真相(終)
【ロカ伯爵家、先代女伯爵伴侶殺害事件の経緯】
ロカ伯爵家、先代女伯爵ミカエラの伴侶、元ユース子爵家四男ミゲル殺害事件について。
ミゲルは王都学園二学年冬から三学年の卒業前月まで、平民パメラと交際中であった。
卒業間近に婚約者が病没したロカ伯爵家から婿養子の打診を受け、直後にパメラと互いの同意の上で交際を解消す。
――そこまで読み返して、私は手を止めた。
お父様の殺害事件後、事件の悪質さからキアラを批判する方向で世論は固まっていたが、中にはキアラの母パメラと婚前交渉した父を攻撃する意見も若干あった。
報告書をあらためて確認すると、どうやら父とパメラの性交渉は、父と私の母の婚約直前だったろうと察せられる。
「あら、でも婚約者のいない恋人同士の頃でしょ?」
「ええ、まあ……ただ、随分と短い期間にと言いますか」
そろそろ占い師ハスミンが別の国へ移動すると噂に聞いて、私はまたあの喫茶店に足を運んだ。
すると今日も窓際の席で、ハスミンは大きな素焼きのマグカップでコーヒーを楽しんでいた。
噂を聞くわりに、私以外の客を相手にしているところを見たことがなかったけれど。
私は持参した事件の報告書をテーブルに広げ、気になっていた箇所を指で示した。
「報告書を読み返すと、いろいろ読めることはありますね」
「あなたのお父様が次期女伯爵の婿になるかもしれないから、お別れに盛り上がっちゃった、みたいな」
「……ですよね」
ハスミンはあっさりと、私が口にするのをためらっていたことを言ってのけた。
この国は王侯貴族の制度のもとに運営されているから、貴族同士の政略結婚は今でもあるし、両親もそうだ。
とはいえ、今時は自由恋愛が社会的に認められていて、貴族と平民間の恋愛や結婚も普通にある。
不貞はさすがに駄目だが、婚約者のいないフリー同士なら、婚前交渉も余程のことがなければ咎められることもなかった。
ということで、父とパメラのことも、我がロカ伯爵家はそこを問題にはしていない。
ただ……
「何で避妊しなかったかよねえ?」
「……ええ。ただ、父が言うには避妊は確実にしていたというんです」
私は報告書の別の頁を開いた。
「娘の私に詳しく言うのは……はばかられたようですが、弁護士の聞き取りには、避妊具や避妊薬の何を使っていたかまで供述した記録が残っていました」
父が生前、どれほど真剣にこの問題と向き合っていたかは、私が一番よく知っている。
キアラの存在を知らされたときも、父は自分の責任を認め、できる限りのことをしようとしていた。
だからこそ、過去の交際についても、弁護士に包み隠さず話したのだろう。
それにしても、実の父親の男女交際の詳細を、娘がこうして調べなければならないとは……何とも複雑な気分である。
はあ、と大きく溜め息をついて、私はコーヒーを飲んだ。
今日のマスターおすすめスイーツは、手のひらサイズの丸いチョコレートパイだ。
焼き上げたパイの上部をキャラメリゼして、さらに全体をミルクチョコレートでコーティングしてある。
死ぬほど甘いが、パイのバターの豊かな風味と飴の香ばしさ、まろやかなチョコレートの組み合わせが深煎りコーヒーによく合う。
こんな話をしながら食べるには、もったいないくらい美味しい。
「もう答えは出てるじゃない。女のほうが子供ができるような細工をしたんでしょ?」
「……ですよね」
ハスミンはチョコレートパイを一口食べ、何でもないことのように言った。
あまりにもあっさりした口調だったが、私も同じ疑いを抱いていた。
もちろん、避妊をしていても妊娠する可能性はある。だが、父の供述と、その後に起きた出来事を並べてみると、どうにも引っかかるものがあるのだ。
ロカ伯爵家を引っ掻き回したキアラは処刑されたが、その母親パメラは、まだ隣国で老公爵の後妻として健在なのだ。
夫が高齢のため、二人の間に子供はいないようだが……
「何か気持ち悪くて。本当にこれで全部終わりなのかと」
私はコーヒーカップを置いた。
異母妹キアラ。
正確には一月先に生まれているから異母姉なのだが、パメラが娘をわざわざ、元恋人の娘である私が生まれた後に出生届を出していることも引っかかる。
なぜ、生まれてすぐに届け出なかったのか。我が国の出生届の提出期限は七日。一ヶ月はいくら何でも長すぎる。
単なる事情があったのか、それとも何らかの意図があったのか。
今となっては、どちらとも断定できない。
ただ、キアラのことを思い返すといくつかの仮定が考えられる。
私があの子と関わったのは、一年に満たない期間だった。
愛らしい顔立ちで、一見すると人懐こく、誰にでも好かれそうな少女だった。
だが、あの子はあまり賢くはなかった。
自分の欲望には忠実だったけれど、そのために何をすればいいのか、行動の結果どうなるのかを、きちんと考えられる娘ではなかったのだ。
平民が、貴族家当主となる私の婚約者を寝とるとどうなるか。
平民が、貴族の父を殺害すると、どうなるか。
その結果に思い至らない娘だった。
では、誰が彼女に、祖父母を亡くした可哀想な子供の振る舞いや、親戚に搾取された哀れな孤児を装うことを教えたのか?
キアラが自分で考えた可能性も、もちろんある。
しかし、あの娘が見せていた計画性のなさと、実際に接して感じた思慮の浅さには、どうしても隔たりがある。
「隣国にいるパメラとキアラが、どこまで連絡を取り合っていたのか。あるいは、いなかったのか。……もうこちら側には、二人の間の手紙も残っていなくて、調べようがないんです」
私は報告書を閉じた。
母親からの仕送りが途絶えたという話も、祖父母の遺産を親戚に奪われたという話も、今となってはキアラが仕組んだものだったと判明している。
だが、それをすべてキアラ一人で実行したのかどうかは、まだわかっていない。
そして、その疑問を考えるたびに、どうしてもパメラの存在が浮かび上がってくるのだ。
このことに気づき、私は先日、隣国公爵夫人パメラについての懸念をまとめた報告書を、国王陛下に送っている。
すると今度は陛下ではなく宰相閣下から、国としても同様の懸念を持ってパメラ夫人の動向を追っていると回答が来た。
つまり私の考えすぎではなかったということだ。王宮もまた、あの事件が本当に終わったのか、疑問を持っている!
パメラ夫人は今も健在で、夫の公爵閣下を内助の功で補佐している。
そもそも隣国に出稼ぎに出た後、公爵領の末端組織の事務員から始まって、少しずつ出世して、やがてその有能さを公爵に見初められ、後妻に迎えられた女性だ。
経歴からして、只者ではない。
父と同じ王都学園の卒業生だったというのだから、もともと優秀な人物だったのだろう。
しかも、平民の身から他国の公爵領で実績を積み、最終的には公爵夫人の地位まで手に入れた。
本人の努力と能力がなければ、そう簡単にできることではない。
……だが、そもそも、働くだけならこの国に残ってだって、充分できたはずなのだ。
王都学園の卒業生なら、国内にも就職先はいくらでもあっただろう。
それなのに、幼い娘を裕福な実家に預け、わざわざ他国へ渡った。
そして、長い年月を経て公爵夫人となり、今も隣国の大貴族の家で暮らしている。
もちろん、他国で働くこと自体は何ら不自然ではない。
けれど、父との交際、妊娠、遅らせた娘の出生届、国外への移住、そしてキアラの一連の行動。
こうして時系列に並べてみると、偶然として片づけるには、あまりにも気になることが多かった。
私は指先で報告書の表紙をなぞった。
「……もし、パメラが何か知っていたのだとしたら」
その先は口にするのも躊躇われた。
キアラは既に処刑されている。だが、その母親は今も隣国の公爵夫人なのだ。しかも、夫の公爵は王家とも深い関係を持つ大貴族である。
仮にパメラが何らかの形で事件に関与していたとしても、簡単に事情を聞き出せる相手ではない。
ハスミンはしばらく黙って私の話を聞いていたが、やがてコーヒーカップを置いた。
「思ってたより、大ごとになるかもしれないわね。ナタリエさん、気をつけて」
「……はい。家門一同にも改めて注意を促しますわ」
私は深く頷いた。
父の仇は討たれ、キアラももうこの世にはいない。
それでも、まだ何かが残っている。
そんな不気味な感覚が、どうしても拭えなかった。
数年後、再び事件は起きた。
隣国のシラーニ公爵へ後妻として嫁いだパメラが、スパイ容疑で拘束されたのだ。
その知らせを受けたとき、私は思わず執務机から立ち上がった。
「……パメラが、スパイですって?」
しかも、容疑は単なる機密情報の漏洩ではなかった。
隣国の捜査当局による厳しい尋問で、パメラは自らの出自と、これまでの活動について供述を始めたという。
彼女の一族は、数代前に我が国へやってきた移民家族だった。
出身は、国際社会で悪名高いテロ国家、ミルズ王国。表向きは、その国の圧政から逃れてきた難民だったという。
我が国では、移民は所定の帰化手続きを行い、一定年数の納税実績を積めば国籍を取得できる。
パメラの一族も、その制度を利用して我が国の国民となっていた。
だが、それは表向きの姿にすぎなかった。
彼らは移住先の国籍を取得し、その国の社会に溶け込みながら、密かに祖国のための諜報活動を行う一族だったのである。
「……そんな」
私は報告書を持つ手が震えるのを感じた。
パメラが王都学園に入学したことも。
学生時代に父ミゲルと恋仲になったことも。
肉体関係を持ち、子供を産んだことさえもすべて、祖国のためのスパイ活動とテロ計画の一環だったというのだ。
――では、お父様は。
お父様は、最初から狙われていたというの?
元ユース子爵家四男という貴族の身分を持ちながら、当時はまだ婚約者のいなかった父。
パメラはそんな父に近づき、恋人となった。
そして、父がロカ伯爵家の婿養子となることが決まると、互いの同意のもとで別れた。
ごく普通の恋人同士の別れだったと聞かされていた。
けれど、パメラにとっては違ったのだ。
父との間に生まれた娘キアラ。
その存在こそが、後にロカ伯爵家へ入り込むための手段だったわけだ。
「ああ……なるほど、そういうことか」
なぜ、キアラが私より早く生まれているにも関わらず、私より後に生まれたと時間差をつけて出生届を出されたか、わかってしまった。
……父が。父がパメラと別れた後、つまり私の母と結婚後も彼女と関係があったと〝誤認〟させるためだ。
誰に? 私の母や父の周囲の人々にだ。
――いざとなったら、父の不貞が結婚後も続いていた証拠として使うためだろう。
何という用意周到な。
調査すれば事実は簡単に露呈するだろうが、〝庶子の誕生日が妻の子より遅い〟のファーストインパクトは強い。
キアラが祖父母を亡くして困窮した孤児を装い、父を頼って我が家へやってきたことも、偶然ではなかった。
すべて、計画されていたのである。
そして、パメラが娘を父を通じてロカ伯爵家へ送り込んだ計画は、途中までは成功していた。
キアラは私の元婚約者ダミアノを誘惑し、侯爵家との婚姻関係を破綻させた。
だが、その後が問題だった。
父を殺害し、私を脅して伯爵家を乗っ取るという目論見は失敗。
キアラは逮捕され、裁判で極刑を言い渡された。
そこで、パメラたちは計画を修正したのだという。
パメラ自身が後妻として入り込んでいた、隣国のシラーニ公爵家。
その家の権力と外交上の影響力を利用して、キアラを我が国から引き取ったのである。
……私は、あの頃のことを思い出した。
父を殺したキアラに特別恩赦が与えられ、隣国へ引き渡されると聞かされたとき、私は国王陛下に激しく抗議した。あまりにも理不尽で、到底納得できなかったからだ。
しかし、あれは単に娘を救いたい母親の願いではなかったのだ。
キアラを利用した計画を、次の段階へ進めるためだったという。
そして隣国で起きた事件。キアラが、シラーニ公爵の孫娘の婚約者である王子に手を出したこと。
あれも、単なる強欲な娘の愚行ではなかった。パメラたちは一貴族家の乗っ取りから、一足飛びに国家そのものの掌握へと標的を変更していたのだ。
王子の婚約者という立場を奪い、やがて王家へ入り込む。
それが、彼女たちの新たな目論見だった。
「……国を、乗っ取るつもりだったの……?」
私は呆然と呟いた。
伯爵令嬢になりたいと騒いでいた、あのキアラは、その次は王子妃の座を狙った。
あまりにも身の程知らずで、愚かしい行動だと思っていた。
だが、その背後には、祖国のために他国を内側から侵食しようとする思惑があったのだ。
あの娘自身が、どこまで計画の全容を理解していたのかはわからない。
けれど、少なくとも母パメラは知っていたのだ。娘を利用し、貴族家へ、さらには王家へと入り込もうとするために。
その事実が明らかになったことで、事件は隣国だけの問題ではなくなった。
我が国の貴族家に対する工作、隣国の公爵家への潜入。王族を標的とした国家転覆の企て。
しかも、その背後には、国際社会で悪名高いテロ国家の存在まである。
パメラの供述によって長年にわたるスパイ活動の全容が次々と明らかになるにつれ、隣国どころか我が国を含む国際社会が震撼した。
私は報告書を閉じた。数年前、喫茶店でハスミンに相談したときのことを思い出す。
『思ってたより、大ごとになるかもしれないわね。ナタリエさん、気をつけて』
……本当に、大ごとになってしまった。
あのとき、私はまだ知らなかった。父の婚外子をめぐる騒動が、これほど恐ろしい陰謀の一端だったなんて。
そして、あの優しい父が、ただ学生時代に恋人を愛したというだけで、十年以上にもわたる計画に利用されていたなんて。
「……お父様」
私は、もう二度と会うことのできない父の名を呼んだ。
お父様。あなたが救おうとした娘は、最初から私たちの家を奪うために送り込まれていた。
そして、あなたがかつて愛した女性は――
私はそこで残酷な真実に言葉を失った。
ロカ伯爵家は、彼女たちと関わった当事者として、また被害者としてもこの件を無視できない。
我が伯爵家も、なぜこの家や父が狙われたのか、改めて調査し直す必要がある。
「……国王陛下に謁見の申請を。テロ対策には我が家も加わらなければ、いけないわ」
私は報告書の一文に目を落とした。
――隣国で拘束されたパメラはその後、逃亡して消息不明となっている――とある。
ロカ伯爵家を巡る一連の事件の後、私の新しい婚約者はまだ決まっていない。キアラの事件の余波がなかなか引かず、私自身もなかなか次の婿を探す気になれなかったせいだ。
だが、こうなっては及び腰のままではいられない。早く婿を迎えて、伯爵家の態勢を固めるべきだ。
王宮に行ったら、学園時代の友人を訪ねて婿候補を何人か推薦してもらおう。
……できたら、陛下にお願いできるのが一番良いのだけれど。
終わり




