罪人の消失
一拍遅れて騎士たちがその男の存在に気付いた。
興奮した町人が、仕切りを越えて処刑台に近寄って来たのだと、彼らはそう思った。
だから、当然彼らは己の職務を果たそうと思うのだが、取り押さえなければと思う気持ちだけが空転し、足は進まず手は伸びない。
鍛え抜かれた騎士たちさえ、そうなのだから、普通の町人などなすすべもなく、男の姿を認めると不可思議な圧力に口を開く事もできなくなった。
先程までの騒がしさが嘘の様にただ、男の足音だけがその場を重く支配する。
大観衆が呆然と見守るなか、黒いローブの男は、ぼろぼろの中年女の前に近付いた。
「こんな目にあわせて本当にすみません」
そして女に謝罪した。
「私に貴方たちを助けさせていただけませんか?」
若い男の声だった、女を心底心配している事が解る優しげな。
その問いに女は押さえ付けられながら何度も頭を下げ、知らず瞳からは涙が溢れていた。我々は見捨てられて居なかったと。
「何をやっている早く取り押さえろ」
その時、焦れた城壁の上から荒い声が響く。
上からだとただ騎士たちが棒立ちで、サボっている様に見えたのだろう。
声を上げたのは処刑場の警備を手配した貴族だった、このままでは王の不興を買ってしまうと必死に唾を飛ばし怒鳴り続けていた。
外からの声で目が覚めたのか、それとも男の準備が整ったからなのか、騎士たちはハッと我に返って遅まきながら動き出した。
尋常ではない様子に剣を抜き、罪人の女を助けるなどと言う怪しげな男に警戒しながら近付いた。
「承諾を確認しました。貴女たちの命お預かりします」
兵士の包囲が出来上がりつつある中、男はそう堂々と宣言して真っ黒いローブを脱ぎ捨てる。
男の手から離れた瞬間に黒いローブは幻のように細かな粒子になって消えていった。
「おお……」
乱入者を面白い出し物のように見ていた、ラミエール王は溢れ出た光に目を見張った。
男が闇の衣を払いのけると白銀の鎧が現れた。
その下には神官服に似たシルエットの装束、それは白と黒で彩られ一目で力のある物だと解る装備であった。
更に右の腰には漆黒の曲刀、左の腰には同じデザインの純白の曲刀を佩いている。
露になった顔はまだ若々しく、この辺の生まれではないと解る平坦な造形をしていたが、それが決して醜いとは言えないだろう事は理解できた。
ただ少し見慣れない。それが反って王の興味を引いた。
瞳は黒く、同じく黒い髪を後ろに撫でつけるように編み込み、魔術効果があると解る金属の色とりどりの輪で止めている。
全体を評価すると異国の神殿騎士に、それも高位の者に見えた。
決してただの町人でも犯罪者でもない、王は側に控えていた女神教の大神官にちらりと視線をやったが、彼もその瞳が飛び出さんばかりに驚いている。
どうにも演技には見えないと、王は思った。
「早く女を殺せ!」
何処かから指示が飛び、何百と人の頭を刎ねて来た処刑人が反射的に斧を振り下ろす。
次の瞬間には重い刃が台の板に食い込んでいた。
「な……!」
だが転がり落ちる筈の女の頭は何処にも無く、台の上に押えていた者が、身体の消失にたたらを踏んだだけ。
僅かに女がいた辺りに黒い靄が漂っていて、それもすぐに消えてしまう。
「あ、え??」
「ど、どこ……に?」
役人たちが辺りを見回すが、当然囚人たちは見当たらない。
まるで最初から存在しなかったように、衆人環視の中罪人が処刑場から消えてしまっていた。
しかも壇上の女だけではない、横に繋がれていた全ての罪人がいつの間にか消えていた。
「危ない危ない」
男を見ると、女が居た方向に手を翳し、何かした後の様であった。
ラミエール王は今度は宮廷魔術師長の方を見た。
初め動揺した様子で何事か呟いていた老人は、王の視線に気が付くと直ぐに平伏した。
老魔術師が動くと魔術が付与されているらしい、怪しげな装飾品がジャラジャラと軽い音をならす。
「魔術師長今のはなんだ?」
「て、転移術だと……思われます」
「ふむ……」
何時もこの世の真理を知り尽くした様である魔術師が、慌てた姿に王は半ば予想しながら問いを発した。
「それは、お前にも出来るのか?」
「……申し訳ありませぬ、わしには不可能ですじゃ」
魔術師長の発言で周りの側近が息を飲んだ。
天才魔術師、オリヴァー・ボンパールをして不可能と言う魔術をあれほど年若いしかも戦士職に見える者が使ったのだ。
王の次の発言を皆が注視した。
「で、あるか。ならば何としてもあの者を捕らえねばならんのう……」
王の命に魔術師長と騎士団長が頭を下げた。
罪人などいなかった




