残響
暗闇。
雨の音だけが聞こえる。
地面に膝をつく少年。右手から血が流れ、目の前には折れた剣が転がっている。
周囲から笑い声が聞こえる。
「だから言っただろ。お前には無理なんだよ」
少年は何も答えない。
ただ、折れた剣を見つめている。
「人は、生まれた瞬間から平等じゃない」
「持って生まれたものが違う。育った環境が違う。見える景色さえ違う」
「それでも俺は、努力すれば何かになれると思っていた」
少年が顔を上げる。
その目には、涙も怒りもない。
あるのは、何かを諦めかけた人間の空虚さだけだった。
「……あの日までは」
第1章 — 何も持たない少年
1. 残響の世界
この世界には、人間が生きた証が世界に刻まれるという現象がある。
人はそれを「残響」と呼ぶ。
何度も剣を振った者には剣術の残響が。研究を続けた者には知識の残響が。戦場で無数の敵を倒した者には、戦闘の残響が残る。
残響を扱える者は、過去の人間が積み重ねた経験の一部を、自らの力として引き出せる。
ただし、すべての人間が残響を扱えるわけではない。
残響を扱えるかどうか。
それは幼少期に行われる「刻印検査」によって判定される。
残響を扱える者は、良い教育を受け、豊かな暮らしを送り、社会から尊敬される。
扱えない者は、まともな職に就くことさえ難しい。
そして、リクトは後者だった。
2. リクトという少年
リクト、9歳。
父親は数年前に仕事中の事故で亡くなった。母親は病弱で、狭い家の中で寝込んでいる。
リクトは毎朝、夜明け前に家を出る。
市場で荷物を運び、廃材を集め、食料を買うためのわずかな金を稼ぐ。
同じ年頃の子供たちが学校で残響の訓練を受けている時間も、彼は働いている。
それでも、彼には夢があった。
強くなりたい。
母親を楽にさせたい。
そして、いつか自分も胸を張って生きられる人間になりたい。
ある日、仕事帰りに通りかかった訓練場で、少年たちが残響を使って剣を振るっているのを目にする。
一人の少年が、驚くほど滑らかな動きで木剣を振った。
観衆から歓声が上がる。
「すげえ! 今の動き、騎士団長の残響だろ!」
リクトは食い入るように見つめる。
少年が剣を振るうたび、青白い光が空気に走る。
その光景が、リクトには何よりも眩しかった。
帰宅したリクトは、拾ってきた木切れを握る。
誰もいない路地裏で、見よう見まねに剣を振る。
一回。
二回。
十回。
百回。
手の皮が剥けても、やめなかった。
「いつか……俺だって」
その言葉を、彼は誰にも聞かせなかった。
3. 最初の挫折
数か月後。
9歳の子供たちを対象とした刻印検査の日がやってくる。
リクトは母親に借りた古い上着を着て、検査場へ向かった。
検査官の前には、残響の反応を測定する黒い石が置かれている。
子供たちが順番に手をかざす。
赤い光。
青い光。
金色の光。
それぞれの色によって、扱える残響の性質が判定されていく。
やがてリクトの番が来る。
「手を置きなさい」
リクトは息を止めた。
石に手を置く。
何も起きない。
検査官が眉をひそめる。
「もう一度」
目を閉じ、必死に念じる。
何も起きない。
三度目。
四度目。
五度目。
石は冷たいままだった。
検査官は書類に何かを書き込む。
「残響反応、なし」
リクトは聞き返す。
「……もう一度、やらせてください」
「結果は変わらない」
「でも、俺、毎日……」
「努力したかどうかは関係ない。反応がないんだ」
検査官は淡々と告げる。
「君は残響を扱えない」
その瞬間、リクトの頭の中で、何かが崩れた。
周囲の子供たちは囁き合う。
「かわいそう」
「いや、あいつの家、貧乏なんだろ?」
「じゃあ、ずっと荷運びでもするしかないな」
リクトは何も言わずに検査場を出た。
帰り道。
彼は拾ってきた木切れを、川に投げ捨てようとした。
だが、手が止まる。
何度も振った木切れ。
何度も失敗した木切れ。
それだけは、捨てられなかった。
リクトは木切れを握り直し、家へ帰った。
この日から、彼は人に隠れて剣の練習をするようになる。
夢を諦めたわけではない。
ただ、誰かに笑われるのが怖くなったのだ。




