チャティスの想い
花を植え終えたチャティスたちが村に戻った頃にはすっかり日も暮れていた。
家の戸を開け、夕食の支度をしていた母親に準備を申し出たチャティスは手を洗った後に台所へと立つ。
「疲れてるんだし休んでてもいいのよ」
「今は何かしたい気分だし、いいんだよ」
半ばぶっきらぼうに答えたチャティスを見、母親は察したような笑みをみせた。
「何か嫌なことでもあったの?」
「別に、何でもないよ」
「拗ねちゃって」
拗ねてなんかないよ。そう言った後、チャティスはまずクリスの食事……とは言い難いあっさりとした簡易な食べ物を作り始める。
特別な狂戦士であるクリスは、睡眠も食事もほぼ必要ないという。だが、それではあまりにも寂し過ぎる。
なので、チャティスは栄養満点のスープを煮込むのだ。薬としても食事としても摂れる食材をふんだんに使い、あまり苦くなり過ぎないよう気を付けながら調理する。
一瞬、とんでもなくまずい物を出してしまおうか、という邪な考えが浮かび上がって、ダメだとチャティスは首を振った。
どれだけ不満があろうとも、それではただの八つ当たりだ。例えクリスがチャティスに話をぼかし、そのことでチャティスが腹を立てていたとしても、食事で嫌がらせするのはご法度だ。
きちんと手順通りスープを煮込んだチャティスは、山盛りになったチーズの山を発見し、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「気付くのが遅かったわね、チャティス。今日は腕によりをかけて、ごちそうを作ってるのよ」
「……ゆ、夢にまで見たチーズ……」
旅の最中、チャティスはずっとチーズに焦がれていた。
クレスト、アリソン、テェンソー、フスト、様々な国に立ち寄り、たくさんのチーズを食した。
だが、やはり村のチーズでなければダメなのだ。ティルミの牧場主ポコレが作った特製チーズでなければ。
「……何があったのか話してくれれば、一つつまみ食いしてもいいけど?」
「っ!? う、う! 母さんには内緒なの!!」
チーズの誘惑は強烈だったが、チャティスは何とか耐えた。
いつもなら喜んで何があったのか報告する両親にも、チャティスはあまりクリスについて話さなかった。
なぜだかはわからない。ただ何かが引っかかるのだ。
クリスに関しては、両親の助力をなるべく受けたくない。あまり干渉して欲しくないというのが本音だった。
そんな彼女の様子を見て、チャティスの母は小さくため息を漏らす。
「惜しいわ、実に惜しい。この子のことだから、きっといつまで経っても気付かないんでしょうね。……チャティスは、とっても賢い、私たち自慢のおバカさんだから」
「……何か言った?」
「何でもないわ、ただの独り言よ。チーズはしばらくお預けね」
「あっ……。う、うぅ……」
チャティスは手の届かない場所に置かれたチーズの籠を、物欲しげに見上げた。
食事は久しぶりに家族そろっての食卓となった。クリスとシャル、そして赤ん坊がいたため家族水入らずとはいかなかったが、チャティスは何ら不満を抱かなかった。
みんなで食べる食事は楽しい。ミュールが死にクリスと別れた直後の鬱々とした一人旅などとは比べ物にならないほどに。
気に掛かることと言えば、クリスだ。彼のことだけが気になって、チャティスはちらちらと視線を注ぐ。
クリスだけではなく、居間の隅に立てかけてある剣と鎧。彼の装備品も頭から離れない。
これらをクリスは一体どうやって入手したのか。父親と彼は何を話していたのか。
そればかりに集中し、チャティスは食事に身が入らなかった。
ポトリ、と芋を落とす。あらあらと呆れる母親の声。
「食べ物を粗末にしちゃダメよ」
「あ、ご、ごめん。考え事してて……」
大丈夫、まだ食べられる。落ちたのはたった一瞬だ。
自分に言い聞かせてチャティスはテーブルに落とした芋にフォークを突き刺す。
放り込んでよく噛む。噛みながら目線はスープを啜っているクリスへ。
クリスと目が合う。気まずくなって、視線を逸らす。逸れた先にある母親の満面の笑み。
さらに目を移して、今度はシャルの不思議そうな顔。逃げ場を求めて父親を見る。
父親はチャティスと同じようにクリスを見つめていた。思慮深く。チャティスとは違い、考え事をしながらも食べ物を落としたりはしない。
視線を彷徨わせたチャティスは、結局チーズへと落ち着いた。フォークで一口サイズに切り分けられたチーズを一気に刺し取る。刺さるは三つ、食べるは一口。
「うん、やっぱりチーズは最高だよ」
極上の笑顔で、悩み事は何事もなかったかのように吹き飛ぶ。
チャティスにとって、今はチーズが全てだ。上にもチーズ、下にもチーズ。右にも左にも、何なら前にも後ろにもだ。
チーズに食らいつきながらパンを頬張る。パン、チーズ、パン、チーズ。交互に変化する咀嚼音。
「……食べ過ぎは控えなさい、チャティス」
「今日くらいは大目に見ましょうよ、あなた。家出したチャティスがやっと帰ってきたのよ」
「しかしだな」
「毎日毎日、娘のことを考えて青くなってたあなたが、急に立派な父親ぶらないの」
「チャリア、それは……っ」
チャティスが一心不乱に食事をする前で、父と母は談笑を続けていく。とはいえ、楽しんでいるのは母親であるチャリアだけであり、父親であるティロイは狼狽していたが。
「全く、困らされたわ。チャティス、あなたがいない間大変だったのよ? お父さんはもう使わないって言ってたピストルを取り出してふらふらとどこかへ出かけちゃうし。かといって帰ってきたと思えば、チャティスがバーサーカーに攫われた! とかいって叫び喚くし。それで誤解かと知ったら知ったでまた……」
「んぐ」
パンを口に含んだまま、チャティスは声を詰まらせる。
クレストへの道中及び国内外で、チャティスは様々なトラブルに巻き込まれた。
クレストで飛び交うありもしない噂を耳にした父親がどう思ったのか、想像に難くない。
きっと今までも出先用のコートと、武器であるマッチロックピストルを片手にあちこちチャティスを捜し歩いていたのだろう。
そう思うとチャティスは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。親しい仲にも礼儀あり。
いくら家族だろうと心配をかけっぱなしでいいはずがない。だが、声には出さず、心の中で謝罪した。
(ごめんなさい、父さん。でも、また迷惑かけるよ……)
私の旅はまだ終わってないの、と胸の内で言い訳を述べる。
チャティスの旅はまだ終わらない。チャティスは密かに、旅の終わりはクリスの旅が終わる時だと心に決めていた。
彼が剣を手放した時。それはチャティスが成り上がり、狂戦士同士の争いが世界からなくなる時のはずだ。
そうなるに決まっている。自分という天才がいれば。天才の中に不可能の文字はない。
「おかわり、欲しい」
「ふふ、食欲旺盛なことはいいことよ。……シャルちゃんは可愛らしいわねぇ。爪の垢を煎じてチャティスに飲ませてあげたいくらい」
「……おいしくないと思う」
「ふふふ」
正直な感想を口にするシャルを面白く思い母が笑う。
チャティスが帰ってきてからというもの母から笑顔が絶えない。だが、自分がまだ冒険を続けると言った時に、チャティスは母親が笑顔を浮かべる様子を想像できなかった。
妙な気分に包まれる。自分は恩返しするために旅をしているはずなのに、両親はちっとも喜んでくれてないのでは?
そんな予感が頭をよぎり、チャティスは誤魔化すようにチーズを口の中へと放り込んだ。
と、何の前触れもなく鳴る呼び鈴。ティロイが席を立とうとしたが、チャリアが大丈夫と手で応える。
「そのままでいて。たぶん、マリーかキルネでしょう」
村の母親仲間かとチャリアが玄関まで赴き、困ったように眉根を寄せて戻ってきた。
「どうしたの?」
「見慣れないご老人が」
その一言でチャティスは訪問者が誰だか思い至り、率先して戸口へ向かう。
果たして、そこにはフォーリアスが立っていた。大陸最高と謳われた老魔術師はにこりと微笑んで、
「こんばんはチャティス。いい匂いじゃな。夕食の途中だったかの」
「……私もいるわよ」
ひょっこりと後ろから顔を覗かせるキャスベル。
立ち話も何なので二人を家に上がらせると、後からやってきたティロイが珍しく驚声を発した。
「マスターフォーリアス?」
「これは、なるほど、や、気付かんかったの。チャティスはティロイの娘だったのか」
「知り合いなの?」
後で父親自慢をしてやろうと考えていたチャティスは、目論見が崩れ去りがっかりする。
だが、フォーリアスはティロイに、ティロイはフォーリアスに、両者とも相手に敬意を払ったしぐさをとった。
その行為を見やりチャティスは良しとする。フォーリアスは変態ではあるが、薬師を見下したりするくそ魔術師の類ではない。
「良ければいっしょにどうぞ。たくさん作ってありますので」
「……いいのですか?」
戸惑うキャスベルにチャリアは笑いかける。
「もちろん。可愛らしいお嬢さんは大歓迎。フォーリアスさんもどうぞこちらへ」
「ご相伴させていただこう。しかしよいのう――」
その眼差しにチャティスとティロイはハッとなった。フォーリアスの視線はチャリアに集中し、チャティスにとって忌々しいことこの上ない瞳で母親を見つめている。
どうかしました? と問いかけるチャリアにご機嫌な笑みをみせながらフォーリアスが呟く。
「栗色の髪、整った顔立ち、締まるとこは引き締まり、出すべきところは惜し気なく出ている。その血筋は間違いなくチャティスに受け継がれてはおるが、継ぎ元もまた一興じゃのう。それに、人妻というのもまた男としてはそそ――」
「マスターフォーリアス」「フォーリアス?」
父と娘は息をぴったり息を合わせて各々の銃をその手に構える。
マッチロックとホイールロックリボルバーのまさかの競演に、フォーリアスは慌てふためき嘯いた。
「さ、最近ジジイはボケが激しくてのう。意図してない適当なことをそらんじてしまうのじゃ」
「でも、ボケ扱いされて失礼だ、って前言ってなかった?」
シャルの無邪気な一声に、フォーリアスは冷や汗を垂れ流す。
「そ、そんなことはないのう。いやはや、ティロイ、美人な妻と娘を持って羨ましい限りじゃのう」
「あなたは昔からそうだ。……食事の途中です、不問といたしましょう」
「チーズに免じて赦してあげる。でも、次に母さんに手を出そうとしたら、今度こそ六連発をお見舞いするんだよ?」
「わ、わかっとるわかっとる。銃は魔術の天敵じゃからの」
苦笑いしながらフォーリアスはのたまう。その反応にチャティスは気を良くした。
フォーリアスは大陸で一番魔術について知り、その長所も短所も理解している。
そして、魔術師がどうあるべきかを心得ている。魔術は偉大な力である。そして、そのような力を持つ魔術師は尊大であってはならない。
謙虚な人間ほど実力があり、失礼な奴ほど大した人間ではないというのはどこの方面でも変わらない。
変態嗜好はともかく、チャティスの中でますますフォーリアスの印象が良くなった。
フォーリアスみたいな魔術師ばかりならいいのに、と心から思う。だが悲しいかな、現実にはどうしてそんな見下し根性を持っているのかと質問攻めにしたくなるほどの傲慢な魔術師で溢れている。
「キャス、おいで。母さんの料理は絶品だよ」
「……では失礼して。……っ、おいしい」
新しく用意した椅子に座ったキャスが感激する。当初こそ畏まった態度だったキャスは、よほど腹を空かせていたのだろう、気付くと食べるのに夢中となっていた。
アサシンとしての尊厳はどこへやら。だが、その少女らしい一面がとても愛らしく、チャティスは表情に笑みを張り付けたまま、キャスの大喰らいを見守っていた。
「……何」
「いっぱい食べるなって。よっぽどおいしかったんだね」
「……私は日々訓練を絶やさないから太らないわよ」
「そんなこと気にしてないよ。たくさん食べることはいいことだよ」
ちょっと羨ましいと思ったのは内緒。よりにぎやかとなった食卓で、チャティスはずっと笑顔のまま楽しい食事を摂ることができた。
ただ一点、視界の端で黙考しているクリスにだけ、複雑な瞳をみせながら。
「野菜も食べなさい、チャティス」
「はーい。むぅぐ」
苦手なトマトを発見し、苦りきった顔となった。
夕食後、チャティスはひとり庭に出て黄昏ていた。きらきらと輝く星空が美しい。
家族と談笑するかとも思われたが、大方自身の冒険談について話してしまったチャティスに母が所望したのは、彼女が連れてきた友達との会話だった。
ほいほい出てくる自分の良いことまずいことのオンパレードに耐えられなくなり、チャティスは家から抜け出してきたのだ。
今頃、チャティスについて語りつくしているであろう母とシャル、キャスベルのことをチャティスは顧みない。
出会って日が浅いキャスベルはともかく、恐ろしいのはシャルだ。彼女独特の価値観であることないことを告げられているのではないか。そう思うとチャティスの背中に冷たいものが流れ、何についても考えたくなくなる。
せめて銃器店でロードに襲われかかったところは省いて欲しいと切に願う。
「あれはダメ。父さんが何を言い出すかわからないし……」
だがそのような気遣いをシャルができるとも思えないのが現状だ。
ゆえに、チャティスは干渉しないこととする。考えるな、感じるな。今はただこの星空を見上げ、ただ時間が過ぎゆくのを待つのみだ。
だがそれでも、無為な事柄へと思いを馳せてしまうのが人である。家中での談話への思いは吹き飛んだが、今度はずっと気に掛かっていたものがチャティスの頭の中を支配する。
「クリス……はぁ……」
チャティスの相棒は、出払っている。
念のため、周囲を警戒するという。父と二人で花を植えに行った時、略奪者と鉢合わせしたらしい。
キャスベルが自分も同行すると挙手したのだが、クリスはその協力を拒み、単独で行動すると言って譲らなかった。
どうやら、ひとりで思索に耽りたいらしい。何を考えているのかチャティスには見当もつかない。
だが、あまりいい予感はしない。突飛なことをクリスが言い出すかもしれず、チャティスは目に違うものを写しながら星を見上げていた。
「ため息は感心せんのう、幸せが逃げていくぞい」
「……フォーリアス? 何しに来たの?」
背後に老魔術師が姿を現す。チャティスが問うと、老人は笑いながら追い出されたのじゃと語る。
「今は女性だけの時間、らしくてのう。ティロイの奴も追い出され、村長のところへ歩いて行きおった。惜しいのう、実に口惜しい。少しばかり聞き耳を立てたところ、お前さんの恥ずかしいエピソードがいくつか――」
「乙女の秘密を探ろうとする変態は、ボイドペンギンに空の果てまで吹っ飛ばされちゃえばいいんだよ」
冷酷に応えたチャティスの声音に、すまんすまんとフォーリアスは軽快に謝罪した。
「軽い冗談じゃ、本気にするな。……悩み事なら、ジジイが相談に乗るぞい」
「悩んでなんかいないよ」
「……」
「な、何」
ぶっきらぼうに答えたチャティスの眼前へ、フォーリアスは無言で切迫する。
チャティスは血縁である祖父はいない。どちらとも、戦争に巻き込まれて死んでしまったらしい。
だが、不思議と懐かしさを感じる、温かい眼差しだった。思わず何でも話したくなるような魔力を、フォーリアスはその目に宿している。
「何か魔術でも掛けたんじゃあ」
「いくらジジイでもそんなことはせんのう。ワシは確かにおなごが好きじゃ。だが、魔術で屈服させても面白くもありゃあせん。ワシが好きなのは瑞々しいおなごの反応であり、何も言わず人形状態となった女とのままごとではないのだから」
「む……」
訝しげに漏らしたチャティスの疑念に、フォーリアスは妙に説得力のある文句で返す。
そう言い切られてしまえば、チャティスとしても警戒する理由はなくなる。フォーリアスは変態ではあるが、他者が本気で嫌がることはしていない。裸を見られたキャスベルも、見られたこと自体は絶対赦すつもりはないと言っていたが、自分の命を救ってくれたフォーリアスに心から感謝していた。
この老人は告げ口することもないだろう。何だかんだ言って、フォーリアスを信用している自分にチャティスは気付く。
「じゃ、じゃあ、さ……あなたは、バーサーカーのこと、よく知ってる?」
躊躇いがちに投げかけられた疑問を受け、フォーリアスは首肯する。
「もちろん。腐海とバーサーカーは切っても切れぬ存在じゃからな。腐海を語る上でバーサーカーの存在は外せん」
「だったら、バーサーカーの特徴みたいなもの、とかさ。日常を送る上で発生する問題とか、い、いや違う……なんていうか、その」
「良い、良い良い。ゆっくりで構わんぞ」
優しく諭され、チャティスは一旦思考を整理する。老齢な魔術師だからこそ知り得る、狂戦士についての知識。
その一つ一つを、チャティスは改めて訊ね直した。
「……あなたは、どうすればバーサーカー同士の争いが、この世からなくなると思いますか?」
「急に畏まるのはやめてくれんかのう。せっかく孫娘ができた気分に浸っていたというのに。まぁ良い、答えは簡単じゃ。正直なところ、チャティス、お前さんが見つけた花を使わなくともできる。やろうと思えばすぐにでも」
「ほ、本当!?」
驚きつつ喰いついたチャティスだが、次にフォーリアスが口にした答えは少しばかり拍子抜けするものだった。
「至極単純、人々が争いをやめれば、バーサーカーは狂化しない。バーサーカーが狂化する主な原因は、人々が争うことじゃ。人が争わなくなれば、戦争は起きず、バーサーカーもまた狂気にあてられることもなくなる。簡単じゃろ?」
「う、ん。それは、そうなんだけど――」
――それでもみんな、争いを止めない。
それが世界の真理だ。思えば、神だって世界を壊す前に争っていたのだ。その創造物である人間が争ってしまうのも自然の摂理なのかもしれない。
だとするなら、迷惑極まりないことだ。自分が争っていたから、自分が創った子どもたちも争わせちゃえなどとは、どんな理不尽な理屈だとチャティスは憤慨する。
創世神話では、世界の終末が起きた後、生き残った心優しい神が清らかな世界を創世したのだという。
だが、狂戦士などという呪いがある時点で、この世界は清らかでも心優しくともない。
クリスがどれだけ狂しんでいるのか、神は知っているのか。ミュールがなぜ自殺しなければならなかったのか、神はご存じなのか。
シャルがずっと孤独だったことは? ダニエルが己の人生を歪められたことに関しては?
世界中の人間と狂戦士がどれだけの狂しみに囚われているのか、本当にわかっておられるのか?
チャティスはずっと、神様という存在が嫌いだった。旅に出て、その思いはなおさら強まった。
どうしてこれほど、悲しみを世界に溢れさせる?
あなたが完全無欠な存在だというのなら、あなたが全てを解決し、人々を導いてしまえばいいのに。
罰当たりなことをチャティスが思っていると、フォーリアスが微笑みかけて、
「ふふ、この考えを聞いて、当惑しなかった者はいない。ティロイもそうじゃった。それも当然じゃな。こんな話は絵空事で、実際には叶わうことのない夢物語なのじゃから。じゃがな、人々はみな、そんなありもしないことと一度、真剣に向き合ってみるべきだと思うのじゃよ。ワシはな、バーサーカーは争いの権化なのではなく、平和の使者だと信じているのじゃ」
「平和の、使者――? 天使のような?」
自分とはまた違う解釈に、チャティスはどんどんのめり込んでいく。
「そう。平和の使者。人々が愚かにも争った時、彼らを諭し戒める導き手だと。遥か昔、太古の時代はきっとそのような役割が成り立っていたのだとワシは考えておる。人が争った時、彼らは人々の所業を断罪し、人々を脅かす魔物が現れた時、彼らはその鋼の身を持って盾となる。だが、時が経つにつれ、忘れさられてしまったのじゃろう。人はバーサーカーを忌むべき、利用すべき戦争の道具としてしか認識せず、バーサーカーもバーサーカーで、自分がなぜ狂化するかわからず、もがき苦しむだけの存在となってしまった」
「……斬新な、いや、古風な? どちらにしろ、いい考えだとは思う。多少なりとも共感できるし」
「天才にそう言われるとワシも鼻が高いの」
穏やかな笑みをみせるフォーリアスに、だがチャティスは笑い返さない。
フォーリアスの仮説が正しくとも、チャティスは怒りを隠せない。
導き手などという役目を狂戦士に押し付けた神に。そんな重役は、狂戦士に押し付けるべきではない。
与えるべきは、そう、自分のような天才であるべきだ。
今からでも遅くない。否、今すぐにでも狂戦士たちを解放し、自分に役割を与えてください。
思いつめたような冷薄さとなったチャティスだが、フォーリアスに肩を叩かれてハッとする。
「……少し熱を入れ過ぎたようじゃな。すまんのう、ジジイは口下手なのじゃ」
「い、いや、ごめんなさい。私こそ、つい……」
「ふうむ、お前さんに謙遜は似合わんのう。ずっと自分が正しいと思い込んで、天真爛漫に過ごしてくれた方がジジイとしては楽しくて良い」
「なっ、人がせっかく謝ったのに! 失礼な男は女の子に嫌われるんだよ!!」
すっかりいつもの調子を取り戻し、腕を組んだチャティスを見て、フォーリアスは顔を綻ばせる。
そして、さての、と全てを見透かした瞳で、彼は口を開く。
「そろそろ本題に入ろうかの。聞きたかったのは、バーサーカー全般のことではなく、クリスのことじゃろう?」
「う、見抜いてたんだ……」
「無駄に歳はとっておらんからのう。……クリスの、過去のことかの」
「――うん。詮索するのはいけないことだと思うんだけどね、どうしても気になっちゃって」
正直に自分の気持ちを白状するチャティスをフォーリアスは愛おしそうに見つめていた。
そして、どこに行くの? というチャティスの問いかけを無視し、家の中へと入って行く。
外に出てきた時、フォーリアスの手には入り際に所持していなかった物が握られていた。
「クリスの剣――?」
「ワシも直接聞くのが一番だとは思うのじゃが、お前さんのことじゃ、一度試しては見たのじゃろう?」
「聞いたと言えば聞いた……けど、あれは聞いたうちに入らないというか。……でも、たぶんクリスが教えてくれないってのは当たってる、と思うけど」
チャティスが記憶の引き出しから取り出したのは、クレストでクリスに狂戦士となぜ戦うのかと訊いた時の思い出だ。
あの時、彼はこう答えた。必要なことだからだ、と。
なぜ必要なのか教えてはくれなかった。距離が縮まったと感じる今でも、流暢に答えてくれるクリスは未だに想像できない。
「では、勇気を持つのじゃな。嫌われる勇気を」
「どういうこと?」
フォーリアスはクリスの剣を抜き、魔術で宙に浮かせた。
ふわりふわりと重力魔術で宙へ浮かぶ剣は横向きになってチャティスの前を停滞している。
「お前さんはクリスを大切に想っている。クリスがお前さんに過去のことを語らないのも、お前さんを大事に想ってのことじゃろう。……どちらかが思い切った行動を取らない限り、ずっとこのままじゃ」
「……嫌われる……クリスに?」
フォーリアスの言葉を復唱し、チャティスは嫌そうに顔を俯かせた。
「嫌だよ。クリスに嫌われたくないよ……」
「……なら、止めるか? ワシはどちらでも良い。お前さんが望むなら、ワシはこの剣からクリスの過去を読み取る。クリスがなぜ剣を取り、バーサーカーと戦うのか。その一端をお前さんに見せてやれる。じゃが、どうしても嫌だというのなら、ワシは剣を鞘に戻し、元の場所へと剣を置いてくる。……機会はもう二度とないと思うがの」
フォーリアスの言う通り、クリスが剣を置き歩くことはあまりない。
今は珍しく、記憶を盗み見るには絶好のチャンスなのだ。次がないとも言い切れないが、あるとも断言できない。
だがしかし、他人の記憶を覗き見るというのはあまり心地よいものではない。罪悪感、後ろめたさ。
ここでクリスの記憶を遡れば、間違いなく関係に変化が生じるだろう。それが好意的なものとなるか、険悪なものとなるか。想像は容易につく。
(でも……それでも……気になる)
好奇心、というよりは心配や不安という意味合いの方が大きい。
何があったのか知りたい。なぜ剣を取るのかわかりたい。
クリスのことをもっとよく理解したい。
そんな想いが胸をひしめき、脳裏を満たし、チャティスの心を埋め尽くす。
とうとうチャティスは自身の知りたいという欲求に敗北した。あるいはそれは、裏の彼女が表の彼女に影響を及ぼしたのかもしれなかった。
「見せて、フォーリアス。私はなぜクリスが戦うのか知りたい」
「……承知した。いざとなればワシを悪者にしろ、チャティス。では、いくぞ」
フォーリアスの杖が輝く。閃光が夜闇を照らす。クリスの剣が、眩く輝く
光の一切れが、チャティスへ降り注ぐ。チャティスの中に、ぼんやりとした光景が流れ始める。
「う……っ! こ、これは――」
頭の中に、音が光が声が想いが流れ出す。光の奔流にチャティスは飲み込まれていく。
とりわけ強力な、原初なる想いが頭を吹き抜ける。
――……てやる。
女性の声が、脳裏に響く。か細く途切れ途切れだった声が、徐々に大きくなっていく。
――殺し……る。殺してやる! あの時の悔恨、私は忘れてなどいない……!
(な、なに、これ)
瞠目するチャティスの前で、ひとりの少女が邪悪な想いと共に剣を手に取った。
――殺してやる……! あの男……家族の仇……っ! バーサーカー!!
その声と決意が身体の中を蹂躙し、チャティスは戦慄する。
呻いて、二、三歩、鍛冶場の中を後ずさる。
何かに躓いて、きゃっ、と小さく悲鳴を上げた。
身を起こし、何に躓いたのかと目を凝らす。石だ。鍛冶場に転移したと錯覚してしまったが、チャティスは懐かしい故郷からどこへも移動していない。
仰向けに倒れ、満月を見上げながら、思い返す。剣を握り、悲しい覚悟を決めていたあの少女。
一体何年前の話なのかはわからない。あの場所がどこだったのかもあいまいだ。
しかし、一つだけハッキリしていることがある。
「――サー、レ?」
動揺し惑いながらも、チャティスは少女の名前を吐き出した。




