01 招かれざる家庭教師
コン、コン、コン。
小さなノックの後、扉越しに聞きなれない女性の声が入ってくる。
「イ、イーリス様…… 旦那様から、次の家庭教師について言付かっております……」
ひどく怯えた声が、イーリスの胸にちくりと刺さる。毎度のことではあるが、この痛みは慣れそうにない。
「新しいメイドね。前の子はどうしたの?」
「あの、その…… 私は雇われたばかりでよく知らなくて…… 体調を崩したって噂は……」
「そう。あなたも無理しないようにね」
指を折り、三日もたなかったかとイーリスはため息を吐く。彼女が無事ならそれでいいのだけれど。
新しいメイドは、イーリスに仕えることが半ば義務のようになっている。
「それと、家庭教師はどうせ続かないから必要ないわ。お父さまに、お断りしますと伝えておいて」
「そんな…… 旦那様はこの間の豪雨災害の処理で、まだ帰られては――」
話の途中でイーリスは天蓋付きの重厚なベッドに飛び込んだ。深紅のドレスが着崩れようが、今だけはいいだろう。
施錠された扉の向こうでメイドが懸命に訴える声がするが、イーリスは何も返そうとはしない。
自分と長く接すると、相手が不幸になることを知っているから。
♢♢♢
コン、コン、コン。
扉を打つ小気味のよい音が部屋に響く。
新人の子が諦めてから数分しか経っていないというのに、もう一度行ってこいとメイド長に叱られたのだろうか。
イーリスの思考は、「んっ」という太い咳払いでかき消された。この声をイーリスは聞いたことがなかった。
「イーリス様、無礼を承知で申し上げます。私はニコラス・バルディリス。イリステラ公爵閣下の命によりイーリス様の家庭教師を拝命いたしました」
取り繕った胡散臭い喋りだなと、イーリスはベッドから立ち上がって扉を見やる。
イーリスは、プラネーカ王国の公爵、アドマンド・イリステラの第一子にして長女である。
イーリスの家庭教師は、これまでプラネーカ王国の貴族が務めていた。だがイーリスは、ニコラス・バルディリスという名に覚えがなかった。
「私の事を不要だと思われるイーリス様のお気持ちは理解しております。ですが、公爵閣下のお考えを無下にするのも心苦しいのではないでしょうか?」
知ったような口を利くニコラスに、イーリスは心底うんざりした。
前の家庭教師もそうだ。その前も、その前も同じだ。
アドマンドに媚びを売ろうと家庭教師を名乗りでる貴族は多かった。だが、五日ともったものはいない。
アドマンドの顔に泥を塗るわけにもいかないので、イーリスも自分を押し殺して相手を受け入れた。けれど、みな一様にイーリスから離れていく。
「最後に一つだけお願いがございます。私の魔法をご覧ください。鍵のかかったこの扉だけでなく、イーリス様の心も開いてみせます」
「帰りなさい。どうなっても知らないわよ」
ニコラスの強い意志を感じ取り、イーリスはついに重たい口を開いた。
決して虚勢などではない。ニコラスの身を案じているが故に出た言葉だった。
「覚悟はできております」
だがイーリスの思いは通じることなく、かえってニコラスの心を奮い立たせてしまったのかもしれない。
扉の向こうでニコラスが何かを囁いている。少しして、カチャンと施錠が解除された。この部屋の鍵を、アドマンド以外の人間が持っているはずがない。ニコラスは本当に魔法を使っているのか。
イーリスが目を見開くと同時に、まばゆい金の装飾が施された扉がゆっくりと開いた。
部屋の赤い絨毯に足が乗り、ローブに包まれた体が部屋に入る。
その瞬間―― イーリスの加護が発動した。
ゴンと、ニコラスの頭部へ、その頭蓋より一回り大きな鉄球が落ちた。
回避することなど誰にもできない。予め用意していたものではなく、ニコラスが部屋に入ると、突如としてそれは現れたのだから。
鉄球はニコラスの頭頂部を直撃し、弾かれるように彼の足下へと落下する。そしてニコラスは顔面から床に突っ込んだ。ふさふさとしたねこっ毛が、その後頭部で虚しく揺れる。
「だから言ったのに!」
イーリスは慌ててニコラスの下へ駆け寄る。恐る恐る鉄球の直撃した患部に触れるが、軽くコブができている程度だった。本来なら頭蓋骨が割れていてもおかしくはない。
「この人、防御術式まで使えるの……」
イーリスは床に突っ伏したニコラスの顔を横に向け、そっと口元に手を当てた。大丈夫、息はある。気絶しているだけだ。
緊張の糸が切れたのか、イーリスはその場でへたり込んで安堵の息を吐き出した。そして、ニコラスの無垢な表情に引き付けられる。
気を失っているとはいえ、自分の前でこんな間の抜けた顔をする人間がいようとは。
この家庭教師は数分すらもたなかった。だけど――
イーリスから逃げ出さなかったのは、ニコラスが初めてだった。




