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薬師チャティスと狂戦士と  作者: 白銀悠一
第五章 守護騎士と邪悪な野心と
29/62

賢者と天才と

 クリスがフストの宮殿に戻ったのは、夜も更けた頃だった。

 あらかた情報収集を終え、後はどうやって障害を排除するか思索する段階である。

 やはり、単独潜入しリベルテを始末するやり方が一番てっとり早く、効率的だ。

 リベルテ自身は狂戦士である可能性が低く、もし仮にソダスのように人のフリをした狂戦士だったとしても、いずれは相対しなければならなかった相手だ。

 ならば、相手が攻勢に出るより早くこちらから先手を打った方がいい。ダニエルのごまかしもいつまで有効かはわからない。

 考えをまとめながら、クリスは寝室の戸を開ける。寝室に入りはするものの、休息は必要ない。

 腰を置いてさらに思案を続けるつもりだった。

 しかし、予想外の来訪客でその目論見は崩れ去る。


「……何をしている」

「クリス――」


 部屋の椅子の上にシャルが座っていた。真っ赤な絨毯の中に青い髪がよく映える。

 月明かりが彼女の上に降り注いで、不思議な輝きを発していた。手元に一冊の本を持っている。

 彼女の赤い瞳の中に不安の色が窺えた。十中八九チャティスのことだろう。

 戸を閉めたクリスは剣を装備棚に仕舞い始めた。


「賢者リリティの大冒険」

「……なんだ、それは」


 装備品を片しながら訊く。恐らく本の題名であろうと推測はできるが、彼は物語の類を読み漁りはしない。

 学術書や歴史書、戦術指南は何度か目を通したことがある。が、それ以外のジャンルはからきしだった。


「たぶんチャティスにとって重要な本」

「……それがどうかしたのか?」


 物語に憧れて、その本に関する職業に就く人間は珍しくない。

 物語とは人々の憧れの集大成だ。人の夢や希望、理想の具現化だ。

 現実が苦しいから甘い夢に縋る。現実に意味を見出せないから空想の希望に浸かる。

 カリソメの理想を読み解いて、現実世界への活力とする。

 本とは……物語とは――魔法なのだ。人に教えを与え、力を与え、夢を与え、人生を与える。

 物語に焦がれて、英雄になった偉人もいる。他者を鼓舞するために、自身の剣が物語内の剣だと言い放った王もいる。

 ゆえに、クリスはシャルの不安が理解できない。チャティスはただ、その賢者リリティとやらの本から力を得ただけではないのか、と。

 しかしシャルの危惧は、その力を得たはずの本の内容から来ていた。


「この本、ウィレムに借りて少し読んだけど――チャティスそっくりの女の子がいた。チャティスが似たのか似ていたのかはよくわからないけど」

「どちらでも問題ないだろう。本に影響されたからといって彼女がニセモノになるわけでもない」

「問題、あるよ」


 悲しげに目を伏せたシャル。クリスは片づけを終え、シャルへと近づいて本を取った。

 ぱらぱらとページに目を通しながら、シャルの不安を傾聴する。


「リリティは自分より他人を優先する賢者。自分が傷ついても平気な顔をなんだけど、他人が傷つくとすごく悲しむの。……まだ、そこはいいんだ。チャティスも似ているけど、ちゃんと自分の身を守ろうとするから。でも……」


 言いにくそうに口を閉ざしたシャルにクリスは目で告げる。構わないから先を言え、と。

 シャルは躊躇いがちに――リリティの物語、その最終章を語る。


「終局、世界に悪い呪いが蔓延するの。ひとの気が狂う悪魔の呪術が。リリティはみんなを救おうと奔走して治療方法を見つけるんだけど、それは自分の命を神に差し出すというものだった。リリティはね、何の躊躇もなく、進んで自分の命を差し出すの。“私はみんなを救えればそれで幸せです”そう言って、笑顔で。……チャティスも、もしそうなったらって思うと私――」


 暗い表情で自分の気持ちを述べるシャルにクリスは目を落とす。胸元には、チャティスのお守り……狂化を食い止める花の小瓶が掛かっている。

 クリスは一度本を閉じ、棚の上に置いた。


「心配する必要はない」

「クリス……?」


 断言したクリスをシャルは訝る。だが、そんな怪訝な視線に晒されても揺るがないほど、クリスはチャティスの本質を見抜いていた。

 恐らく、シャルも薄々感づいていたはずだ。だからこそ予想し、そうであって欲しくないと願う。


「そのような状況にチャティスが陥った場合……間違いなく彼女は死を選ぶ」

「――っ」


 最悪な回答にシャルが戦慄する。恐れ慄く彼女の様子に、クリスは少し同情めいた感情に晒されながらも、ただ粛々と事実を告げていく。


「自分が無意味な死に晒された時、彼女は生きようと必死に頭を回す。生存の可能性を模索し、機転を利かせ、生きるための努力を惜しまないだろう。だが、自分の死に意味が……自分が死ぬことによって恩を返せる状況になった時、あの子は躊躇なく自死できる。チャティスとはそういう人間だ。……自分を敢えて天才だと言い、周囲に周知させているのは、周りを励ますという意味と自分の本質を周りに理解させないための道化だろうな。……恐らく彼女は彼女自身すら騙している」


 チャティスは単純な性格のように見えて実際は複雑な人間だ、というのがクリスの見立てである。

 他者に遠慮や気遣いをするため、彼女という在り方は細分されている。

 過去と現在での性格変動はありきたりだが、彼女は天才という名の凡人という仮面を進んで被っている。

 あまりにも長い間仮面を被り過ぎて、自分とは一体どういう人間だったかを忘れてしまうほどに。

 花畑でチャティスは自分のことを良く理解していなかったと言っていたが、まだ完全に把握できているとは思えない。

 ある意味では、ほんの数日チャティスと過ごしただけのミュールの方がチャティスのことをちゃんと理解していたのかもしれない。

 だからミュールは死ぬ間際、クリスにこう言ったのだ。何としてもチャティスを守れ、と。

 しかし残念なことに、クリスはチャティスを守護できる自信はない。

 外敵からチャティスを守ることはできる。人を喰らう魔物、命を含めた略奪を繰り返す盗賊たち、自身の欲望のため全てをふいにできる貪欲者たち。……そして、戦いになると気が狂う狂戦士程度ならば、確実とは言い切れないが守り通せる。

 しかし、内敵――チャティスの中に潜む彼女の本質から、チャティス自身を守り通せる自信は皆無だった。

 ならば、どうすればいいか。その答えをクリスは導いている。

 いや、とうの昔に知っていたのかもしれない。チャティスがクリスに講じている策と、基本的には変わらない。

 狂戦士を殺させたくなければ、狂化を止める手段を講じればいい。狂戦士が狂わず争いを求めていないのならば、いずれ殺すとしても今すぐ狂戦士を処分する必要はなくなる。

 そんな風に、チャティスが行ったクリスへの救済と同じように――。

 

「――あくまでそのような状況に彼女が追いこまれれば死ぬ、というだけだ。なら、対応策は単純だろう。チャティスが死ななければならない状況を作らなければいい」

「で、でもそんな簡単にいくの?」

「……彼女の中身を変えるよりはずっと簡単だ。チャティスは頑固だからな」

「うん、そうだね」


 ようやっとシャルから不安が消え失せた。笑顔になった彼女はこれで安心して眠れそうとドアへ歩き出す。

 不意に足を止め、クリスに呼び掛ける。棚上の本を指さして、


「それ、読み終わったらウィレムに返してね。……ふふ、ウィレムはチャティスにそっくりなひとだから、すぐにわかるよ」

「……わかった」


 シャルを見送った後、クリスは『賢者リリティの大冒険』を開いた。

 読み進めていると、ふと自分でも奇妙と思ってしまうような考えが頭をもたげる。


「……まさかな」


 思わずそう独り言を呟いて、読書に集中する。

 

 まさか、有り得るはずがない。クリスがチャティスを守ってきたのは単に放っておけないという過去の自分の曖昧な気持ちからだとばかり考えていたが、もしや自分自身の面影を彼女の中に見出したからなのかもしれない、などということは。



 ※※※


 家の中に入ると、父親と来客であるガルドが口論していた。

 チャティスは気取られぬように聞き耳を立てながら、自分の部屋へと移動する。

 まず必要なのは書物『賢者リリティの大冒険』だ。頭の中に内容は入っているので実物が必要不可欠、ということではないが、気休めとしてお守り代わりに持っておきたい。


「ああいう人間は絶対に伸びる。機会さえあればな。貴様はせっかくの才能を潰すのか?」

「……お言葉ですが、ガルド殿。私は娘が天才だろうとなかろうとどうでもいい。幸運にもあの子は優秀に育ちましたが、だからと言って村の外に出す必要もないでしょう。あの子はこの村で薬師として過ごすんです。幸か不幸か、この村は国に忘れられている。よって、狂化戦争に巻き込まれる心配もない。クレスト国王の愚行はあなたもご存じでしょう?」

「……やっぱり、か」


 チャティスは小さく呟きながら、自分の部屋へと入った。目当ての本を探り出し、他に必要な物を選び取る。

 と、急に声が掛かって小さく驚く。後ろには、いつのまにか母親が立っていた。


「どうするつもり? チャティス」

「……遊びだよ。キチュアとお本を読むの」


 少し大掛かりなものだが、ある種遊びであることに間違いない。なのに胸がちくりと痛み、顔をしかませながらもチャティスは部屋漁りを続けた。

 ある程度集まったところで、部屋を出て行こうとする。その小さい背中に、母親が声をかけてきた。


「お外に行くの? ……外は危険よ?」

「大丈夫。キチュアの家に戻るだけだから」


 また胸が悲鳴を上げる。嘘とはどうして辛いのだ、と幼いチャティスは考えるが、いまいちわからない。

 嘘だけではなく、チャティスにはわからないことが多すぎた。世界の大きさ、人々の営み、狂化戦争の愚かさ。

 両親や村人の、自分に対する態度の謎。

 彼らの気遣いはありがたい。感謝したくてもしたりない。

 なのに、彼らは自分に恩を返すなという。礼などいらないと屈託に笑う。

 道理が通らない。矛盾している。

 父は自分に、人の痛みを癒せる人間になれと言っていた。なのに、過去に教えてくれたことを実行させまいとしてくる。

 わからない。ただこの一言に尽きる。

 だけど、わからないまま止まってはいられない。

 もし自分の性格のせいで、彼らが不安となり過保護となっているのなら、性格を変えることすら厭わない。

 もっと天才らしい振る舞いを。もっと人を元気づける在り方を。もっと他者を安心させる行動を。


「……母さん、ガルドって人に、後でお話があるって言っておいて」


 チャティスは振り返らず、伝言だけを告げて家を出て行った。



 ※※※



 無言で仇敵と睨みあう。

 長テーブルの先、チャティスの席反対側には、忌々しきデビル、ウィレムが座っていた。

 ウィレムもウィレムでチャティスを親の仇のように睨み付けている。

 せっかくの豪華な食事もこれでは台無し。嘆息しながら紅茶を一口啜ったチャティスは、


「ぐほっ!! なにこれ!!」


 と思いっきり吹き出した。ごほごほと咳き込んでいると、対面席のウィレムがそれ見たことか! と大声で言う。


「砂糖の代わりに塩が混ざっていることに気付かない愚者が果たして本当に天才か? やはりこいつは偽物だ! 天才を騙る詐欺師だ!」

「何を言う! 私はまごうことなき天才だよ!!」


 口元を布巾で拭いながら、反論するがウィレムは取り合わず、コーヒーを満足げに口に含む。

 瞬間、今度はウィレムがコーヒーを吐き出した。次ににやりとほくそ笑んだのは他ならぬチャティスだ。


「今の言葉、そっくりそのままお返しだよ!!」

「おのれ毒婦! こんな非道な手段を用いるなどやはり――!!」

「はいはい、ウィレム、チャティス。これ以上は下品です。静かに食べられないのなら、食事を下げさせますよ」


 ノアの一言で両者が慌てて取り繕う。

 いや今のは違うんだよ小粋なジョークという奴で……! などとチャティスが誤魔化し、ウィレムもほとんど大差ない言い訳をしたところで、ノアのツボにはまってしまう。

 それを見て、困り果てたチャティスとウィレムが視線を迷わせる。と、昨日のように目が合って、全力でそっぽを向いた。



 やはりあいつとは関わりたくない。どうにかならないものか……。

 宮殿内を散策しながら何度も天才的頭脳を回すものの、どうしても回避方法はない。下手に外に出ても大量の敬ってくれない子どもたちと鉢合わせするだけなので、本当はこうして歩くのも好ましくはなかった。

 急いでクリスの部屋に行かないと、とチャティスは足を早ませる。今日はクリスが宮殿内にいるらしいという話をノアから聞いていた。

 食事を運ばせようとしたんですがね、と言った時のノアの困ったような顔を思い出す。


(クリスがバーサーカーだってこと、みんなに言った方がいいのかな)


 その必要はないという理性と、嘘はいけないという感情が心の中で対立する。

 下手に言って他人を怯えさせるよりは黙っていた方がいいとは思う。彼らはシャルを狂戦士だと知らないとはいえ、シャルを人間と同じく扱ってくれることをチャティスは嬉しく思っていた。

 あの花さえあれば、シャルは人といっしょに暮らしていける。

 なら、狂わないクリスもみんなと大差なく接していけるはずなのに、なぜか彼はずっとひとりだ。

 感情が希薄ではあるが皆無なわけではない。なのにどうしてこうも孤独が付きまとってしまうのか。


(まぁでも、なら私が話し相手になればいいだけだよね。少なくとも、今は)


 そう結論付けて、クリスの部屋前で立ち止まる。

 クリスと別れていた間にあったことを話そう、とチャティスがドアノブに手を掛ける。

 と開く前に中から声が聞こえて、チャティスは手を止めた。

 チャティスを天才じゃないなどと失礼なことをのたまったくそったれウィレムの声だ。


「……だから僕は、リリティが嫌いなんだ。そして、リリティの真似をしてるあの子もな」

「リリティ?」


 リリティという単語にチャティスは反応する。

 小さい頃大好きだった本の名前だ。外に出ることも難しかった時、あの本を読んで外に行った気分になっていた。

 物凄く大好きだったのに、ある時きっぱりと読まなくなった。あれは一体いつからだったか……。

 チャティスが回想に耽る合間にも、中では会話が続いていく。


「なぜあのような馬鹿者と共に旅をするんだ? あんな役立たずは適当に捨てていけばいいんだ!」

「……むっ、今のは我慢できない」


 苛立ったチャティスはドアを開けようとして――寸前で止めた。

 クリスの声が聞こえたからだ。彼は小さく静かな声で、淡々と反論した。


「チャティスは確かに思慮浅い。予定を立てても、自分で予定を破壊していくタイプだ。あまり賢い人間であるとは言えない」

「う……」


 思わずしゅんとなるチャティス。クリスにそう言われると、自分が本当はバカなのではと思えてしまう。


「……だか、あの子は間違いなく天才だ。人のために頑張れる努力の天才でもあり、他者に希望を与える天才でもある」

「う、う? うううう?」


 恥ずかしさと嬉しさが込み上げて、チャティスは奇声を発した。

 とても凄まじく嬉しい。クリスが自分を褒めてくれている。

 きゃはーやったー! と小さくドア前で喜んでいると、彼女の顔面にドアアタックが。

 うぎゃあ!! と素っ頓狂な悲鳴を上げて石壁とドアのサンドイッチとなってしまったチャティスは、挟まれた後に地面へと倒れ、恨めしそうにウィレムを見上げる。

 だが、ウィレムの様子が今までとは違い、思いつめたような顔で中庭を突き進んでいて、チャティスは恨み言一つ放てなかった。


「……何をしている?」


 開けっ放しとなったドアからクリスが訊ねてきて、チャティスはぎこちない笑みとなる。


「さ、サンドイッチごっこ……」



 ※※※



 場所はフストから離れ、遠い隣国エドヲン。

 謁見の間に通されたハット被りの伊達男は、前以て考えていた言い分を領主に報告した。


「バーサーカークリスはきっちりと処分。ついでに邪魔になりそうだったんで、チャティスって少女ともうひとりの子も殺しときました」

「ふむ。首尾は上々、か」


 リベルテは玉座に座り、頬杖をつきながら答える。

 あまりの威圧的態度にダニエルは文句の一つも飛ばしそうになるが、すんでのところで堪えた。

 このやり取りさえ終わればこいつとはおさらばだ。そう自分に言い聞かせて、事後報告を続けた。


「死体を持って来ようとはしたんですが、道中、山賊と鉢合わせましてね。その時に奪われてしまいましたよ」


 面目ない、と添えながら言うと、リベルテが皮肉を口にして、ダニエルの全身に緊張が奔る。


「バーサーカーハンターでも山賊には苦戦するか」

「まぁ、集団戦は得意ではないのでね。個人戦ならバーサーカーだろうと余裕なのですが」

「……、そうか。まぁ良い。もう下がれ。……当面の目的は達した。それで良しとしよう」

「わかりました。では」


 拙い敬語で適当に答えたダニエルは形だけの礼儀をみせて早々に退室した。

 ああいう自分は偉いんだと考える手合いは虫唾が奔る。だが、奴がふんぞり返っている時間はそう長くはない。

 あの狂戦士、クリスが生きている限り、あのような手合いはすぐにでも始末されるだろう。

 その瞬間を思って、ダニエルは微笑を浮かべる。それだけではなく、彼はクリスの傍にちょこんと立っていたもうひとりの少女を思い返していた。


「どうせ仕えるなら、あんなくそ騎士よりも、あの少女の方がマシさ」


 戦争奴隷や死んだ瞳の使用人たちとすれ違いながら、ダニエルはエドヲンの王城を後にした。



 馬に跨り、平原を駆ける。

 この後どうするかと先を考えつつ、高笑いをする。


「上手いこと騙してやったぞ、リベルテ! さて、これからどうするかね」


 お前はどう思う? と馬に問いかけたが、馬は何も答えない。

 だよな、と苦笑しながらダニエルは繰り返す。


「本当にこれからどうするか」


 自分が狂戦士であるという事実に晒された時、ダニエルは自分が自分でなくなったかのような感覚に囚われた。だが、あの頭の悪い少女は自暴自棄になっていた自分に即座に手を伸ばし、深い沼の底から救ってくれた。


「どうせまともな職はないし、付けないか。いや……」


 首からかけている小さな瓶に目を移す。

 花弁の入った小瓶は、ダニエルが狂戦士に変わるのを防いでくれる魔法のお守りだ。

 これがあれば、まともな生活を送れる。狂戦士なのに。

 だがそれでも、まだ居心地が良い世界だとは言えない。万が一、と考えれば生活に支障をきたす要因はたくさんある。

 なら、少し休んで――あの少女を手伝うのも悪くないのかもしれない。クリスは自分を殺しに来るだろうが、あの少女なら、自分が殺されるまでに世界を平和にするのでは、という期待があった。


「バーサーカーに希望を与える天才、か。……悪くない」


 フスト辺りに一度逃げるか、と馬の行先を変えようとした時。

 突然、銃声が轟いた。


「なにっ!?」


 馬が射殺され、ダニエルは草原へと投げ出されてしまう。身体を打ちながら転がった後、銃を撃ち放った主を探すべく周囲を見回した。

 そして、見つける。フードを被った男が、ピストルを自分に向けて構えているのを。


「騎士は騙せても暗殺者は騙せない……終わりだ、ダニエル」

「なぜだよ、おい」


 ダニエルは前に立つ男に問う。

 ダニエル自慢のピストルセット及びマスケット銃は、彼の後方馬の死体に挟まれていた。

 今から取りに戻ろうとも、アサシンの銃は確実にダニエルを屠る。抗う手立ては彼に残されていない。

 いや、あるにはある。今すぐこの小瓶を千切り取り、狂化してしまえばいいのだ。

 狂化すればダニエルはアサシンを瞬殺できる。……その後、フストかエドヲンか、どちらかに来襲するのだ。

 上手くエドヲンに向かえばいい。だが、そう願っても一度理性を失ってしまえば、本能赴くまま戦うのみだ。

 都合よくエドヲンに向かうとは限らない。無実の人間を殺してまで、生に執着する気はさらさらなかった。

 目を瞑り、半ば諦めながらダニエルはもう一度訊く。


「お前の妹は……どうするんだ? リベルテと共にいたら悲惨なことになるぜ……?」

「キャスは大丈夫だ。俺が救う。そのためには奴の信用を勝ち取らねばならない。――赦せ」


 その言葉を聞いても、ダニエルは怒る気になれなかった。

 ただ、なんだかなぁ、と呆れる。もう少しこの世界がまともなら、このような出来事は起きなかっただろう。

 リベルテのような悪君がエドヲンを支配したり、狂戦士同士が争わなかったり。

 

「赦すも何も……ないだろ。俺とお前は別に友達でも何でもないしな。だが、悪いと思うならこれだけは約束しろ。 ……絶対に妹を不幸にするな。しっかり守れよ?」

「ああ、もちろんだ。約束は守る」


 アサシンは深く頷き、ダニエルが苦笑する。

 引き金に掛けられたアサシンの指が動く。

 静かな平原に、銃声はよく響いた。

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