29 独白(6)
「わ、わたしは、優奈に話しかけよう……とした。謝ろうとした。でも、……守って貰ったのに……裏切って、だから……怖くて……どうしても、謝ることが出来なかったの……私は彼女を見れなかった……学校に行くのも辛かった。だから学校も、仮病を使って時々休んだりした……。私はいじめっ子から逃げ、イジメから逃げ、守ってくれた優奈を裏切って……その謝罪からも逃げた……学校からも逃げた……」
「でも、それは仕方が無いよ」
「そんな事ないっ!」石動さんは驚くほど大きな声を出した。
「どこかで……どっかで踏ん張れる所があったと思う……でも、私はズルズルと逃げ続けた。もう嫌なの。こんな自分が……。それに、彼女は……優奈は、卒業までの一年間、イジメを耐え抜いて、AA大学に合格した。実家から遠いから一人暮らし」
「AA大学って、あの国立の?」
「そう」
「……驚いた。頭良いんだな。その、優奈って子」
「もしかしたら、AA大学を選んだのは、頭が良いからだけじゃなくて、苛められていた場所から離れたいって思ってたからかもしれない。私はそう思ってしまうの」
「考え……過ぎだよ」
「……本当にそう思う?」
「……」俺は言葉を返せなかった。
「でも、彼女はただ逃げたわけじゃないって思ってるの。一年間苛めを受けているのに……そんな状況で勉強に集中して、休まず学校にも出席して、難関大学の入試に合格したのだから。きっと、新しい世界を切り開こうとして、AA大学を受験したのだと思う。私達に見切りをつけたんじゃないかって。逃げたんじゃないって」
「……」
「結局、私は優奈とは、あの日以来一度も言葉を交わしていない。だから優奈の気持ちも分からない……謝りたい。あの時の事を謝りたい……でも、今でも私は自分の逃げる性格が治ってない。だから優奈に謝る事から逃げたい自分もいるの……声を掛けるのが……メールを出すが怖い……それに、私は結局変わっていない。短大を卒業して……折角入社した会社も……つらい事があって辞めてしまった……私は逃げてばかり。嫌な事やつらい事から逃げてばかり。そう。逃げたがる……こんな自分からすら逃げたいって思ってしまう。訳が分からない。最低だ」
彼女は、まくし立てるように話をした。言葉が溢れ出て止まらない。といった感じだった。
「だから……もう…………もうつらい事から逃げたくないんです。つらい事から逃げる人間にはなりたくない。私は決めたんです。今回の蜥蜴人間では絶対に逃げないって。どんな困難にも立ち向かうって……決めたんです」
(そうだったのか)
俺は彼女の独白を聞いて、彼女と初めて出会ったときからの疑問が氷解した気がした。なぜ彼女が、あれほどまでに強い確信を持って、厳しい状況に立ち向かおうとしたのか、なぜ厳しい訓練に音を上げなかったのか分かったような気がした。
彼女は思春期の辛い経験から、相当の覚悟を持って今回の件に臨んでいるのだ。彼女にとっては蜥蜴人間は、『自分を変えるチャンス』と捉えているのだ。だから、運動部の経験も無い、一般の女性だと逃げ出すような厳しい訓練にも耐え抜き、この場所にいるのだ。
「石動さん……強いんだね」
俺の言葉に驚いたような表情をする。
「そんな事ないよ。私は弱くて……卑怯な人間だよ」
「いや、全然。だって……確かに過去に何かがあったのかも知れないけど、それに気が付いて、逃げずに振り返って足を踏ん張って立ち向かおうとしている。正直、逃げ続けても普通に生きていけるもんだよ。そうしてる人は案外多い」
「……うん。でも」
「……そう。だけど石動さんは決めた。立ち向かうって。それは強いって事だよ」
「そうなの……かな」
「そうだよ。それに」
「うん?」
「自分が変わろうとして、アクションを起こしたら絶対に周りに変化が起きる。これはもう絶対に。もちろん、自分自身の中でも変化はあるはず。そうじゃない?」
「それは、そうかもしれない」何かを思い出すように答える。
「もしかして高岡隊長を好きになったのも、そうなんじゃない? その……事件があってから、自分から人を好きになるのを躊躇していたんじゃない?」
「あ。あ……そ、その話題は無しで……」恥ずかしそうな声を出す彼女。ただ、激しくは否定してこなかった。やはりそうか、例の出来事から、彼女は自分から人を好きになる事をやめていたのか。
「……それで、どうするの?」少しの間ののち、俺は尋ねた。
「え?なにが?」
「シュタイナー……いや、高岡隊長に想いを告げるの?」
「シュタイナー?」
「ああ、ごめん、隊長ってドイツ人顔だから、心の中で勝手にシュタイナーって呼んでいた」
「あはは。ひどいね。それ。分からないでもないけど」彼女は少し笑った。その後、ふと真顔になる。
「伏木くんの話を聞いて……やっぱり待ってるだけじゃダメだって思い始めた」
「隊長は独身なんだよね?」念の為、俺は尋ねる。
「うん。なんと付き合っている人も居ないらしい」
「!? ……それじゃ?」
「うん、チャンスはゼロじゃない」
「どう考えてもモテそうなのに……なんか事情があったのかな?」
「うーん、そこまでは分からない。でも、分かった。待ってるだけじゃダメなんだって」石動さんは、さっきとは違う熱っぽい眼で壁を見ながら呟く。
「そっか。でも任務もあるし、少しづつだな」
「秘めた想いは通じない」石動さんは独り言のように言葉を返す。
「そ、そうだな。焦らず」
「自分から動く。これが肝心」……えっと……、人の話聞いてる?
「……少しづつでも、話せるように。そっからだね」
「好きなんだ。隊長の事が。伏木くんの言葉に勇気を貰ったよ。ありがとう。自分から動いてみるね」俺の問いかけとは微妙に的が外れた返答。
「……俺の話、聞いてた?」俺は石動さんの態度と言動から、少し不安に駆られて訊いてみた。
「うん。自分から動かないと想いは伝わらないって。自分から行動を起こしたら想いは通じるって」
(ダメだ。ちゃんと聞いてない)
「石動さん、俺、似たような事言ったけど、他にも言ったよね」
「何を?」
「いきなり熱い想いをぶちまけても、相手は逃げてしまうって」
「そんな事言ったっけ?」
「言ったよ」俺は言葉に力を籠める。
「大丈夫大丈夫」
「何が大丈夫なのさ」
「絶対上手くいくから。予感がするの! そう。うじうじしていても何も変わらない。私は自分から行動を起こす人間になるから」
「それは、いいけど……物事には順序があるって言ったはずだけど」
「だから大丈夫だって」
「本当に?」
「大丈夫だって!もう、伏木くん、私のお父さんじゃないだから!そこまで心配してくれなくても大丈夫だよっ!」
「……それなら、良いけどさ」俺は渋々、念押しするのを止めた。彼女、案外惚れっぽいのかな。それとも『異性を好きになる』と言うのが当たり前の時期に、無理にその気持を抑え込んでいた反動が爆発したのか。
多分、その二つが重なった結果なんだろう。先ほどのやり取りから彼女自身、何か吹っ切ったのか、唐突な態度の変化に驚きながら、俺は彼女の横顔をそっと盗み見た。石動さんは、相変わらず対面の壁をじっと見つめながら物思いに耽っている。
……ただ、壁を見つめるその眼は、任務や訓練の時に見せた強い緊張を帯びたものでは無く、期待と希望の喜びの色が混ざった強い光に満ちていた。




