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1話:いけっ、いけっ!あぁ……そこっそこっ

 マルクブルク王国の闘技場で、木剣同士がぶつかり合う音がした。春の陽光に照らされた闘技場の土は、仄かな温みを伴っていた。周囲にある灰の石でできた観覧席からは、男たちの理性が弾けるような雄叫びが、そしてそれに入り混じるようにして、女たちの艶を帯びた声が、二人の剣士たちに向けられていた。


「いけっいけっ、はやく、イケッ!」

「あぁ……そこっそこっ、違うわ! ルーク様っ」


 木剣を握った剣士たちはそれに答える暇はない。間合いを取り、無言で構え、出方を伺っていた。

 観客席にいた、一人の女が叫んだ。


「あぁっ……もう、焦れったい」


 体の芯にある熱を、吐き出すようであった。声は、桃色をわずかにまとっていた。

 ルーク・フォン・ブレイシュニヒトは、その声を聞かなかったことにした。声が桃色であるはずがない。細き眉をひそめたルークは、汗でぬめる木剣の柄を握り直した。逞しき木の剣、その先端をゆっくりとくゆらせた。眼の前の男をいざなう。

 剣術試合の決勝者は、しかし、ルークの誘いに乗ってはこなかった。相手はあくまで慎重に、昂りをなだめながら、革靴で僅かに、地を擦っただけであった。

 陽光がルークの黒髪に熱を与える。頭皮にぷつぷつと汗が浮きはじめた。

 二人とも、動かない。ルークの頬を汗が舐めた。


 いつしか歓声は止んでいた。頂点……決着はそこまで来ている。剣術試合の敗退者のみならず、剣を知らぬ女たちも、空気からそれを予感していた。


「あぁっ……」


 一人の女が叫んだ。勝敗が決したからではない。手に持っていた木盃のエールを落とし、地に迸《ほとばし》らせたからだ。


 しかしそれが合図となった。


 ルークが先に動いていた。

 踏み込む、踏み込む。相手の姿が近づく中、切れ長の青の瞳が、眼前の男の動きを追っていた。ルークは、男の逞しき腕から繰り出されるであろう、いくつもの業、剣の軌道を予測している。男の間合いより一歩手前で、腰を落とした。みぞおちよりも下。男の下半身が、ルークの美貌に迫ってきていた。

 ルークは上目遣いに対戦相手を見た。地を擦れるほど低い位置からの奇襲は、対戦相手をは狼狽えさせた。腰が引けている。男が慌てて、汗でぬらぬらと光る木剣を、逆手に持ち替えようとした。


 ――ここだ。いけ。


 ルークは己を叱咤する。右手で握る木剣を下から上に突き上げた。柄頭に、左手を沿わす。丸みを帯びた先端が、男の喉元を突く。


 其の一歩手前で、剣は動きを止めた。


 喉に木剣を突きつけられた男は、喉仏を動かした。

「ま、参った……参りました」

 単なる負けではない。剣術者としての、屈服の宣言であった。

 地に鈍い音がたち、対戦相手の木剣が転がり落ちる中、

「勝者、ルーク・フォン・ブレイシュニヒト」


 審判の声に闘技場は、絶頂を迎えた。


 下層の観覧席で男女ともに歓声を上げる中、ルークは剣を下ろした。観覧席の上層を見る。衛兵達が並ぶ中、幌のかけられた貴賓席では、豪奢なドレスに身を包んだ貴族諸侯が此方に向けて手を振っていた。


 そこに王の姿はない。


国を統べるものがいれば、羽目を外しにくかろうという、王の配慮であった。ルークは王らしい、と内心苦笑しながらも、僅かな寂しさを感じていた。


毎日20:10頃更新予定

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