第86話 深夜の来訪・後編
引き締まった肉体美、割れた腹筋など普段男の人の肌を見慣れているわけではないので、視線に困る。しかし驚いたのはオレンジの髪がカツラだったことだ。
黒髪や顔立ちはフェイ様にどこか似ている。さすがは異母兄弟といったところだろうか。
「……っ」
額に玉の汗が生じ、吐息も少し荒い。
前に会った時は化粧をしていたが、今は口紅もしておらず、何もしなければ目鼻立ちも整っているので、かなりの美男子だ。彼が女装をしていたことがどうにも引っかかる。
(カツラや女装をしていたのは、この国ではそうしないと目を付けられるから?)
「植物系の毒も混じっているけれど、それだけじゃないわね」
寝室から戻ったアーちゃんは、あからさまに顔をしかめて毒を分析する。隣にいるディーネは「これ蠱毒じゃない。うわぁ、最悪」と顔を歪めた。
「え、ディーネ。この毒を知っているの?」
「まあね。このぐらい常識よ」
「すごい」
「ふふん。蠱毒、蠱道、蠱術、巫蠱、なんて呼ばれているわ。数百年以上前のスペード夜王国で発祥した呪術で、小さな入れ物の中に百種類の虫を閉じ込めて共食いさせ、最後に残った一匹を呪詛の媒体に用いるエグい呪術よ」
「何それ、怖い……!」
聞いただけで呪われそうな恐ろしい所業だわ。なんて恐ろしい国。本当にスペード夜王国は血で血を洗う争いを繰り返していたのだろう。怖すぎる。
「ディーネ。解毒は可能なの?」
「もちろんよ。誰に物を言っているの。このぐらい楽勝よ」
ディーネは、手のひらサイズの水の玉を空中に作り出す。ただの水ではなく、濃度の高い浄化の水だ。それらをセイエン様の傷口に当てることで、解毒するつもりなのだろう。
「癒し」
水の玉は凄まじい勢いで回転をはじめ、セイエン様の体内に入った毒だけを吸収していく。ボコボコと黒紫色の毒が水の玉に沈殿していった。
あまりにも毒々しい色合いに吐き気を覚える。毒が意志を持ったかのように水の玉の中を這いずり蠢く。それは蟲そのもののようで、こんなものがセイエン様の体内に入っていたかと思うと背筋がゾッとした。
「これ呪術だから解毒はできたとして、呪いそのものを術者本人に返すことはできるけど、やる?」
「……ええっと、やらなかったらどうなるの?」
「んー、そうね。どっちかが死なない限り呪術は膨れ上がって面倒なことになる。人を呪わば穴二つというように、それだけの報いを受けなければならない」
ディーネの言わんとしていることはわかる。私は思考を巡らせ打開策を導き出す。
(呪詛返しなんてしたら、術者は確実に死ぬ。現状でなにも分からない状態のまま勝手に死なれては困る。……出来るかどうかわからないけれど、証人は残しておいたほうがいいはず)
ディーネに相談して、任せることにした。彼女は渋々だが「わかったわ」と承諾してくれた。本当に頼りになる。毒を完全に抜いたセイエン様は、ぐったりはしているものの顔色は良くなった。精霊たちのおかげである。妖精たちの物理法則無視の何でもありはすごいが、治癒や浄化に関しては精霊の力は奇跡に近い。
それ故にダイヤ王国には、医師という職業はない。基本的に加護があるので病気になりにくいのだ。治癒魔法の使いと、薬師はいるものの活躍の機会はないので、趣味に勤しんでいる。
(これで命の別状はないだろうから、ローズが戻ってきた時に城内の状況を聞いて、どうするか考えないと。ジェラルド兄様や母様、フェイ様は無事よね? できるだけ早く合流したい)
不安が胸をキュッと締め付けた。
悶々と考えていると、不安ばかりになる。もしセイエン様のように、フェイ様が蠱毒の餌食になっていたらと思うと、気が気ではない。
「大丈夫よ。仮にも私とディーネの加護があるのだから、ちょっとやそっとの怪我や毒は弾かれるわ」
「そっか、そうだよね」
「んっ……」
意識を取り戻したのか、セイエン様が薄っすらと目を開けた。
「セイエン様、目が覚めましたか?」
「私は……」
「ソウハ様とライハ様が、私を頼って部屋まで貴方を連れて来たのです。毒も取り除いたので、もう大丈夫ですよ」
「なる……ごほっ、ごほっ」
「あ、お水です!」
私はテーブルに用意しておいた飲み水をコップに注いで、セイエン様に渡そうとする。しかし彼は訝しげにコップを見つめた。
「それは……毒じゃない……保証は?」
その言葉に少なからずショックだったけれど、毒殺されかけた彼からすれば、その反応は理解できる。
「……わかりました」
先に私がコップに口を付ける。ゴクン、と水が喉を潤す。うん、美味しい。
「これでいいですか?」
「うん、ごめんね」
彼は申し訳なさそうに謝った。コップを受け取り、ゆっくりと水を飲み干した。
(こんな時ですら毒が盛られていないか確認しないといけないなんて……。でも正妃や第一王子たちは、常にあらゆる毒で周囲を貶めていた)
「見苦しい所をお見せした」
「いえ」
昼間とは異なり女口調が消えた話し方になっている。とりあえず目を覚ます前に、上半身にタオルケットをかけて置いてよかった。
怪我の治療のため仕方なく服を破いたと伝えたら、笑われてしまった。
「フフッ、いや……なるほど、襲ってくれても良かったのだけれど」
「襲!? いえ、他国の私に頼らずとも郭家の出なら、治癒術師を使える方もいたのでは?」
「お恥ずかしい話、呪術は今や禁忌の技。それゆえに解毒できる者は、この国では国王専属の術者ぐらいでしょう。ですが誰も起きていなかったのです」
ソウハ様たちの言葉を思い出す。「城全体が誰も起きていない」と。
この国では魔法が使える人はいないと聞く。だとしたら魔導具によって、強制的に眠らされているということになる。第二王子が企てたことなのだろうか。
「ソフィ様?」
「あ。いえ。だから私のところに……?」
「ええ。奏波と来波も賭けのようなものだったのでしょう。十年前、私の毒を解毒してくれていたのを覚えていたのが幸いでした。本当にありがとうございます」
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