非常事態の朝
次の日の朝、俺は混乱していた。
「姉よ、見知らぬ女が横で寝ている」
姉に短く助けを求めた。
返信は早かった。
「久しぶりに夫婦水入らずの早朝に糞みたいな報告してくんな、しね」
………えーっ………………。
状況確認だ。落ち着け、俺。
場所は?千種邸、今は仮の俺の部屋だ。
昨日何があった?千種の髪を撫でて、千種が口吻をねだり………。
その後何があった?そりゃなんか気持ち良くて、見た目より大きい千種の…。そんできゅっと…。
よし、ほとぼりが冷めるまで旅に…。
「幸平?」
甘い声を出すのは昔から惑わすものだって相場が決まってる。
振り向いてはいけない。きっと魅入られてしまう。
「幸平、なにしてるの」
後から両腕で抱きしめられた。
甘くていつもより濃い香り。
現実だよなあ、と旅は二人で行くことにする。
おはよう、いま初めて知る表情をした恋人。
俺にとっては非常事態でも、その後行われるルーティンは千種家で日常。千種が俺の部屋から出てシャワーを浴び、代わりに俺が使う。
心なしか気持ちまで洗い流して、部屋に行くと千種は髪を乾かした後だった。
「ん」
差し出されたリボン。
「ん?」
意図は分かるけど、俺うまく結べるかな。
「ん」
再び。
黙って手に取る。視線に込められた意味を把握できているだろうか。
二人、食卓に着く。
「あら千種。結んでもらったの?」
やっぱり不器用だったか。
「今日はこれでいいの」
あら、そうと千紗さんは赤飯を俺たちの前に並べてくれた。
10年の片思いと半年の恋が成就した次の朝、昨日までいたはずの少女は早名家の食卓にはもういなかった。
千紗さんが赤飯をいつ用意したのか、質問する機会はないだろう。
部屋に二人で戻ると、千種は正座をして俺を見つめた。こういう時は真剣な話だ。
こちらも気合を入れる。四月のあの決勝以来だ。
「お姉さんに初めて会ったときに『弟と友達になる?』って聞かれた。たぶんなりたいって答えたと思う。幸平が高高を受けるって決まったとき、弟をお願いって頼まれたの」
以前に聞いた話だ。
「昨日あたしは自分で決めた。あなたのそばにいたい」
「たぶんここには残らないと思うよ。ここが故郷になる可能性がある。それでもいいの?」
「あなたと同じ枠組みの中で探すわ」
「千種の人生だよな?自分が主人公でなくていいのか」
「二人が主人公の物語ってないの?」
「たくさんあるかと」
「ちゃんと言って。死ぬまで不安にならないように」
「まだこんな言葉くらいしか知らないからごめん」
俺は大好きなアニメ映画の台詞を借りる。
『くそったれの人生でおまえだけが真実だ』
「いつかあなたの言葉で」
よろしく、と昨日より美しい所作で千種は頭を下げた。
凛と咲くあのキイロバナのようで、俺もこちらこそはと頭を下げた。
親しき仲にも礼儀あり、とはこんな時に使うのだろうか。すごくキスをしたくなったけど、なぜか汚してしまうようで、幼少期を過ごしたアメリカではどうだったろうと思い出そうとしたが、結局それは不可能だった。
薄味で表現するのが今回合っていると思うのです