合同研修その2
午後の部は二部構成になっていて、途中三〇分の休憩が挟まる。さっきの墨江の態度がどうにも気になって、一部の話は全く頭に入ってこなかった。まあ、何もなくても、毎年頭に入っていないけど……。
とりあえずロビーでコーヒーを飲んでいると、青井さんと赤池さんがやってきた。
「で?」
青井さんが言った。
「それが全然悪びれる様子もなくって……。寧ろ俺が論破されがちだったって言うか……」
俺は答えた。
「だから、直接俺が電話した方が早いって言ったんだ」
青井さん、ちょっと怒りすぎ。
「いや、それはあまり効果的ではないな……」
赤池さんがフォローを入れてくれた。
「どうしたの? 何かあった?」
後ろから黒川さんがやってきた。その後ろを白石さんもついてきている。
「じゃ、一旦この話はここまで、ってことで」
ちょっと小さめの声で青井さんは言った。
「何ですか? 青井さん。内緒話だったんですか?」
黒川さんが言った。
「まあ、そうだ。黒川なら大丈夫かもしれないが、白石さんは大変なことになるかもしれない話だぞ」
青井さんがおどけて言った。
「きっと男同士特有の話でもしてたんですね。確かに那由多には、厳しいかもしれないな」
そう言って黒川さんは白石さんをちらりと見た。
「そんな! 私だってもう大人です! 子供扱いはやめて下さい!」
頑張って腕組みをする白石さん。あはは、笑えるくらい可愛い。他の三人もそれを見て笑った。てか一番顔が赤いのは、案外黒川さんだったりするんだけどね。
「そう言えば、昼休みの弁当は、瑠音さんのお店のものでしたよね」
白石さんが全く今までの流れとは関係ない話をしだした。
「うむ、やはり紫音さんとは甲乙付けがたいうまさだったな」
黒川さんが答えた。
「実は、あの中のインゲンの炒め物……」
白石さんが言いかけたとき。
「あれは、うまかった。他の料理とちょっと違う感じがしたな」
と赤池さんが言った。
「違ったか? 全部うまかったが……」
青井さんが返した
「実は、あれ。千が作ったらしいんです……。さっきメールが来て、それにそう書いていました」
白石さんが言った。
「ほおおおお!」
全員一斉に感心。腕を上げたな、千。ってかその違いをちゃんと把握できている赤池さん、ますますスゲェ! 一体何者だ?
「千、瑠音さんの店も行っているの?」
俺は白石さんに聞いた。
「いえ、今回のお弁当だけのお手伝いだったみたいですが、瑠音さんに気に入られたとかで、今後は時々手伝いに行くみたいです……」
まあな、あの腕とあの性格。絶対に人から愛されるよな……。兄弟揃って愛されキャラってわけだ。
「それは良かったね」
俺は白石さんに言った。
「千は本当に立派な料理人になるような気がしてきたな」
黒川さんが言った。
「万歳お晩菜でも、結構千の料理が出るようになっているよ」
赤池さんが言った。赤池さんは万歳お晩菜の常連だものな……。
「あ、こんなところにいたのか……」
横から声がした。緑川さんだ。
「あ、枝草、黒川さん、白石さん、久しぶり!」
緑川さんは元々別の支店なので、日頃会うことはほとんどない。不思議なのは、一度も青井さんと一緒の支店になったことがないのに、ずっと仲がいいことだ。
一度青井さんに聞いてみたことがあったが、どうも新任者研修の時のグループディスカッションで緑川さんと大喧嘩になって、その仲裁をしたのが赤池さんだったとか。
黒川さんと白石さんが緑川さんに近況報告とかしている間に、途中休憩の時間は終わった。ちらりと見えたけど、あのロビーの隅で、こっちを見てニヤニヤしているのは、墨江だよな……。やはり気味が悪い笑い方だ。さっき話したときはあそこまで気持ちの悪い顔していなかったのに……。ってか相変わらず一人なんだな。友達いないのかよ?
午後の第二部が終わった。ここで夕食を食べて今日の合同研修は流れ解散となる。青井さんの予想通り、夕食は万歳お晩菜の料理がずらりと並んだ立食パーティーとなった。
みんな思い思いのメンバーに集まって、談笑しながら食事。俺のグループは、青井さん、緑川さん、赤池さん、黒川さん、白石さんと俺の六人。一番落ち着くメンバーだ。
周りを見渡してみると、墨江がまた隅っこの方で、一人で食事をしている。俺は、グループから離れて、墨江に近づいた。
「今日はお疲れさま。初年度だと、長く感じたでしょ?」
そう声をかけた。
「いえ、お陰でブログのネタをたくさん仕入れることができましたよ。いろいろ失敗する人が多かったので……」
そう返してきた。
「そういうのってどうかな……」
思わず言ってしまった。
「え? プライベートで僕が何をしようが勝手じゃないですか? 別に仕事に支障をきたしているわけでもないし、いくら先輩でも従う理由は見あたりませんが……」
軽く頭の仲で何かが切れる音がした。
「そもそもの『気づき』をはき違えているような気がするんだよ。白石さんが君に教えたかったのは、人の失敗や不自由を取り立てて誹謗中傷をしろとは言っていないはずだ!」
少し大きめの声が出てしまった。
「でも、サイトへのコメントには、僕を応援してくれる声も多いし……」
墨江はボソボソと言った。
「本当に応援する声だけか?」
俺は聞いた。
「勿論中には否定的な意見もありますが、いちいち気にしてたら、ブログなんて書けませんよ。ネットでは誰もが匿名であることをいいことに、無責任な意見も多いので……」
そう返してきた。
こいつ、根本的に何か大きな勘違いしている……。そこへ、白石さんがやってきた。
「枝草さん、何かあったのですか?」
俺が返事をする前に墨江が割って入った。
「あ、白石さん。僕のこと覚えてくれていますか? 墨江です。墨江 郁夫です!」
いきなりあの気持ち悪い笑みを満面に、そう言った。
「ええ、新任者研修で会いましたね。覚えていますよ」
白石さんは優しくそう言った。
墨江は、ポケットから、スマホを取り出し、何やら操作しだした。そして、そのスマホを白石さんに見せた。
「白石さん! 教えてもらったサイトで勉強して僕も同じようにブログをつけています。コメントもこんなに……ほら……」
白石さんは、スマホの画面をしばらく見た後、小さく呟いた。
「あなただったの……?」
墨江は気味悪くヘラヘラしながら、言った。
「そうです! これ僕のブログです。良かったら見てもらえませんか?」
全く悪びれる様子は無い。確信犯か……。
白石さんは、スマホを墨江に返すと言った。
「一体、私のアドバイスを何だと思っているの! いい加減にしなさい! あなたのサイトは知っているわ。私が世界で一番嫌いなサイトよ! さっさと閉鎖しなさい! 今すぐ!」
会場全体が静まり返った。そりゃそうだ。いつもは妖精みたいな白石さんが恐ろしい剣幕でまくし立てたら、公園でマンモスに出会うくらいの驚きだろう。ってか俺もかなり驚いたし、正直白石さんのあの目にビビった。
墨江は一瞬俺を見て、そそくさと会場を後にした。過ぎ去っていく墨江を会場中が目で追った。そして視線を元に戻したときには白石さんの姿はなかった。あと黒川さんも。会場の別の扉から、黒川さんに肩を抱かれて出ていく白石さんの姿がちらりと見えた。さすが黒川さん。ナイスフォロー!
何となく白石さんのいなくなった会場中が今の出来事は幻を見たんじゃないか? 的な雰囲気になって、またすぐにさっきの賑やかな立食パーティーに戻った。
しばらくしたら、黒川さんと白石さんが戻ってきた。すっかりほとぼりも冷めて、白石さんもいつものフワフワの妖精に戻っていた。
「あの……、みなさん、すみませんでした……」
俺たちにだけ聞こえる大きさでそう言った。
「いや、見事だった」
緑川さんが言った。
他のメンバーもウンウンと頷いている。
「いえ、私の研修でのアドバイスが悪かったんです……」
白石さんは恐縮しまくりだ……。
「ま、今後の出方の様子見ってところかな……」
青井さんが言った。
「さあさあ、早く食べようよ。まだ料理はいっぱいあるよ」
緑川さんがみんなに言って、また楽しい食事が始まった。
俺の横に白石さんがやってきた。
「どうして、彼に話しかけたんですか? 彼、いつも一人で隅っこの方にいたのに……」
いきなりちょっと鋭い質問。
「単なる好奇心ですよ。一人で何しているのかなって……」
ちょっと苦しいか? この言い訳。
「そうですか。優しいんですね。枝草さんは」
白石さんは言った。いや、彼に関しては優しさとは真逆の感情でアプローチしただけに、この良心的な白石さんの解釈は心にチクリと刺さる。自分のサイトを真似されて怒っていただけじゃないのかって気になる。
もしも、偽サイトの管理人が同じ会社の人じゃなかったらどうしたんだろうな……。墨江も言っていたけど、同じ名前のサイトなんていくらでもあるし、デザインだってブログのテンプレート使っているうちは被りも出てくる。更にそれこそ、何をそのブログに書くかは自由だと思うし。今回、ちょっと墨江の意見も一理あると思ったんだよな……。しかも、本人はそれほど悪意を持っている感じでもなかったし……。何とも釈然としない気持ちのまま、俺は食事を続けた。
「何深刻な顔してるんだよ?」
青井さんが言った。
「あ、いや、大丈夫です」
一応そう答えた。
「良かったじゃないか。とにかく人のあら探ししてネットで悪口を書きまくるのは、感心できない。それを『気づき』だと取り違えている確信犯なら尚のことだ。今回のことで、墨江がその間違いに気付けば、来年の合同研修で一人でいることはないんじゃないか?」
青井さんはそう言った。本当に明るいものの考え方ができる人だと感心した。
それからしばらくして、俺たちも解散することになった。今年の合同研修会。一体どんな内容だったか、全然覚えていない。ま、いつものことだけど。