預言の聖女は侍女に仮面を剥がされた模様⑦
ローレンス王太子にとっては祖母に当たる、フォルトゥム王国前々国王陛下の正妃――フィオレンツァ上太皇后陛下の御年七十歳の誕生日を祝う絢爛たるロイヤルガーデンパーティーが、いまだ夏の日差しが眩しい初秋のこの日、王宮の中でもことさら絢爛豪華な、色とりどりの薔薇が咲き乱れる“薔薇の庭園”にて開催される運びとなった。
誕生パーティには海外からも王侯貴族、各ギルドの有力者や著名人も綺羅星のごとく招待され、当然ながら国内の大貴族や上級貴族(直臣である伯爵以上の貴族)も、日頃の門閥や派閥の垣根を越えて上太皇后陛下へ言祝ぎすべく、続々と列をなし王宮正門前にはまるで蟻の行列のような順番待ちの馬車の轡を並べ、さらにそれを遥かに上回る人数の王宮警備兵や近衛騎士の他、王都を守る虎の子である最精鋭部隊である王国騎兵団第一部隊までもが投入され、浮ついた王侯貴族たちと物々しい警備陣とで、普段であれば閑散とした広い目抜き通りが埋め尽くされる……という滅多に見られない事態に見舞われていた。
その影響は貴族街以外の市民街や目抜き通りでも見られ、外国からの訪問客や見物客を当て込んだ露店が立ち並び、そこかしこから花火が打ち上げられ(打ち上げ費用は富裕層が賄っている)、フォルトゥム王国王家の発展とフィオレンツァ上太皇后陛下のご長寿を心より祝う、王都を上げてのお祭り騒ぎが朝早くから繰り広げられている。
「いや、めでたい!」
「フォルトゥム王家に栄光あれ!」
「永遠に沈まぬ太陽、フォルトゥム王国万歳っ」
「フィオレンツァ上太皇后陛下のご長寿もめでたいが、午前中の王族様方のパレードで王太子殿下と噂の婚約者である公爵令嬢のお二方も見たか?」
「文武両道に優れて美男の王太子殿下と、普段は侍女として支える内助の功を発揮する才色兼備な麗しい公爵令嬢の仲睦まじいお姿。……王国の未来は盤石だな!」
「ははははははっ、その通りだ! フォルトゥム王国の未来に乾杯っ!!」
この日ばかりは旦那連中もお小言を気にすることなく昼間っから酒を飲み、貧しい孤児などが暮らす慈善施設にも善意の寄付金や衣服、菓子などの寄付がこれ見よがしに寄せられ、時ならぬご馳走や新しい服(と言っても古着ではあるが)や靴、玩具などに歓声をあげる子供たちの姿があり、
「毎日偉い人の誕生日だったらいいのに!」
という子供らしい感想に、施設の職員たちは微苦笑を漏らすのだった。
さて、午前中は公務として王室専用の白馬が引く絢爛豪華な盛装馬車による、王族のほぼ全員が参加しての記念パレードが行われ、午後からはフィオレンツァ上太皇后陛下主催の誕生パーティという流れになっている。
当然ながら直系継嗣に当たるローレンス王太子も主賓として参加し、婚約者であるお色直しを終えたドレス姿のアルカンタル公爵令嬢を伴って、普段住まいの離宮から(王宮というものは幾つもの宮殿や神殿、使用人たちの居住区、また王族専用の厩舎には百頭余りの気品に溢れた名馬が飼育され、さらには敷地内にちょっとした畑や放牧地まである、一個の独立した街と言っても過言ではない)王太子を示す王家の家紋入りの豪奢な箱馬車に乗って、十五分ほどかけてパーティ会場である“薔薇の庭園”へと向かうのだった。
その広々とした馬車内で、ローレンス王太子の隣に座るヴィクトリアがパーティの参加者名簿とプログラムを改めて確認して、軽く頷いたり小首を傾げたりしている。
「デシデリオ第二王子がエスコートするのは、母方の従姉に当たるエヴァンジェリスタ辺境伯家のナタリア様ですか……ふむ、まああの第二王子の手綱を握れるのは武闘派で年上のあの方くらいな者でしょうから妥当ですね」
確かエヴァンジェリスタ辺境伯家のナタリア様のお父上は、デシデリオ第二王子の母親にして側妃にあたるカルメンシータ妃の兄にして、現エヴァンジェリスタ辺境伯、ナタリア様はその長女――なおかつ、紛争地帯である北辺境伯家に相応しい尚武の気質を持ったお方。
それが行き過ぎて「私よりも弱い男に嫁ぐつもりはない!」と言い切り、求婚者を文字通りに蹴散らして四十歳近くなった今になってもいまだに浮いた噂ひとつないという、実に漢らしい女傑である。
「年齢さえ近ければ武骨なデシデリオにピッタリなんだがなぁ」
相変わらずの恋愛脳で男女関係に焦点を当ててしか考えられないローレンス王太子のボヤキに、何か言いたげな顔をしたヴィクトリアであったが、王族主催のパーティなど年に何回行われるか(社交界シーズンに王都で開催されるパーティのほとんどが○○家主催の私的なパーティである)、片手の指で数えられるほどであり、そうした機会に高位の令嬢が陛下に謁見し社交界デビューする機会の場と捉えているのは確かなことであるため、無言で肩をすくめて軽い口調で反論するのだった。
「男女を逆に考えれば、五十歳を過ぎた貴族当主が二十歳そこそこの令嬢を娶るなど珍しくもありませんけれど?」
「いやそうかも知れないが、兄としてさすがに異母弟を行かず後家に婿入りさせるのもなぁ」
「家格的にも釣り合いは取れていますし、考えてみればナタリア様は昔からデシデリオ殿下をことさら可愛がっていましたからね」
この場合の『可愛がる』は足腰立たなくなるほど鍛えることを意味する。
「案外、本気で自分好みの男になるようデシデリオ殿下を育成していたのかも知れませんね。ショタを自分好みの彼氏に育てる……逆ガラテイアですね」
ちなみにガラテイアというのは、古典神話の有名な逸話である。
現世の女性に失望していたウガリット王は女神を模した彫刻を自らの手で造り出す。
そのあまりの美しさに造った当人であるウガリット王は、『ガラテイア』と名付けた彫刻に恋をして寝食を忘れるほどであった。
自らをモデルにした像をあまりにも熱愛するウガリット王を哀れに思った女神がガラテイアを人間に変え、相思相愛になったふたりは結婚をして子供をもうけ……という物語である。
「――え゛!? だとするとあのオバサン、デシデリオが生まれた十七年前から虎視眈々と将来を見越して狙っていたってことか? 無茶苦茶迂遠で怖いわ!」
身を震わせるローレンス王太子をジト目で睨むヴィクトリア。
「何でもいいですが、間違ってもご本人の前で年増扱いしないようご注意ください。公的な場では『ナタリア嬢』(上級伯爵以上の貴族の娘には『嬢』、下級伯爵以下の娘には『閣下』を付けるのがマナーである)。私的な場所では『お嬢様』扱いが適当です。間違っても『Mrs』など付けないように、お呼びになる際は無難に『Ms.』ですから、お間違えなく」
「……うちの王妃と同年配の御婦人相手に『お嬢様』扱いはさすがにキツイというか、逆に失礼なのじゃないのか?」
「普段からそうしろと言うわけではありません。こうしたハレの舞台での特別感です。だいたい年齢に関わらず女性は誰でも一個の女として扱われて悪い気はしないものです。と言うか、そもそも殿下は女性に対する心遣いがなっていません。だからブリセイダ様に愛想を尽かされて婚約を破棄などされるのです」
「いや、それは……」
反論しかけたローレンス王太子だが、表面上の事情しか知らない乗り合わせている侍従や近衛の手前、ごにょごにょと腰砕けになるのだった。
いい機会だとばかりヴィクトリアは専属侍女と婚約者の両方の顔で畳みかける。
「いいですか、女性というものは温室に咲く観葉植物みたいなものです。勝手に生えるものではありませんし、植えたなら毎日手入れをして水をかけないと枯れますし、果実もならないでしょう。朝夕の軽い挨拶から、ありがとう、紅茶美味しかったといったような心遣いの水をかければ、生き生きとよくなる……かどうかは人それぞれですが少なくとも悪くはなりません。いいですか? 大事なのはさりげない心遣いですよ!」
「お、おお……そ、そうだな。先入観なしでナタリア殿――嬢と、デシデリオとの仲を取り持っても良いかも知れんな。エヴァンジェリスタ辺境伯家に貸しを作ることもできるしな」
こういう政治的な話は好きだろう、私のことを見直すかも知れんな――と、密かに期待しつつローレンス王太子はヴィクトリアの顔色を窺う。
途端、白けたようなジト目が返ってきた。
「相変わらず考えが浅いと言うか、表面上しかとらえられていないというか……。――何を馬鹿なことを言ってるんですか殿下。従姉弟同士で結婚できるわけがないでしょう。それを公然と支持するなんて神殿と倫理観に真っ向から喧嘩を売るようなものですよ」
「えっ、そうなのか!?」
「王国法では明記されていませんが、教会法では明確に『八親等以内の者同士の結婚を禁ずる』とあります。実際、近親婚を繰り返すと子孫にいろいろと影響が出ますから、まったくの事実無限というわけではないのですが。実際、血筋が濃くなると良い影響として非常に美形であるとか、運動能力に優れているとかいう特徴が現われるメリットがあるので、王侯貴族は家格に釣り合った相手を求めるきらいがあるのですが……」
それはまさに自分のことだな、とドヤ顔をするローレンス王太子と、顔のプリントだけ良くても中身スカスカだもんなぁと、密かに慨嘆するヴィクトリア。
「デメリットとしては大抵が先天性の虚弱体質や疾患、奇形といった負の遺伝として顕著になりますから近親婚はなるべく避けるべきですね。著名な例としては、閉鎖的な環境で家畜の品種改良並みの近親交配を繰り返したメルギトゥル国の支配者、バルシュミーデ家の先端巨大症などが顕著ですね。――というか、わたしとしては殿下とご兄弟たちの後先考えずに、刹那的な判断しかできないノータリンな気質も遺伝的な弊害ではないかと疑っているのですが?」
「どういう意味だ!?」
「文字通りの意味ですが? 顔だけ良くても女性を蔑ろにして、反省の色もないような中身が腐って糸を引いている男に存在意義がない……という婚約者としての忌憚のない発言です」
ローレンス王太子の中ではすでに過去の話になっている元婚約者ブリセイダ嬢への婚約破棄未遂と、男爵令嬢のハニートラップにかかった出来事を蒸し返されて、鼻白んだ表情でため息を漏らした。
「反省はしたし、違約金だって毎月払っているだろう!」
さすがに王太子の個人資産で一括して支払うのは無理であったので、代わりに国王陛下が代理で負担をして、毎月毎月そちらに月賦で支払う形である。
「更生の機会を与えるという名目ですが、恣意的に悪事をなす人間というものは形だけ反省したフリをしても、根本的に自分に非があるとは決して思わないものですよ。悪魔の回心など誰が信用しますか」
「私の場合は嵌められたんだ! ある意味被害者だろう! だからブリセイダも穏便に婚約の白紙撤回に応じて、わだかまりのない関係に戻ったわけだろうが!?」
顔を真っ赤にして反駁するローレンス王太子の赤裸々な本音を聞いて、ああやっぱり都合よく解釈していたか……と嘆息するヴィクトリアであった。
「よろしいですか。仮にブリセイダ様とシスネロス侯爵が手段を択ばずに殿下に復讐をしたところで、自分の中で気持ちの区切りや始末をつけただけで、あとには何も残らないでしょう? 傷ついた心の痕や無駄にした時間は戻らないのですから、その代償としてせめて金銭や実利――今回は王家に対して貸しを作ったという実績――を得ることを選んだだけで、ブリセイダ様としては無理やり気持ちの折り合いを付けただけです。かようなことから、わたしはブリセイダ様の轍を踏まないように、やはり復讐などしないで済むように普段から気を付けることが肝要だと学びました……というわけで殿下の心情については一切斟酌せずに、目に見える間違いは見つけ次第矯正することにしています」
身も蓋もないヴィクトリアの宣言に、この婚約は間違いではなかったのでは……? という微かな疑念がローレンス王太子に生まれる。
そんな彼の心情を忖度したのだろう。ヴィクトリアは軽く肩をすくめて付け足すのだった。
「先ほどの教会法の話に戻りますが、血統的にわたしの曽祖父に当たる時の大公殿下は三代前の国王陛下の王弟に当たりますし、ローレンス殿下の母方の伯祖母に当たる方がアルカンタル公爵家祖母……二代前の正室でもありますから――」
「ん? ちょっと待て、その場合の親等は……」
ひいふうみい……と指折り数えて混乱しているローレンス王太子に向かって、ヴィクトリアがあっさりと正解を口に出す。
「八親等に当たりますね。教会法的にはアウトなのですが、現在の王侯貴族は同ランクの者との婚姻を繰り返さざるを得ないため、近親婚を避けることは事実上不可能となっています」
大貴族や上級貴族は無論のこと、下級貴族も派閥内部で結束を固めるために、ほとんどが親戚関係にある。そのため婚姻に関しては教会法に抵触していても、「気付かなかった(棒)」ということにしてバックレたり、あるいは神殿に多額の寄進をすることで特別免除をもらうなどして、もはや有名無実なものと化していた。
「とは言え名目的には決まりは決まりですので、夫もしくは第三者がこれを瑕疵として離婚を申し立てることも可能です」
まあ対外的には前の婚約者との婚約を破棄して『真実の愛』で結ばれた――実態は国王陛下夫妻や宰相閣下、真聖堂教会の大司教猊下まで揃って「どうか足りない王太子を補佐してやってくれ」と頼み込まれた人身御供も同然の――新たな婚約者との婚約や結婚を撤回できるものならやってみればよろしいのでは? 民意と議会とアルカンタル公爵家が黙っていないと思いますが……というか個人的な怨讐とか面倒臭いので、手遅れになる前にわたしが完膚なきまでに叩き潰しますので、心得ておいてくださいね?
そうビジネススマイルを浮かべたまま無言で圧を加えてくるヴィクトリアに耐えかねて、ローレンス王太子は自分用の参加者名簿に視線を落とし、出席者とパートナーの名前を流し読みしていたが――。
「うん? イスマエルのパートナーがアマリア・マルキーニ男爵令嬢だと?」
本来上級貴族以外が招待されない場へ、第三王子が男爵令嬢をエスコートして来るなど前代未聞の椿事である。
「ローレンス殿下の大好きな“男爵令嬢”ですね」
隣でヴィクトリアに混ぜっ返されて、ローレンス王太子は渋面を浮かべた。
「イスマエル私に対する当てつけか?」
「それにしては露骨ですね。まあもともとイスマエル第三王子も、せいぜい凡人の癖に策士を気取る愚物ではありますが……ああ、思い出しました。『マルキーニ男爵家』というのは聖職貴族が兼務している法衣貴族ですね。それであるなら特例的にパートナーとするには、異色ではあってもギリギリ許容範囲といったところでしょうか。ただ問題は『アマリア』という名前ですが」
言葉を濁すヴィクトリアに代わって、つい先日話題に出した当人であるローレンス王太子が何とも言えない表情でその言葉を口に出す。
「――預言の聖女か」