65.茶番の終わり
【二日目 15:10】
ルピシエは声を震わせながらも、セーレ王女のもとへと確かな歩みを進めた。彼女の瞳からは止めどなく涙が溢れ、その一滴一滴が彼女の罪悪感を象徴しているかのようだった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
彼女は繰り返し謝罪の言葉を吐き出し、王女の目をじっと見つめながら、その手を握りしめた。
「私が殺しました。殺してしまいました。後悔しても、後悔しきれないことをしました」
セーレ王女はただ呆然とルピシエを見つめ返すだけで、言葉が見つからない。ルピシエは続けた。
「最初からすべて話しておけばよかったのに、私は自分の憎しみを抑えきれませんでした。ダルフ国なんて滅んでしまえばいいと、ずっと思っていました。戦争を引き起こし、魔王を殺すことだけを考える最低な集団だと。勇者なんて、偽りの平和を押し付ける悪魔でしかないと思考を縛られていました。でも、セーレ王女みたいな考えを持っている人がいることを、考えたこともありませんでした」
セーレは、涙を浮かべたままでルピシエの言葉を聞いていた。
彼女の言葉に、ロベルト教授が憂いを帯びた声で割り込む。
「確かに、ルピシエの『空間魔法』なら、魔力源を大気を通じて掴むこともできる。ああ、なんてことだ。こんなことになるとは。ルピシエを連れてくるべきではなかった」
「全く笑えない」と、教授の後悔の言葉が重く空間に響き渡る。ルピシエのことを誰よりも理解している教授ができるというのだから、本当に彼女なら勇者を殺せるのだろう。
真相はこうだった。
勇者を殺すのは魔王ほど簡単ではない。身体能力を押し付ければ死ぬ魔王とは違い、勇者には回復魔法がある。魔法を上書きできるほどの力を秘めている『巨大な魔力源』で首を両断でもしない限り。
問題である『巨大な魔力源』だが、通常は持ち運ぶことができない。そもそも、シルバと『純愛の魔王』が魔力の源移動方法を持ち合わせていなかったからこそ、地下に調査隊を招待することになった。
故に、魔力源を触れるものこそが犯人になり得る。ルピシエ・ターンの空間魔法なら可能だった。
あとは単純だ。『謎の十二人目の首なし死体』で使われた凶器をそのまま転用した。それだけ。
動機は十分ある。教授が話してくれたことだ。ルピシエは戦争孤児である。おそらく、西国ダルフと魔王の戦争によって両親が死んだのだろう。ルピシエは最初から西国ダルフをよく思っていなかったし、彼女たちが話している瞬間を一度も見ていない。
それに、ユア・シフトを殺すことができる人間は限られている。これは魔力源を持てるかどうかではない。アリバイの有無である。
彼女が殺された瞬間、大半の人間は十三層にいた。十二層にいたのは、被害者のユア、幽閉中のアオスト。十一層の自室に引きこもっていたビナ。そして、全くのアリバイがないルピシエ・ターンだ。ビナが引きこもっているふりをしていたら十分に殺害できるが、動機が薄い。必然的に、ルピシエが実行犯になる。
セーレ王女は一瞬だけ目を閉じ、深い呼吸をした後、静かに目を開けてルピシエを見つめた。不思議なことに、その瞳に怒りや憎しみは宿っていないように見えた。
「ルピシエ、あなたが真実を話してくれたこと、心から感謝します」
彼女の声は震えていたが、その言葉には確固たる意志が感じられた。
「ユアはこの場に招待してくれた『純愛の魔王』様を殺しました。だから、当然なのです。人の命を奪うということは、奪われても仕方がないということです。平和な世界を作るのに、正反対な行動なのです。この連鎖は、ここで終わらせましょう。勇者も魔王も、多くの命が犠牲になっています。私たちは、新たな苦しみを生み出してはなりません」
ロベルト教授が傍で聞いている中、セーレはゆっくりとルピシエの手を握り返した。
「私たちは異なる種族、異なる信念を持っていますが、今は共に未来を見据える時です。あなたの行動が、どんなに重い結果をもたらしたとしても、それを乗り越え、共に歩んでいく勇気を持ちましょう。西国ダルフ第一王女である私が、貴女を許します」
セーレの言葉に、調査隊の他のメンバーも沈黙して聞き入っていた。その場にいた全員が、彼女の言葉の重みとその意味するところを深く理解していた。
ルピシエは涙を流しながら、ゆっくりと頷いた。
「ううう、ありがとうございます……」
加害者が自白し、被害者遺族がそれを許した。事件にすらならない、呆気ない幕引き。
「これで、終わりですね。クローバーさん、ご苦労でした」
シルバが私の肩を叩く。
単純に私を労う気持ちもあっただろうが、シルバの意思表示でもあるのだろう。セーレは被害者遺族だが、『純愛の魔王』を殺した加害者の遺族でもある。
シルバが全ての終わりを宣言したと言うことは、彼もまたセーレを許したと言うことだ。
復讐の連鎖を断ち切った。あれほど『純愛の魔王』を心酔していたシルバが手を引くのは違和感が残るが、セーレの言葉に胸を撃たれたのかもしれない。
私はため息を着くことしかできなかった。こんなに平和な世界が広がっていれば、探偵や警察も不要なんだろうな。いや、人が死んでいるから警察はいるか。それじゃあ、探偵はいらないんじゃ無いか。
この先の展開を考えつつ、心の中で自虐に走る。勿論この行為自体に意味はないので行動に移すことにした。アオストが幽閉されている部屋の前に向かい、扉を背にしながら、ドアノブに触れる。
「おい、アオスト聞こえるか」
セーレとルピシエが泣きながら抱き合っている中、できるだけ声を潜める。殺人鬼を見つけ、大団円を迎えた一連の騒動。死亡者二名という損害を出しながらも、被害者が加害者を許したことで物語は終わる。
いや、終わるわけがない。
このまま、波風立たさずに終わらせるのも一つの手だ。私個人としては、地球に帰るためにさっさと騒動から抜ける必要がある。セーレがルピシエを抱き締めているなら、残る障害はない。
しかし、私はトール・クローバーではない。黒羽徹で、職業は探偵だ。事件の真相を暴く義務があり、依頼者はそれを望んでいる。
だからこそ、最初に声をかけたのが信用できる教授ではなくアオストだったのかもしれない。
彼女の本当の名前は知らないが、私と同じ別世界の住人だ。一歩引いた、俯瞰した目線を持っている。目の前の現実を、物語の一部だと視認できる。
「何さ」
扉越しに、アオストの声が聞こえてくる。彼女も私の意図を理解していたのか、囁きに近い小さな声だった。扉に耳を当ててなければ聞こえないレベルだ。
「君は『傾国の魔王』ではあるが、人類の敵ではないと思っている。私と同じ異世界人だからな。少なくとも、誰か死にそうならば手を差し伸ばすだろう?」
「まあ、僕の身に危害が加わらない範囲ならね。日本人としての常識は捨ててない。でも、こんな部屋に閉じ込められていたら、お兄さんを助けようにも動けないわよ」
アオストは私が何をしようとしているか、理解してくれたらしい。彼女はやはり、こちら側の人間だ。セーレとルピシエの感動的な茶番に心を動かすことなく、自分のことだけを考えている。
悪くない。私は『彼』にばれないように、手元を背中で隠しながら扉の蓋をなぞった。時折、静電気のような軽い痛みが走るが表情には出さなかった。そのまま、部屋の中に幽閉されているアオストに、解放宣言をした。
「アオスト。私が合図するまで、絶対に部屋から出てこないでくれよ? 幽閉された『傾国の魔王』のままでいてくれ」
「部屋から出るも何も、クラガンの魔法が解かれない限り出れないんですけど……」
「大人しく待っててな」と、言葉を残して扉から離れる。
ルピシエとセーレの傷の舐め合いは今も続いている。罪を犯した自身の助手の背中をさする教授に、全体の様子を転写魔法で撮影しているビナ。
十三層へ続く螺旋階段の前で座って様子を伺っているヌル。その横で何やら会話をしているシルバ。そして、私の位置から一番遠くで血の海を眺めているクラガン。
私は敢えて全体に聞こえる声量で、彼の名前を叫んだ。
「クラガンさん。貴方からの釈明はないんですか?」
クラガンは私の声に少し驚いた風に顔を上げたが、すぐにいつものような無表情に戻った。
「ふん、何を言っているんだ? クローバー」
「ルピシエ・ターンを利用して勇者を殺したことの弁明は何もないのかって聞いているんですよ」




