師走に走る龍ちゃん
仕事帰り、俺は駅から歩いていた。十二月に入って一気に寒くなった。商店街は、ちょっと気が早い気もするけど、すでにクリスマスモード突入。どこの店も赤と緑と白のコントラストが目立つ。確かに赤池さんと緑川さんと白石さんが三人でいたら楽しそうだ……。ってどうでもいいか。道行く人の息が白く、夏の手団扇同様、手袋の上からハアハア息を吹きかけている姿も。それ、効果あるのか?
こんな寒い日は、龍ちゃんの店で何か体が温まるものを食べて帰るとしよう。寒い日の一人暮らしの部屋でのコンビニ弁当は、何とも悲しい気分になる。弁当と部屋が暖まるまで、『カバティ』の如く、『さむさむさむさむ……』とつぶやき続け、ようやく暖まった弁当を食べ終わって体が温まったころに部屋も暖かくなり、部屋に帰った瞬間の固い決意だったレンジでの熱燗も完全に旬を逃した感じで飲む気がなくなるという、何もかものタイミングが崩れる悪循環が起こる。俺だけかもしれないけど。
とにかく冬の一人暮らしは、どんなにアイデアをひねり出しても、部屋に入った瞬間のあの冷たいフローリングの床が全てを凍り付かせてしまう。よって、絶対に外食には勝てないとこの三年で俺は悟った。結婚して、暖かい部屋に帰る喜びを語る人がいるが、心の底から納得できる。
俺は、濃厚麺道に向かった。すると向こうから素晴らしいフォームで走ってくる美少女が一人。龍ちゃんだ。
「龍ちゃん、どこ行くの? 店休み?」
俺は聞いた。
「食材足りなくなったから、買い出し! 店は裏口開いているから入っていて! あ、フライヤーつけっぱなしだから、一応見ててね! じゃあ!」
そう言って、また走っていった。
俺は、まもなく濃厚麺道に到着。玄関には、大急ぎで書いたであろう張り紙が。
『二十分後に戻ります。店主』
いつから? ま、最大二十分待てば必ず帰ってくるってことだよな。そんなわけで、勝手知ったる濃厚麺道ってことで、俺は裏の従業員入り口から入った。店の中は暖かく、一瞬体が溶けそうになる。とりあえず、誰もいない店内のカウンター席に荷物を下ろした。
「フライヤーがどうのと言っていたな」
きちんと整理された厨房へと入った。フライヤーは一番奥だ。本当に中華料理屋かと思うほど清潔で整頓された厨房内は、龍ちゃんの性格を表している感じがした。
「見ててね、と言われても……、特に変わった様子はないが、一応温度計を見てみるか……。一五〇度? 高いのか? 低いのか?」
俺は、スマホでちょっと調べてみた。どうも、少し温度を下げて店を出たようだと言うことがわかった。
店内は暖かい。とりあえず上着を脱いで、カウンターの後ろの壁にあるハンガーに掛けた。
その時、玄関に人影が……。どうもお客さんのようだった。この寒い中、パタパタと足踏みをしながら、店の前で待っている。こりゃ、気の毒だな。俺は玄関の鍵を開けた。
「あれ?」
店の外にいたのは、若い四人グループ。男二人と女二人。ダブルデートだろうか。俺がいきなり扉を開けたので驚いている様子だった。
「もうすぐ帰ってくると思うんですけど、寒いし中でどうぞ……」
俺は声をかけた。
「あ、店員さん?」
グループの一人に聞かれた。
「いや、客だけど……」
俺は答えた。当然そこから先、話が進むわけもなく、四人組は、それぞれカウンターに荷物を置いていた。
その時、裏口の扉がガチャガチャ音を立てた。龍ちゃんが帰ってきたんだな、と思っていたら、戸を叩く音が。
「京ちゃん! 鍵閉めないでよ! 店主が閉め出されるって、どういうこと!?」
あ、しまった。一人暮らしの癖が。これが本当の『閉まった』だな。いや、アホなことを言っていないで、さっさと開けよう。そして俺は裏口を開けた。
「はぁ~、お待たせ! あれ? いらっしゃい? 京ちゃんのお友達?」
龍ちゃんは四人組を見て、俺に聞いた。
「いや、店の前で寒そうにしていたから、玄関を俺が開けた。ダメだったか?」
俺は言った。
「いや、助かったんだけど……本当、Thank you.ね」
そう言って、龍ちゃんは、カウンターにかけていたエプロンを着けた。
「ささ、ご注文をどうぞ!」
いつもの明るい声。四人組は待ってましたとばかりに注文する。龍ちゃんは次々に料理を仕上げていく。いつ見ても見事な手さばき。ほとんどの料理が一分以内で仕上がっているんじゃないかと思うほど早い。
「はい!」
俺の前に小皿とビールが。小皿の中にはエビの唐揚げが入っている。
「留守番のお礼」
そう言って、また四人組の料理を作り始めた。
四人組の料理を出した後、俺の料理をいろいろ出してくれた。すっかり店内で暖まってしまっていたので、若干の今更感もあったのだが、やはり龍ちゃんの作るラーメンはめちゃくちゃおいしい。ラーメンだけは、瑠音さんより俺はおいしいと思っている。
「龍ちゃんさ……」
俺は話しかけた。
「なあに?」
中華鍋を降りながら龍ちゃんが振り返る。いつも思うけど、この振り返ったときの龍ちゃんって、ちょっと見とれてしまう。職人の色気って言うのかな……そういうのを感じる……。
しばらく見とれていたが、ふと我に返って言った。
「この張り紙はわかりにくいと思うよ」
俺はさっきはがしてカウンターに置いておいた張り紙を見せた。
「知ってる、みんなに言われるから。でも、それ貼っておくと、みんな待っていてくれるから……」
龍ちゃんはちょっと悪い顔をして、ペロっと舌を出した。
戦略なのね……。しっかり経営者しているな……。その時、次の客が入ってきた。
「ちわッス!」
入ってきたのは千だった。
「あ、千だ~!」
声を上げたのは四人組の中の女の子だった。千は女の子に軽く手を挙げて挨拶し、龍ちゃんにもぺこりと頭を下げた後、俺に言った。
「あ、枝草さん! お久しぶりッス!」
「やあ、久しぶりだね。合同研修会の料理、うまかったよ!」
俺は言った。
「あ、そうッスか? あれ、結構自信作だったので、嬉しいッス」
千はそう言った。
「千~! 言ってたとおり、ヤバいくらいおいしいんだけど、このお店!」
もう一人の女の子が言った。どうも、千の知り合いのようだった。
「だろ?」
そう言って、四人とハイタッチする千の姿は、何とも正しい大学生って感じで、ちょっと自分の学生時代が懐かしくなった。
「千が宣伝してくれて、最近、食材が足りなくなるのよ」
龍ちゃんが言った。
「じゃ、多めに仕入れておかないの?」
俺は聞いた。
「来ると分かっていれば、それなりに準備するんだけど、試験期間とか入ったら、全然来なくなるし、大学によって、試験期間も違うから、どうにも読めないのよね……」
フム、と顎を人差し指と親指で支えて少し首を傾げながら、龍ちゃんは言った。
「なるほどなぁ。食材腐らせたら勿体ないしね……」
まもなく、千はその大学生たちと一緒に食事をするのかと思いきや、俺の横に来た。
「友達と一緒じゃなくていいのか?」
俺は聞いた。
「え? 万歳お晩菜のお客さんですよ。後、あの男の子二人はあんまり知らないし。女の子は俺に『お財布』っていってたけど……」
ひでぇ、かわいそうにあの男子二人、会計の為に連れてこられたのか……。ま、でもあの女子二人、結構かわいいし、それはそれでいいのかも……。
千も龍ちゃんには注文しない。値段すら言わない。ここでもバイトしていることもあって、龍ちゃんは千の懐具合を把握しているんだろうな。
千のもとに二三品置かれた。千はうまそうに食べる。そこで龍ちゃんが言った。
「今日はな~んだ?」
千の動きが一瞬止まる。しばらくやや上を眺めて口をモゾモゾしてから言った。
「ハッカク、かな?」
「お! 正解!」
龍ちゃんが笑った。
「何のゲーム?」
俺は聞いた。
「ゲームじゃないんですよ。瑠音さんの店で、時々急に使っている漢方食材をテストされて、間違うとめっちゃ叱られるんです……」
千は、泣く真似をしながら言った。
厳しいな……瑠音さん……。
「私も小さい頃、時々やられたんだけどね……」
龍ちゃんもやや苦い表情で言った。
「でも、お陰で大抵分かるようになりました。今じゃ、時々褒めてもらっていますよ!」
嬉しそうに言う千。
「千は瑠音お兄ちゃんのお気に入りだものね」
龍ちゃんが言った。
「いや、俺をいじめて遊んでいるだけですよ、あの人は……」
千が苦々しく言った。
その時、一気に七、八人の客が入ってきた。それからさらに五、六人が……。
千が立ち上がって、オーダーを取りに回る。その辺は龍ちゃんが何も言わなくてもテキパキこなす。
オーダー表を見て、龍ちゃんが言った。
「千、作れるものだけ作っておいて! 私、食材買いにひとっ走り行ってくるから」
そう言って、支度を始めた。
「了解!」
と千も厨房に入る。見事な連携プレイだ。
「買い物くらい、俺が行くけど?」
俺は聞いてみた。
「あ、一応、プロの見立てってのがあるから、こればっかりは千にも任せていないの。ありがとう。京ちゃん!」
そう言って、店から走って出ていった。
店も混んでいるし、手伝おうかと思ったが、千は全然慌てる様子もなく、ガンガンこなしていく……。凄すぎる……。
「じゃ、俺、帰るわ。代金ここに置いておくから」
「あ、枝草さん! またです!」
背後から、千の声が聞こえた。
店から出てしばらく歩いていると、向こうから走ってくる龍ちゃんがいた。
「京ちゃん、今日はありがとうね~、それからごめんね~! 次、サービスするわよ~!」
そう言って通り過ぎた龍ちゃんの声には、ドップラー効果がかかっていた。