第十五章
廃屋だった湖月邸。今は、すっかり、優雅な和風猫カフェが広がっていた。
九尾の狐が井波老人と交渉し、諏訪の滞在中、借り受けたのだ。
建物や内装は、新築同様に見えるが、それは、九尾の狐の単なる幻術なのか、実際に、建て替えたのかは誰にも分からぬ、九尾の狐にしか分からぬことだった。
場所柄、客が押し寄せる訳ではない。
一日に多くても五名程だ。だが、それが、九尾の狐の暇つぶしには、ちょうどいいのだろう。
「お会計お願いします」
一人の客が立ち上がると、着物姿の女将に化けた九尾の狐相手に、会計を澄ませて、湖月邸を出る。
それが、最後の客だった。
「どれ、のれんを下げるか」
と、九尾の狐が呟いた時、さっき閉まった、引き戸が、ガラリと開いた。
駆け込んできたのは、ノアだった。
ノアは、屋内を見回して、口をあんぐりする。
そんなノアに、黒縞の三毛、赤茶の子猫、様々な猫が、駆け寄って来る。
ノアの頬が思わず、緩む。
「可愛いいねぇ」
「別に、お前の為に、化身させた訳じゃない」
九尾の狐が、ポンと両手を叩くと、猫たちは消えてしまった。いや、長毛の白猫だけは、姿を消さず、九尾の狐の元に留まった。
九尾の狐がポツリと呟く。
「湖月邸も今は、こいつが主人さ」
九尾の狐は、足元の白猫をそっと抱き上げながら、ノアに声をかける。
「用件はなんだい?」
ノアは気を取り直すと、懐から、アンティークな銀の手鏡を取り出した。
「九尾殿、こちらを」
九尾の狐は、怪訝な顔をしながらも、手鏡を覗き込む。
すると、手鏡には、フラム、リンネ、そして七海澪が映し出された。
ノアが、解説を加える。
「昨晩の、セラフィスの研究棟地下・特殊検査室の様子でございます」
手鏡には、リンネの「最上佑也のアダプタブルチェックの結果です」という言葉を皮切りに、モニターの細かな数値が映し出される。
九尾の狐が、思わず、感嘆の声を挙げる。
「ほう、これは便利じゃ」
ノアが、自慢げに言う。
「はい。但し、対象の近距離まで近寄らないとこの術は使えません」
「まあ、それはそうだろうな」
手鏡では、最上佑也の数値が驚異的なことが説明された。
リンネとフラムの会話が終わると、手鏡の映像もお終いになった。
ノアが、居ずまいを正す。
「九尾殿に、最上佑也を献上したいと思います」
九尾の狐が満足げに笑う。
「ふむ、良かろう。連れて参れ」
「はい」
と、ノアは返事をして、去ろうとしたが、思い直す。
ノアは、おずおずとした感じで、言う。
「九尾殿、一つ、質問してもよろしいでしょうか?」
「申せ」
「最上佑也の異常な回復力について、何か心当たりは」
九尾の狐は、白猫に視線を落とし、優しく撫でた。
「回復力とは、面白い話だな。人の持つ力は、時として不思議なものだ。この白猫もそうだが、傷ついても驚くほど早く癒えることがある」
九尾の狐は微笑みながら、続ける。
「時には、理由を知らないほうが、物事の本質が見えることもある」
ノアは、自分の質問が巧みにかわされたことを悟った。だが、それ以上追及することは得策ではないと判断し、その場を後にすることに決めた。
湖月邸を立ち去り際、ノアが振り返ると、屋内はいつの間にか、猫で溢れかえっていた。




