第1話 彼に殺されて幸せです
【死後レビュー:★★★★★】
『わたしは最高の死を迎えました。彼に殺されて幸せです』
遺族席から、息を吐く音がした。
悲鳴ではなかった。
怒号でもなかった。
安堵だった。
張り詰めていた空気が、星の数を見た瞬間にほどけた。
最前列に座る青年の肩が、ほんのわずかに下がる。
喪服の襟元まで乱れなく整えた、線の細い男。
ノア・ローエン。
死者レイナ・ローエンの兄だ。
彼は妹のレビュー本文ではなく、まず星の数を見ていた。
五つ。
満点。
膝の上で組まれていたノアの手が、ゆっくりとほどける。
指先だけが、長い祈りから解かれたみたいに白かった。
この都市で、人が死に際して残せる、もっとも幸福な終末評価。
たとえ、その下に「殺されて」と書かれていても。
「星五つです」
隣で、リリィ・クレメンスが葬儀用の白手袋を整えながら小声で言った。
「おめでとうございます。殺され方としては最高評価ですね」
「遺族に聞こえる声で言うな」
「聞こえない声ですよ。私は職務中ですから」
「職務中に言っていい内容じゃない」
「あら。つけたのは死者本人ですよ? レビュー欄」
「だから困ってるんだよ」
リリィは微笑んでいた。
柔らかく、礼儀正しく、葬儀場に置かれた白百合みたいに。
ただし、その目だけは遺族席を見ていた。
死者ではなく、死者の言葉を読まされた生者たちを。
開示室には、花の匂いがした。
白い壁。
白い椅子。
白い卓上端末。
故人を悼むには清潔すぎて、誰かの感情を洗い落とすための部屋に見える。
端末の横には、レイナ・ローエンの遺影が置かれていた。
淡い金髪。
整った顔立ち。
まだ十七歳。
肖像の中の彼女は、貴族令嬢らしい控えめな微笑を浮かべている。
その彼女が、最後に残した言葉。
『わたしは最高の死を迎えました。彼に殺されて幸せです』
「死んだ方に、犯人の名前を書いていただければ楽なんですけどねえ」
リリィが、式次第を確認するような声で言った。
「レビューに固有名詞は出ない」
「不便ですねえ」
「便利だったら、死者の一言で生者が裁かれる」
「……それは、葬儀より処刑に近いですね」
「だから僕らが確認する」
軽口を返しながら、僕は端末の文字をもう一度追った。
人は死ぬと、星と短い文章を残す。
世間はそれを死後レビューと呼ぶ。
正式には、終末評価。
星の数は、死者が自分の死をどれだけ受け入れたかを示す。
つまり、星五つは真相の証明ではない。
ただ、死者が納得して死んだという記録だ。
「レイナ様は、ご自分の死に満足していた」
リリィが言った。
「少なくとも、制度上はそう表示されている」
「死者は嘘をつかないんですよね?」
「嘘はつかない」
「では、正しいのでは?」
「違う」
僕は画面から目を離さなかった。
「人は、間違えたまま死ぬことがある」
リリィが、少しだけ黙った。
その沈黙の間に、僕はレビュー本文をもう一度読んだ。
殺された。
彼。
幸せ。
普通なら、そこに目がいく。
けれど僕の目は、そのどれよりも最初の一語に引っかかっていた。
わたし。
レイナ・ローエンは、生前の書類で一度も自分をそう呼ばなかった。
終末意思登録。
婚約者への書簡。
葬儀評価局に提出された各種申請書。
彼女が使っていた一人称は、いつも同じだった。
わたくし。
古風で、硬く、いかにもローエン家の令嬢らしい言い方。
それが、死の直前だけ変わっている。
「……一人称だけで事件にはならない」
僕は呟いた。
「もちろんです」
リリィが即答した。
「句読点ひとつで人を疑えるのは、ミオさんくらいですから」
「褒めてないな」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「病気です」
否定はできなかった。
死者の言葉を読みすぎると、普通の文章にも死臭が混じる。
助詞の選び方。
語尾の揺れ。
書かれていない単語。
そこに、死者が最後に見た景色の影が残ることがある。
ただし、影は影だ。
影だけを掴んで犯人だと叫ぶ人間は、監査官ではなく占い師になる。
「でも」
リリィが、遺族席を見たまま言った。
「文字以外にも、変なものはありましたよ」
「何を見た」
「顔です」
「誰の」
「お兄様の」
ノア・ローエン。
妹を失った兄としては、背筋が伸びすぎている男。
いや、姿勢が良いことは罪ではない。
泣き崩れないことも罪ではない。
人の悲しみ方は、それぞれ違う。
だがリリィは、そういう綺麗な一般論を信じていない。
「ノア様は、“殺された”に反応しませんでした」
「星五つに反応した?」
「ええ」
リリィは白手袋の指先を軽く合わせた。
「妹が殺されたかもしれないと知った人間は、普通、怒るか、崩れるか、否定します。でもノア様は、星を見て息を吐きました」
「安心した人間の呼吸か」
「少なくとも、妹が殺されたと知った人の最初の呼吸には見えませんでした」
断定しない言い方だった。
けれど、リリィの目は少しも迷っていなかった。
僕はもう一度、端末を見た。
【死後レビュー:★★★★★】
『わたしは最高の死を迎えました。彼に殺されて幸せです』
「この件、通常処理には回さない」
「あら。星五つですよ?」
「だからだ」
僕は端末を閉じた。
画面が暗くなり、そこに僕の顔が薄く映る。
葬儀評価局終末評価課、異常評価係監査官補。
灰庭ミオ。
僕の仕事は、死者の最後の言葉を読むことだ。
そして時々、その言葉を読んで安心した生者を、もう一度疑うことでもある。




