59.解決編へ
【二日目 13:30】
人間の体内に流れる血液量は、体重の約八パーセントを占めるらしい。五十キログラムの成人女性だったとしたら、四リットル。
そのほとんどが、勢いよく流れ出ていた。当然である。心臓の真上にある血管が、全て外に出てしまっているのだから。蛇口を捻ったどころか、水道管ごと垂れ流していることになる。
首元から、一刀両断。胴体から離れた頭部は、桃太郎のごとく血の川をどんぶらこと音を立て、婆と爺の元へ流れ着いた。
人間の生首を見るのは初めての経験だった。セーレが見合っている形で抱えているので、誰だったのかはわからない。
それよりも、私はシルバと共に部屋の中に入り込んだ。彼が光魔法を使ってくれたようで、いつもより内部が明るい。一目見るだけで、その惨状が理解できた。
人が一人、倒れていた。生まれたままの姿で、両手を力なく広げている。隠れることのない豊満な胸から、その人間が女性であることがわかる。
そして、赤黒い切断面。首から上は虚無に覆われていた。肉肉しい赤と、際立つ脊髄と思わしき白。人間として最も重要な要素である顔が、その女にはなかった。
そして、死体の首元には黒く光る貴金属が置いてあった。刃の部分には血がべっとりと付着していて、首を切断するのに利用したのがわかる。
「何が起きているんですか?」
人外そのものであるシルバは、人の形を失った人間を見て呆然と口を押さえる。目を瞑りたくなるほど無惨な死体で、進んで見ようとは思わない。それでも、私たち二人の視界は赤黒い切断面に吸い込まれていった。
例え、死体の数が一つでも二つでも、バラバラ死体になっていたとしても、ここまでの驚愕は覚えなかっただろう。殺人以外の何も起きていない状況で、何が起きているか尋ねたりしない。
死体の首元にあるのは、我々調査隊メンバーの最初の目的である『巨大な魔力源』である、黒いサバイバルナイフ。セーレから殺人現場の部屋から持ち出されたことを確認していたので、驚きはしない。
問題なのは、その横にある死体だ。
全く同じなのである。
昨夜起きた、『十二人目の謎の首なし死体』と、あらゆる点が類似している。手の開き具合、胸部の大きさ、首元の切断面、ナイフとの距離感。記憶の中だけでも、類似点が無限に出てくる。
「模倣犯という奴ですか? 謎の十三人目の死体を生み出し、我々を混乱に陥れるためでしょうか」
「シルバさん。確かに、謎の十二人目の死体と構造は似ていますけれど、明らかに違う箇所もあります。あまり、同一視して思考を固めない方が良いです」
「何なのですか、異なる点というのは」
「首です」
『謎』の十二人目の死体と言っていただけあって、最初の死体は身元が不明だった。だから、殺人事件が起きているというのに緊張感がなく、異世界人である私だけが犯人を探そうとしていた。その私ですら、外部の死体にどう対処すればいいかわからず、自分を見失っていた。
「それじゃあ、誰なんですか。これは」
私はあえて、彼の言葉を無視した。本当はシルバも気がついている癖に。生首を直接見た他の調査隊メンバーの表情を見れば、誰が殺されたかなんて一目瞭然だ。
単純な話だ。首なし死体よりも、バラバラ死体よりも、生きている姿に近い方が恐怖を感じる。本当に死んでいることを、身をもって体感する。
それが知り合いならば尚更だった。生きていた時の表情、会話、癖などが鮮明に思い出せる。そして、生気のない泥のような皮膚と比較して、一層死を実感する。吐き気を催す。
血の海ですら、今までとは違って見えた。純愛の魔王の死体ですら、それが本当に血であると実感が湧かない。私が気絶したのも、理解の範疇を超えてしまったからだ。
これは違う。
「殺されたのはユア・シフトということですね……」
わかりきっていることを、シルバは今気が付いたかのように驚きを含みながら呟く。そんなことは、セーレの反応を見れば言わなくてもよかっただろう。彼女は自身のメイドの霰もない姿を見て、絶望していた。
それとも、シルバでさえ混乱しているのか。
いや、違う。
私以外の全員が、この場で混乱していた。
シルバの言葉をきっかけに、皆が一斉に口を開く。雪崩のように言葉が血の海を渡り、四方に声が飛び立った。
「ユアが! どうしてこんな酷いことを!」
「完全なる模倣殺人だ。最初の十二人目の死体を真似した。しかし、何のために」
「ふん、今更知り合いが死んだからと言って騒ぐな。もう三人死んでいる。命は平等だろう」
「傾国の魔王は何か見てないのか!」
「だから、地震が連続できて怯えていたんだって!」
「隣の部屋で殺人事件が起きていたんだ。何も聞いていないわけがないだろう!」
「教授、何があったんですか?」
「落ち着け、自分の目で見て確かめるんだ」
「ビナ・サチラはどこだ。まだ部屋に引きこもっているのか? それとも、本当は外に出ていたんじゃないか?」
「アリバイがないやつの方が多いだろ」
「死体から見て、殺されたのはついさっきのようです」
「そもそも、魔力源をここまでどうやって運んできたんだ」
「ユアが死んだっていうのに、どうしてそう冷静に物事を見れるんですか!」
ぱん。
手を大きく振りかぶり、空中で音を立てた。乾いたそれは、人々の会話をすり抜けて耳に届いた。彼らは次第に声を顰め、私に視線が集まる。
「皆さん、少し黙っていてください」
そう口にしながらも、頭の中では高速でパズルのピースをはめていた。あともう少しで、全てが埋まりそうだった。あまりの雑音に手が止まってしまったので、無理やり静寂を求めた。
勿論、数秒の時間稼ぎしかできない。「クローバー。貴方にこの場を仕切る権利はありませんよ」と、シルバが私を責め立てるが、人差し指で口元を抑えることで返した。
謎の十二人目の首無し死体。
死体が消滅し、天井が崩落した殺害現場。
傾国の魔王の襲来、幽閉。
純愛の魔王のバラバラ死体。
調査隊内部に隠れた勇者。
凶器で魔力源のサバイバルナイフ。
そして、ユア・シフトの生首。
最初と同じ、女の裸の首切り死体。
「仕切る権利はないと言いましたが、それはどうでしょうか」
私はシルバの唇に人差し指を縦に押し付けながら、彼の返事も待たずに終わりの言葉を告げた。
魔法で構成された一連の事件の終幕。
「私は探偵です。そして、皆さんは容疑者だ。推理を話す間は、私に従ってもらいます」
全てのピースが、ようやく揃った。
「謎は全て解けました」




