加護を持つ者
彼女が名を明かすと、喝采が巻き起こった。
毎年待ち望む春。豊穣と繁栄を想起させる神霊の到来を、喜ばない信徒は居なかった。
しかも、大精霊である。
位は神の直ぐ下、その上は神格しか存在しない。各々に司る物の汎用性はあるが、望んでも得られるものではなかった。
その大精霊の加護を得た大神官を擁する事が出来たのだ。
これは精霊教として、大きな意味を持つ。
まあ、当事者であるフローラにとっては全く思いもよらない事ではあるのだが。
「……あ、有り難き幸せ」
「苦しゅうないぞロイよ」
ロイは想像以上の位の高さに冷や汗をダラダラと垂らしていたが、フローラはそんな様子にくすくすと楽しそうに笑って手招きをした。
さっきと同じ距離に来いと言っているのだ。
「あ、えっと……」
戸惑い視線を巡らすと、また教皇グレゴリオ7世が行けとばかりに指先を動かしいているのが目に入る。
良いのだろうかと、一瞬迷ったがフローラの機嫌を損ねる方が不味いと判断し、ロイはよろよろと立ち上がる。
そうして史上類を見ない醜い大神官ロイは、美しき大精霊フローラに近寄った。
「良く頑張ったのロイよ、約束通り妾を自力で呼び出したのじゃお前の望みを叶えてやろう!」
おおー、とまた喝采が起こる。
そんな約束していたかなっとロイは首をかしげたが、フローラの花咲く表情を見ていたら流石に水はさせなかった。
比喩表現ではなく、彼女が笑うと本当に草花がきらきらと舞うのだ。
「の、望みですか?」
急に望みと言われてもロイには思い付かない、自分の長年の望みや悩みはもうほぼ叶ってしまったのだ。
しかし、目の前にはワクワクと瞳を輝かすフローラが、後ろにはハラハラしながら見守っている沢山の信徒たちが待っている。
少しだけ、ロイは考えて、気持ちを纏めた。
願いはない、の選択肢がないならば、ロイが願うことはただ一つだけ。
「で、では皆に素晴らしい春を下さい」
「へっ?」
ロイの願いにフローラは素っ頓狂な声を上げる。
「この国は冬が厳しく春が短い、それは何か神々の中での決まり事があるのでしょう、ですからせめて短いはる……」
「いやいやいやいや! そうでは無い、そうでは無いぞロイよ」
ロイが実に大神官らしい、我欲の無い話をしだして今度はフローラが焦る番だった。
もう一度、自分より大分高い位置にある肩を引っ掴み、言葉を中断させるために揺さぶる。
「あわわわっ……」
フローラの方もこの日のために、実は色々と準備をしていたのだ。
神霊は神術によって怪我や穢れを祓うが、基本的に生き物の持って生まれた形質を勝手に作り替えてはいけない、っと言う決まりがあった。
出来ないのではなく、してはいけない。
遥か昔にはこんな決まりは無かったのだが、数々の問題が起こり後になって作られた掟だ。
ロイの病は生来のもの、なのでこれに抵触する恐れがある。
だから彼女は前以て、自身の支える大精霊神に許可を得ていたのだ。それはもう、結構な苦労をして。
「違う、違うのじゃ、周りの人種に気を使うことはない、小僧お前は困っていることがあるじゃろ!」
「こわわ、困っている事ですか?」
30年前と同じ様にフローラは言った、困っている事を言えばいいと、それを何とかする準備は万全。
ロイはそれを願うだけで良いのだと。
しかし、ロイは首を横に振った。弛んだ頬肉がぶるぶると震える。
「いいえ、私自身は困っている事などありません」
「いやいや、困っているじゃろう、お前は困っているはずじゃ」
生活も仕事も満たされていて、困っている事など何もない。
そう言いきるロイに、一目で問題しか発見できない身体を晒しながら何を言うのかとフローラは混乱した。
「そ、そうか小僧お前は自分が病を得ている事に気が付いていないのじゃな?」
「あーやはりコレは病なのですね」
ロイは頭を掻いて、困ったように笑った。
それは、可能性が確定に変わった事を受け入れた、達観した表情だった。
「気付いているのではないか! ならば何故それを妾に頼まぬ!」
フローラが眉を吊り上げて怒る、その気遣いがロイには嬉しかった。
しかし、やはり病を治してくれと願う気持ちに、ロイはなれなかった。
「こ、これはこれで、もう良いかなっと思っているんです」
若い頃は、どうして自分だけがと思っていた。
苦しくて悲しくて、悔しくて……
皆と同じになれるのならば、何でもするのにとそう思っていた。
しかし、ロイはもはやそうとは思わない。
「こんな姿でも愛してくれる人が居ます、さ、支えてくれる仲間がいます、信頼してくれる師匠も、これは得難いもの、です」
彼の周りは、ロイの見掛けなど気にしない、中身を見てくれる人々ばかりだ。
そう言う人達に出会えたのは、そう言う人達が居るのだと知れたのは自分が病を得ていたから。
「…………」
フローラだとて、ロイを気にかけるようになった切っ掛けは、彼の病が目に付いたからだ。
「こ、此処まで歩いて来れたのは、病と共に在ったからです」
心無い視線や言葉に歯を食いしばって生きてきた、辛くなかったと言えば嘘だろう。
だが、この逆境が無ければ、此処まで自分がやれたとは思えない。
これがなければロイは、なに不自由の無い貴族の三男として、遊んで暮らし。
適当な家に婿養子にでも行って終わったはずだ。
それはそれで幸せだったのかもしれないが、こんな景色は決して見られなかっただろうし、こんな気持ちも得られなかったはずだ。
「ふ、フローラ様のお気持ちは、とても有難いのですが」
「後悔するぞ? それはお前の命は奪わぬが、決して自然に良くなる事は無いのじゃ」
フローラはロイの返答に、口をへの字に曲げた。
本人が望まないのならば、愈々もって治療など出来ない。
「はい、大丈夫です」
きっと後悔する時もあるだろう。
格好つけるのでは無かったと、それに臆病なロイは単純に変わる事が怖いだけなのかもしれない。
「それでも、こ、これが私です」
フローラは腕を組んで、不機嫌そうに瞳を閉じた。
周りで見ていた人々は戦々恐々としている、折角の大精霊の好意を無下にしたのだ。
怒りを抱く人も居たかもしれない。
「ふっ……」
暫くの沈黙の後、一つ息を吐くとフローラは、気が抜けた様に微笑んだ。
「そうか、なるほどの妾は益々お前が気に入ったのじゃ」
フローラは後ろの祭壇へと下がると、両手を掲げた。
何もなかった空間から、草花を象った杖が現れてその繊手に握られる。
「ロイよお前が望むならば、叶えてやらねばなるまい」
くるくると杖をフローラが回すと、その軌跡を菫色の光が描いた。
「妾はフローラ花園の管理者にして豊穣を司る大精霊神が娘、妾に宿りし力が、目覚めの時を告げる栄えよ芽吹け春を!」
フローラが杖を振り上げ、床を強く打つとまばゆい極光が辺りに溢れて人々の瞳を焼いた。
花の嵐が吹き抜ける。
空気の暖かさが増し、この街の繁栄が約束されたのだ。




