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58.死体は回る

【二日目 13:20】


 『純愛の魔王』への殺意の強さは、死体を見た時に苦しいほど理解した。私が気絶するほどの惨劇は、並大抵の執念ではない。

 それなのに、すぐに彼を殺害しなかったのは、『純愛の魔王』個人ではなく魔王という広い枠で恨んでいるから他ならない。


 『純愛の魔王』はいつでも殺せる。しかし、『傾国の魔王』はそうもいかない。なぜなら、彼女はビナ・サチラが正体を明かすまでは、唯の記者だったからだ。

 アオストの正体が明かされたあの瞬間。誰しもが彼女に注目していた。警戒もしていた。その間、隣の人間が姿を消していたとして、誰が気が付く?


 幸い、『傾国の魔王』は拘束された。これも、勇者にとっては追い風だった。いつでも殺せる魔王が、一気に二人になったからだ。それでも、騒ぎを起こさないようにするためには、やはり一人で十三層に引きこもっている『純愛の魔王』から殺すのが順番として適切だ。


 そして、その試みはうまくいった。『純愛の魔王』は死に、『傾国の魔王』は幽閉された。


「傾国様!」


 シルバは叫びながら螺旋階段を駆け抜ける。私も置いてかれないように走っていたが、魔法で強化した異世界人には叶わない。少し遅れた形で、息を切らしながら十二層に辿り着いた。目に入ったのは、日常で見ることのない一色だった。


 赤。


 一言でいうなら、それだけだった。


 例えるならば、アカデミー賞の授賞式だ。赤いカーペットが床一面に敷かれ、そのうえで呆然とシルバが立ち尽くしている。その赤が祝福のものではなく、人間を動かす潤滑油だったことは誰でもわかるだろう。


「おいおい、まじかよ」


 と、声を漏らしたのは情けないことに私だった。まさか、勇者がそこまで短絡的だとは思わなかった。アオストが幽閉されている部屋は十三層から一番近い。今のように、私たちが十二層に上がってくる可能性だってあったわけだ。


 少なくとも、今は『傾国の魔王』を殺すのにベストなタイミングではない。

 それに、アオストが幽閉されている部屋は当初から変わっている。もともといた左側の部屋ではなく、右側に。

 誰もいない空の部屋をあけた段階で、警戒度は十分高まったはずだ。直ぐに反対側の部屋をあける発想になるか?


 普通なら、罠だと思うだろう。冷静に、機会を改めるべきだ。少なくとも、私が勇者だと考えている奴は、感情に流されるほど短絡的には見えなかった。憎悪を孕みながらも、虎視眈々と機会を伺う冷たさがあると思っていたのに。


 少しの絶望感が侵食していっている脳みそに、一つの軽い声がかけられた。


「お兄さん? 何が起きているのさ」


 それは、右側の部屋から聞こえた。凛とした若い女性の声。私のことを『お兄さん』と呼ぶのは一人しかいない。


「アオスト、無事だったか!」

「無事も何も、さっきから地震がやばいんだって。本当に天井が崩落しそうだよ! この部屋は安全なの? 生き埋めなんて嫌だ!」

「地震って……」


 と、私が彼女の声を反復した瞬間だった。


 大地が大きく揺れた。昨日と同様、震度五強程度の縦揺れ。しかも、かなり長い。

 「これで五回目だよ!」と扉越しにアオストの声が響く。私たちが十三層にいる時は全く気が付かなかった。高いところにいる方が地震を大きく感じるが、地下の十二層も十三層も変わらないだろう。

 いや、それは重要ではない。

 

 今注目するべきことは、私たちの足元にある真っ赤な海である。十三層の純愛の魔王の海は既に固まっていたが、こちらの血は新鮮で地震の揺れで波紋を作っている。


 勇者は全ての魔王を殺す。先程、十三層で導き出された我々の結論である。それなのに、傾国の魔王はいまだに生きている。



 それじゃあ、これは誰の血だ。



 揺れる大地の上で、一歩ずつ前に進む。アオストのいる部屋ではなく、螺旋階段の左側だ。本来アオストがいるべきだった部屋。


 その扉の下にある数センチ程度の隙間が血の海の発生源だった。山の上流の如く、血が流れ続けている。シルバが私よりも先に扉に辿り着き、勢いよく破壊した。


「ぐっ」


 私も扉に駆け寄ろうとしたが、再度発生した大きな縦揺れでバランスを崩す。周囲を照らしていた魔法の照明が激しく揺らめき、足元を隠した。私は壁に寄りかかりながらも、血液の発生源に向かって足を前に出した。

 何かが、そこにはあった。暗くてよく見えないが、かなり重量のあるものが足に当たった。


 死体を蹴り飛ばしたとかではない。まだ私のいるところは、破壊された扉の麓だ。部屋に入ってすらいない。

 

 ぴちゃぴちゃと不快な音が血の海から聞こえる。どうやら、蹴り飛ばした物体は壁と当たって跳ね返ったらしい。無視して部屋の中に入ろうとした私の耳に、突き刺すような悲鳴が届いた。


「シルバさん、周囲を照らすことはできないんですか?」


 彼もかなり混乱している様子で、「今やっています」とだけ呟いた。少しして、光の照明が安定し元の形へと戻った。

 幸い、暗闇に乗じて天井が崩落するような最悪な事態に陥ってはいない。アオストのカウントも含めると、この短時間で六回の地震が起きていることになる。いよいよ地下にいるべきでない。

 それなのに、状況は最悪だった。



 先程の揺れで体勢を崩したのか、血の海に座り込んでいるセーレを、教授が宥めている。二人の白い服の一部は、赤く染まっていた。



 探偵として、新たな殺人が起きている左側の部屋の中に入らなければならない。既にシルバは中に入ってしまった。それなのに、私の目線は一点に吸い込まれていた。



 座り込むセーレの、手に持つ物体。地震の衝撃で、部屋の内部から転がり出てきて、私が蹴り飛ばした。壁に当たり、セーレの足元まで転がっていったのだろう。

 球体のような、彼女が抱き抱えるのにちょうどいいサイズだ。血の海で赤く染め上がってはいるが、ところどころから青白い不気味な色が覗かせる。



「う、うそですわ! そんな、こんなことが!」



 悲痛そうなセーレの声に、先程の悲鳴が彼女のものだったと気がついた。地震でバランスを崩したのではなく、『それ』を拾ったから倒れた。

 見てしまった。


 私もまた、『それ』が何か理解した。

 


 生首。



 人間の頭部が、そこにはあった。

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