いろ、色、イロ 8
由利子は鼻をすすって小さく咳払いをすると、ハンドバックから携帯を取り出し、霧夜たちに画面が見えるようにテーブルに置いた。
「今日の朝早く、こんなメールが届きました」
顔を近づけ、霧夜は小さな画面に映る文字に眼を通す。
『明日になっても私からの連絡がなかったらパー君を調べて。迷惑かけてごめんね』
「この“パー君”というのは、何ですか?」
「ミドリの部屋にある、紫色のカエルのぬいぐるみです。彼女はカエルや蜘蛛、爬虫類のぬいぐるみを集めるのが趣味なんです」
パープルのパーということか。ミドリにネーミングセンスはあまりないらしい。それにしても、クマやウサギならともかく、爬虫類のぬいぐるみ収集が趣味というのは、控えめに言っても変わっている。一体どんな女性なのだろうかと、霧夜と柚羽は顔を見合わせた。
「今朝ということは、まだミドリさんの家には?」
「行っていません。でも仕事が終わったら行ってみるつもりでした。心配でしたので」
明日の朝まで待っていられなかったのだろう。その気持ちは十分に理解できた。
「合鍵を持っているのですか?」
「はい、ミドリも私の部屋の鍵を持っています。お互いよく行き来していましたから。彼女に彼氏が出来てからは回数が減りましたけど」
「由利子さんは、その、カイチ、いや、ミドリさんが付き合っていた男性の職業を知っているんですか?」
「富赤さんですか。ええ、知っています。ミドリが組長の愛人をしていたのも。ミドリには、その、ああいった職業の人とはあまり関わりを持って欲しくなかった。富赤さんはいい人だとは思います。彼が事故で亡くなったと聞いたときは、とても驚いたし悲しいと思いました。でも、もし彼のせいでミドリが危険な目に遭っているのだとしたら、私は――」
奥歯を噛みしめた由利子は、己の膝に視線を落とす。固く握りしめられた拳は、小刻みに震えていた。
カイチに、あんたのせいだと怒鳴りたいのだろう。だが、そのカイチはもうこの世にいない。親友の安否も分からない。怒りと不安で押しつぶされそうになっているように、霧夜には見えた。
「由利子さん、ミドリさんの部屋の合鍵を貸してくれませんか? 初対面の人間を信用するなんてとても無理だとは思います。でも、ミドリさんが貴女にそのメールを送ったということは、今日中に彼女の身に何かが起こる可能性が高い。時間がないんです」
「山神は普段は空気も読まない駄目人間ですが、仕事はきっちりこなします。どうか私たちにお力添え願えないでしょうか」
「そこまで言う?」
キルちゃん俺のことそんな風に思ってたんだ、ひどい、とぶつぶつ言いながら、霧夜はぬるくなったコーヒーを飲む。
しばらく黙って俯いていた由利子は、何かを決意するように大きく息を吐き出すと、ハンドバックからカメレオンのキーホルダーがついた鍵とボールペンを出し、紙ナプキンに文字を書き込んだ。
「これが住所です。――ミドリを見つけたら私が怒っていたと伝えてください」
「ありがとうございます。必ず伝えます」
霧夜がそう言うと、由利子の顔がくしゃりと歪んだ。
霧夜と柚羽は、ホテルを出たその足でミドリの部屋に向かった。電車を乗り継ぎ都心から遠ざかる。紙ナプキンに書かれていたのは、高級マンションなどではなく、築十五年は経っていそうなアパートの住所だった。
「ミドリは高級クラブのホステスで墨田組の親分の愛人だったのに、随分質素なところに住んでるんだねえ」
元は白かったであろうくすんだ外壁を見ながら霧夜が零す。
「派手な生活を好む方ではないのでしょう。それより所長、気付いていますか」
霧夜と同じようにアパートに顔を向けながら、柚羽は視線だけ動かす。
「まあね。気付かない方がおかしいでしょ」
アパートの少し先にある四つ角。そこに黒いセダンが一台止まっていた。その傍では男が二人、煙草を吸っている。ミドリを捜す墨田組の人間だろうことは一目瞭然だった。何故かと言えば――柄が悪すぎる。どれだけ勘の鈍い人でも、苛立った様子で煙草を吸う男たちが、汗水流して働く善良な人間だとは思わないだろう。身を潜めているつもりなのかもしれないが、その人相と雰囲気から、これ以上ないほど目立っている。その証拠に、道行く人は皆、足早に車の前を通り過ぎていく。絶対に男と眼を合わせようとはしない。
「私たちがミドリさんの部屋に行けば、彼らは来ると思いますか?」
「まず間違いなく来るだろうねえ。あの雰囲気だと、もうカタギとか関係なさそうだし。由利子さんが来なくてよかった」
「同意見です。――それで、どうします?」
どんな手段を使ってでも金を見つけろ。そう命令が下っているに違いない。男たちの形相からは、怒りだけでなく焦りの感情も読み取れた。彼らも必死なのだ。だが、わざわざ情報をくれてやる義理はない。
「そうだねえ、あんまり気は進まないけど……時間ないし、仕方ないか。キルちゃんパー君を頼むわ」
「分かりました。一応、所長の無事を祈っておきます」
「一応なのね」
はぁ、と溜息を吐く霧夜の視線の先には、非常用にアパートに設置されている消火器があった。




