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第1話 開幕前夜

 意識が浮上し、目を開いた。

 視界に飛び込んできたのは、重厚な天蓋てんがいだった。


 身体を起こせば、数人は眠れそうな巨大なベッドが音を立てる。

 だが、そこにいるのは自分ひとりだけ。


 貴族の私室――それも、かなり高位の。


 そう思わせる豪奢な造りに反して、部屋には生活感がなかった。


 装飾品はほとんどなく、壁際には武具と軍旗、そして地図。


 大きな卓上には大量の書類が積まれているが、不思議なほど整然としている。


 窓辺に歩み寄り、カーテンを開け放った。

 すると目に飛び込むのは曇天の寒空、――そして風になびく青地に白い狼の軍旗。


 その軍旗には見覚えがあった。

 自分が何周もプレイした戦記RPG『ノルスヴェイン・サーガ』の敵国側の旗だ。


 ――途端に、頭の中に記憶が流れ込んだ。

 自分が目覚める前は、現代日本で働く普通のサラリーマンだったはずだ。

 しかし、この精悍せいかんな腕付き、全身にみなぎる力強さ、冴え冴えと染みわたる魔力。

 この身体を駆使して、戦場を駆け抜けてきた記憶もある。

 雪、鉄、血の記憶の中で、自分は――。


「殿下、よろしいでしょうか」


「入れ」


 無意識に声を返しながら、自分が誰だったのかを確信した。


 入室してきたのは、大柄な体躯をした勇将ダグラスだった。

 ダグラス――原作で言えば、敵国側の側近――が殿下と呼ぶのは、ただ一人のみだ。


 自分は、――フェルク・ヴァル・ノルスヴェイン、その人だ。

 その名を思い出した瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 『ノルスヴェイン・サーガ』をプレイしたことがあるなら、誰もがその名を記憶している。


 冷血皇子と畏怖される、帝国第三皇子。

 ノルスヴェイン帝国軍総司令にして『北の戦鬼』。

 氷雪魔法を操る無双の魔法剣士。


 そして――


 プレイヤーたちに絶望を与え続けた、最強最悪のラスボス。

 激戦の末、最後には原作主人公ら英雄陣営に討たれる。


「明日の出立に際して、作戦の最終確認に参りました」


 ダグラスは卓に歩み寄り、地図を広げた。


「バルドーの里の夜襲作戦の件ですが――」


 バルドー。かつて、その武勇により帝国を退けた南方の旧英雄。

 ――そして、原作主人公グレンの育ての親にして、武芸の師でもある。

 つまり今は、「ノルスヴェイン・サーガ」のオープニングの直前だ。


 その地図に目をこらすと、見覚えがある。

 地図――正確に言えばバルドーの里の見取り図、主要な施設の位置図。

 『ノルスヴェイン・サーガ』で、初めて操作可能になるマップだ。

 プレイヤーは原作主人公グレンとして、実り豊かな里を歩き回る。

 里の顔馴染みたちと挨拶をかわし、バルドーの道場で訓練に励むのだ。

 プレイヤーは平和で溌剌はつらつとした日々がずっと続くだろうと胸を弾ませるが――


「作戦目標は、里の者の殲滅――皆殺し――となります。

 バルドーの影響下にある者を根絶し、現在及び将来にわたる不穏分子を抹消します」


 平和だった里は、帝国軍の襲撃により焼かれ壊滅する。

 家屋は灰となり、当然ながら里の中心であるバルドーは殺される。

 その最中、グレンは義理の妹のリセアとともにかろうじて逃げ延び、かたき討ちを誓う。

 育ちの里を滅ぼした帝国、そして、その首謀者であるフェルク――自分を絶対に倒すと。

 グレンはその執念のもと南方にて打倒帝国を訴え、勢力を結集する。

 そして、物語の最後にはラスボスの自分を討つほどの英雄に成長するのだ。


 このまま進めば、原作が始まってしまう。

 そうなれば、自分の破滅へのカウントダウンがスタートする。

 この鮮明な感覚、早鐘を打つような胸の高鳴り。

 夢や幻などではない。自分は悪役貴族のフェルクに転生したのだ。

 転生したのに、甘んじて破滅するわけにはいかない。


 夜襲を中止したのなら、どうだろうか。

 里に悲劇が訪れなければ、グレンが帝国を憎むこともない。

 物語が始まらなければ、その終わりが訪れることもない――。


「その後、この里を制圧することで、一帯の穀倉地帯を帝国領とします。

 これにより、我が国の慢性的な食糧不足の一助とします。

 反乱分子の排除と、食糧供給拠点の確保。

 軍事に内政、一挙両得の侵攻。

 さすが殿下ご提案の会心の作戦ですな」


 しかし、攻めなければ、帝国の民が飢える。

 北方に位置する帝国は冷涼で、作物の栽培に適さない。

 豊穣の地を手中にすることは帝国の宿願なのだ。


 軍には国益を守り、拡大する使命がある。

 軍団長である自分は、その責務を負っている。

 戦わずに権益を逃すことは許されない。

 既に準備の整った作戦を中止するなど愚の骨頂にほかならない。


 自分は既に進むことも引くこともできない状況じゃないのか。

 進めば、未来の英雄グレンに殺される。

 引けば、国民は失望を抱き糾弾する。

 どちらにしろ詰んでいる。

 ――いったい、どうすれば良いというのか。


「殿下、どうされました? 顔色が優れないようですが――」


 上官が押し黙ったので、ダグラスは戸惑いを見せている。

 本来のフェルクならこう言うだろう(現に無意識下の内心が頷いている)。

『作戦に変更はない。ぬかりなく進めよ』

 だが、そうと伝えてしまったら、『ノルスヴェイン・サーガ』が始まってしまう。

 自分が討たれる運命のRPG。里を容赦なく焼く炎が脳裏をよぎる。


 今更、作戦を中止にするわけにもいかないが、根絶やしはダメだ。

 どうにか作戦を変えなければならない。


「再考の余地があるな……」


 ようやく絞りだした言葉が、それだった。

 頭の中では「ちょっと考え直してもいいかな」と言ったつもりだった。

 しかし、これまでフェルクとして過ごしてきた思考回路、声帯や表情筋がそうはさせない。

 自分の発言は、いわゆる『ラスボス語録』に自動変換されるようだ。

 無口で冷徹なフェルクの威厳を保てるのは結構なことだが、これでは真意を伝えるのもままならない。


 ――いや、そもそもフェルクには胸の内を伝えられる人物が存在したのだろうか。

 誰にも理解されない孤高のラスボス。それがフェルクの人物像ではなかったか。


「見直し、でございますか、それは一体……」


 ダグラスは驚きを見せ、続きを促している。

 だが、自分の中で考えはまとまっていない。


「昼過ぎに伝える。引き続き準備を進めよ」


「はっ、承知いたしました。それでは失礼いたします」


 ダグラスは地図を手早くまとめ、退室していった。

 

 一人になって考える時間が出来たものの、日が中天に達する前に対案を用意しなくてはならない。


 ゲームの中のエピソードを思い出すのだ。

 そのどれかを改変すれば、自身の破滅を避けられるんじゃないのか。

 

 ゲーム内で最も印象的なのは、主人公とラスボスの最終決戦だ。

 グレンは蒼い炎を操り、蒼い冷気をまとうフェルクと対峙する。

 お互いの最強奥義を解き放ち、対極の熱き蒼と凍える蒼が激突する。

 その末に立っているのは、仲間たちに支えられたグレンだ。

 膝を屈したフェルクは、その最期に誰ともなく言葉を漏らす。


ながく、てついた生だった」


 そして、力尽きて剣を落とし、絶命する。

 苛烈な闘いの果ての、あまりにも静かで寂しげな最期だった。

 感情の抜け落ちたかすれた声が、プレイヤーに得も言われぬ余韻を残す。


 フェルクは物語の中で終始、原作主人公の前に立ちはだかる。

 プレイヤー達の中で『フェルク過労死案件』、『帝国は深刻な人材不足』と語り草になるほど、当の本人は作中で常に全力を尽くしている。

 だが、その労苦が報われることはない。

 悪役貴族で、ラスボスなのだ。フェルクを倒さなければ、物語は終わらない。

 虐殺者であるフェルクに救いも赦しも与えられない。

 その報いとして、孤独な死を迎えるのみだ。


 あのフェルクみたいな終わり方だけは、したくなかった。


 あの、全てが冷え切った最期を書き換えるために。

 ――自分は生きる望みを模索しなくてはいけないのだ。


 このまま自室にこもっていても、気持ちが落ち込んで考えもまとまらない。

 妙案を練るために、ひとまずは部屋を出ることにした。

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