いろ、色、イロ 7
「と言っても、柳はヤクザじゃないわ。そうね、表と裏の間にいる人間って言えばいいのかしら。黄燐会と繋がりはあるけれども、組織全体と繋がってるわけじゃないし。柳の存在を知っているのは限られた人間だけなの。彼も周囲には秘密にしてるしね。だから、下部組織の墨田組、それもいち組員のオンナが知っているはずない、んだけどねえ」
豪生は脚を組んで紫煙をくゆらせる。
「個人的な知り合いなんじゃないの?」
「そりゃあその可能性もあるわよ。でも、なんか引っ掛かるのよ」
女の勘、いや極道の勘なのか、納得がいかないといった顔で元黄燐会幹部の男は煙草を吸い続けた。事務所の中が靄がかかったように薄っすらと白くなる。
「っていうかさ、そこまで分かってるなら俺に頼むより自分で調べた方が早くない? 有能な知り合いもいるみたいだし」
ティーカップを空にした霧夜が、立ち上がり窓に近づく。外はもう暗くなっており、歩いている人はまばらだ。空に浮かんでいるはずの月は、ビルの群れに阻まれ見えなかった。窓を開けると、夜の匂いを含んだ風が事務所の中に入ってきた。
「何言っているのですか所長、しっかり働いてもらわないと困ります。今月は赤字なんですから」
「そうよ霧夜ちゃん。あたしが動いたら目立っちゃうじゃない。それに恐い兄さんたちにからまれたらどうするのよ」
柚羽と豪生が反論する。二人の言い分はもっともだ。豪生はいろんな意味で注目を集めてしまうだろうし、ここしばらく依頼が途絶えていたのも事実だ。だが、それでも出来ることなら関わりたくない。もう無理だと分かってはいるのだが。
「さっき簡単にあしらってただろうが。キルちゃん、俺の身の安全のこと全く考えてないよね?」
「所長の身体より事務所の赤字が心配です」
「とにかく、よろしく頼んだわよ。あたしもカイチのことは結構気に入ってたの。どうして組の金なんて盗んだのか。いいコだったのに……」
白い溜息を吐いた豪生は、短くなった煙草を灰皿に押し付け、トレーを持って事務所を出ていった。
消えた五千万とミドリ。金が必要だったのは死んだカイチだったのか、それともミドリなのか。事情を知る人間から話を聞かなければ確かなことは言えないが、おそらくミドリだろう。カイチだったのであれば、墨田の組長なりハクなりに連絡するはず。それがない以上、彼女が持っている、もしくは在処を知っていると考えるのが自然だ。
「おしとやかそうな子に見えるんだけどなー」
そう呟いた霧夜の視線は、机の上に置かれた、黒髪の清楚な女性がにこやかに笑っている写真に注がれていた。
翌日の十二時半、霧夜と柚羽は都心のシティホテルのレストランにいた。昼時とあって客席の八割方が埋まっている。
朝に、豪生が親しい間柄と見当をつけた東雲由利子の勤務先に電話をしたところ、この場所を指定されたのだ。かなり訝しがられたが、それでも会って話すことを承諾してくれた。
「東雲さんですか?」
窓際の席にいた、銀行の制服姿の女性に声をかける。
「はい。貴方が探偵の山神さん?」
やや茶色がかった髪を後ろで一つに括っている女性は頷き、霧夜を見上げた。そして隣にいる柚羽に視線を移す。彼女の焦げ茶色の瞳からは知性が感じられた。
「そうです。こっちは助手の折留です」
「初めまして、折留と申します。本日は無理を言って申し訳ございません」
霧夜と柚羽は由利子に名刺を渡し、向かいに座る。注文を取りに来た店員にコーヒーを注文し終えると、ごほんと咳払いを一つして霧夜は話を切り出す。
「お忙しいでしょうから手短に済ませます。俺たちは今、ある人物の依頼でミドリさんを捜しています。単刀直入に伺いますが……東雲さん、居場所を知りませんか?」
「……誰に頼まれたんです?」
由利子は警戒心と怯えが入り混じった眼を霧夜に向けた。
「彼女の身を案じている人、です。守秘義務があるので名前は明かせませんが。その人物は、墨田組よりも先にミドリさんを見つけて欲しいと言いました。貴女も知っているんでしょう? 彼女の身が危険だということを。だから、我々と会うことにした。違いますか?」
霧夜がそう問いかけると、由利子は下を向いて押し黙ってしまった。膝に置かれた手はきつく握りしめられている。彼女は葛藤しているのだ。眼の前にいる探偵と名乗った男を信用するべきか、否かを。
霧夜も柚羽も由利子の決断をただ黙って待った。店員がコーヒーをテーブルの上に並べ、一礼して去っていく。
周囲の話し声が耳に入ってくる。会社の景気、隣人の噂、流行のスイーツ。ありきたりで平和な会話。
「…………あの子を、ミドリを助けてあげて下さい」
長い沈黙の後、顔を上げた由利子の瞳には涙が滲んでいた。




