帰郷にて
一台の馬車が最低限な整備の山道を通り、村へと到着した。滅多に来訪客が訪れない小さな村で、村人たちは訝しげに物陰から様子を窺っている。
と、中からひとりの茶髪少女が飛び出し、村の門前から大声で叫んだ。
「――ただいま!! 天才少女が帰還したよ!!」
その一声で、一つの民家から喧しい物音が響いた。がらんごろん、何かにぶつかった音と痛っ、という小さな悲鳴を上げながら黒髪の少女が飛び出してくる。
その少女は、村門まで走り声の主へと無我夢中で辿りついた。
「あ、あ……帰ってきた……」
「あ、キチュア。所用があって立ち寄っ――ぶっ!?」
平手打ち。突然のビンタを見舞われ、茶髪の少女チャティスは大げさに倒れる。
ぶたれた左ほおを抑え、何するのと憤慨するが、
「え、う? 泣いてるのキチュア」
「な、泣いてなんかいない!!」
「い、いやその嘘は無茶苦茶だよ! 泣くのがどういうことなのかとてもわかりやすく体現してるよ!!」
ぶたれた痛みはどこへやら。号泣する幼馴染を介抱するためチャティスは立ち上がった。
わんわんと泣き喚くキチュアは、実に子どもっぽい。涙声で言う彼女の声は、天才少女と言えども聞き解くことが難しい。
だがその涙こそ、衝動のまま放った手打ちこそ、キチュアがどれだけチャティスを想っていたのかという証明でもある。
少々申し訳ない気分になって、チャティスはキチュアの背中を優しく撫でる。
よしよしと、感謝の意を込めてあやしていく。
「私が、どれだけ、心配したと思ってるの……!! あなたが死んじゃったのかと、また私のせいで、私が原因で……!!」
「大丈夫だいじょーぶ。私はここにいるよ。私はとってもすごくて頭のいい天才なんだから、そう簡単に死んだりしないよ」
「……っうわああああああああん」
やっぱり私がいないと何もできないんだねーキチュアは。
などという失礼極まりない文句が脳裏に浮かんだが、チャティスは言わなかった。
今言えば、キチュアはいつも通り否定せずにそうだと肯定してしまう気がしたからだ。
それは困る。まだチャティスは旅を終えるつもりはない。
ここを訪れたのはある用事を片付けるためだ。生まれ故郷は旅の終着点ではなく、通過点なのだ。
「とにかく、一旦父さんと母さんに頼みたいことがあって、あ」
「……チャティス?」
その泣き声にハッとして、チャティスはキチュアから離れ馬車へと戻る。
そして、キチュアが驚愕のあまり目と口を開けて呆けてしまうようなモノを抱えてくる。
「ほらほら、泣き止んで。ここは危なくないよ、怖くないよーっ」
よいしょよいしょとチャティスはあやす。ちょっと様になった姿態で。
その信じられない光景に、キチュアは川魚よろしく口をぱくぱくさせた。
奇妙なそのしぐさにとうとう頭やられちゃった? とチャティスが漏らす。
だが、キチュアに発言を咎める余裕はない。もう何もかもわからない。
状況に頭が追い付いていない。
しかし、蒼白となり今にも気を失いそうな彼女にも、一言声を発する気力はあった。
「――ちゃ、チャティスが、子ども産んで帰ってきたぁ……」
ガクリ、とキチュアは力なく倒れる。
わわっと驚いたチャティスはキチュアへと駆け寄って、戸惑いながらもこう叫ぶ。
「違う、違うよ!! 誤解だって!! キチュア、起きて! キチュア――!!」
こうなった所以は、少し前まで遡る。
※※※
赤ん坊は、母親を求めているかのように泣き叫んでいる。
赤子とはいえ狂戦士だ。フォーリアスとキャスベルが馬車の中で様子を窺っていた。
私がやる、とチャティスは立候補したのだが、クリスにダメだと拒否されている。
いくら人畜無害そうに見えたとしても、狂化すれば指の一つや二ついとも簡単にへし折ると。
「あの花を使えば問題ないのに」
「赤子に効果があるのかどうか、まだ確証はないはずだ。……少し観察した方がいい」
クリスは正論をチャティスに言い聞かせる。
だが正しいことを言われても、チャティスの心は揺れていた。クリスはフストの出来事以降、以前にも増して慎重になっている気がする。
表情こそ無。だが、チャティスは無の中に隠れるクリスの微かな感情を見抜いていた。
(何か……怖がってる?)
クリスからは優しさや悲しさ、この二つに関して顕著に見受けることができる。
だが、恐怖の感情は珍しい。一騎当千、歴戦練磨のこの狂戦士は、どれほどの相手と対峙しようとも畏怖を抱くことはない。
冷静に冷徹に、敵を黙々と討ち取るのみだ。
そんな彼が一体何に恐怖をしているのだろう。チャティスにはさっぱりわからない。
「……どうしよう」
「赤ちゃんを連れて行くの、チャティス」
見回りを終えたシャルが丘の上に戻ってきた。
エドヲンの動乱は一旦収まったらしい。領主のいなくなった領民たちは、狂戦士狩りを行い同郷の人間を殺戮していたのだが、チャティスが救えなかった母親はあくまで例外でエドヲンの虐殺は同国内で完結している。
見張りのシャルも何ごとも起きず少し退屈しているようだ。
投げかけられた問いに、チャティスは少し考えて回答する。
「……正直、厳しいかな。ミルクは少しあるけど、赤ちゃんを連れたままの冒険なんて正気の沙汰じゃないよ」
赤子連れの冒険者はいるにはいる。だがそれはあくまで母親の健在が前提条件だ。
牛のミルクである程度の栄養補給が可能とはいえ、子育ての経験がない仲間内では赤子を餓死させてしまう可能性が高い。
「……チャティスは、出ないの?」
「…………う?」
純粋無垢な瞳がチャティスを射抜く。
どうやらシャルはチャティスが母乳を出せるものだと思い込んでるようだ。
そんなことは断じてない。チャティスは妊娠も出産も経験していないし、初恋だってまだなのだ。
出るものか、出てたまるものか。チャティスは静かにシャルを諭す。
「シャルだって出ないでしょ? 女性からお乳が出るためにはちゃんとした手順を踏まなきゃダメなんだよ」
「……ちゃんとしたてじゅむぐ」
「今はいい、今はそれじゃなくて、赤ん坊の今後だよ」
強制的にシャルの口を塞いで、この話を終わらせる。
妹のような立場のシャルにチャティスは頭を抱えたくなった。
なぜこうも妙な方向に熱心なのか。クリスに愚痴をこぼしそうになって、彼も男だと再認識する。
クリスのことだから、これまた気恥ずかしさを微塵も感じさせず淡々と応じるだろう。
だがむしろ赤面もせずに分析されるとそれはそれで羞恥心が刺激される。
仮面のような無表情で、思春期の健全な男女なら恥ずかしがるような話を聞かされたら。そう想像しただけで、チャティスの顔は真っ赤になってしまう。
「……調子が悪いのか」
「ううん、何でもないよ! ……でもホントどうしよう。フストに連れて行くのは難しいし」
「ノアたちに頼めないの?」
「うーん、流石にそれはね。……ノアたちはバーサーカーに理解はあるけど、赤ちゃんを育てるのはかなりの労力だと思うんだ。ただでさえ手間がかかるのに、バーサーカーの赤子なんて未知なる領域だよ」
理由はそれだけではない。ノアとウィレムはクリスとシャルがチャティスが発見した花のおかげで無害であると知っている。
だが、フストの領民全員がそうではない。まだまだ偏見も根強いし、子育ての知識だけではなく医療術の知識も求められる案件だ。
定住の治療魔術師もおらず、狂戦士の知識に疎い薬師しかいないフストでは、赤ん坊の世話を無事に果たせるとは思えない。
ウィレムが役には立ちそうだが、ウィレムはウィレムで狂戦士が苦手なのだ。やはり、フストに預けるという選択肢は存在しえない。
だが、かといって他に良い場所があるとも言い切れないのが現状だ。
アサシンの里がどういう場所か不明だし、ミュール不在のアリソンやどうなったかわからないクレストなどは論外である。
うーむ、と腕を組んで唸ったところで、一か所だけ、確実だと胸を張って言える場所を思い出した。
懐かしく、優しいところだ。そこはチャティスのルーツであり、旅をする理由であり、成り上がる目的でもある。
そこ以外は有り得ないと自信を得たチャティスは、思索を続けるクリスと何を考えてるかいまいち掴めないシャルへ提案をした。
「――ひとつだけ、思い当たるところがあるの。かなり戻ることになるけどいいかな?」
※※※
チャティスが提示した赤ん坊を預けるにふさわしい場所。
それがチャティスの生まれ故郷であるクレスト領ティルミの村だ。
移動にだいぶ時間を掛けた……と思いきや、僅か一日でエドヲンから到着を果たしている。
これもそれも、フォーリアスのおかげだ。フォーリアスはチャティスとシャル、クリスの三名と馬車を転移魔術で転送してくれた。
アサシンの里へ向かわねばならないキャスベルと、調べ物があると言っていたフォーリアスは同行していない。
二人とも、要件が片付いたらこちらに来るという。変態爺はともかく、キャスベルの助力をチャティスは嬉しく思っていた。
否、喜びが胸を満たすのはそれだけが理由ではない。
両親に会える。自分の意志で家出したが、やはり両親との邂逅は嬉しいものだ。
意気揚々とチャティスは家のドアを叩き、大声で親を呼んだ。
「父さん、母さん! 今帰ったよ!!」
「――チャティス!?」
響く母親の驚いた声。洗濯物をしていたチャティスの母が、作業を中断し駆けてくる。
ただいま、とはにかむチャティスに母親は抱き着いた。
「やっと、戻ってきたのねこの子は……!! 心配かけて……っ!!」
「ごめんね、どうしてもやりたいことがあったからさ」
口調こそ静かなものの、チャティスの表情は喜びに満ち溢れている。
本気でチャティスの身を案じていた母親も、嬉し泣きでチャティスを抱いている。
娘に家出された怒りよりもチャティスに対する不安の方が勝っていたらしい。
両親のことを知るチャティスは、その反応を当然とも感じながらも少し寂しい気持ちに駆られていた。
(……怒ってくれてもいいのに)
そんな想いが脳裏をもたげて、チャティスは気を取り直す。
今はあの赤ん坊の所在だ。相談するべき相手である父親をチャティスは探す。
「母さん、父さんはどこ?」
「……父さんなら、今……ほら来た」
母親が言った通り、父親も廊下の先から姿を現した。
その衣装にチャティスはハッと息を呑む。父の衣服はかつてチャティスが病気に罹っていた頃、あちこち薬の材料を探索する時に身に着けていた旅用のコートだったからだ。
頭に被るハットと共に、苦い記憶としておぼろげながらも覚えている。この服は、父親がチャティスの前からいなくなる暗示だと。
「――戻ったか、チャティス」
「うん。……ただいま」
父は感極まったような顔をみせ、チャティスと抱擁を交わした。
ここまで嬉しそうな父の顔は、幼い頃、自分の病気が治った時以来見たことがない。
その顔から、父も母親と同等、もしくはそれ以上に心配していたことが見て取れる。
愛されてるな、とチャティスは改めて実感する。
だからこそ、チャティスは――。
「ね、まず紹介したい人たちがいるの。私の旅仲間。……家にあげてもいい?」
「もちろんよ、チャティス。いいでしょ? あなた」
「……あ、ああ。もちろんだとも」
母は柔軟に対応してみせたが、父はどこか戸惑っているかのように声を詰まらせた。
意外だったのかもしれない。チャティスがキチュアやテリー、村の人々以外の人間を自分の家に招くことが。
そのことには触れず、チャティスは声で後ろに待たせていた皆を呼び寄せた。
クリスとシャルの両名がドアを潜る。あら意外ね、と母親はクリスを見つめながら言う。
「テリー以外の男の人をチャティスが連れてくるなんて」
「深い意味はないから、勘違いしないでよ。……さ、とりあえず私の部屋に――」
「……待て。お前たち――」
父が何かに気付いたような声を出す。チャティスが誇る最高の薬師である父親は、洞察力に優れている。
話不器用なクリスとシャルについて、説明する前に突っ込まれるのはまずいかもしれない。
そう危惧したチャティスは、二人を無理やり家の中へと入らせた。
父は怪訝な顔でクリスとシャルを交互に見つめている。その横をチャティスは二人の背中を押していく。
「まずは腰を据えてから、ね。ほら、ほらほら」
「でもチャティス、赤ん坊は……」
「赤ん坊だと?」
父の表情が一気に険しくなる。
さぁさぁ今は何も気にせずに、ね? とチャティスは冷や汗を掻きながらも二人を自分の部屋に押し込んだ。
「ふぅ、何でこんな焦ってるの、私」
「変なチャティス」
シャルの呟きにチャティスは心の中で同意した。
なぜかあの状況で父にばれたら取り返しのつかないことになっていた気がする。
父も母も、良識的な人物だ。狂戦士に対して正確な知識を有し、人には慈愛の心を持って接し、滅多に怒ることはない気性が穏やかな人。
なのに、父親の眼光からはナイフのような鋭いものが見え隠れしていた。
ひとたび爆発すれば、チャティスとクリスの関係を終息させてしまうようなぎらついた何かを。
「でも父さんと母さんなら……いや、両親しか、あの子を面倒見てくれる人はいないよ。どちらにしろ、花について意見を聞く予定だったし……」
そう自分に言い聞かせながら、チャティスは椅子へ腰を下ろし――椅子が壊れる音を聞く。
「うわきゃ!?」
「大丈夫か」
背中から思いっきり床へと激突する刹那、クリスがチャティスを抱き支えた。
ホッと安堵した束の間、唐突にドアが開かれて、チャティスはう! と顔を引きつらせる。
そこには、父親がいた。チャティスの悲鳴を聞いて一目散に駆け付けた父親は、まだ何者か説明を受けていない謎の男と自分の愛娘が抱き合っている姿を目視する。
「……」
「と、父さんそんなに慌ててどうしたの? あ、クリスはね、私が倒れそうになったから支えてくれただけでね、そもそも私とクリスは昼夜問わず共に過ごした仲でね……あ、う、語弊がないように言っておくと、シャルもいっしょにいたし……」
なぜ自分が言い訳をするのかわからないまま、流暢に説明を連ねていく。
しかし、余計なことをシャルが口走る。首をきょと、と不思議そうに傾げて、
「……私と出会う前は、二人きりだったでしょ?」
「う? いやあのそれはね、というか私とクリスは全然そういう関係じゃなくてえと」
「――チャティス、少し話がある。……居間に全員で来なさい。事情を聞く」
「はい」
素直に頷くことしかチャティスはできなかった。
居間へ入室したチャティスたちは、テーブルを挟んで五人……いや六人で座っていた。
まだ名も無い赤ん坊は母親の手中にある。青い花を握る赤ちゃんはすやすやと眠っている。
父親は当初不穏な雰囲気を醸し出していたが、必死にチャティスが説明すると父は納得してくれた。
狂戦士のこと。あの不可思議な花のこと。森でずっとひとりぼっちだった、シャルのこと。
そして、全ての狂戦士を殲滅するため戦い続けているクリスについて、しぶしぶながらも理解を示してくれた。
クリスのくだりを母親は残念がっていたが、チャティスは取り合わない。むしろ母親はチャティスが連れてきた赤ん坊を抱きかかえ、嬉しい誤算だと大喜びだった。
「ふふ、本当は血の繋がった孫を抱きたかったけどねー」
「まだ私はやりたいことがたくさんあるんだよ? それに相手だっていないし、テリーは論外だし!」
赤子をあやす母親に向かい、チャティスは文句を飛ばす。
ああそれもそうよね、と母は適当に相槌を打つ。
「だってテリーはキチュアと付き合ってるものね」
「そう! そうだって……は?」
予想の範疇外の返事に、チャティスは呆けて止まる。
母親はさも当然のように赤ん坊に笑いかけながら口を動かす。
「私も迂闊だったわ。だからキチュアはあれほど反発したのよね。あの子はテリーが好きだったのに、私とマリーが縁談話を勧めちゃったからねー。あの子には可哀想なことをしちゃった。……ご愁傷様。あなたが結婚できそうな相手はもうこの村にはいないわよ」
「……全然ご愁傷様じゃないし、無問題だよ! 私がその気になれば相手だっていくらでも――」
そういくらでも、魅了に惹かれて暴漢はやってくる。
悲しくなったチャティスは小さく呻く。母の隣では、父が保存容器を開けて、青い花に目を落としていた。
「――確かに、奇妙な花だな。お前の想像通り、応用次第では狂化を抑制する薬が作れそうだ」
「本当!? 父さん!!」
父の太鼓判を押されて、チャティスは顔を輝かせる。本来乗り気でなかった仮の婚約者が幼馴染と恋仲になったことなどどうでも良い。今は、花で薬ができるのかどうか、それだけが重要だ。
「ああ。まだ少し見ただけでハッキリとは断言できないが。しかし、思考錯誤する意味はあるだろう。……現時点では害ある効果が発生してなさそうだしな」
父はシャルに視線を送る。この花の恩恵を受けているのはシャルとダニエル、赤ん坊のみで、クリスは元より理性を保持したままでいられる特別な狂戦士だ。
ふと、ダニエルはどうしたのだろうという想いが頭をもたげる。
自分を人間だと長きに亘って誤解していたあの狂戦士はまだ健在だろうか。きっとそうに違いない。あの飄々とした性格でひっそりと生きているに決まっている。
「……しかしこの花、良く見つけたな。私も大陸のあちこちを旅したが、このような花は見つけられなかった」
「私が棲んでいた森に生えてたの」
父の声に反応して、シャルが解説し始める。なぜかチャティスの心臓が跳ね上がった。
そこはどこだ? と訊ねる父の問いをチャティスは遮る。
「べ、別にいいでしょどこだって……」
「……私はお前の病気を治すため様々な場所を探索してきた。だが、いくつか入らなかった地域がある。トランド山脈腐海の谷、エミレールの黒森、アリソン郊外バーサーカーの森……」
「今のとこ」
「っ、シャル!」
「……何だと?」
訝しげな父の眼差し。
その瞳に射抜かれて、チャティスの鼓動は早鐘のように早まる。
父が何を言い出すか知れなくて、恐ろしい。怒られるのが怖いのではなく、チャティスのやりたいこと……やるべきことが阻まれるような言葉がその口から放たれるのではないか。
そんな予感がひしひしと胸の中を蔓延し、チャティスは凍る。が、
「――バーサーカーの森では何も問題は起きていない。……バーサーカーについて、シャルについて知った今、かの森についての噂がただの流言であることはわかっただろう」
「……それもそうだな。少なくとも、この娘さんに関して私は何ら危惧していない」
クリスの助け舟もあり、チャティスはホッと胸をなで下ろす。
父は聡明だ。狂戦士に対してもちゃんとした理解がある。
予定通りことが進んでチャティスは一安心した。赤ん坊は両親が預かってくれ、薬についても一家言を貰った。
父の言葉ほど、薬師として信用に足る言葉はない。チャティスは父親が大陸最高の薬師であると信じて疑わっていない。
フォーリアスが戻ってきた暁には自慢してやろうとさえ思っている。
あなたは大陸最高の魔術師かもしれないけど、私の父さんだって大陸最高の薬師だよ!
そんな文句が脳裏に浮かぶ。そしてその娘である自分は、それ以上に素晴らしい天才なのだ。
にひひ、と密にチャティスがほくそ笑んでいると、突然父親が席を立った。
「お父さん?」
「……花を植えて様子を見る。あそこなら植えるにふさわしいだろう」
「あ、なら私も――」
と父の手伝いをチャティスは申し出たが、すぐに手で制される。
「長旅で疲れただろう。ゆっくり休みなさい。……クリス、手伝いを頼めるか?」
「……構わない。休んでいろ、チャティス」
「え、二人とも……っ」
チャティスを置いて、二人は農具を取りにと部屋を出る。
しょんぼりしたチャティスだが、今は気落ちする暇はないと元気を取り直す。
シャルに村を案内するのだ。自分が育った、代わり映えのない、優しさに溢れるこの村を。
「ねえシャル、暇だし村を案内してあげる――あ、あれ?」
チャティスの疑問も致し方なし。いつの間にか横に座っていたはずのシャルがいなくなっている。
対面の席で赤子にいい子いい子言っていた母親が、チャティスを見ずにシャルの所在を教えてくれた。
「その子ならさっきふらりと出て行ったわよ」
「え、えぇ……」
自分の存在意義を見失ったチャティスは落ち込み、ため息を吐いた。
※※※
チャティスの父親に同行したクリスは、スコップを片手にどんどん森の中へ進んで行く男の背中を無言で追従している。
と、突然男が止まった。スコップを地面へ突き刺し、ここでいいだろうと辺りを見回す。
「随分離れたな」
口を衝いて出たクリスの声に、チャティスの父親ティロイは笑う。
「ああ、ここなら邪魔者は入らない」
「……どういうことだ」
問うクリス。聞き受けたティロイの顔から笑みが消え失せ、彼は真顔となる。
「お前は賢い男だそうだな。あの子は嘘を吐かない。……もうわかっているだろう、どういうことか」
「……ああ。外れればいいと思っていた」
「なれば話は早い」
ティロイが後ろ腰へと手を伸ばし、ある物を取り出した。
ティロイが手に構えるソレは希少品ではあるものの、クリスにとってなじみ深いものに変わりはない。
世にも珍しいマッチロック式のピストルを、ティロイは右手に携えていた。
左手でライターを取り出した彼は火縄に火を付け、あらかじめ点火薬を載せていた火蓋を開ける。
「――あの子の前から消えろ、バーサーカー」
警告しながら、ティロイはクリスに銃口を突きつけた。




