エピローグ
十一月初旬 全国高校選手権 県大会決勝
上信越学園 vs 長野慈愛商業高校 試合前
冷たい風が吹き抜ける十一月初旬の午後、長野県諏訪市にあるJリーグのホームスタジアムは異様な熱気に包まれていた。収容人数一万二千人のスタジアムに、既に一万人近い観客が詰めかけている。
両チームの選手は、既に、ウオーミングアップを終え、ピッチに入場して、両ベンチ付近で待機している。
上信越学園のベンチの前で、佑也とキャプテンの太田が場内の様子を窺っている。ピッチと観客席が近いスタジアムの構造が、観客の熱気を直に伝えてくる。
太田が、感慨深げに、言う。
「遂にここまで来たな。勝てば全国だぜ。しかも相手は長野慈愛商業」
佑也は無意識に左足首を掴んだ。
夏の大会準決勝、長野慈愛商業との試合で負傷した記憶が蘇る。あの試合での敗戦と怪我。でも逆に、だからこそ、佑也は、今大会は、準決勝までの四試合で七得点を決めて来れた、とも言える。
魔王フラムとの戦い。
そこで何を学んだかは自分でも分からない。だが、何かを学んだことは確かだ。
そして、相手GKも、ここまで無失点を誇る。
太田が佑也の肩を叩く。
「お前、この試合、無茶苦茶楽しみだろ?」
「そりゃあな。でも、実はな、もっと楽しみなことがあるんだ」
太田が怪訝な顔をする。
「はぁ? どういうことだよ?」
「まあ、見てろって」
太田が首を傾げる中、場内アナウンスが流れ始めた。
「本日は特別に、試合開始前にセレモニーを行います」
その声に、スタジアム全体がざわめいた。
太田が呟く。
「これか」
佑也がニヤリと笑う。
「そういうこった」
観客席から期待に満ちた視線が、ピッチに注がれ始めてる。例年の決勝と違う。スタジアムに駆けつけた客の誰もがそのことを理解した。
場内アナウンスが続く。
「本日は特別に巫女舞が披露されます。巫女舞を披露してくださるのは、霧空大社・巫女 水無月かれんさん、水月神社・巫女見習い 神崎美咲さん、青蝶堂・店番 藤堂千夏さんです。ご三名の入場です。なお、ご三名による巫女舞の披露は、長野県神社庁の後援によって行われます」
太田が目を見開く。
「神崎美咲って、あの神崎美咲か?」
「ああ。それに水無月かれんってのが、また凄いんだ」
佑也は満足げな表情を浮かべる。
「千夏も気合入ってる」
観客席でもざわめきが広がっていた。
「なんだ、巫女に巫女見習いに店番って」
「霧空大社に水月神社は聞いたことあるけど、青蝶堂ってなんだ?」
「あ、私知ってる! 諏訪の古本屋よ」
そうした声々の中、三人が入場する。先頭のかれんに続き、美咲、千夏の順で現れた三人は、いずれも凛とした佇まいの巫女装束に身を包んでいる。可憐さの中にも、確かな神聖さを漂わせていた。
メインスタンドに向かって、中央に美咲、その後方にかれんと千夏が位置を取る。年齢もあり、身長は、美咲が頭一つ分大きい。この三人ならこの配置が自然だ。
そして、三人が両手を優雅に上げ、舞の開始前のポーズを取った瞬間、騒然としていたスタジアムが嘘のように静まり返った。
場内アナウンスが静寂を破る。
「演目は、水無月かれんさんの作曲・振付によります、『疾風神楽―月光円舞―』。なお、鈴の舞、八乙女の舞、破魔の舞のアレンジとのことです」
美咲は、満員のスタジアムのピッチの上で、戸惑いと、そして、幾らか泣き出したくなっていた。
どうしてだろう、ちっとも緊張してない。
緊張感がまるで無いのは、失敗のサインだ。
美咲は、自分の右手にある鈴を見上げた。
スタジアムには予想通り、多くのお客さんが駆けつけている。話を聞いた円光様は、バスツアーを組むから、と、冗談とも本気ともとれることを言っていた。
スタジアム内が、ざわめきだした。
私達三人が、いや、私の右手が、止まってしまっているからだ。
「疾風神楽―月光円舞―」
――私が持っているこの鈴を鳴らせば、始まるというのに。
三人で巫女舞をやりましょう、と言い出したのは千夏だ。
魔王フラムを倒して、一週間後、私の自宅に、千夏がやって来た。
千夏が、わざとらしく、しまった、という感じで、言い出した。
「あっ、私、未だ、かれん先生にお礼、言いに行ってない。美咲先輩は?」
「私もまだ」
「でも美咲先輩はしょうがないですよ~。魔王フラムとの戦いが終わったあと、寝込んでしまったんだからあ」
そう。
魔王フラムを倒した、その夜から、私は寝込んでしまった。
お医者さんに行ったら、過労です、と言われた。
心配した円光様が来てくれたが、私と一通り話したあと、やっぱり、過労じゃ、と言って帰って行った。ただ、私にきつく、こう、言っていった。
起きたいと思うまで、寝ていること、と。
それでようやく、今朝、起きたい、と思って、ご飯もいっぱい食べた。別に、断食していたわけじゃないんで、それまでも食べていたんだけど、なんだか、味がしなかったが、今日はとても美味しかった。
さて、夏休みも終わりだ、残りの夏休みをどうしよう、と思っていたら、千夏がやって来た。そして、いつの間にか、千夏が、霧空大社に行く時間を決めてしまった。
「では、明日の十時に、迎えに来ます。あっ、菓子折りは私が用意します。お代は半分下さいね」
「……それはもちろん」
「美味しい、どら焼き屋さんがあるんですよ~。期待していて下さい!」
千夏はそう言い残すと、すたこら帰って行った。
翌日。
千夏と霧空大社に、かれん先生にお礼を言いにいった。
かれん先生は、私に優しく声をかけてくれた。
「顛末は、千夏さんから聞きました。頑張りましたね」
「はい」
「千夏も頑張りましたよ~」
と、千夏が声を出す。
かれん先生がにっこり微笑む。
「分かっていますよ、千夏さん」
千夏は本当に不思議なコだ。かれん先生はもちろん、九尾の狐さんとも仲良くなってしまっている。先日は、九尾の狐さんがいる栃木県まで遊びに行ってしまったらしい。
千夏が屈託なく、続ける。
「私、巫女訓練で、一つ、心残りがあるんです~」
「何ですか?」
「かれん先生、巫女舞を時々、高速で踊ってくれて、それで、私達にも、やるように、と指導してくれたじゃないですか?」
「ええ」と、かれん。「基礎体力を作っていく上で、いいんですよ。呼吸法やランニングだけじゃ、飽きるでしょう?」
「はい、それは分かってます」
千夏が、かれんのことを気持ち見上げながら、もじもじした感じで言う。
「それで、三人で、ユニット作って、踊ってみませんか、高速神楽」
私は、千夏のことを繁々と眺めながら、また、奇妙なことを言い出した、と思った。かれん先生は一笑に付すかな、と思って、私は、かれん先生を見た。
かれん先生はちょっと、考え込んでから、にっこり笑うと、言った。
「いいですね。是非、やりましょう。私もそろそろ、神楽の作曲や振付をしてみたいと思っていたところですし」
「わー、凄いです~」
「それに、美咲さんと千夏さんともお会いしたいですしね」
「わー、嬉しいです~」
そういう、かれん先生と千夏の表情は、年相応の少女のものだと思いながら、私は、ハッとした。
フラムとの戦いで、咲子おばあちゃんが、言っていたことを、私は、寝込みながら、何度も考えている。
――ちょっとだけ、昔話をさせて貰うよ。私は、二十歳で伝説の巫女なんてもんに、祭り上げられてしまって、生き辛くてしょうがなかった。生き辛いだけならいいけど、挙句には、人によっては、明らかに、化け物を見る様な目で私を見てね。慣れないうちは、夜、一人で泣いたもんさ。
私は、ちょっとだけ居住まいを正すと、かれん先生に言った。
「私、未だ、水月神社の巫女になるか決めてなくて……」
千夏が呆れた様に言う。
「美咲先輩、訳分からないです~。魔王フラムを倒した巫女がなんで……」
という言葉を遮ったのは、かれん先生だった。
「千夏さん!」
「……はい」
「美咲さんは高校三年生ですし、将来のことを色々考えて当然ですし、それに、魔王フラムを倒したのは、あくまで龍神様です。もちろん、千夏さんの言われたいことは分かりますが、この辺のところは、あらぬ誤解を、あらぬことを、言い立てる人もいるので、気を付けて下さい」
「……はい」
そして、かれん先生は、にっこり、微笑むと言った。
「それに、魔王フラムなんて事件はそうそう起きるものではありませんよ」
「それはそうですよね~」
と、千夏が相槌を打つ。
私は、意を決すると、言った。
「では、私も参加させて下さい」
千夏が、素直に喜ぶ。
「わーい、やったー」
私も、よーし、やるわよー、等と、調子を合わせた。
そしたら、最後に、かれん先生が付け加えた。
「せっかくですから、人前でやりましょう。日付も大体のところは決めてしまいましょう。目標を決めてやる、それが、水無月家流です」
私は自分が緊張してない理由が分かった。
この神聖な巫女舞を誰の為に踊るかが、私の中で明確になっていないからだ。
スタジアム内が、ざわめきだした。
私達三人が、いや、私の右手が、止まってしまっているからだ。
魔王フラムとの決戦。
フラムは死に、七海澪は意識が戻らない。
守屋詩織の身体はボロボロで、歩いていること自体が奇跡だそうだ。
そして、聖花園の子供たち。
――決して還らない時間。
私は、右手の鈴を見上げる。
一万を超えるスタジアムの視線が、私達三人に集中しているのが分かる。
両軍のベンチには、佑也君をはじめ、選手が揃っている。
メイとノアは、温泉旅行に行ってしまった。
リンネは行方が知れない。
シロは成仏し・・・・・・・ないで、青蝶堂の看板猫におさまっている。
そして、私の直ぐ背後には、かれん先生がいて、千夏がいる。
二人の鼓動が伝わって来る。
不意に、ピッチのベンチ脇から、佑也くんの声が聞こえて来た。
「美咲! 自信を持て! 武や理子を救ったのはお前だ!」
私は苦笑した。佑也くんは、相変わらず、何か、勘違いしてる。
でも……。
そうだ、私や千夏、そして、佑也くんは、何故、魔王フラムと戦ったのだろう。
何故、龍神様は、私たちに力を貸してくれたのだろう。
こういう、今日の日の為じゃないのか。
こういう、人々が、集い、興奮して、喜ぶ日の為じゃないのか。
武君は、もう、ボールを蹴れるようになった。
理子ちゃんも、絵を本格的に描いている。
肩の力がスーッと抜けて、自分の身体に、心に、芯が出来たのが分かる。
――捧げよう。
これから、ピッチに立って、魂を込めてボールを蹴る選手たちに。そして、スタジアムに駆けつけた全ての人々に。
私は、軽く右の手首を捻って、鈴の音をチャリンと鳴らす。
始まれ! 疾風神楽―月光円舞―。




