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青い通訳者たち  作者: 久遠レイ


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第十六章 窓口の外


 朝、施設の出入口の運用が一段だけ変わった。

扉が増えたわけではない。人が増えた。人が増えると扉は増える。

 大佐は廊下で佐伯に言った。

「監視レベルを上げた」

「公開は」

「公開できる範囲で出す」

「“できる範囲”が増えると、例外も増えます」

 大佐は否定しない。

「だから君が必要だ」

 依頼は、いつも責任の形で来る。


 午前。外部監査官が施設に入る。

 同じ名札、同じ硬い顔。だが今日は、後ろに二人付いている。国際ネットワークの調整役だという。

「中立地の候補が決まりました」

監査官が言う。「三日後。こちらの代表を今日中に確定する必要があります」

 大佐が言った。

「代表は監査官でいい」

 監査官が首を振る。

「運用監視の窓口です。軍でも官僚でもなく、現場の運用者が必要です」

 大佐が佐伯を見る。

 視線だけで「行け」と言う。視線で命令する癖は変わらない。

 佐伯は淡々と言った。

「私が行くなら、条件があります」

 大佐が言う。

「条件?」

「“窓口の外”で起きた接触を、窓口の中へ戻す権限をください」

 監査官が頷く。

「記録と公開です」

 大佐は眉を動かす。

「公開は制限がある」

 佐伯は言う。

「制限があることを公開してください。制限の形が見えないと、条件が壊れます」

 大佐は一拍置いて、短く言った。

「分かった。枠を作る」

 枠、という言葉が出た。

 枠は手すりになるが、檻にもなる。使い方だけが問題だ。


 午後。隔離区画。

 佐伯はAO系列に、窓口の予定を伝える。伝えるのは運用だ。相談ではない。

「三日後、中立地で“運用監視”の協議が始まります」

 AO−2が言う。

「遅い」

「最速です」

「最速が遅い」

 淡々としたやり取りは、温度を上げない。

 AO−1が言った。

「窓口の外が危ない」

「ええ」

 AO−3が言う。

「もう来ている」

 佐伯は聞き返す。

「来ている?」

 AO−3は短く言った。

「署名」

 その瞬間、施設のアラームが鳴った。

 大きなサイレンではない。短い電子音。現場の悪い知らせの音。

 研究員が走り込む。

「搬入口、またブラックアウトです。今度は三十秒」

 佐伯が言う。

「物理的な侵入は」

「痕跡なし。でも——」

研究員が言いにくそうに続ける。

「隔離区画の周辺ログに、“未知の署名”が混ざってます」

 未知の署名。

“混ざる”という言い方が現場らしかった。現場は断言しない。断言できないから、混ざると言う。

 大佐が廊下の向こうから来る。早い。

 早さは、監視がもう“監察”に近づいている印だ。

「先生、区画を封鎖する」

 佐伯が言う。

「封鎖の範囲は」

「隔離区画周辺、全員の移動制限」

「公開は」

 大佐は一拍置いて言う。

「内部運用として——」

 佐伯が遮る。

「“内部運用”は例外です。例外は示さないと無効です」

 廊下の空気が固まる。

 固まると、言葉が道具になる。

 監査官が入ってきて言った。

「封鎖するなら、理由と期限を掲示してください」

 大佐が言う。

「期限は未定だ」

 監査官が淡々と言う。

「未定は最悪の期限です。最低でも二時間単位で再評価する、と書いてください」

 大佐が舌打ちしないだけ、今日は抑えている。

「……二時間ごとに評価」

「評価結果も記録し、監査対象に」

「分かった」

 妥協ではない。運用の整形だ。

 運用が整形されると、暴力の入口が少しだけ狭くなる。


 封鎖の掲示が貼られる。紙は簡潔だ。


施設内一部区域の移動制限(暫定)

理由:外部干渉の疑い

期限:二時間ごとに再評価

記録:監査対象


 紙が貼られた瞬間、空気が少しだけ落ち着く。

“理由”が見えると、人は勝手な物語を作りにくい。

 佐伯は隔離区画の前に立つ。

 扉の鍵は二重。今日は三重になっていた。増えた鍵は、例外の匂いがする。

「入室は制限されます」

警備が言う。制服ではないが、声の硬さは軍に近い。

 佐伯が言う。

「私は運用者です。条件の維持が仕事です」

 警備が言う。

「命令は上から」

 佐伯は監査官を見る。

 監査官が淡々と言った。

「運用枠組みに反します。入室の制限は“本人の生活”に影響します。最小限に」

 大佐が言う。

「先生、今は——」

 佐伯が返す。

「今だからです」

 大佐は短く頷いた。

「入れ。だが記録は——」

「本人が選びます」

佐伯は言い切った。

 扉が開く。

 白い部屋に入ると、AO系列はすでに理解していたように座っている。

 AO−2が言った。

「窓口の外から、触っている」

「誰が」

 AO−2は淡々と言う。

「名はない。署名だけがある」

 AO−1が続ける。

「接触の形式は、観察」

 AO−3が言う。

「観察は、次の手順の準備」

 佐伯は端末を出す。

 ログを見る。署名の列。自分の知らないパターンが混じっている。

「これを、窓口の中へ戻します」

佐伯が言う。

 AO−2が頷く。

「戻すべき。窓口の外は暴力の入口だ」

 佐伯は言った。

「戻すために、記録を取ります。公開できる形にします」

 AO−1が言う。

「公開は危険だ」

「危険ですが、危険を隠すほうがもっと危険です」

 淡々とした交換は、互いの体温を奪わない。

 体温を奪わない会話は、長く続く。


 二時間後。再評価の会議。

 技術者が言う。

「侵入痕跡なし。署名混入は継続。ネットワーク経由の可能性が高い」

 主任が言う。

「外からの信号?」

「信号というより、手順の注入です」

技術者は現場の言葉で言った。「こちらのログの書き方に、別の癖が混ざってる」

 監査官が言う。

「窓口の外だ」

 大佐が言う。

「だから封鎖を継続する」

 佐伯が言う。

「封鎖は、窓口の外を増やします」

 大佐が言う。

「増やすなら、窓口を早める」

 監査官が頷く。

「中立地を前倒しする」

 主任が言う。

「無茶だ」

 監査官が淡々と言う。

「無茶でも、こちらの運用で無茶を吸収する。秘密で吸収すると破れます」

 大佐は短く言った。

「前倒しは検討する。だが、いまは“誰が触っているか”だ」

 佐伯は言った。

「誰、ではなく、どう触っているかです」

「違う」

大佐が言う。「誰かが分かれば排除できる」

 佐伯は淡々と返す。

「排除は、戦争の言葉です。運用は、隔離と公開です」

 会議室が少しだけ冷える。

 冷えるのは悪いことではない。熱くなると、例外が増える。


 その夜、隔離区画のモニターが一度だけ点滅した。

 点滅の瞬間に、画面の隅に小さな文字が出た。表示は一秒で消える。

 佐伯が見たのは、たった一行。


 条件は理解した。次は手順を見せろ。


 文字は日本語だった。

 日本語が一番怖いときがある。

 怖さは、外から来るより、内側の言葉で来たときに増える。

 佐伯はその一行を、紙に書き写した。

 紙にすると、運用に入る。運用に入ると、監査対象になる。監査対象になると、例外で握りつぶしにくくなる。

「窓口の外を、窓口の中へ」

佐伯は小さく言った。独り言ではない。手順の確認だ。

 廊下の掲示板に、彼女はもう一枚、紙を貼った。


外部干渉の疑い:発生(詳細は監査ログ参照)

対応:窓口の前倒しを検討


 紙は地味だ。地味だから効く。

 派手な発表は夢を動かすが、地味な紙は暴走を止める。

 さざ波は、まださざ波のままだった。

 ただ、水面の下で、流れが変わり始めている。


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