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えきちゅう。  作者: 田中志摩貴
12/22

その12



 メトロ生活も三日目を迎え、疲れと慣れの入り混じった複雑な気持ちで起床する。いや、空井師匠に叩き起こされたと表現するのが正しい。改札付近に背凭れて眠っていると、両頬を外側に引っ張られた。裂けるかと思った。

 ホームは無人でも始発は動いている。俺は固まった筋肉をほぐすよう両腕を肩甲骨ごとぐるぐる回しながら車両に乗り込んだ。空井師匠が隣に腰かけ、神妙な面持ちで腕組みする。幼い面貌に似合わぬ剣呑な目つきだ。

「あ……の、今日は平日ですけど、お仕事とかは平気なんですか?」

「おしご? ああ平気。ごめん今ぼうっとしてた。ふあああああ」

 空井師匠が豪快に欠伸する。

「ごめん。寝てなくてさ」

「朝早いですからね」

「そうだねえ……って! なんか逆にマルちゃんの冷静さがスゴイな。昨日までビビりまくってたくせに!」

「今日はほら、先輩がいますから! 何かあっても、昨日の蜘蛛を消したように助けてくれるかなって。いただいた扇子も持ってきてます!」

「そ、そう。緊張でガチガチになりすぎるよりはずっといいか。そだ。昨日はあれからギンに会った?」

「いいえ?」

「他の血族にも会ってない?」

「実をいうと銀座駅や赤坂見附まで探しに行ったんですけど遭遇できませんでした。なかなか会えないものですね。けど、それが何か?」

「僕は会ったよ。ギンに」

「え!」

「会ったというか見かけた。あっちも声をかけてこなかったし、ややこしいことになると面倒だから目線で挨拶するだけに留めておいたけど」

「ややこしいこと?」

「僕は、君らを襲った二人組の屠り屋が『誰の手の者か』を特定したかった。それはギンも同じだったみたいね。んで、調べてたら偶然かち合ったわけ」

「なら情報交換して協力すればいいじゃないですか」

 空井師匠がくっと吹き出した。

「ギンてさ、堅物で融通が利かなくて、規則だの掟だの、固定観念で雁字搦めになっててウザいでしょ。たぶん歴代のギンの中で随一ガチガチだよ、彼。なーんか昭和の軍人って感じ。少し隊列を乱しただけで兵士の横面を、思い切り拳でぶん殴りそう」

 俺はギンの仏頂面を思い出して小さく笑った。空井師匠の眉がぴょこんと跳ね上がる。

「それはそうと、いつもの彼女はいないの? 一緒にこないの?」

「サツキですか? さあ、この時間だとまだ寝てますかね。今日も変わらず登校日だと思いますけど……」

「学校か。真面目だなあ」

「普通ですよ。何かありました?」

「いや別に。可愛い子がいないのが残念だなって」

「……師匠。今日は奥さんがいないんですか?」

「んー? いると思うよ、たぶんどこか近くに」

 空井師匠がまるで頓着しない様子で返答する。よくよく目を凝らすと、二両先に影を纏った物体を確認できた。あれかもしれないと目星をつけたものの、ぼんやりとしているし動かないので無機物に見える。もしくは地縛霊や怨霊の類にも。

 空井師匠がパンと膝を叩いた。

「今日のオーダーを発表しま~す。今日は集めた魄尺を集積地へ運びま~す。あれで~す。貯めたお金はどこかに預けるよね~。そういうこと」

「置き場所があるんですか?」

「ある。個々で集めた魄尺だとしても、魄尺は血族のものと認識されるから、あまり分散せずに溜めるんだよ。そっか。知らなかった?」

「知りませんよ。知らないことばかりです。どこに集めるんですか?」

 空井師匠が俺の反応に驚いて目を丸め、数秒後にくつくつと笑いだした。堪えきれずに漏れてしまった類の笑声だった。

「マルちゃんに質問。ここは東京です。では東京を象徴的する場所とはどこでしょう」

「え? えと、国会議事堂。東京ドーム。スカイツリー。東京タワー。ええと、繁華街だと渋谷、六本木、銀座、新宿、池袋、原宿。あとはお台場、中野、中目、上野、秋葉……あ、あと皇居も! 近くに武道館もある! あとはあとは……ううん」

「オーケイオーケイ。ステイステイ。マルちゃんは思いつくまま口にするタイプで、考え抜いて答えを出す人じゃないことは把握した。オケオケ」

「馬鹿にしないでください。俺は割と慎重派です!」

「はいはい。それでいいよ。そういうことにしとこ。はい。いったん降りるよー」

 数駅を進み、中野坂上で下車する。

 ここに東京を象徴する場所などあっただろうか。寝ぼけた頭を回転させてみたものの、俺にとっての鬼門が視界に飛び込んできて足が強張る。改札口だ。自分を完全に拒絶する堅牢な扉と対峙するだけで脂汗が滲みそうだった。

「どしたの。行こうよ、マルちゃん」

「俺……俺……改札を通れません。ダメなんです」

 嘆くように声を震わせると、空井師匠からポンと背中を叩かれた。

「今回は僕がいるから平気。任せなさい。ついてきて」

 空井師匠がポケットから取り出した金平糖を改札付近にばらまいた。数十、数百粒かもしれない。天井から注ぐ鈍い照明に舞うそれらが改札に散らばると、なんと、改札口そのものが消失した。俺は呆気にとられた。

「いくよ」

 茫然としながら空井師匠の後をついてゆく。てくてく、てくてく。改札を通るというより改札そのものを消した。文字通り、マジックのように。

 正面改札をまっすぐ進み、左の階段を下る。階下に辿り着き更に左折し、再び改札口が現れた。空井師匠が同じように金平糖を空に散らすと改札口が消え、俺たちは大江戸線のホームに向かった。おそるおそる振り返ると、消えていた改札口が復元している。あの金平糖は、短時間だけ物質を消すことも可能なようだ。

 久しぶりに大江戸線に乗車した。

 都営線は真新しい空気を帯びている。きっと気のせいに違いないのだが、慣れた丸ノ内線や他メトロより、ずっと後に建設された大江戸線の方が瑞々しく感じられた。

「その金平糖、凄いですね」

「金平糖? ああこれ。って、え? なんで金平糖?」

「形が似てません? あ、正式名称は何ていうんですか?」

「名前なんてあるのかな。もともと魄尺だからねコレ。僕は起爆剤とか養分って呼んでるけど、ほんとはなんて名前なんだろうな」

 空井師匠が興味なさげに一粒を口に放り込んだ。

「金平糖で改札が消せるなんて朗報じゃないですか」

「違うから。あれは僕と一緒だからできるんだよ?」

「だったら一緒に出れば!」

「残酷なようだけど、あれは僕が! 都営線に乗り換えるから! できる芸当であって、マルちゃんには無理。ああもう落ち込まないでよ。ほらマルちゃんも食べて。たくさん食べておいたら業の発令が起きにくくなるから」

「食べてたら音楽がならないってことですか?」

「今のところはね。業なら帰り道にやればいいでしょ」

いくつか手渡された金平糖を頬張るとみるみる力がみなぎってきた。感謝の気持ちを伝えようと声を出しかけて、ぐっと咽喉を縮める。空井師匠が小さな寝息を立てていたからだ。そういえば――眠っていないと言っていた。

どこまで進むべきなのか、それとも師匠を起こして確認すべきなのか判断つきかねる。もじもじしながら都営線に揺られていると、兆候もなく空井師匠が立ち上がった。「いくよ!」という雄々しい号令に従い、俺は家来のように付き添った。

 大門駅だった。

 都営大江戸線と浅草線が乗り入れる駅であり、JRでいえば浜松町駅にあたる。現に大門駅も羽田空港と直結しているし、浜松町はモノレールで繋がっている。

 俺は、空井師匠の闊歩を追った。

 空井師匠が右手を挙げ、くいくいと手首を折り曲げる。すると、どこからともなく現れた彼の妻が、海外旅行用に相違ない大きなキャーリーバッグを手渡した。

 互いに言葉を発さず、顔も合わせないので、妻はじっと俯いたままだ。用を終えた鞄を受け取り、数歩の距離をあけて立ち止まる。言葉も交わさず目も合わせないのは、幾ら昵懇の仲であっても不憫に思えた。

 空井師匠が、神父や牧師が聖水を撒くようにいたる場所に金平糖を配る。法則性は掴めない。壁にあたった金平糖がコツンと音を立て、直後、蒸発するかのように溶けてなくなる。なるほど。魄尺の集積地というのは、宝箱や金庫ではなく、駅そのものなのか。

「こうして撒く。ね、簡単でしょ。要領がわかったところで、明日はマルちゃんひとりで魄尺を撒いてきてね」

「ひとりで!」

「これでも僕、あんま遊んでられないし?」

「で、でも、改札は、俺ひとりで通れないって言ってたじゃないですか!」

「明日マルちゃんが魄尺を撒く場所は『神谷町』だから平気でーす。日比谷線なら改札を使わずに乗り換えられるでしょ」

「そうですね。それなら……まあ……撒くだけなら……」

 駅ホームの壁に向かって金平糖を振り撒くだけなら面倒もない。空井師匠には戦闘方法や習得の効率アップを教授を願うのだから文句は言えなかった。

 



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