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息をひそめて、ルーはおれの話に聞き入っていた。ルーは集中すればするほど、顔の真ん中に眉も目も口も集まっていく癖がある。その顔を見ただけでおれは吹き出してしまった。
「ちょっと、ゾラン! 続きは? それからどうなったの。意地悪しないで教えて」
ルーは小さな拳でおれの肩をぽかぽかと叩く。おれはルーの頭に手を置いた。
「それきり、ウェイには会っていない」
ルーは拳をおさめておれを見あげている。少しばかり潤み始めた目で。
「ウェイに言われて家に帰ると、母親は危篤状態で家の者がおれを探しているところだった。最期は見送ることができた」
すんっとルーが鼻をすすった。ルーも思い出してしまったのかも知れない。両親のことを。ルーには酷な話しだったな。
「母親の葬儀が終わってから、おれは歩いて三日かかる町の学校へ行くためにターリブと家をでたんだが、二日目に嵐になって足止めを喰らった」
ひどい嵐だった。雨が滝みたいに降り続いて、木がなぎ倒されるような風が吹いて。
「嵐が去ったとき、ウェイの言葉を思い出して嫌な予感がした。町に行かずに家に戻ると、村は山津波で消えていたんだ」
「そんな……」
おれは苦笑いした。もう何十年も前のことなのに、村の光景は瞼に焼き付いている。根から倒された椰子の並木、土砂に潰された家の屋根。異臭が漂い、港は形まで変わっていた。わずかに嵐から逃れた人たちが呆然として浜に座っていた。
「そしたら、なんだか顔も見たことのない親戚って名乗る連中がやたらときて、土の中から掘り返した金目の物を持っていっちまって。おれはそのまま、人買いへ売られた」
ルーはおれの腕にしがみついてきた。小さく体がふるえている。おれはルーを膝に抱き上げて、髪を撫でた。
「大丈夫、おれは生きているだろう。生きて、おまえやサーデグといるだろう」
うん、とルーは何度もうなずいた。胸の辺りが熱くなる。命をかけた傭兵の暮らしを生き抜いて、幸運なことにここにいる。
「さ、おれの話はこれでおしまい。サーデグを探しに行くか」
ルーは赤い目をしておれを見ている。眉を寄せて不安げに。
「帰ってきていたんですか」
声に振り返ると、サーデグがくぐり戸を抜けて中庭へ入って来た。ルーはおれの膝から飛び下りた。
「サーデグ、ゾランの話を聞いたの。ゾランのお師匠さまの話。聞いて、あのね……」
ルーはたどたどしくも、おれの話をサーデグに伝えた。なんども行きつ戻りつ、ときおりもどかし気に言葉を探し、選び、頬を輝かせて。
「初めて聞きました」
サーデグは深く頷いて見せた。ルーは話し終えたことに安堵したのか、大きくため息をついた。
「それでね、サーデグ。わたしのお師匠さまになってください」
ルーは片膝をつき、故国の作法にのっとった仕種をした。
「どうか、わたしに歌をおしえて……教えてください。うまくなりたいです、姫さまみたいにじょうずに歌えないかもだけど、おねがいします」
サーデグは不意を突かれたように棒立ちになった。それからおれを見た。おれは黙ってうなずいて見せた。受けるかどうかは、サーデグ自身が決めることだ。
「立ってくださいな。ルー」
ルーは唇をかたくむすんで立ち上がった。サーデグはルーの手を握った。
「お教えいたしましょう。わたしが姫さまから学んだことを、姫さまの御心をあなたに伝えましょう。そうするのが一番なのですね」
腰を下ろしてルーと目線の高さを合わせたサーデグは微笑んだ。
「お師匠さまって、よんでもいい?」
「それは……」
サーデグは姫さまの姪であるルーに、お師匠さまと呼ばれるのはどこか気恥ずかしいらしい。
「呼ばせてやれよ、おまえが道標になるんだから」
「いいのでしょうか」
「あたりまえだろう。それに、ふだんからそう呼んでもらっていれば周囲からいらない詮索を受けない」
玗麗国から、未だお尋ね者のおれたち一行だ。刺客の目から逃れるためにもいいだろう。
「じゃあ、これからはお師匠さまって呼ぶね」
ルーは満面の笑みでサーデグに飛びついた。サーデグはよろめいて後ろにひっくり返った。
「さきほどお聞きしたゾランの話ですが。わたしが王宮に入る前に小耳にはさんだことがあります」
ルーを抱いたままで起き上がったサーデグがおれを見た。
「隻眼の預言者が海辺の国にいると」
「……そうか」
「空模様をみることが得意で嵐と凶作から人々を守っている。民人からたいそう慕われ、黒髪で髪と同じ色の真珠の首飾りをして、海の見える高い塔に住んでいるそうです」
何かの言い伝えみたいですね、とサーデグは言った。
ウェイを真似て伸ばした髪には、白いものが混じり始めた。海を見ずに過ごして何年になるだろう。
時おり、波の音が耳の奥で鳴るときがある。雨の中に、川の流れの中に、海を見る。
青く澄んだ海の底で光る白い真珠貝、水に体を沈めたときの心地よさ。
ウェイと見上げた夜空、海を渡る潮風。
居場所なんてないと、泣いていたウェイ。
目をつぶれば、いつでもあの頃の風景が見える。
今のおれは海から遠く離れて、砂と草原の国にいる。
「ゾラン」
手をつないだサーデグとルーがおれを呼んでいる。今夜も宿屋の食堂で歌う二人をおれは見守る。
生きてさえいれば、いつかまためぐり来るものがあるだろう。サーデグがウェイの父さんの歌を知っていたように。
海辺へ行けば、きっとまたウェイに会える気がする。
完璧な横顔、星の瞳を持つウェイに。
追伸 ゾランの学費はターリプが持ち逃げしたので、ゾランは無一文になりました。