12ゲーム、現実世界の最後のゴールはいつだって死、ならそこまでどうやって走るかが大事
「俺とリョウを、代える……!?」
「いや、正確には本番直前に交代したほうがいいな。でないと長嶋が防人にこっそりと伝えそうだ、八百長も何も聞かされてない防人が本番直前に出ること、それが一番良い」
寿一の言うことは理解できる。本番直前にカスキは腹痛で出られないなどという仮病をしてリョウと交代、さすがに一日の長がある寿一が勝つだろうが本気を出した昂なら一周差なんてありえないはずだ。
これなら長嶋の目論見を壊せる、と思うのだが、
「どうしてなんだ? かなりの差を見せつけないと親に怒られるんじゃ……」
「いや、それはあくまで長嶋の目標だ、俺の親が言ったことじゃない。まあさすがに2番になると怒られるだろうな、だが八百長よりましだ!」
曇ったイメージしかなかった寿一の顔が少し晴れた。
「なかなか正義感のある男でござるな、そういうのは嫌いじゃないでござるよ」
「走らないお前が何でえらそうなんだよ!? まぁそういうことなら、こっちにとっては願ってもないことだったから助かるぜ!」
やることは決まった、あとは本番を待つのみ……、
「いや、悪いけど俺は交代なんかせえへんで」
「「「「「……え!?」」」」」
その場にいる全員が驚愕した。
「な、なんでなのリョウくん……!?」
「八百長は気に入らんしその作戦もありやと思う、けどお前と走るのはごめんやわ」
「そ、そこまで嫌うのでござるのか永良殿を……!?」
「そ、そんなに俺と走るのが嫌なのか……? さすがの俺も傷つくぞ」
昔何があったのか、それは寿一自身も良く分かっていなかった。
「勘違いすんな、怪我してるとはいえ走りで負けるからとかいうプライドが理由やない。それに、うちのカスキなら問題ない、お前とじゃ勝負にならないで」
「……ハァ!?」
あまりの大胆発言に、カスキ自身もまた驚いた。
「防人、何を言い出すのかと思えば……、こいつが俺に勝てるわけないだろ」
「そ、そうだよリョウ! 酸欠少年の俺だぜ!? 体育大会まであと2週間猛特訓しても勝てるわけないだろ、あぁなんか自分で言ってて虚しくなってきた……」
自分で自分の心をこんなにスムーズに傷つけるのはカスキしかいないだろう。
「あくまでうちやのうて、カスキと走ったほうが良いと思ったまでやで。理由は本番までのお楽しみや」
無駄に輝きが残った瞳、もうこれは揺るがないときに出る瞳だと寿一は思った。
「そうか、これ以上言っても意味がないってわけだな。そろそろ授業が始まるから帰るよ、赤谷、せいぜい防人から速く走れるコツを聞いておきなよ」
そう言い残しながら寿一はその場から去って行く。
「リョウ何考えてんだよ、俺はいわゆるハルウララなんだぞ!? シンボリルドルフみたいなあいつに勝てるもんか!」
「カスキ殿それは失礼でござるよ、ハルウララに」
「良いだろうがよ別にウマに例えたってよぉ」
「まずウマから離れろや」
リョウの意図を聞きたかったが、予鈴が鳴ってしまったため後ほど、ということになってしまった。
休憩時間という短い時間では終わる気がしないということで、昼休み、食べ終わったら走る練習をすることにして、ついでにそこで話をするということになった。
しかし食べ終わった後、学校内の生徒全員が何かに注目し集まっていたのを見つけた。
「何だあれ……?」
餌を与えられた鯉のような、その餌の正体は今更新された学校新聞が掲示板に貼り出されていた。
「不良ヲタクがあの永良に宣戦布告だって……!?」
「赤谷だろ、あいつ運動神経良かったのか?」
「んなわけねぇ、あんな男が正々堂々と戦うわけないだろ……」
「好き勝手言ってくれるなおい……」
普段はそんなに興味を持たない生徒も、『不良ヲタクリーダー赤谷過守着、陸上部エースに宣戦布告!?』という記事を出されては黙っていられなかった。
「おいおい何で今朝あったことがこんなに大胆に……、おい誰だよ新聞部に俺の過去の記録教えたやつ!?」
記事の隅っこには、カスキが中学の時と高校1学期の運動記録が隙間もなく並べられていた。最近の記録では、1kmを10分で走るということまで書かれてある。
「いやぁどうですか赤谷くん、有名人になった感想は?」
「なったと言えないし、嬉しくも何ともねえよ! というかお前が全ての元凶かぁ!?」
カスキに率直な意見を聞こうとしている謎の女子高生。青みがかった夜景のような髪を背中まで真っすぐ伸ばし、赤ぶちの眼鏡をきらりと光らせてドヤ顔で登場する。
カスキは今すぐその比較的美形な顔を紙くずのようにしわくちゃに潰したかった。
「そこまでにしておくでござるよ草野殿、いくら幼馴染とはいえ、これ以上我の友達を困らせると許さないでござるよ」
「えぇ、スミくんって幼馴染がいたの!? いいなぁ……」
「はいどーも、スミちゃんの幼馴染の草野文江で~す! ごめんねスミちゃん、ただ普通にスミちゃんの友達が気になっただけだから、怒らないで、ね?」
馴れ馴れしい呼び方、ヲタクの間合いに簡単に入っていき、上目遣いで許しを請う行動に出る。いきなりこんな行動に出られたら、男は怒るに怒れない。
「もうこれ以上困らせる行動をしないと約束するでござるよ草野殿……」
「は~い! 気をつけまーす!」
「信用できねぇ言い方だなおい……」
「しっかしスミ、俺は羨ましいわぁ! 素朴な見た目のわりにはけっこう明るい幼馴染がおるなんて、リア充の世界の元に生まれたんかおめぇは?」
「幼馴染がいるなんて聞いてなかったぞ。何で秘密にしてたんだよ?」
「お主たち幼馴染と聞いて興奮しているようでござるが、草野殿ははずれでござるよ……。なぜなら……」
「それよりスミちゃん、友達にそこまで気をつかってるってことは、赤谷くんとそういう関係になったってことだよね!? カス×スミ? スミ×カス? どっち!?」
「どっちでもないでござるよ!」
「俺をカスで略するな!」
「これは……、控えめに言ってひどいね……」
草野文江、スミに関わる男たちをすぐにBLへと繋げようとする腐女子なのである。
幼馴染、腐れ縁とも言う切れるに切れない友達以上恋人未満の関係。異性の場合なら恋人に発展する可能性が現れる超身近な交際候補、女との接触経験が母親や姉妹しかない彼らヲタクにとって『幼馴染』というのは、ものすごく羨ましいスペックなのであるが、これはチェンジ案件である。
「しかも彼女が原因でござるよ、自分が閉所暗所恐怖症なのは」
「あぁ言ってたな。小さい時遊んでた子にいじられて蔵の中にって……」
「と、とにかく草野殿……! カスキ殿は1000M走の特訓をしてるのでござるから邪魔しないであげてほしいでござる! BLとかそういうの関係なく……」
「えーでもほんとのことだからいいじゃないのぉ~!」
「本当のことでも出していいことと悪いことがあるでござるよ。何で過去計った記録まで知ってるのでござるか……?」
「私の情報網を嘗めてもらっては困るわ! そこに情報がある限り、私はひたすら進み続けるのよ!」
「新聞部とか記者としては最高な志だと思うけど、人間としては最低だね……」
「あ、でもありがたいな。これでカスキの実力はだいたい分かったわ」
「うわ、リョウくんが早速カスキくんの記録を生かそうとしてる……」
「おめぇ1km10分は遅すぎるやろ! 4分未満が平均なのによぉ!」
「あぁこれ途中で断念した記録だ……」
「お前そんなんで完走できるんか……、はよ特訓行くで」
昼休みにグラウンドへ行って運動をするという行動は、小学生や中学生の時は普通にあったことかもしれないが、高校生にもなると優先度が低くなったと言ってもいい。
時間の使い方を知った高校生は、次の授業の準備に費やしたり、寝たり、勉強したり、と段々運動を視野に入れなくなる。特にエリートが入るこの学生なら、運動に力を入れていない限りは、だ。
今は偶然にも、寿一はいない。別にいたからといってどうということはないが、気まずい気持ちもある。とにかくリョウはカスキに、ひたすら走らせた。がむしゃらに。
「はい集中集中!」
「き、きつい……」
「おいおい、冬のマラソンには5km走らされることになってるんだぞ? 普通に頑張れや」
「なっ……!? 何のためにさらに5倍も走るんだよ、これだから現実はクソなんだ……」
腐った目をしている、フラフラしたカスキの背中を追いかけながらリョウは語る。
「俺と永良が初めて会うたのは4月の新入生歓迎の時や。陸上部の最初の部活動としてコーナー1周を、って時になって、永良は俺に勝負を挑んできたんや。初めは永良がリードしとったけどな、体力的にも問題なく差し返せると思ってたそん時や、スポーツや武道というんは、時に言葉でなく目や背中で語ることがあるいうような感覚が、その時俺は感じたんや。永良の背中なぁ、『追い抜いてほしい』て語ってたんや! ほんま腹立つで、どんな不安なこと抱えてようが知らんがな、あいつと走ってるとすごくムカムカするんや、純粋に走ることに集中しとらん! だから俺は、あいつと走りたいと思わんくなって、あいつから距離を置こうとした」
リョウがもう一度カスキの背中を見る。それを見て少しだけ安心する。この男はあいつと違って諦めてはいない、ということを。
「普通の人からしてみればなぁ、『前に傾いている』という走りに合理的な姿勢、しかし長距離においては、空気抵抗がかかりにくい前がかりより、心肺が圧迫しないピンとした姿勢が最適なんや。やってみい?」
「ほ……、ほんとだ……。少しましになったかも……」
「永良も傾いてた。やけどそういう意味やのうで、自信のない背中っちゅう意味やで。自分の努力をなかなか認めてもらえない上、さらに高いハードルを要求する父親と、不正行為を何のためらいもなく行う中嶋に、あいつは嫌気がさしたんやろな。何のために自分は走っとるんか、自分の脚磨き上げたことに夢中になってたのに、ゴールに向かって走っていたはずやのに、いつしか本当のゴールを見失ってしまってるんや!」
後ろでずっとスローペースだったリョウが、治りかけの身体でブーストをかけ、その上でカスキを追い越した。
「あいつは今、助けを求めてる! でもそれは俺のすることやない! 関係ないやろうけど、お前ならできるやろ!? 拒食症の俺や、恐怖症のスミや、ラクも、お前のおかげでトラウマから緩和して今を生きている! できる限りでええ、あいつを助けてやってくれんか!?」
「ひぃ……、ひぃ……」
「か、過呼吸なっとる……」
そして1kmを走り切る前に、カスキは足がもつれ転んだ。さらに食べた後の気持ち悪さからリバースしてしまった。
「ひ、貧弱すぎるやろ……。人に教えるのって難しいんやな……」
「ほ、保健室行かせろ……」
「しゃあないな、昼はこれで終わっとくか」
「そういう意味じゃねぇよ、連れてけって意味だよ……」
「1人で行けや」
せっかく人がお願いをしたというのにそれはないだろ、と呆れながら帰るカスキを見守るリョウ。
しかし思ったよりも元気なようで、無事カスキ1人で保健室に辿り着いた。足が筋肉痛なのだろう、まるで生まれたての小鹿のようにプルプルしている。
「先生、シップくださ~い! ……ってあれ? いないのか……」
いつものように保健室にいると思っていた星野先生は、只今離席中。代わりと呼べるのかどうかは疑問だが、寿一がソファに座って足の治療をしていた。
「永良、何してんだ?」
「いや、ちょっと茂みに入ったらコンクリートの欠片に当たってしまってな。大丈夫だかすり傷だから」
「いやお前の治療姿だけ見たらかすり傷じゃすまないと思うんだが……!?」
見た感じ、本当に膝のところに僅かな傷がついていた。ただ、それだけのために包帯を用意して足という足をグルグル巻きにする必要があったのだろうか……?
「というかお前が傷口に塗ってるの、蚊にさされた用のやつじゃねえか!? 消毒液はこっち! というかこれくらい絆創膏で済むだろ? ほら、これで完了!」
別に保健委員というわけでもなく、応急処置に長けているわけでもない。いたって普通の、小学生1人でもできる治療だ。そしてそれをわざわざカスキはやってあげた。
みっともなかったからやってあげてしまったのか、余計なことをしたかもとカスキは思った。
「すごいな、こんな手際良く……! 俺、赤谷のこと見直したよ」
「この程度のことで見直すな、というか何で一度見損なったのか教えてもらおうか!?」
今の一言でここまで忙しいツッコミを入れないといけないとは、ただでさえ疲れているカスキにさらに体力を奪う行為である。
「すまない。俺、道具を使うのが苦手なんだ。ピンセットだとか、野球のバット・グローブ・ボールとか、持つとその……、上手く扱えなくてさ」
「そんなこと言うなよ、大丈夫だってこれくらいさ」
「いや、不器用とかそういうのじゃないんだ。下手にそういう細長いのとか、重いものとか、人体を傷つける可能性があるものを触ってたら……、軽く発作を起こしてしまうんだ」
「……何があったか、聞いていいか?」
「俺の家が、スポーツジム経営してるのは知ってるだろ? だから小さい時ジムに行って少し触ったんだ。触るなという親の忠告を無視して、やんちゃな性格だったおかげで指を挟むわ足に重りが乗っかって怪我するわ、そして最終的には……、マシンが崩れて下敷きになるはずの俺を庇った選手がいたんだ。その人はその一件の怪我のせいで選手生命を絶たれた、いや……、俺が絶ってしまったんだ……」
「……」
「それ以来、道具に触りたくなかった。さすがに鉛筆と箸は慣れさせたけどな。だが野球もだめ、サッカーもバスケも、ボールを使うスポーツはもうほとんど手をつけなかった。それで辿りついたのが、靴と自分の身体の一部である脚しか扱わない陸上の選手となったわけだ。滑稽だろ? 全国レベルにまで到達する俺の背景は、実は道具も使えないサル同等なんだぜ?」
そんな卑下した言葉に慰めの言葉なんか出なかった。絞り出そうとするが、その前に寿一が立ち上がってしまった。
「話が長くなったな、俺はそろそろ教室に戻る……、ッ!?」
「お、お前……!?」
「言うなっ!!」
突然足を庇い始めた。しかし庇う場所が擦ったところと違う、逆の足だ。足首、捻った? 下手すると故障か……? カスキはそう思ったが寿一の言葉に思考が遮られた。
「俺には、走ることしかできないんだ……。体育大会、俺は全力で走る」
ただそう言い残し、足を少し引きずりながら保健室から去って行く。
【プチメモ】
カスキが好きなウマは葦毛寄りで、ゴールドシップ、ビワハヤヒデ、そして関係なくスーパークリークである。