もしも、もしもが起こらなくても
「胸が小さいのは、夢を与えているのよ! 夢が詰まっているだけで誰にも与えられていないカンナちゃんよりもずっと役に立ってるの。それに肩もこらないし、将来も美乳だし――」
緑の鮮やかな瞳をした少女が可愛らしく唇を尖らせてそう力説した。
ふわふわの癖のある茶色の髪は長く、人形のような外見の少女だったが、その口から出ている言葉は残念以外のなにものでもない。むしろ正統派、清楚系美少女の美少女具合を破壊するだけの威力があった。
しかし彼女の言葉はまさに彼女自身の体型を言い表しているものでもあり、嘘は何もない。
「その理論でいくと、ハヅキは夢がないって事にならないか?」
対する琥珀色の獣のような瞳孔の長い瞳をした少女は、至極普通に返した。嫌味を言うわけでも、からかっているわけでもなく、純粋に不思議そうに。
そんな彼女の胸は、かなり豊満だ。ボーイッシュな口調とはちぐはぐな感じではあるが、女性が理想とするプロポーションを持っている。だからこそ、彼女からのツッコミでハヅキは、落ち込んだ。
「カンナさん。オブラート。そういうのは、もっとオブラートにっ! 人間……じゃなくて、神様だって、見た目だけじゃないですよ」
「ミナちゃん酷い。その言い方だと、私の見た目に問題があるみたいじゃない」
「いや。えっと」
胸の問題を持ち出したのはハヅキだったので、間違いなく言いがかりだ。しかし押しに弱そうな、青い瞳の少女は、その事実を伝える事ができず目を逸らす。
大きいというわけではないが、小さいわけでもない胸の持ち主である彼女が、これ以上ハヅキを慰めたら、逆に火に油を注いでしまう可能性もあったために。
「でも、いいわ。私にもうすぐできる妹は、私の仲間だもの。そうよ。独りじゃないんだもの」
「妹って……えっと、今賢者様って呼ばれている子の事?」
「ええ。将来オクトちゃんが神様になった暁には、チッパイ同盟を組んで楽しいお茶会をするの。せいぜい無駄な贅肉をつけたヒトは悔しがるといいわ」
ハヅキの笑みは、少々悪役っぽかったが、それでも楽しそうに笑う。
カンナはオクトにとって叔母にあたる関係であり、カンナがオクトを陰ながら可愛がっている事をハヅキは知っていた。だからこそのささやかな意趣返しでもあった。そもそもの始まりはカンナがハヅキの胸をまな板だのなんだのとからかったからだった為に。
「オクトちゃんが味方なら、もう何も怖くないわ」
「……それは、何かのフラグっぽい気がするから止めた方が――」
「でもさ。オクトは将来、オレみたいな体型になるぞ」
不安げにミナがハヅキの言動を止めようとすると、その前にカンナが爆弾を投下した。
カンナの言葉に、ハヅキは固まる。
「えっ?」
「まあ、同じ血筋だし」
カンナの言葉にハヅキは額をテーブルに打ち付けた。
「嘘よ。そんなわけないわ。時属性って、皆胸がないんじゃないの?」
「いや、胸がないのはトキワだけだろ? まあ、アレは例外だし。それに、未来がみえるトキワが言ってたしな」
地獄の底から這い上がる亡霊のような低い言葉でハヅキが尋ねたが、カンナはあっけらかんとしたものだった。隣に座っていた、ミナが逆にオロオロとするほどに。
「カンナさん。空気。空気を」
「空気が何だよ」
「……そうだわ。オクトちゃんが成長できるんですもの。私だって、別の時間なら成長できるかもしれないわ」
「えっ。ハヅキさん?」
がばっと顔を上げたハヅキは天啓でも受けたかのような顔をしていた。
「お、落ち着いて下さい」
「もしくは、オクトちゃんの人生を見れば、そこに胸が大きくなる理由が隠されているかもしれないわ!」
そう言って、ハヅキは立ち上がった。
世の中の神秘を探る為に――。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「私は関係なくないっ?!」
私はそう叫びながら体を起こした。
しかし、周りにはハヅキさんもカンナさんもミナさんもいなかった。どうやら、アレは夢だったらしい。にしても、リアル過ぎる夢だ。
できれば夢のままであってほしいが……、何となく夢ではないのではないかと思う。というか、今回私がトキワさんに振り回されている理由がソレだとしたら、あんまりだ。
巻き込まれやすいという事に自覚はあったけれど、これは酷い。
「……というか、ここは何処?」
今度は、どんなIFの世界に飛ばされてしまったのか。
どうやら図書館のようだが、私が知っている図書館ではない。本棚が並んでいるけれど、その本棚はとても背が高かった。
天井も高いが、柱らしきものが確認できず、一体どんな造りの建物になっているのか、中からは想像ができない。
「ここは、時の回廊」
「えっ」
不意に声が聞こえて、そちらを見れば、本棚の上に人が座っていた。ただしあまりに高い所にいる為、よく顔が見えない。
声からすると、女性のようだが……トキワさんのものとも違う。
「ここには、あらゆる時間がある」
「あらゆる時間?」
「1人の人から分岐した時間。貴方が今まで体験したIFの世界が全てある」
本棚に並んでいる本に目線を向けると、背表紙に【もしも、アスタに引き取られなかったら】や【もしも、王子と恋愛するならば】と書かれていた。著者名が書かれる場所には、私の名前が刻んである。
私が本を書いた事はないので、つまりはこの本には私のIFの世界が描かれているという事だろうか。
「時って、本なんだ」
夢なのか現実なのかは分からないけれど、でもすべての時間が本として管理されているというのは驚く。まるで神様が作ったような場所だ。
「本だと思うのは、貴方が調べ物をする時に使うものが本だったから。この空間には形がない」
「形がない?」
「目上の人から言葉を聞いて先人の知恵を学んできたヒトは、この場所に先人が居て全てを語ってくれるように感じる。パソコンという古代文化を使っていた人なら、ここがパソコンの検索システムの様に感じる。紐を使って占いをしていたものなら、一つ一つの運命が紐の様に見える。時の管理人を代行している精霊は動画のようにこの場所を感じているようだ」
そんな事がありえるのだろうか?
この本がヒトにみえたり紐にみえたりって……まるで精霊族を見ている時のようだ。姿がないために、その人の記憶を使って、実際には見えないものを見るという行為を行う。
だとしたら、この空間は魔素とか、魔力とか、そういったものでできているという事だろうか?
「今回は、同胞が貴方を巻き込んだようで申し訳ない。厳重に注意をしておくから、許してやって欲しい」
「いえ」
同胞という事は、彼女はハヅキさん達と同じ神様という事だろうか? あの夢が正夢だったらだけれど。……ただ、あまり知りたくないなと思う。
一つ前の世界で、ママの残念な話を聞いた時と同じように。
「とりあえず、これまでの時間は貴方がまだ知る必要がない事だったから。責任をもって、【元の時間】に戻す」
「知る必要がない?」
「そもそも、本来時というのは、一定方向に流れるもの。枝分かれした先は関係のない時間。だから本当なら、この場所もいらない場所ではあるのだけど、存在してしまっているのだから仕方がない」
そう言って、女性はため息をついた。
「まだ、という事はいずれ必要となるという事?」
ただの言葉の言い回しだけかもしれないけれど、こんなわけの分からない、すべての時間があるという場所にいる女性だ。
もしかしたら、何かを知っていてそんな言葉になったのかもしれない。
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。先ほどの時間の彼女は、母親との時間を得る為に、この時間に繋がる道を選んでいる。でもまだ貴方の時は定まっていない」
先ほどというのは、ママが生きていた時間の事だろうか。
ママとの時間を得る為に選んだという意味は――。
「ただ、これまで未来を選択を選んだのは貴方。それぞれのIFを見て、他の良い選択を知ったかもしれない。でも選んできた今を消したいと思うほどの時間はなかったはず。時間はヒトとの繋がりでもあるから」
……そう。その通りだ。
どの時間に対しても違和感を覚えるのは、それが私が選んできたものではないから。
ママが生きていて、クロが居て、旅芸人の一座でずっと過ごしていたという時間が、とても幸せな時間だという事は分かる。
でも、アスタやカミュやライと出会った今を捨ててまで私が選ぶかと言われれば、答えはNOだ。幸せだとは分かるけれど、アレは私が選んだ世界ではない。
「今貴方が思った事も忘れてしまうけれど、できるなら忘れないで欲しい。この場所へいつかたどり着くかもしれないし、そうではないかもしれないけれど。その時抱えきらないぐらいの後悔があったとしても、幸せだった時間まで否定しないであげてほしいから」
意識がふわりと遠ざかる。
眠りに落ちていくかの様に。ゆっくりと。
「その上で、選択を歪めて罰を受ける覚悟があるならば、それもまた貴方が選んだ選択。それでも今はヒトとして生きるといい。ヒトとして生きられる時間は短いのだから、大切に――」
何かをしゃべりかけられているのは分かるけれど、上手く理解できないまま、私は眠りについた。貴方は誰なのかすら聞いていなかったと最後に思ったけれど、その想いも口にする事なく闇に溶けていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ししょー、おきてっ! あさっ!」
ぐはっ。
お腹の上に衝撃を感じて、私は目を覚ました。
でもこのまま、永眠してしまいそうだ。ようやくアユムに会えたのに――。
「アユム……お腹はダメ」
「おきないと。カミュきてるから!」
お腹の上に乗っかりながらアユムはゆさゆさと私をゆすった。
くっ。いつからアユムはカミュの手先になったんだと思うが、よく考えると、結構昔からアユムはカミュの言葉に素直に従っていた。
素直はいい事なのだけど、もう少し優しく起こしてもらえないものだろうか。
多数の精霊と契約していたころよりは、寝起きも良くなってはきているのだから。
「オクトっ?!……いたい? ごめんなさい。オクト、いたい? いたい?」
アユムが突然すごく悲しそうな顔をして謝った。勿論痛いけれど、そこまでではない。
「大丈夫だよ」
「でも、ないてる。ごめんなさい」
泣いている?
誰が?
私は、自分の目に手をやって、自分自身が涙を流しているの気が付いた。
「大丈夫」
痛いには痛いけれど、泣くほどではない。おかしいなぁと思いながら、涙をぬぐう。
「たぶん、怖い夢を見たんだと思う」
痛くないのに涙が出るならば、きっと理由はそれぐらいだろう。
夢の内容は思いだそうとしてもまったく出てこなかったけれど。でも起きた時に、ようやくアユムに会えたのにとか思った気がする。
だとしたら、アユムと別れる夢でも見たのだろうか。
「アユムが居てくれれば大丈夫だから」
「ボク、ししょーといっしょにいるよ? アスタもディノも。だから、なかないで」
私に抱き付くアユムを見て、何故か体の力が抜けた。
そもそも、どうして私はそんな体に力を入れていたのか。やっぱり、きっと、怖い夢を見たに違いない。覚えていなくて本当に良かった。
「じゃあ、朝ごはんにしようか。アスタ達もお腹を空かせているだろうから」
アスタやディノが騒ぐと大変だし、カミュもどうせ一緒に食べようとか考えているに違いない。だとしたら人数も多い事だし、思い出せない夢の事を考えるのではなく、一刻も早く朝ごはんの準備をするべきだ。
私はベッドから降りると、記憶にない【夢】と別れをつげた。




