敵国の市場
連邦への非難が続いていた。世界各国のニュースでは、連邦と対立する大国の声明が毎日のように流れ、経済も悪化している。企業活動は鈍り、街ではデモが続いていた。政府は抗議活動を抑え込む一方で、連邦への非難を繰り返している。
そんなニュースを、黒崎も見ていた。
自宅のリビングには、投資会社から届いた報告書が並んでいた。美咲が資料をめくりながら、いつものように報告する。
「今月の報告。連邦のエネルギー事業は予定通り。半導体関連も順調。それと、海外の物流施設が一件増えてる」
「そうか」
黒崎は特に驚く様子もなく聞いていた。
連邦への投資も、以前から続けている海外事業も変わらない。東方カンパニーも連邦での事業を続けている。研究院から生まれた技術が企業へ流れ、その企業へ資金を入れる。必要な土地を買い、工場へ投資し、物流網を整える。
黒崎にとって、投資とは政治的な立場を示すことではなかった。将来何が残るのか。何が必要とされるのか。そして、その価値に対して今の価格が安いのか。それを見る。
だから、テレビに映った国のニュースも、最初はただの海外情勢の一つとして見ていた。
しかし、画面に映った株価を見て、黒崎の目が止まった。
「……下がったな」
「かなりね」
美咲も画面を見る。
「企業は?」
「厳しいところが多いみたい」
黒崎は少し考えた。
景気が悪い。政治も不安定。通貨も下がっている。海外資金も逃げている。普通なら、投資を避ける理由はいくらでもある。
だが、黒崎はそれだけでは判断しなかった。
政府が変わっても、人間は電気を使う。港は必要になる。通信も必要だ。病院も、鉄道も、道路もなくならない。
国が不安定だからといって、そこに存在する企業の価値まで消えるわけではない。
もちろん、政治によって事業そのものが潰れる可能性もある。だからこそ、黒崎はすぐに買おうとは思わなかった。
「四人を呼んで」
「投資の話?」
「ああ」
しばらくして、投資会社「黒崎」の四人が集まった。
机の上に資料が並ぶ。
「例の国について調べて」
一人が顔を上げた。
「連邦と対立している国ですか?」
「ああ」
「投資対象として?」
「そう」
四人が顔を見合わせる。
「……敵対国ですよ?」
「知ってる」
「政治的なリスクがかなり高いです」
「だから、調べる」
黒崎は資料へ目を落とした。
「連邦と敵対している。それは分かってる。でも、企業まで全部同じとは限らない」
四人は黙って聞いていた。
「投資するかどうかは、国じゃなくて中身を見る」
それが黒崎の考えだった。
その国が連邦を敵視しているからといって、すべての企業まで切り捨てる必要はない。逆に、株価が安いからという理由だけで買うつもりもない。
政治が変わっても残る事業なのか。
政府に依存しすぎていないか。
十年後にも必要とされるのか。
黒崎が見ていたのは、そこだった。
「企業は?」
「優良企業も残っています」
「土地は?」
「かなり下がっています」
「港は?」
「稼働率が落ちています」
「エネルギーは?」
「需要自体はあります」
黒崎は頷いた。
株価は下がっている。土地も安い。海外資金も逃げている。
だが、電力需要は消えていない。港もなくならない。通信も必要だ。
価格が下がっていても、必要性まで下がったわけではない。
「なら、調べる価値はある」
そこから、四人による調査が始まった。
銀行、保険、エネルギー、港湾、鉄道、通信、半導体、医療、建設、農業。国内の主要企業を一つずつ調べ、財務状況、政府との関係、海外資産、経営陣、技術、人材、復興需要まで確認していく。
数週間後。
「かなりあります」
「何が?」
「残っている企業です」
机の上に資料が並んだ。
「エネルギー企業。港湾会社。鉄道会社。通信会社。医療関連。建設会社」
黒崎は一枚ずつ資料を確認した。
「政府は?」
「不安定です」
「通貨は?」
「下落しています」
「海外資金は?」
「かなり逃げています」
黒崎は考え込んだ。
政治的には危険。経済的にも厳しい。
だからこそ、企業価値に対して価格が下がっている。
ただし。
安いというだけでは買わない。
「三社に絞って」
「はい」
「政府が変わっても残る可能性が高いところ」
「分かりました」
さらに調査が進んだ。
一社目はエネルギー企業。国内最大級の発電設備を持っている。
二社目は港湾物流企業。主要港の運営権を持っている。
三社目は通信企業。国内の通信網の大部分を支えている。
「この三社は、政権が変わっても必要になる可能性が高いです」
「政府との関係は?」
「三社とも深いです」
「そこは?」
「リスクがあります」
黒崎は資料を閉じた。
政治と近すぎる企業。それは大きなリスクだった。
「今は買わない」
「買わないんですか?」
「ああ。政治が落ち着くまで待つ」
美咲が聞く。
「珍しいね」
「安いからって買うと、後で高くつく」
それから、さらに時間が過ぎた。
デモは続いている。政府への支持も落ちている。企業の株価も低迷していた。
それでも、三社の事業は止まらなかった。
電力は必要だった。
港も必要だった。
通信も必要だった。
黒崎は、その事実を見ていた。
政治が揺れても、人間の生活まで消えるわけではない。政権が変わっても、電気を必要とする人間はいる。港を使う企業もある。通信を必要とする人間もいる。
黒崎は、もう一度資料を確認した。
「……残るな」
「何がです?」
「企業だよ」
黒崎は静かに答えた。
「国がどうなるかは分からない。でも、必要なものまでなくなるわけじゃない」
そして。
「そこを見ればいい」
四人が頷いた。
その日の午後、黒崎は敵対国の企業への投資を正式に検討するよう指示した。
それは連邦への対抗でもなかった。
敵対国を支援するためでもない。
連邦への投資は、もちろんこれまで通り続けている。
黒崎にとっては、連邦で成長する企業を見るのも、敵対国で残る企業を見るのも同じだった。
将来、価値が残るか。
その価値に対して、今の価格はどうなのか。
十年後も、その事業を必要とする人間がいるのか。
それだけを見る。
その頃、連邦ではヴィクターが一枚の報告書を見ていた。
「黒崎が?」
エリアスが答える。
「はい。敵対国の企業を調べているようです」
ヴィクターはしばらく黙っていた。
「……相変わらずだな」
「何がです?」
「国じゃなくて、企業を見ている」
エリアスが苦笑する。
「それが、あの人らしいのかもしれませんね」
ヴィクターは窓の外を見る。
国家同士が対立していても。
企業は国境を越えて存在する。
黒崎は、その境界を意識していない。
ただ。
価値があると思えば見る。
危険なら待つ。
そして。
条件が整えば投資する。
黒崎は、また一つ新しい市場へ目を向け始めていた。




