二匹の救われない金魚
「条件を追加させてもらうわ。私が勝ったら、ハルは帰って良いわ。クッキーは私1人で砕く」
笑みを消し、見せるのは真剣な眼差し。
『1人で砕く』その言葉が示すのは先ほどから言っていたクロの願望ーー
「ああ、捕まる心配なら大丈夫よ。私は捕まってもあなたについては何も言わないし、私みたいな美少女が浴衣を着て歩いていた隣を、黒い地味な服を着たハルが歩いていたところでハルの顔なんて覚えている人は居ないわ。
あ、柄にも無くそれとも私の心配?ってそんなわけないか。さっき私のことを蝉に例えたくらいだもんね」
作ったように明るく早まった口調。
そんな大根な演技で騙せると思っているのだろうか。
内容はやはり捕まること前提、むしろそっちが目的か。
クロが爆弾魔として捕まればクロは社会的に死ぬことになる。
同時にクロが人と付き合うための仮面つまり『白石さん』は死ぬ。
しかし、その方法では白石黒美も大きな傷を負うことになる。
クロのやっていることは、自分の作った仮面の外し方が分からず、外せなくなったからといって、顔につけたままハンマーで叩き壊そうとしているのと同じなのだから。
「あぁ、蝉には例えたぜ?予想以上に当たってて驚いてるけどな。蝉の寿命が七日なのは人間に自由を奪われたときの話だ。自然環境では一ヶ月は生きると言われてる。勝手に自由を奪われた気になって七日で死のうとしてるシライクロミにはぴったりすぎたな」
急き立てるようになってしまったためかクロは驚いたようで、先ほどの大根演技の笑みを張り付かせている。
クロが作った仮面は周りに強要されたものじゃない。自分で勝手に捕まった気になって可能性を狭め、あまつさえ取り返しのつかない失敗を犯そうとしている。
「俺も追加だ。俺が勝ったらクッキーの処理は絶対に誰も傷つかないように2人でやる。いいか?絶対に誰もだ」
俺が傷つくつもりがないのは当然として、リア充も、『白石さん』も傷つけさせない。
『白石さん』はクロにとって必要だ。
人は大なり小なり仮面を作って生きている。
子供は上手くそれを作れない、思春期の青年少女は使えない、大人はそれを場合によって使い分けられる。
クロにとっての『白石さん』がどんなに強固な仮面でも、今壊してしまえば、クロは大人になれない。そんな気がするのだ。
俺は本当の意味でクロを……いや、俺は「誰も」と言ったがもちろん俺以外はただのついでだ。ついでにみんな守ってやるってだけだ。
言いたいことを言い切ったのが伝わったのか、クロは固まっていた表情を柔らかな笑みに変え水槽に向き直る。
それを見て、水槽に目を向けた俺の目には少しの波紋が見えて、耳には幾つか水滴でも落ちたような音が聞こえた。
気持ちを落ち着かせるためクロの方を向くことなく目を瞑る。
目を開いた俺はポイを沈め、戦闘態勢に入る。
俺は勝たなくてはならない。守りたいものがあるから。
この勝負、素人でも何匹かは取れる5号をクロが持っているのに対し、俺はポイが7号である以上、一掬いが限界であり、一見すると俺の敗北は決定的である。
しかし、先ほど力なくクロが腕を下ろしたことによって今もクロの周りに金魚が見えないのだ。
短期決戦。
俺がする手はかなりセコイことになるが、クロをーーじゃない、俺が勝つためにはいた仕方ない。
俺は目の前の金魚に視線を戻し、クロのことを意識から完全に外す。
俺のポイが7号である以上、下手に水中を移動させれば、それだけで破れてしまう。そうすればクロに敗れてしまう。
……くだらないな。止めよう。
短期決戦とは言ったものの、クロの周りに金魚が集まるには時間がかかる。
金魚が集まらないうちに無理にすくうとは考えづらいので、俺は落ち着いて勝負に挑むべきなのだ。
集中は高まり、世界から色も音も消えてしまったように祭の喧騒は一時なりを潜める。
……来た。
構えたポイの上を金魚達が通る。その瞬間を狙って水圧ができるだけかからないよう斜めに引き上げる。
ポイが悲鳴をあげる中、何とか器に金魚を持っていったところで、ポイは限界を迎える。
やはり一掬いが限界だった。
破れたポイから気持ちを切り替え、俺はポイを持ちかえる。
獲物を捕まえる網から、敵を貫く槍へと。
クロのほうを見れば、金魚はまだ集まり始めてすらいない。
クロもこちらに目を向けていて、俺のポイが破れたことを確認したようだ。
クロは再び視線を金魚に落とすがーー
「俺の勝ちだ」
その言葉とともに直線的に伸ばした俺のポイがクロのポイを貫く。
クロは屋台の光の加減か少し赤い目を大きく見開き、こちらを見ている。
そりゃそうだ。
「ハルって私よりよっぽど黒いんじゃ無い?」
恨みがましい目で俺の方を見てくるクロ。
その気持ちはわかる。よーく分かるが俺はルールに反してない。
そもそもこれから社会のルールに反しようとしているやつにとやかく言われたくない。
「悪いな。お前の願望は叶えるわけにはいかないんだわ」
『クロを守りたいから』そんな漫画の主人公が言うような薄っぺらいセリフは飲み込む。
勝ち方も含めて主人公ってがらじゃねえ。
……ていうか俺のために勝っただけだし。
「……質問の回答になってないわ。はあ、ーー引き分けの場合どうすんのよ」
引き分け?どういうことだ?
「ほら、嬢ちゃんのだよ。彼氏さんもなかなか意地悪だね」
そんなことをのたまうババァの手には1匹の金魚が入った水袋。それもほとんどいなかった黒い金魚だ。
当然俺がすくったものでは無い。
「彼氏じゃ無いですよ。ハルはただのーー知り合いです」
自嘲でも黒いわけでもない笑顔。
愛想笑いのつくり笑いだろうと思っていても見惚れる笑顔。
これも『白石さん』なのだろうか。
しかし、そんな疑問の前に聞いておかなければならないことがある。
俺の金魚を水袋に入れる前に、他の客の接客に向かったババァに聞こえないよう、トーンを落とし尋ねる。
「お前の周りには金魚がいなかったはずだ。何やったんだ?」
言外にズルしたのでは?と言っている。クロのポイを破いた俺が言うことでも無いのかもしれないが、譲れない勝負だったのだ。
「ひとのポイ破ったハルにそんな言い方はされたく無いわ、私のポイの下に1匹だけ残ってたのよ。この誰かさんに似た黒い金魚がね」
どこか優しい目で、微笑とともに黒い金魚を指差すクロ。やはり微笑女ならぬ美少女である。
なるほど確かにその指の先の金魚はどこかで見たような間抜けヅラをしているように見える。
「間抜けな金魚もいたもんだな」
「ハルと同じでね。で、引き分けならどうすんのよ?」
「ひきわけ?さっきから何言ってんだ?」
内心でニヤリと性格の悪い、ちょうどクロのような笑みを浮かべながらとぼける。
「とぼけないで。ハルも取ったのは一匹ーー」
「いやぁ遅くなって悪かったね。はいよ、意地悪な彼氏さん」
クロの若干不機嫌さが漂う言葉は言い切る前に戻ってきたババァの言葉に遮られる。
おかしなことをのたまっている気もするが、今重要なのは言葉ではなく、そいつの持つ水袋。
「俺はいら無いからその二匹は離しといてくれ。おばさん」
「はいよ。またきとくれよ」
「…………」
2匹の朱色の金魚が袋から出され、大して大きくも無い水槽を再び泳ぎだした。




