第二十五章
今日で、佑也が、エーテリウムの点滴治療を受けて、一週間になる。
エーテリウムとは、例の点滴する赤白い液体のことだ。フラムが開発したもので特許も取っているらしい。エーテリウムという名称は、古代ギリシャの「エーテル(天空を満たす物質)」にちなんで名付けられたとのことだ。
特別検査室のリクライニングチェアに横たわりながら、佑也は腕に繋がれた点滴を見つめていた。透明なチューブを通って、赤白く輝くエーテリウムが、ゆっくりと体内に流れ込んでいく。
白衣姿のリンネが、壁面のモニターを確認しながら言う。
「バイタルは安定していますね」
リンネが、静かに微笑む。相変わらず、リンネの笑顔は美しい。
「体調はどうですか?」
「悪くないです」
佑也は短く答えた。実際のところ、悪くないどころか、体の奥底から湧き上がるような高揚感があった。血管を流れるエーテリウムが、まるで体中を赤白い光で満たしているかのような感覚。瞼を閉じると、その光が渦を巻いて踊るように見える。
リンネが軽く微笑む。
「それにしても、佑也君から治療を受けたいと申し出があったときは、正直驚いたわ」
「別に」
佑也は天井を見上げたまま答えた。「サッカーで冬の全国選手権に行きたいだけです。夏は怪我して負けちゃったんで」
リンネは小さく頷いた。確かに午後のメニューは、サッカー選手向けの特殊トレーニングが組まれている。
リンネは内心、呟く。
天文台での実験の日。佑也君は私を疑ってた。実際、患者を放ったらかして、地下で実験データをとっていたのだから、その疑惑は正しいのだ。それがその翌日、実験を受けたい、と言ってきた。
――何か、佑也君には思惑があるのかしら?
リンネは、慌てて、横に首を振る。
――きっと、考えすぎだわ。この少年のサッカーにかける情熱に嘘はない。
静かな個室に、点滴の滴る音だけが響く。
佑也は、自分の体が、徐々に暖かくなっていくのを感じる。これまでの経験から、そろそろ心地よい浮遊感が訪れる頃だ。
佑也は意識的に呼吸を整えた。
フラムとの対決はもう直ぐに違いない。美咲から感じる焦燥感、そして、リンネをはじめとしたセラフィススタッフの様子。
天文台の事故の時に、九尾の狐と契約したのはいいが、そう短期間で、九尾の狐の能力を使いこなせるわけじゃないだろう。美咲が言うには、結局、基礎体力を上げるのが早道だそうだ。それと、精神エネルギー。
精神エネルギーを上げるって何だ? 巫女の場合は、霊力を上げる、とも言うらしいが。どっちにしろ、分からねえ。
天文台の帰り、武と理子とは、よく話した。
ここ最近、何処かよそよそしかった武も、よく喋った。
フラムの実験には、二段階あるらしい。
一段階目は、今、俺が受けているエーテリウム治療。そして、二段階目が、神経共鳴療法。ところが、お喋りになった武も、そして、理子も、この神経共鳴療法が具体的にはどんな治療法だかは、口を割らない。フラムやリンネから、固く口留めされているのだろう。いずれにしろ、ヤバイしろもので、止めさせた方がいいのは分かるが、俺にはどうしたらいいか、分からねえ。
エーテリウム治療も得体の知れないしろものだが、こっちは、本当に体調が良くなり、体が軽くなるのは事実だ。リンネの言う、身体能力開発にもなっているのだろう。
短期間で、九尾の狐の能力を引き出す──。
エーテリウム治療を受けるには迷いがあったが、諏訪湖で獲物を狩るサギの姿を見てたら、不思議と心が決まった。
「眠くなってきましたか?」
リンネの声が、どこか遠くから聞こえてくる。確かに意識が朧になりかけている。しかし、それは不安な眠気ではなく、むしろ次の段階に進むための必要な過程のように感じられた。
佑也はリンネに告げる。
「少し、目を休ませます」
リンネが照明を落としてくれた。赤白い光を放つエーテリウムだけが、暗がりの中で静かに輝いている。その光の中で、佑也は静かに意識を手放していった。




