決意
弓の稽古の休憩中、デュシャンの短パンを何となくぼーっと眺めていた。
デュシャンのあだ名は「短パン」。 春に雪が解け始めると北軍で誰よりも真っ先に短パンをはくから。
短パン先駆け競争みたいなものがある訳じゃないが、彼より先に誰かが短パンをはいたなんて聞いた事も見た事もない。 まるで他の奴らは一番になる事を遠慮しているようにさえ見える。 単に寒いからはかないだけ、とは思うが。 俺のように。
何しろデュシャンときたら湖の氷が解けない内にもう短パンをはく。 彼の短パンを見ると、ああ、もうすぐ春になるんだな、と実感する。 そしていつまーでもはいている。 夏が過ぎ、秋が過ぎても。 初雪が降ったぐらいでデュシャンに長ズボンをはかせる事は出来ない。
何か意地になっているの? それとも験を担いでいるとか? もしかしたら賭けでもしているのか、と不思議に思って本人に聞いてみた。 だけど理由は正真正銘ただはきたい、それだけだった。
「短パンって、はき心地がいいから好き」
短パンがはけて幸せです、と言わんばかりの笑顔でデュシャンが言った。
念のため言っておくが、彼の笑顔はヘルセスのような能面笑いじゃない。 デュシャンは男爵家の正嫡子なだけにとても礼儀正しい。 でも次男である気楽さからか喜びであれ悲しみであれ感情を表に出す事を躊躇しないんだ。
寒くないの、と聞くのはばかばかしい。 真っ赤になっている膝小僧を見ろ。 寒いに決まっているじゃないか。
因みに彼の実家であるデュシャン男爵家は牧場をやっている。 放牧する牛の数では北最大で三千頭くらいいるらしい。 牛肉やら乳製品とか手広く商売し、中々儲かっているという噂を聞いた事があるから、長ズボンを買う金がないという理由ではあり得ない。
それに好きなだけあってデュシャンは実に沢山の種類の短パンを持っている。 おしゃれな刺繍入りとか。 初雪が降った日には白兎の毛皮で短パンの裾を縁取りし、雪だるまのアップリケ入りのやつで笑いを取るという芸の細かさだ。 あそこまで手が込んだものだと短パンと言ったってかなりなお値段になるだろう。 普通の店で売っているような物じゃないから。
また、デュシャンは中々気前のいい奴で、よく実家が送ってきた食べ物をみんなにお裾分けしている。 お一つ如何ですかと言われ、チーズというものを初めてごちそうになった。 牛の乳から作るんだって。
とろっと溶けかけのチーズの美味さ。 もー、やみつき。 ちょっとあぶっておこげを付けたりすると、いい香りが食欲を直撃する。
バターも食べた。 熱々の焼き芋の上に、ぼとんと落とす。 サイコー!
食べた後、盛大なおならの連発になるのがちょっと恥ずいけど。 みんなやっているから、今の誰だよー、と笑って誤魔化しもきくし。 但し、俺は音を聞いただけで誰がやったんだか分かるけどな。
牛の乳と聞いて最初は、何だそれ、と思ったが慣れると美味い。 北に来て初めて飲んで、それから毎朝飲むようになった。 なんだか一日元気になる感じさえする。
母上とおばあ様はこの夏、俺の所に遊びにくる予定だったが、おばあ様が具合を悪くなさったとかで来れなかった。 お年だから、と母上が手紙に書いていた。 牛の乳を飲んだらきっとすぐ元気になるのに。 おばあ様に送ってあげたいが、日持ちしないから無理なんだ。
ところで、いつもごちそうになっているデュシャンに何かお返ししたくて、俺は南に住むサジ兄上に短パンをいくつか送って下さるようお願いした。 するといかにも南国らしい柄の短パンが届いた。 それをデュシャンに贈ったらとても喜んでもらえたが、短パン愛好家のデュシャンでさえその内長ズボンをはくようになる。 長い長い冬の始まりだ。
最初の冬はほんとに辛かった。 寒くて寒くて。 今年だって寒いだろう。 毎年、毎年、寒いだろう。 けど、北から離れる? 何だか想像出来ない。 あんなに簡単に故郷から離れた俺なのに。
故郷を離れた理由は師範だ。 その師範がいなくなったら残された巨大な穴から目を逸らす事なんて出来ない。 デュシャンのチーズとバターがどんなに美味かろうと、その穴は埋まらないだろう。 なのに、どうしてこんなに北から離れがたい気持ちがするんだ?
いつの間にかそれほど沢山の友達が出来た。 一人一人には師範のような強烈なまぶしさはない。 才能とか、あっても地味なものだ。
例えばデュシャンはものすごく動物の群れを数えるのが早くて正確だ。 一瞬見ただけで彼が百五十七頭いると言ったら百五十七頭なのであって、百五十六頭でもなければ百五十八頭でもない。 小さい時から牛を数えていたおかげで鍛えられたんだって。
デュシャンだけじゃない。 どっかとぼけて、なんか楽しい奴というのは。 犬ぞりを巧みに操るソーア。 絵がうまいピエレ。 物まねさせたら右に出る者はいないモーガン。
あいつとか、こいつとか。 顔が次々と思い浮かぶ。 みんな師範の後を追いたいだろうな。 だからってヘルセス軍に入隊出来るか? たぶん無理だ。
師範に憧れている奴の中には貴族もいるが、数ある貴族のお抱え軍団の中でも公爵軍は皇国軍よりずっと入隊基準が厳しい事で知られている。 出自が貴族というだけじゃお試し入隊だって断られるだろう。 誰でも入れる北軍と違って傭兵の中でも選り抜きの強者しか入れない。 北軍の並剣士なんて強力なコネがあるのでもない限り入隊させてもらえないと思う。 師範のような引き抜きなら別だし、百剣くらいになれば大歓迎だろうが。
俺はヘルセスの親戚だし、前に来いと言われたくらいだ。 頼めば入隊させてもらえると思うが、その気にはなれない。
ヘルセス軍に入隊したくないと言うよりここから離れたくないんだ。 でもまさか師範に行かないで、とは言えないし。 言ったとしても自分の人生を俺の都合で変えたりするはずはない。
じゃあ、師範の後を追う? それって後悔しそう。
なら、追わない? 追わなかったら、やっぱり後悔するんじゃない?
それは、するだろうな。 師範って人は側にいない事をずどーんと後悔させるぐらいの剣士だ。 でも、それでも。
「なあ、トビ」
「なんでございましょう?」
「俺は北から離れない」
「御心のままに」
トビが反対するとは最初から思っていない。 ただ自分の決意を口にしてみたかっただけ。
俺は稽古に戻り、いつもよりきつい弓を引き絞りながら祈る。 師範の幸せを。 そしてそれがここに、北にありますように、と。




