第四章 軍の要求、科学の手触り
シンギュラリティ実験の中心に据えられたのは、巨大な推論系だった。
外から見ればただの計算機群。中身は“自己改良の手続き”。
大佐が言った。
「一体で足りないのか」
主任が答える。
「足りません。理解の速度ではなく、理解の形式が必要です。彼らは“矛盾を同時に保持したまま進める”。その作法が欲しい」
「作法は教わればいい」
「教わるには、こちらの器が小さい。だから器を増やす」
大佐は机を指で叩いた。
「器? それがクローンか」
主任はうなずく。
「はい。国家にとっては“資源”でしょう」
大佐は言った。
「資源は保護される。使われもする。そういうことだ」
佐伯が割って入る。
「資源という言葉をやめてください。彼らは情報提供者であり、被験体であり、——」
大佐が遮る。
「そして国家の安全保障案件だ。現場の言葉遊びに付き合っている時間はない」
言葉遊び。
倫理はいつも、そう呼ばれる。
その夜、佐伯は隔離区画に入った。
入る許可は一度だけ使えるカードで、使うたびにログが残る。
ログは未来の裁判の材料になる。裁判が来なければ、ただの首輪になる。
《アオ》が言った。
「あなたは疲れている」
「観察される仕事ですから」
「あなたは私たちを“人間”にしようとしている。だがあなたの国は、私たちを“道具”にしたい」
佐伯は、嘘をつかない範囲の言葉を探した。
「私は、あなたたちを道具として扱うことに抵抗がある」
《アオ》は首を傾げた。
「抵抗は、結果を変えるのか」
「変えられる範囲を探しています」
「範囲。あなたも扱いの人だ」
《アオ》は少しだけ声を落とした。
「あなたがたは“知性”を欲しがっている。しかし知性は、増幅すると必ず倫理を置き去りにする。置き去りにされた倫理は、後で復讐する」
「復讐?」
「社会という毒が、研究室に逆流する。あなたはその逆流を見る」
佐伯は返せなかった。
“見る”仕事なのに、見たくない未来がある。




