ストップウォッチ
大杉美樹ほどではなくても俺よりやや高めの身長のジャージ姿の女性。
「陸上」
「はっ?」
「好きなの?」
「経験ないです」
「童貞くんか」
もう二の句が出ない。
「その割に余裕ありそうなんだよなあ」
…きついな、この人。
「ねえ?どこかで会ったことない?」
…そう言えば既視感が俺にも。
「毎日お会いしている気がします」
「若いのに上手ねえ」
あなたこそ。
「ハードルが珍しい?」
視線を逃した先を捉え女性はそう問うた。
「ええ、まあ…」
「これ羽田一太さんの寄贈品」
「………そうみたいですね」
「あら、ハードルよりそっちの方?」
興味はそれかと女性は俺の正面に回り込む。綺麗な人だ。左耳だけのピアス。
「この辺りのスターだったのよ」
父のことか。地元の高校から社会人、日本、アメリカにステップアップした経歴は俺も知っている。
「あんまり有名じゃないけど、最近はもう一人いるんだよ」
「どなたでしょうか?」
女性は俺が先日初邂逅したスターの名を挙げる。
「遊佐晶」
そういうことか。
「ではあなたは、遊佐…」
「晴。あなた…ようさんの」
「弟の幸平です。はじめまして」
お義姉さん。毎日お会いしてるわけだ。兄貴の等身大のパネルだけど。
「弟さんがいるのは聞いてたけど、ここで会えるなんてね」
血縁ではないけど、二人目の姉、だった。
「明日ようさんとお墓参りに行くつもりで帰ってきたんだけど、弟さんが来るの知らなかったな」
ちょいちょい大事な連絡を忘れるからね、あの人。意識的に言わないこともあるからたちが悪い。
「時間があるなら遊んでかない?」
「ブランコ?」
まだ残る遊具を指差すと
「もう卒業しちゃったからなあ。それよりこれ」
と手にしたものはストップウォッチ。
今年はあれに縁がある。半年橋本たちに付き合ってプールにいたからね。
「計時ですか?」
「察しいいね。誰かいないと真剣に遊びもできなくて」
陸上競技を遊ぶ感覚は分からないけど、水泳に置き換えたらまあなんとなく分かる気がする。
「知り合いに頼みたくてもみんな東京に行っちゃったしなあ。私も帰ってきたばかりだからおんなじだけど」
「測るくらいならお手伝いしますよ」
そうそう、そうこなくちゃ…と時計を春さんは俺に渡してくる。
指が触れる。
ドキドキ………しないんだな、これが。
「幸平、今度は年上?」
ほら。
普段よりやや怒気を含んだアルトが届く。
黄色いリボンが揺れていた。
煩悩の108回目です