青い人
結局サリの影武者は用意しないまま出発し、無事、皇王城の中にある神域に到着した。
え? 隠すな? どうせ道中何かやらかしたんだろ、て?
んもー、世間ったらどうしてこうなの? 疑り深いったらありゃしない。
俺の周りには俺よりよっぽどすごい事をやりそうな人がいくらでもいるじゃないか。 師範とかマッギニス補佐とか、名指しで誰とは言わないけどさ。 なんで気弱で小心者の俺が何かすると思う訳?
そりゃ何もなかったとは言わない。 出発してから二日目の昼過ぎにあった事はちょっと、いや、かなり不思議な出来事だった。 だけど旅先で変わった何かを見聞きするなんて俺でなくてもよくある事だろ。 何があったか教えてあげるから、俺だからそんな目にあうんだ、みたいな難癖を付けないでくれ。
コニッシュ子爵領を過ぎ、デイスキ男爵領に入った時の事だ。 ふと道端を見ると、大きな石の上に真っ青な肌で、ほとんど裸の子供が座っていたんだ。 いやー、驚いたのなんの。 思わず、止まれ、と叫んじゃった。
今回の旅は正式には祭祀長警護だ。 祭祀長は皇王陛下の代理人だから皇王陛下警護と同じしきたりに従う。 予定にない行動は一切許されないし、道端に変な物があったって一々止まったりしない。 警護の最中はそれ以外何もやってはいけない事になっていて、警護の為に隊列を離れるのであっても将軍の許可がなければやれない決まりだ。
そうは言ってもさ、真冬に子供が裸同然でいたら助けてあげなきゃかわいそうだろ。 別に船を動かしたり川に飛び込む訳でもないんだし。 すぐそこにいる子供を拾いあげるくらい、やったっていいじゃないか。
でも許可なく隊列を離れたら軍規破りになる。 それっておっちょこちょいな俺のやりそうな事だからか出発前にいろんな人から何度も注意されていた。 そればっかり気に掛けていたものだから、つい、いつもの調子で止まれの号令をかけちゃって。 かけた後で俺にそんな権限はない事に気が付いた。 皇王族を警護している時、出発と停止の号令が出せるのは隊長(この場合モンドー将軍)だけなんだ。
軍規に従うなら隊長ではない俺が出した号令は無視するのが正解だ。 トーマ大隊長と三十人の兵士に祭祀長警備の経験がある以外は全員初めての任務だけど、エダイナでのフェラレーゼ第一王女様お出迎えを経験している。 隊長以外の者が出した号令は無視すべき事を知っているし、それでなくても俺の命令(師範へ伝言してくれ、とか)は無視される事が割とある。 これも無視されるか、そこまではされなくても再確認してもらえるんじゃないかと期待したが、こんな時に限って無視も再確認もされなかった。
一応大隊長だし、前後の兵士は俺より階級が下だからかもしれないが、俺は今リネとサリが乗っている馬橇のすぐ左隣を走っている。 たぶんサリに何か起こったと思われたんだろう。
俺の号令が次々復誦されていく。
「止まれっ!」
「止まれっ!」
「止まれっ!」
「止まれっ!」
慌てて、将軍にお願いするからまず速度を落として、と俺の前を走っていたケイザベイ小隊長に言ったんだけど、復誦で掻き消され、聞き返されている内に行軍停止になっちゃった。
もちろん急いで将軍の所に謝りに行った。
「も、申し訳ございません。 あちらの石の上に青い肌の子供が座っておりまして。 あの、助けに行ってもよろしいでしょうか?」
「青い肌の子供だと? どこに?」
「あそこです」
そう言って石の方を指差したら誰もいなかった。
「あ、あれ?」
「誰か青い肌の子供を見た者はいるか?」
将軍が前後の兵士に向かってお訊ねになったが、誰も見たと申し出る者がいない。 そ、そんな。
どうやら俺の報告がスティバル祭祀長のお耳にも届いたらしく、馬橇に付いていた幌がすっと上がった。
「ヴィジャヤン大隊長。 その御方がお座りになっていた石の元へ直ちに馳せ参じ、周囲を見て来なさい。 もしお姿を見つける事が出来たら、しばらくお供する事をお許し戴けないでしょうか、とお願い申し上げるのです。 くれぐれも失礼のないように。 許される限りその御方に従い、こちらに戻る必要はありません」
スティバル祭祀長が今まで見た事のない真剣なお顔でそうおっしゃった。
お供をお願いする? あんな子供に、なんで敬語?
理由は分からなかったが、スティバル祭祀長の直命だ。 急いで青い人が座っていた石に向かって駆け出した。
「ケイザベイ、付いて行け」
その将軍の命令をスティバル祭祀長がお止めになった。
「なりません。 ヴィジャヤン大隊長が戻るまで、ここで待つのです」
どうして、とは思ったが、今はそれどころじゃない。 ほんのちょっとの間目を離しただけなのに、あの青い人はどこに消えたんだか影も形もない。 子供の足で走ったってそんなに遠くまで行けたはずはないのに。
俺の見間違いだったんじゃないの、て? そんな訳ないだろ。
辺りは見渡す限り一面の雪だ。 真っ白な所に、まるで青い塗料を塗ったみたいな青だったからとても目立っていた。
そもそもなぜ肌が青いと分かったかというと、この寒空に腰巻きっぽいものしか身に付けていなかったんだ。 短パンとあだ名されるデュシャンでさえ長ズボンの下に股引を履いている季節なのに。
上半身は宝石が嵌め込まれている銀製の胸飾りというか、よだれかけみたいな物で覆われていた。 日差しにきらめいてとてもきれいだったが、素肌にそんな物を付けていたら余計に寒いだろ。
人形だったから風で吹き飛ばされたんだろ、て? 人形が人の顔を見つめて手で顎を撫でたりする? そして、ふーむ、こいつねえ、と俺を値踏みするかのように目玉を動かしたんだぜ。 だから人形なんかじゃない。 それだけは確かだ。 なんて言うか、偉そう?
実を言うと、一体何様とその時は思った。 でもスティバル祭祀長が敬語をお使いになるだなんて。 偉そうじゃなく、本当に偉かった訳だ。 少なくとも俺より偉い人である事は間違いない。
いや、人、じゃない? 神様?
それは分からないが、今日は普通に良いお天気で風もない。 たとえ人形だったとしても、あんなに沢山の宝石が付いていたら重くて簡単に吹き飛ばされたりしないだろう。 吹き飛ばされたってこの石の根元辺りに転がっているはずだ。
ところが青い人が座っていた石の周りをぐるっと一周しても辺りに足跡らしきものは付いていない。 確かにこの石で間違いないんだが。 その証拠に、この石の上だけ拭き取られたみたいに雪が払われている。 まるで最初から椅子として置かれたかのようにつるつるだ。
何が何だか分からない。 どうやら俺以外誰もあの青い人を見ていないらしい。 どうして誰も見ていないの? こんなに見晴らしがいいし、警備が仕事だからみんな周囲に目を走らせていた。
北は最近景気が良くて様々な建物がそっちこっちに建てられるようになったけど、町と町を繋ぐ道の両脇は木が所々に立っているくらいで何もない。 次に休憩する予定のキャレムまでまだ大分ある。 見晴らしがいいから誰かにいきなり襲われる心配はない。 とは言ってもオークや熊が出て来ないとも限らないし、特に先導を務める二十人の剣士は前後左右に目を配っていた。 俺程目がよくない人でも子供が石の上に座っていると分かったはずなんだ。 遠目には子供だと分からなかったとしても道端の石の上にきらきら光る真っ青な何かがあったら、あれは何だと思うものだろ。
馬橇の順番はスティバル祭祀長、お側付き神官、次にサリだ。 祭祀長お側付き神官の馬橇の後ろには祭祀長のお荷物を乗せた馬十頭が続いている。 俺はサリの左隣の警備をしていたから行列の真ん中より後ろ寄りにいた。
行列の右側を警備していた兵士が左の道端にいた青い人に気付かなかったのは無理もないが、先頭や左側の警備兵数十人の誰一人あの青い人に気付かなかっただなんて。 すごく変だ。
それだけじゃない。 この道は第一駐屯地へ向かう道の中でも一番広い。 真冬でも人通りがそこそこある。 子供が宝石をこれでもか、と見せびらかすように着けていたら盗まれるだろ。 こんな昼過ぎまで誰にも盗まれずにいるというのもおかしい。 遠くから見たから宝石に見えただけで、ただの色ガラスなのかもしれないが、だとしてもかなり高価だと思う。 それ程見事な細工だった。 だからずっとここにいたんじゃなく、俺達が通り過ぎる直前に来たはず。 なのに足跡らしきものが何もない。
もっとも誰かが盗もうとしても、そう簡単には盗めなかったんじゃないかという気がしないでもないが。 あの青い人は身長こそ子供だったけど、良く言えば賢そう、悪く言えばずる賢い、とても年寄り臭い目をしていた。
はい? 俺が子供っぽいだけだろ、て?
ちょっとー。 そんな失礼な事、わざわざ面と向かって言わなくてもいいから。 いくら温厚な俺だってむっとする時もあるんだぜ。 それに俺は自分と比べて年寄り臭いと言ってるんじゃない。 俺の周りにいる人、誰と比べたって年寄り臭かったんだ。
年を取っているから年寄り臭いと決まったものでもないように、子供だって年寄り臭い子はいる。 でもあの青い人は、俺が知っている中で一番年寄り臭い目をしているケルパと比べても更に年寄りっぽかった。 まあ、犬と比べたってしょうがないが。
ともかく、あんな格好なのに全然寒そうじゃなかったのも変だ。 どう見ても俺の半分くらいの背丈だったから子供だと思ったが、それにしては辺りに親らしき人がいないし。 本人にも助けを呼んでいる様子はなかったような。 ただなぜかあのまま放って置くのはまずいような気がしたんだ。
青い人が座っていた石の上には俺の親指の爪くらいの大きさの青い石が置いてあった。 ブレベッサ号の船首に付いていた紅赤石よりずっと小さい。 でも宝石の価値は大きさだけでは計れないし、これ程美しければ皇王陛下に献上しても恥ずかしくないだろう。 石を拾う為に馬から下りて近づいた。
青い光って冷たい感じがするけど、この青い石の光はなんだか温かい。 ほんとに温かかったりして? まさかとは思うけど、念の為手袋を取り、素手で摘んだ。 温かくはなかったが、それを胸ポケットに入れようとして右手でボタンを開ける時に左手で握ったら、石がすっと溶けて消えた。
ほんとにほんとなんだって! 最初にその石を指で摘んだ時は確かに硬かったんだ。 落としたのでもない。 落とさないようにしっかり握ったら掌に押し込まれていった感じ。
はああ。 これをどう報告したらいいの?
まずいよな。 すごーくまずい。
もしかしたら宝石をネコババしたと思われるんじゃない? なら、何もありませんでした、と言う?
うーん。 だけど俺は小学校三年生の時、生涯嘘をつく事だけは諦めるように、と母上から言われた事があるんだ。 それはたぶん、父上には内緒にしておくのよ、と母上に言われた事をそのまま父上に伝えたせいだと思うが。 私が言った事は母上には黙っていなさい、と父上から言われた事を父の日の作文に書いて出した事は誰も知らないはずだし。
そんな昔の事はどうでもいいが、俺の嘘っていつもすぐばれる。 それは側にケルパやダーネソンがいるからじゃない。 ここで下手に嘘をついて青い人を見た事まで嘘と思われたら困る。 かと言って、石が溶けましたと報告したら、ふざけるな、となるよな。
じゃあ、何かもっともらしい嘘を考える? 例えばどんな? 石のように見える青い雪の塊が置いてありました、とか? 青い雪って、何?
もっともらしい嘘なんて俺の頭で考えつける訳がない。 しょうがないから見たままをスティバル祭祀長と将軍に報告した。
「申し訳ございません。 辺りを探しましたが青い御方はどこにもいらっしゃいませんでした。 足跡もなかったので、どちらに向かわれたのか分かりません」
するとスティバル祭祀長がお訊ねになった。
「何か残されてはいなかったか?」
「青い石が置いてあったのですが。 その、私が握ったら溶けるように消えてしまいまして」
それを聞いた将軍は呆れたお顔をなさったが、スティバル祭祀長は落ち着いた表情で、お側近くまで寄るように手招きなさった。
「どちらの手で握ったのか?」
「左です」
「では左をこちらへ」
言われるままに左手を差し出すと、スティバル祭祀長は俺の左の掌を押したり触ったりなさった。 そして微かに頷かれ、モンドー将軍に向かっておっしゃった。
「善きかな。 新年に相応しき吉報である。 ヴィジャヤン大隊長を咎める事なきように」
ふう、助かった。 スティバル祭祀長のお言葉にほっと胸を撫で下ろした。 将軍も納得して下さったかどうかは分からなかったが、将軍が祭祀長のお言葉に逆らった事はない。
そこで師範が、また命拾いしたか、運のいい奴だぜ、と言いたげな視線を投げて寄越した。
なんだよー、これって俺のせい? 違うだろ。 あの青い御方は誰がなんと言おうと見間違いなんかじゃない。 ほんとにいたんだ。 青い石の方はちょっと自信がないが。 石のように見えただけで俺の知らない何かだった可能性はある。
辺りの兵士もちらちらこちらを見ていて居心地は悪かったが、嘘はついていない。 悪い事をした訳でもないんだし、気が付かない振りをした。 正確に言えば行進を止めたのは悪い事だけど。 祭祀長は吉報とおっしゃった。 吉報ならいい事じゃないか。 これのどこが吉報なのかは分からないが、俺にとってはお咎めなしなら詳しい事はどうでもいい。
だから言ったでしょ。 道中何もやらかしてない、て。