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弓と剣  作者: 淳A
公爵家継嗣
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勧誘

 マッギニス上級兵の朝の授業に出席しているのは相変わらず俺とトビだけだ。 俺のためになるかどうかは怪しい授業だが、ヘルセスのような近い将来軍を指揮する人にはすごくためになるに違いない。 なぜヘルセスを呼ばないのか不思議で、マッギニス上級兵に聞いた。

「ヘルセスも呼ばなくていいの?」

「ヴィジャヤン小隊長」

 俺の名字に階級付き。 マッギニス上級兵の口調に明らかな冷たさが加わっている。

 うっわー、俺、何かまずった? こんな時いつもぶっきらぼうに呼ばれる「小隊長」が如何に温かい呼び掛けであったかを思い知らされる。 マッギニス上級兵がこんな風に姓を付けて呼ぶ時はいつも俺を叱る時なんだ。

 思わず身構えたものだからどもっちゃった。

「な、なんでございますか」

 しまった、つい焦って丁寧な言い方しちゃった! しかしぎりぎりセーフだったようで、次に言われたのは俺の言葉遣いに対する注意ではなかった。


「毎朝ここで伝達している事柄は全て北軍の機密事項であるという事は御理解戴いているでしょうか?」

「もちろんで、だ」

 たらっと一滴、心の中に冷や汗が流れたが、マッギニス上級兵には俺の言葉遣いを正すより先に言いたい事があるようだ。

「では質問です。 ヘルセスは敵ですか、それとも味方ですか?」

 何、その二択。 簡単過ぎて裏があるような気がしたが、俺が裏を読むなんて間違いの元でしかない。 素直に答える事にした。

「味方です」

「不正解」

「ど、どうして?」

「それは私の方からお聞きしたい。 小隊長は何故ヘルセスを味方だと思われるのでしょう?」

「だって北軍に入隊したし」

「北軍には誰でも、もちろん敵でも入隊出来ます。 ここでは入隊審査などないも同然。 入隊審査の厳しい近衛でさえ人には様々な事情があるもの。 加えて買収もあれば恐喝もある。 同じ隊で寝食を共にしているから味方と考えるのは非常に危険と申せましょう」

「じゃ、俺の義理の兄という理由ならいいだろ」

「何故それが理由になるのでしょうか? 戦いでは親兄弟が敵同士とはままある事。 戦いがなくてさえ疎遠な親兄弟は多いのです。 貴族の場合世間体を取り繕ってはいても内心は敵対している兄弟の方が普通と申しても過言ではありません。 そもそも小隊長とヘルセスはお互いの事をよく御存知の間柄ではない。 彼が入隊して初めてお会いになられた。 そうですね?」

「そう、だけど」

 軍対抗戦会場で遠くに座るヘルセスを見た事ならあるが、話をした事は一度もない。 以前ヘルセス軍へ勧誘された時も手紙をもらっただけだ。 サガ兄上の結婚式に出席していたら話をする機会があったと思うけど。


 俺が今イチ納得していない顔を見せたからだろう。 マッギニス上級兵がどんどん視線の温度を下げて行く。 朝稽古の後だし、と油断して上着を持って来なかった事を後悔した。

「例えば、ですが。 小隊長は、北軍を裏切れ、とヘルセスに言われたら裏切れますか?」

「え? 出来る訳ないだろ。 そもそもなんでヘルセスがそんな事を言う訳? 」

「理由が何であっても構いません。 私が申し上げたいのは、小隊長が北軍を裏切る事がないように、ヘルセスに同様の勧誘をしても彼が自軍を裏切るはずはない、という事です」

 俺はあっけにとられてマッギニス上級兵の顔を見た。 何、その理屈。

「自軍を裏切れだなんて、一体誰が言うの? ヘルセスが謀反を企てているなら北軍の敵になるだろうけど。 少なくとも俺はそんな事言わないよ?」

「裏切りでは極端過ぎましたか。 それでは利益になる事、では如何でしょう?」

「利益?」

「そう。 例えば今回の入隊の目的はヘルセス軍に利益を齎すためだとしたら? それが北軍にとっても利益になるならよいですが、不利益になるとしてもヘルセスが諦めると思いますか?

 具体的に申し上げます。 彼が北の猛虎を自軍へ勧誘するために入隊したのだとしたら小隊長は如何なさいます?」

「ええっ!?」

「タケオ中隊長をいきなり自軍に引き抜いたとなれば皇王陛下の御不興を買うのは必至。 公爵であろうとそのような無謀な真似はしないでしょう。 しかしヘルセスの親戚の娘を娶らせる。 それならば何の問題もない。 そして妻の実家の婿養子となったため北軍を除隊する。 そういう名目でしたら誰にも止められません。 陛下でさえも。

 こちらが本気で妨害しようとする気があるなら相手の娘を殺す事も考えられますが、残念ながら年頃の娘はいくらでもいます。 ヘルセス公爵ともなれば遠縁の数は数え切れず。 結婚相手をなくす事など出来ません。

 公爵領に連れてきてしまえば後は簡単。 ヘルセス軍参謀総長として正式に任命する事は出来なくても参謀総長付き護衛隊長、或いは相談役という職名を付ければよい。 実際は参謀総長の方が護衛であったとしてもそれを知るのは幕僚だけ。 外面はいくらでも繕えるもの。

 軍の指揮をする者に必要なのは役職名ではありません。 この人に従いたいと思わせるカリスマ。 それさえあれば後は何とでもなる。

 北の猛虎にはそのカリスマがあります。 彼が自軍にいるというだけで兵の士気が格段に向上するのは間違いなく、入隊希望者も一気に増えるでしょう。 軍備を増強した訳でもないのに他の軍への睨みが利く。 正に笑いが止まらないという状況です。

 その一方で彼を失った方はどうなると思われますか?  彼を慕って北軍に入隊した者は数えきれない。 そう、確か私の目の前にいる御方もその一人。

 さて、憧れの君がヘルセス軍に行くとなったら小隊長はどうなさいます?」


 俺は口をぱかんと開けてマッギニス上級兵の顔を見つめた。 どう見ても冗談を言っている顔じゃない。 まあ、マッギニス上級兵が冗談を言う日が来る前に俺は死んでいると思うけど。 老衰で。

「あのう、師範の貴族嫌いは有名だと思うんだけど」

「だからこそ継嗣自らが赴いた、とも考えられます。 五十歳を過ぎているヘルセス軍参謀総長が新兵として北軍に入隊する訳には参りません。 しかしそれより下の者が何人勧誘に現れた所でタケオ中隊長の気持ちが動く事はないでしょう。

 御存知かもしれませんが、タケオ中隊長は過去、数々の貴族軍から勧誘されており、その中にはヘルセスからの勧誘もありました。 全て断っている事は向こうも承知している訳ですが、押す力が強ければ人の気持ちは動くもの。 それでなくともタケオ中隊長にしてみれば北軍にこのままいた所で中隊長以上の昇進など望めない。 そうは思われませんか?」


 そう言われて改めて師範の立場になって考えてみた。 世間知らずの俺だけど、世の中に身分による差別というものがある事ぐらい知っている。 マッギニス上級兵の言う通り、いくら平民軍と呼ばれる北軍でも平民の師範が中隊長以上に昇進する事は難しいだろう。 中隊長への昇進だって皇太子殿下からの感状があったから阻止されなかったが、なければきっと口を出す人がいたと思う。 前例がないとか、なんたらかんたら。

 それに中隊長は普通、十個小隊を指揮する。 でも師範の下に付いているのは三個小隊だけだ。 どの小隊長も百剣に入っている剣士で、部下も百剣か百剣予備軍。 元々師範を上に仰ぐ人達ばかりとなっている。

 もし部下が十個小隊五百人だったら百剣以外の部下が大部分を占める。 貴族の小隊長を従えるのに苦労する事も増えるだろう。 大隊長ともなれば部下の数は十個中隊五千人。 兵士は平民でも直属部下は全て貴族か貴族の縁者だ。

 でも師範は今まで数々の偉業を成し遂げた。 それだけでも充分すごいし、大隊長に昇進したっていいんじゃないかと思うが。 これで頭打ちと諦める事はないだろ。 まだ二十代なんだし。


「師範なら平民出身でもいつか大隊長になれるかもしれない」

「否定は致しませんが。 その可能性が非常に小さい事はお分かりですね? 皇国軍では前例を重視します。 近衛なら将軍職を拝命する可能性がある私でさえ北軍将軍職を拝命する可能性はありません。 北の出身ではない者が北軍将軍となった前例はないので。

 その点、貴族軍は能力主義です。 ヘルセス軍も例外ではなく、北の猛虎なら参謀総長になろうと不平を申し立てる部下はいないと思われます」

 公爵軍の参謀総長は皇国軍の将軍にあたる。 命令する兵士の数こそ皇国軍より少ないが少数精鋭を誇り、公爵によっては皇国軍に勝るとも劣らない最新の兵器を備えていると聞いた。

「タケオ中隊長にとって参謀総長となるのは大昇進。 給金も現在の十倍を下らない。 加えて公爵の縁続きの美しい妻。 断る理由が何かございますか?」

「俺だったら昇進も結婚も嫌だし、金もこれ以上欲しいと思わない。 世間的にはいい条件でも、だから行こうとは」

「タケオ中隊長のような上に立つ能力がある人にとって、一軍の指揮を任される事はやりがいのある仕事なのでは? その他に何の余禄も付かなくとも」


 そこまで言われたら何も言い返せない。 ヘルセスの目的が師範の勧誘と決まった訳じゃないが。 あの瞳に浮かんだ失望を見ると充分あり得る話なんだよな。

 師範がヘルセスに引き抜かれたら俺はどうしよう? このまま北軍に残る? せっかく師範に憧れてここまで来たのに。

 それが嫌なら師範に付いて行く? 前にヘルセス軍から勧誘された時は断ったけど。 気が変わったからよろしく、て? そんな事を言ったら恥ずいだろ。


 うう。 じゃ、どうすればいいの?


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