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えきちゅう。  作者: 田中志摩貴
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その21

 半蔵門線の電車が風圧と共に現れる。半蔵門線のカラーは紫。性別すら知らないが紫を担当する血族もいるだろうし、この電車こそがそのパートナーである可能性もある。

 サツキが電車になった。その変換が未だに理解できずにいる。

 俺は唐突に日常を奪われた。取り巻く風景が一変した。行動が制限され、やるべき義務を課せられた。日常に戻るためには業を果たさなければならない。

 日常に帰りたかった。

 だが日常とは何を指すのだろう。

 下校してきたサツキの他愛もない話に耳を貸す余裕がなかった。自分の境遇を憐れむのに必死だった。サツキからの日常報告を、面倒で鬱陶しいと感じたことさえある。

まさかサツキとの時間が失われるなんて想像もしてなかったからだ。

 サツキが消えるなんて思わなかった。

 日常――学校のこと、家族のこと、授業のこと、警察に事情聴取されたこと、今日の天気、食べたご飯、目にした広告のこと――あれほど日常に戻りたいと嘆いたのは自分なのに、サツキとの日常を軽んじていたのも自分だった。

 後悔しても遅い。泣いても喚いてもギンを責めても空井を恨んでも時間は戻らない。

 俺はサツキの携帯を操作し、溢れんばかりに埋め尽くされた赤いもの画像をぼんやりと眺めた。本当に些細なものまで撮影してある。

 先ほど思い知った。恐らく自分のような初心者にとっては、撮影画面を占める赤の面積と質量が比例するのかもしれない。空井との差は経験値で埋まるだろうか。業を果たすたびに責任感が昂ぶるらしいが、時と共に成長できるだろうか。この――サツキが集めてくれた画像を武器として使いこなせるだろうか。

 やがて画像は入学式の前日にまで遡った。サツキがお守りをふたつ指にぶらさげ、逆の手では二本の指を立てている。

「お守り……」

 入学式の朝、サツキと待ち合わせた直後にもらったお守りがある。確か――と、地下鉄に隔離されてから使う必要のなかった財布をまさぐった。あった。写真に載っているサツキのお守りは白、俺のは赤だった。

 赤はマルを守ってくれる――。

 俺はお守りを潰さないように柔らかく握りしめ、かたく目を瞑った。目を閉じていないと涙が出そうだった。

「貴様の魄尺ゲージがマイナスでも動けた理由はそれか。その布守りが、もし血族を祀る神社で買われたものなら十分に考えられる。どこで買ったものだ」

「知り、知りません」

「本当に無知だな。秀でているのは悪運だけか。とことん価値がない」

 ギンが毒づき、くるりと踵を返す。だがその腕をユウが引きとめた。

「はい待て! ギンもマルも今すぐケータイを出しなさい。念の為、お互いの連絡先を交換しとこ?」

「断る」

「ギン? どうして言うことが聞けないかなあ? 悪い子なの? 悪い子はご飯抜きにして散歩もお預けにして撫でてもあげないし首輪して、それからそれから」

「わかった。わかったからもう黙れ」

 ギンが頭痛に襲われたように絶不調な顔色をして頭を抱える。よくわからないが、ユウは俺たちを犬のように扱うし、ギンでさえ逆らわない。何か事情があるのだろう。

 ユウが満足げに頷く。

「じゃあ赤外線で交換しよっか。赤いものはマルを?」

「助けてくれる」

 自然と口を突いて出た。ユウが愛らしくウインクし、ギンは半ば憤然としながら連絡先を教えてくれた。

「大抵は地下にいるからそうそう使い道はないだろうけど、お金が必要な時は私に相談しなさい。金を司るのは有楽町線だから」

「うん」

「お利口にしてるんだよ? かわゆくおねだりできたらお金を用立ててあげる。わかった? わかったの? じゃあお手」

「……ありがとう」

 俺は屈辱を噛みしめてユウの掌にそれを重ねる。

「俺には連絡するな。用があればこちらから呼ぶ」

 ギンが眉を寄せて渋面を作る。

 いつかこの番号に繋げる事態が起きるだろうか。

 仲間に助けを求めるような厳しい事態が。

 懇願するようにユウを見上げると、不思議そうに首を傾げる。細引くてか弱くて頼りない姿をしているのに女という生き物はどうしてこうも庇護意識が強いのだろう。サツキもそうだった。何もできないくせに、黙って俺を援護しようとする。

 ――ああ、どうすれば。

 俺はユウの細い両腕を掴んだ。

「理由があれば盗みは許されるのか」

「許されない。私なら許さないもん」

「ならどうしろっていうんだ」

「ねえマル。歴史を汲んできた生活様式や倫理と、現代のそれは、まったくの別物だってわかる? マルは受験生になったばかりでこの生活に慣れてないし、たぶん過去から受け継がれてきた血族としての意識を思い出せていないから違和感があるんだよ」

 意味がわからずユウを窺うと、その表情は涼しげだが凛然としていた。

「私たち血族は土蜘蛛で、どちらというと過去の観念で動いてる」

「でも俺は現代に生まれて現代で生活してきた」

「例えば信仰」

「神様的な?」

「昔の信仰者は、現世の生活を捨てて政も捨てて、亡くなった者の成仏をひたすら祈るだけの生活だったでしょ。念仏を唱えて、日々の食べ物は近隣から托鉢で頂いていた。でも今はどう? 念仏を唱えるのも墓を建てるのも戒名をつけるのもお金がかかる。よく考えて。現代の葬式って棺桶や祭壇に金で差をつけるんだよ? 昔は故人は故人と考えていた。でも現代は死者に差をつけ、死が金儲けの手段になってる」

「そりゃお坊さんだって生活費とかあるし」

「昔はなかった」

 唐突にギンが口を挟んできた。

「現世を捨てて念仏を唱える者には財は必要なし。日々の米があればいい。本来なら今もそうすべきだ。人の世ではなく、神仏に仕えるのだからな」

「檀家の寄付とかお布施とかはどう説明するんだ?」

「無知め。昔は寺が戸籍管理を担うために檀家制度を用いていた。子が出生しても成長することなく亡くなる者が多かったから、死者によって人口計測をしていた。だが今は役所が戸籍を管理している。わかるか。過去と現在の制度や価値観は異なるものだ」

「けど」

「昔と現在では常識という境界には差があるの。生き様も同じ。過去と現在の権力者では価値観が違いすぎる。私たちは土蜘蛛だから土蜘蛛の理念で行動するだけ。わかった? わかったかな? よしよし。お利口お利口」

「土蜘蛛……」

 俺はふっと目線をさげた。

 人にわいた蟲を食べる蜘蛛、それを力として蓄えるのが土蜘蛛という血族――。

「俺も心を鬼にしなきゃダメなのか」

「鬼に? ううん違うよ。鬼と呼ばれているのは今だけ。むしろ鬼にならなくて済むように私たちは戦ってるんだから!」

「心を殺して鬼になれば、鬼にならずに済む……」

 俺は虫の鳴くような声で復唱した。言葉遊びなのはわかっている。幾ら血族だの仲間だの同胞だのと言われても、盲目的に信じてはいけないことは身をもって経験した。

 だが俺は鬼になる。

 見も知らぬ血族の安寧や悲願達成のためなんかじゃない。サツキの奪還が最優先だし、凡庸な人生への帰還が優先なのは揺るがない。

 俺の日常を奪い返すためにサツキが犠牲になったというのなら、今度は俺がサツキを日常に返すため力を尽くす。例え鬼と呼ばれようと――何をしてでも――。




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