第十八話 本当の恋を知った日(鈴木颯太視点)
※鈴木視点の話です。
主な登場人物紹介
田中彩乃
二十四歳。主人公。庶務部。優しくてお人好し。過去のトラウマから恋愛には奥手。
鈴木颯太
二十四歳。彩乃の同期で営業部所属。仕事の出来るイケメン。彩乃の隣の部屋に住んでいる。彼女の浮気が原因で別れているところを彩乃に目撃される。
佐藤優真
二十四歳。綾乃の高校からの親友。なんでも話せて、頼りにしている存在。穏やかで誰に対しても優しい。職場は別。
山本莉子
二十ニ歳。イケメン好きな彩乃の後輩社員。庶務部。小柄で美人。
これまで、俺は、恋愛は得意な方だと思っていた。
少なくとも苦手だと思ったことは一度もなかった。
誰かに好意を向けられれば、ちゃんと向き合ってきたつもりだし、好きだと思った相手と付き合っていたつもりだった。
だけど、それは違っていた。
本当に人を好きになるってことがどういうことなのか。
田中さんとラーメンを食べに行ったあの夜、俺は初めて、それを知った。
彼女と出会ってから、俺の中の何かが、静かに、けれど確実に変わっていった。
*
最初は、ただの同期だった。
仕事が丁寧で、いつも穏やかで、誰かの悪口を言っているところを一度も見たことがない、柔らかい雰囲気の女性。
彼女と話す時、いつもどこか距離がある様に感じていた。
俺にというより、男性全般に対してそうだったから、そういう距離感の人なんだろうな、くらいに思っていた。
必要以上に踏み込まないし、仕事上、必要なコミュニケーションはきちんととるけれど、一線を引いている、そんな感じ。
その程度の認識だった。
あの夜、彼女にラーメンに誘われるまでは。
浮気されて別れ話をして、感情が整理しきれないまま立ち尽くしていた時。
気まずい空気の中言われたのは、あまりにも場違いな一言。
「ら、ラーメン、食べに行きませんか!?」
正直、凄く驚いた。
でもそれ以上に、可笑しくて、救われた。
そしてあの瞬間、俺は初めて、自分が思っていた以上に傷ついていたことを自覚したんだと思う。
二人で話した時の、必要以上に踏み込んで来ず、けれど突き放す訳でもない程良い距離感が、とても心地よかった。
優しさを、押し付けない人だと、そう思った。
その時は別れたばかりだったから、自分の気持ちに気がついていなかった。
けれど今なら分かる。
多分、あの時には、もう始まっていた。
そして気づけば、彼女のいない空間を想像するのが難しくなっていた。
恋愛にはいろいろな形があって、“正解”なんてものは無いと思っていたし、その考えは、これからも変わることは無いと思う。
けれど、田中さんに恋をして、初めて気づいたことがある。
もし、今のこの田中さんを思う気持ちが本当の恋なのだとしたら、今までしてきた恋愛なんて、全然本気じゃ無かった。
これまで付き合ってきた相手のことを、俺はちゃんと好きだと思っていた。
けれど、本気の恋は、それとはまるで違うのだと、彼女に恋をして初めて知った。
きっと、これまでの恋人たちは、俺が本気で惚れていないことに気づいていたのだろう。
そう思うと、申し訳ない気持ちが胸に残る。
過去に付き合い、そして別れていった相手たちの気持ちが、今なら分かる。
あのとき彼女たちは、こんなふうに不安で、こんなふうに必死だったのかもしれない。
田中さんの前では、強がれない。
余裕も、計算も、全部意味を成してくれない。
ただ、好きで。
大切にしたくて。
失いたくないと、心からそう思った。
*
彼女が俺の知らない男性と居るところを見て、胸の奥がざらついた。
彼女が、親友だという、その男。
その感情は、紛れもない嫉妬だった。
昔からの知り合いで、信頼していて、気を許している相手。
理屈では分かっている。
彼女が過去を持っているのは当たり前だし、俺が踏み込めない時間があったとしても、それは責められることじゃない。
それでも。
彼女がそいつの前では、少しだけ違う顔をすることに、気づいてしまった時。
無防備に、どこか懐かしむような表情で、俺の知らない時間を当然のように共有している、その事実に、どうしようもなく嫉妬した。
そして彼女の隣を誰にも譲りたくないと、その時、強く自覚した。
誰かにこんなにも執着する自分に、驚きすらあった。
だから、彼女に自分の気持ちを伝えた時は、正直、怖かった。
でも、それ以上に、このまま曖昧なままでいたく無いと思った。
待つ、と言ったのは、本心だ。
待つと決めたのは、俺だし、そして、その時間すら、彼女と共有できるなら悪くないと思ったし、
彼女が自分の気持ちに向き合う時間ごと、丸ごと大事にしたいと、そう思った。
恋愛って、こんなにも自分を不器用にするものだっただろうか。
けれど、それでもいいと思えたのは、相手が、彼女だったからだ。
彼女は、ちゃんと考える人だ。
中途半端な気持ちで、誰かを選んだりしない。
だから、たとえどんな結末になったとしても、彼女の心に向き合いたいと、そう思った。
*
そしてその日は来た。
昼休みが終わる少し前。
メールを確認しようとしてスマホを見て、待ち受けに表示されていた“田中彩乃”の名前に、ドキッとした。
『今日、仕事終わりに少しお時間もらえませんか?』
その文字を見た瞬間、ヒュッと息を呑んだ。
文字を何度も読み返してから、慎重に返信を打つ。
『もちろん。嬉しいです。どこに行きますか?』
送って、すぐに返事が来た。
『じゃあ、マンションの近くの大きな公園で。静かに話せるところがいいので。』
逸る気持ちを抑えつつ、丁寧に文章を打って、送信した。
『分かりました。仕事が終わったらすぐに向かいますね。』
昼休憩を終えて仕事に戻ってからも、内心全く落ち着かなかったけれど、なんとか気持ちを切り替えて、その日の業務を定時で終わらせた。
仕事を終えてすぐ足早に会社を出ると、約束した公園に向かい、広場で待っていると、彼女が小走りで近づいてくるのが見えて、柄にもなく、凄く緊張した。
「お疲れさまです、田中さん」
「鈴木さん、お疲れさまです……急に誘ってすみません」
「ううん。誘ってもらえて嬉しかったですよ」
そう言うと、ほっとした様な表情で笑ってくれた彼女が、とても可愛いと思った。
「あの……鈴木さん」
「はい」
彼女の真剣な瞳に、胸がきゅっと縮んだ。
「私……ずっと、考えてたんです」
言葉を選びながら話す彼女の表情を見ながら、俺は黙って続きを待った。
「鈴木さんに告白されてから。嬉しかったのに、怖くて……踏み出せなくて」
胸の奥が、静かに軋む。
「でも、それでも。鈴木さんが他の人と話してるのを見て、嫌だって思って。失う想像をしたら、苦しくなって」
彼女の声が、震えているのが分かる。
「山本さんにも助言してもらって、……それで、やっと自分の気持ちにはっきりと気付けました。……私、鈴木さんのことが、好きです」
一瞬、世界が音を失った様に感じた。
「……本当に?」
「はい」
彼女が頷いてくれて、その事実に、どうしようもなく胸に幸せな気持ちが溢れてくる。
「恋愛が怖い気持ちが消えたわけじゃないです。でも、それ以上に……鈴木さんを失いたくないって思いました」
小さく息を吐いて、俺は一歩、彼女に近づいた。
「……俺も」
自分の声も、少し震えているのが分かった。
「田中さんのことが、好きです。前よりも、ずっと」
衝動のまま、そっと抱きしめる。
拒まれなかったことに、心から安堵した。
小さな肩を抱き寄せると、彼女の鼓動が伝わってきて、それがとても愛しかった。
そっと顔を上げた彼女と、視線が絡んだ。
「……キス、してもいい?」
そう聞くと、彼女は頬を赤らめて小さな声で、了承の返事をくれた。
そっと触れた唇は、驚くほど柔らかくて、温かくて。心から幸せだと、そう思った。
差し出した手を、彼女が握り返してくれる。
夕暮れの公園に、並んだ影が伸びていく。
これから彼女のことを何よりも大切にしていこうと、そう心に強く誓った。
本作を見つけてくださり、お読みいただき、ありがとうございました!
本作は毎週水曜と土曜日に一話ずつ投稿していきます。
次の投稿は、3月7日(土)7:00です。
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陽ノ下 咲




