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「では次、相模さん。お願いします」
「はい」
スタッフが僕を呼んだので、僕は返事をしてマイクの前に立った。
声優となって数年。少なかった仕事も徐々に多くなってきた。最初は失敗ばかりだったけど、量をこなすことで慣れてきた。
「3ページ目最初のセリフから10ページ目の最後のセリフまでお願いします」
スタッフが言った。僕は今、ソーシャルゲームのとあるキャラクターの声優を担当している。ゲームの声優は、このようにキャラごとに一気に収録することもある。
指示された通りに、セリフを言っていく。このキャラクターはどんな気持ちでこのセリフを言うのかを、丹念に想像しながら。
そして、このキャラは不思議と、すんなりと気持ちが想像できる。僕が仕事に慣れてきたのか、このキャラが特別なのかは分からない。
「夢の中でいくら活躍しようと」
あれ、何だろう。
「僕はまだ現実で何も成し遂げていない」
この辺のセリフは何だか、いつも以上に気持ちを込めたくなってくる。
「だからこれから、成し遂げに行くのだ」
そうだ。これは僕がアニメの声優を目指そうと決めた時の、その時の気持ちに似ている。
あれ。そういえば僕って、もっと自分に自信がなかったような気がする。いつの間に、生きるのがこんなに楽になったのだろう。
そもそも、アニメの声優を目指すことを決めるなんて、僕にしては随分と思い切ったような。
「はい。良かったです。10分休憩してから再開しましょう」
スタッフが言ったので、僕は現場から外に出た。
季節は夏。外に出ると、強い日差しが僕の肌を照りつける。
「おい、相模!」
声に振り向くと、そこには須和がいた。彼も僕と同じ、声優となったのだ。
須和は僕に目掛けて、ペットボトルを投げ渡した。慌てて受け取ると、それがスポーツドリンクで、僕に差し入れてくれたのだと分かった。
「さっきの演技だけどよ」
須和はそう言ったところで、顔を背けた。
「その、まあまあ良かったよ」
それは、珍しく須和が僕を褒めた瞬間だった。
「う、うん。ありがとう」
僕は何だか照れ臭くて、しどろもどろに返事した。
丁度僕が言い終えた頃、収録現場のビルの入り口から、一人の女性が僕の方へ駆け寄ってきた。
「あ、あの!」
僕よりも若い、新入社員といった感じの女性だった。恐らく収録しているゲームの会社の社員だろう。そんな彼女が、必死な様子で僕に声を掛けてきた。
「は、はい」
僕も、少し狼狽えて返事をした。
「私、相模さんのファンなんです!」
「え、えっ……ファンっ!?」
「はい! 相模さんって、最初は別の仕事をしていて、それから転職して声優になったんですよね! 私も実は、声優に憧れているんですけど、どうやったら相模さんのようになれますか! 今の仕事を捨てて声優を目指すのって、凄く勇気がいると思うんです!」
女性は早口で言った。
「相模さんの演技って独特ですよね! 凄く味があって、誰が演技しているかって聞かれたらすぐ相模さんだって分かるんですけど、でもストーリーを見ている間は全然、相模さんを意識しないで、キャラに集中できるんですよ! 味のある演技ながら、ちゃんと声がキャラになじんでいるんですよね。 それって声優としては理想的じゃないですか!」
それから、僕に対する甘い甘い評価が語られた。ふと須和の方を見れば、やれやれ、といった感じに微笑んでいる。
一方で僕は、泣きそうなほど嬉しかった。ああ、そうだった。僕はこんな風に、誰かに尊敬される存在になりたかった。
そういった存在に、僕はようやく成れたんだ。
「えっと、どうやったら勇気を出せるか、だっけ?」
僕は彼女に聞き返した。
「簡単だよ。失敗したらどうしようとか。やる必要はないとか。そんなことは一切考えずに、頭を空っぽにするんだ。そして本当にしたいことだけを思い浮かべる。そうすれば、君がすべきことを、勝手にやっているものだから」
僕は彼女に言った後、ちらりと須和の方を見た。須和は飽きれたように笑っている。
――てめえの脳内はいつも散らかっているな!
ああ、そうだね。須和には散々、言い聞かされたことだった。ようやく気付いたのだから、笑われるのも当然だ。
女性は僕にお礼を言うと、収録現場のビルに戻って行った。
その後、僕は空を見上げる。
「今日も暑いな」
須和が僕と同じように空を見上げ、呟いた。
僕は、空に手を伸ばした。
空の果てには星がある。誰しもがその星になるために、空に手を伸ばす。でも星に近づけば近づくほど、空気は薄くなって、日差しは暑くなる。そうして、少しでも甘えた人たちを蹴落としていく。
僕が手を伸ばしている空とは、そういうものだ。
でも、忘れてはいけない。僕に憧れる彼女だって、他の人から見たら高みにいるのかも知れない。
飛んでいる間は、自分がどの位置にいるかは分からない。振り返って初めて、自分の位置を確認できる。
星に憧れる僕。その僕に憧れる彼女。その彼女に憧れる誰か。
高くとも低くとも、位置は違えど、その手は既に空にある。
「須和」
「何だよ」
「どっちがスターに成れるか、競争しよう」
僕の言葉に、須和は不敵に笑った。
「今度は、逃げるなよ」
「ああ、もちろん」
僕たちは今、星を目指すために、空にいる。
それは相変わらず、情熱的で、排他的な空だ。




