番外編 幼少期の夢②(成瀬)
公園でしばらく泣いてから、おれは家へ帰った。
「母さん!」
玄関を開けるなり、大きな声で呼ぶ。
すぐに奥から母さんが出てきた。
「あら、たか君。おかえりなさい。……まあ、どうしたの? そんなに泣いて」
「母さんっ。公園に、ひどいやつがいた!」
靴を脱ぎ捨て、母さんのところまで走っていって、ぎゅっと服をつかむ。
「ひどいやつって……。たか君、何かされたの?」
「すっごくひどいこと言われた!」
「ひどいことって、どんなこと?」
「おれのこと、かっこよくないって!」
「まあ」
「ちっちゃいとか! ほっぺのできものがかっこわるいとか! 大人になったらかっこよくなくなるかもしれないとか!」
「それは嫌だったわね」
「嫌だった!」
母さんがおれと同じ目線にしゃがみ込み、頭を優しくなでてくれる。
それだけで、また少し泣きそうになった。
「それで、どうしてそんなことを言われたの?」
「…………」
聞かれて、言葉につまる。
「……同じ年くらいの子が一人でサッカーしてて、おれが、いっしょに遊んでやろうって言ったんだ」
「うん」
「そしたらあいつ、一人でいいって言ったんだ」
「そう」
「でも一人じゃさびしいだろ? だから、おれが仲良くなってやろうと思ったんだ!」
「たか君はその子と、仲良く遊びたかったのね」
「うん! なのに、ずうずうしいとか、えらそうとか言ってきて!」
母さんは少し考えるように、首を傾げた。
「……たか君」
「何?」
「その子は遊びに誘っても、一人でいいって言ったのよね?」
「……うん」
「だったら、たか君もちょっとよくなかったかもしれないわね」
「…………え?」
思ってもいなかったことを言われた。
顔を上げると、母さんは怒ってはいなかった。
いつもと同じ柔らかい笑みを浮かべた顔で、おれを見ている。
なんで、おれの味方になってくれないの。
「なんで!? おれは悪くない!」
「だって、その子は一人で遊びたいって言ったんでしょう?」
「言ったけど……」
「それなのに、たか君は何度もいっしょに遊ぼうとしたのよね?」
「だって、一人じゃさびしいと思って……」
「さびしいって、その子が言ったの?」
「…………言ってない、けど」
「じゃあ、たか君がそう思っただけよね」
「…………」
さっきも、同じようなことを言われた。
思い出して、またむっとする。
「でも、おれは仲良くしてやろうと思っただけだぞ!」
「うん。仲良くしたかったのね」
「そうだ!」
「それなら、『いっしょに遊ぼう』でよかったんじゃない?」
「…………」
「『遊んでやる』じゃなくてね」
母さんが少し笑う。
「たか君は、誰かに『一人でさびしそうだから、ぼくが遊んであげる』って言われたら、うれしい?」
「…………」
考えてみる。
知らないやつがいきなりやってきて、そんなことを言う。
おれが一人で遊んでいるのに、勝手にさびしいと決めつけて。
それから、おれが嫌だと言っても帰らない。
「……やだ」
「でしょう?」
「でも、おれはあいつとちがうぞ!」
「どこが?」
「おれは……かっこいい、から」
「かっこいいから? それが、違うところ? 他には?」
他には、と聞かれても、思いつくことはなかった。
だって今日公園で初めて会ったばかりだ。
あいつのことなんて何も知らない。
母さんは少し待っていたけれど、おれが何も言わないでいると、もう一度頭をなでた。
「たか君が、自分のことをかっこいいと思うのは悪いことじゃないわよ」
「……ほんと?」
「もちろん。母さんだって、たか君はとってもかっこいいと思ってるもの」
「そうだろ!」
「ふふ。でもね」
思わず胸を張ったおれに、母さんが続ける。
「たか君がかっこいいことと、みんながたか君と遊びたいかどうかは、別のことよ」
「……別?」
「そう。たか君に好きなものと嫌いなものがあるように、他の子にもあるの。たか君が遊びたくても、その子は本当に一人で遊びたいかもしれないでしょう?」
「……うん」
「もしかしたら、一人でひみつの特訓をしてたのかもしれないし」
「ひみつの特訓?」
「そう。誰にも見られないところで、一人でたくさん練習して、すごくサッカーが上手になるつもりだったのかも」
「…………」
さっきの男の子を思い出す。
一人で何度もボールをけっていた。
壁に当てて、もどってきたボールを止めて、またける。
確かに上手かった。
「……それは、ちょっとかっこいいな」
「でしょう?」
母さんが、くすっと笑った。
「本当にそうだったかは分からないけどね」
「なんだ、分からないのか」
「分からないわよ。母さん、その子に会ってお話ししていないもの」
「…………」
「たか君は、その子になんで一人がいいか、聞いたの?」
「……あ」
「一人だからさびしい、たか君と遊べばうれしい。そうだったかもしれないし、ちがったかもしれない。本人にしか分からないことを、勝手に決めちゃだめなのよ」
「……うん」
「でも、その子が言った言葉に、たか君は嫌だと思ったのよね? たか君が嫌だったのなら、それは嫌だったって思ったままでいいのよ」
「……じゃあ、あいつも悪い?」
「そうね。たか君が嫌がることを言ったのは、よくなかったわね」
「じゃあ、あいつも悪いんじゃないか!」
「でも、たか君が先にその子の嫌がることをしたのも、なくならないでしょう?」
「…………むぅ」
なんだか、むずかしい。
あいつも悪い。
でも、おれも悪かった。
どっちか一人だけが悪いわけではないらしい。
しばらく考えてから、おれは母さんの服をつかんだまま、小さく言った。
「……じゃあ、今度から『いっしょに遊ぼう』って言えばいい?」
「そうね。それで嫌だって言われたら?」
「…………」
本当は、嫌だ。
おれと遊びたくないと言われるのは、ちっともうれしくない。
でも。
「……あきらめる」
「うん。よくできました」
母さんが笑って、もう一度頭をなでた。
少しくやしい。
でも、さっきまでよりは、胸の中がすっきりした気がした。
──ただ。
「でも!」
「ん?」
「あいつが言ったこと、ひとつだけぜったいにまちがってる!」
涙をぬぐって、顔を上げる。
「おれがかっこいいのは今だけって言った!」
「あら」
「ぜったい、大人になってもかっこよくなってやる!」
ぎゅっとこぶしをにぎる。
「今よりもっとだ! あいつがまたおれを見たら、言ったことをこうかいするくらい、かっこよくなってやる!」
「……また会えるか分からないわよ?」
「それでもだ!」
「そう」
母さんは少しおかしそうに笑った。
「じゃあ、頑張らないとね」
「ああ!」
大きくうなずいた。
この時の俺は、本気だった。
大人になっても格好よくなる。
今よりもっと、もっと格好よくなって、あの子が言ったことを後悔させてやるのだと。
そう、心に決めた。
***
そこで、目が覚めた。
「…………」
見慣れた天井が目に入る。
しばらくぼんやりと眺めてから、俺はゆっくりと瞬きをした。
「……懐かしい夢を見たな」
あれから、あの子に会うことはなかった。
名前も知らない。
どこに住んでいるのかも、どこの学校に通っていたのかも知らない。
顔だって、もうほとんど覚えていない。
ただ、目つきが悪くて。
ものすごく口が悪くて。
俺に初めて、真正面から「格好よくない」と言ってきた男の子。
「…………」
今思えば、あの時の俺は確かにずうずうしかった。
一人で遊んでいるから寂しいだろう。
俺が声をかければ喜ぶだろう。
俺となら友達になりたいだろう。
何一つ、あの子に聞いていない。
全部、俺が勝手に決めていた。
母さんに言われてからは、少しずつ気をつけるようになった。
俺が良いと思うことを、他の誰かも良いと思うとは限らない。
俺が好きなものを、他の誰かも好きだとは限らない。
そして当然。
俺のことを好きになるかどうかも、その人が決めることだ。
「……まあ」
それはそれとして。
あの子に言われたことの中で、今でも一つだけ納得していないことがある。
俺が格好いいのは、今だけ。
それだけは、やはり間違っていた。
今の俺は、美容にも気を遣っている。
運動だって頑張っている。
モデルの仕事を始めてからは、自分がどう見えるのか、どうすればもっと良く見せられるのかを考えることも増えた。
そんな俺は、もちろん日増しに格好よくなっている。
だから──。
もし、あの子ともう一度会うことがあったなら。
「大きくなった今でも、かっこいいだろう!」
そう、胸を張って言ってやりたい。
今の俺を見たら、きっと驚くだろう。
もしかしたら、少しくらいは悔しがるかもしれない。
……いや、あの子のことだ。
また何か一つくらい、俺の欠点を見つけてくる可能性もあるな。
そう考えると、少しおかしくなった。
昔はあんなに腹が立ったのに、今ならそれも聞いてみたいと思う。
「……ああそうだ」
ふと、思った。
あの子は、今の俺だったら。
「一緒に、遊んでくれるだろうか」
もちろん、今度は「遊んでやる」なんて言わない。
寂しいだろうとも、俺となら楽しいだろうとも決めつけない。
ただ、俺が一緒にいたいと思ったなら。
今度はちゃんと、一緒に遊ばないかと聞いてみる。
「……そうだといいな」
小さく笑って、俺はベッドから起き上がった。




