界を進んで行く。冷静に、敵の動きを読み取り、退路を切り開いていく。
「さて、人探しに赴くとするか。……お前も同類なのだろう? 同胞殺し」
呟きを残し、闇に紛れて姿を消した。




