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38.生贄を決めろ5

【一日目 23:45】


 固有名詞という存在は、世界を分けるにあたって一つの指標になる。どれだけ日本に近い歴史を辿っていたとしても、生きている人間が異なるのだから名詞が被ることはほとんどない。

 

 小説家アーサー・コナン・ドイルはこの世界にいない。故に、ジョン・H・ワトソンを知っている人間は地球人だと断定できる。

 逆に言えば、異世界の固有名詞を出されれば、私は毎度の如く知ったかぶりをしなければならない。新鮮な反応をしようものなら、常識知らずと怪しまれるだけだ。知っていて当然なものかどうかすら、見分けがつかない。


 しかし、今回は違った。私は初めて、異世界の固有名詞に対して、「これは知ってる!」と嬉しい声を抑える必要があった。


 傾国の魔王。


 最近話題沸騰中らしいのルーキー。言葉だけで隣国を滅ぼした内乱を誘発し、隣国の一つを滅ぼした人類の敵。


 教授が楽しそうに説明してくれていたのを覚えている。他にも、魔法学院の神秘を暴いたとか、国宝を盗んだとか、悪い話がたくさんあるらしい。

 その魔王が、モニ・アオスト。


 薮をつついたら、魔王が出てきた。


「固まれ」


 調査隊の中に魔王が紛れ込んでいるという衝撃の事実に、ほとんどの隊員が驚きで顔を見合わせていた。しかし、クラガンだけは驚きを見せず冷静さを保ちつ、冷たい言葉を唱えていた。


 クラガンの言葉が魔法だと気が付かなかったのは、おそらく私とアオストだけだったろう。彼の言葉に反応するように、身構えるように腰を低くした。

 

 当然、魔法に対しての知識がない私は何もしなかったわけだが、クラガンの『固まれ』という声はアオストに向けられていたらしい。


 アオストの服が淡く光り始めると同時に、彼女は「うぎゃ」と情けない悲鳴を上げ、受け身も取らずに倒れた。



「魔王は魔法が効かないという一般常識に囚われ、物理攻撃ばかり使うのは二流の魔法使いだ。裸の魔王はいない。衣服に魔法は効く」



 「あ、あ」と、アオストの顔が歪む。どうやら、衣服が文字通り『固まった』らしい。彼女の黒いローブが黒曜石のように煌びやかな材質に変わり、首元から血が流れている。

 とてもじゃ無いが、魔王とは思えない。事前情報と話が噛み合っていない。傾国するどころか、傾斜すら一人で降りられない少女だ。



「モニ・アオスト。弁明があるなら聞いてやろう」

「痛い」

「ふん、回復魔法を使えばいいだろう。それとも、魔王だから魔法は使えないということか?」



 クラガンの問いに、アオストは答えない。そして、それが答えだった。


 魔王イコール異世界人という方程式は、常識外の知識を持っているということ以外にも通じる。魔法が効かないという対魔法使いに特化した性質も、裏を返せば地球人だから魔法と干渉できないということに繋がる。


 ビナの嘘も、魔王に対する恐怖から来るものだったのだ。だから、彼女に対して常に畏怖を持って接していて、周りの様子も伺っていた。今のような、絶好のタイミングでなければ、ビナの話は受け入れ難いものだったのかもしれない。


 この状況でアオストの味方をする人間は誰一人としていない。自分以外の誰かが十二層に置いていきたいと考えている中で、都合の良い的ができたのだ。しかも、人類の敵である魔王だったとしたら、罪悪感も湧かない。



「ビナ。この女と会った経緯を話してもらおうか」

「会ったのは前日です。魔王城に着く直前、突然空から降ってきて、強襲されました。強力な魔法使いも何人か一緒にいて、一瞬で制圧されてしまって。『傾国の魔王』は国連の中でも第一指名手配犯になっているので、直ぐにわかりました。それで、仲間を人質に取られて、『記者として潜入するから、話を合わせろ』と催眠魔法をかけられました」

「催眠魔法? それならば、なんでお前は今喋れている?」

「カランさんが助けてくれました。ほら、国連公認の占い師なので繋がりがあったんです。本当は、カランさんが魔王を見張ってくれる手筈だったんですけど……」



 そのカラン・ターマは誰よりも早く離脱した。ビナの心境は穏やかではなかっただろう。一人で、魔王という存在を胸に秘めておかなければならなくなった。

 

 クラガンやシルバが協力してくれるこの状況に心底安心したようだ。彼は少し若返ったと感じるほど明るい笑顔で、つらつらと過去の話を続けた。

 

 その間、モニ・アオストは俯いているだけだった。魔王としての威厳も、異世界人としてのミステリアスさもない。唯の一人の少女が、自らの終わりを受け入れているようにも見えた。


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