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弓と剣  作者: 淳A
揺籃
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414/490

握手

「サダ・ヴィジャヤン、お召しにより参上致しました」

 スティバル祭祀長からお召しがあり、お部屋に伺うと、祭祀長から少し離れた所にサジ兄上の上司が座っていらした。 そのお隣にサジ兄上が立っている。 会えて嬉しいが、どう見てもお仕事でいらしているのに上司の人より先に声を掛けるような真似は出来ない。

 上司の方とはサジ兄上の結婚式でお会いした事がある。 初対面じゃないから祭祀長の御紹介は要らないし、たぶん俺から声を掛けても問題はないと思う。 だけど肝心のお名前が思い出せなかった。


 皇寵を戴いたくせに、て? それは俺も思うが、脈を看るのにそんな意味があっただなんてあの時は知らなかったし。 お名前を一回聞いただけで、俺からお名前を呼ぶ機会はなかった。 あの後、皇寵の事は何度も話題に上ったけど、皇寵をくれた御典医の話になった事はない。

 勿論お顔は忘れてないが、お名前は、えーと、ボルショイ?

 うーん。 微妙に違う。

 じゃ、ボクチョイ? ボクチョック? ボルショック?

 どれも似ているが、どれもちょっと違うような。

 どうしよう? 名前を間違えるのは大変な無礼だ。 それはいかにも俺のやりそうな事だからだろう。 ブラダンコリエ先生からいつもよりずっと真剣なお顔で注意された。


「名前を呼ばないのも無礼ですが、間違えて呼ぶくらいなら呼ばない方がまだましと申せます。 確信が持てない名前でお呼びになる事だけはお避け下さい。 名前は思い出せなくても爵位、又は役職名でお呼びになるのは構いません」

「あのう、それも思い出せなかったら?」

 こ、怖い。 この質問が黒ブラダンコリエ先生に入れ替わるスイッチだったとは。 質問するんじゃなかった。 でも俺が怯えている事に気付いて下さったようで、すぐ通常運転に切り替えて下さった。

「その場合、ここでお会い出来るとは大変喜ばしいとか、時候の挨拶、又はその日の天候に因んだ挨拶で失礼の挽回をなさるのがよろしいかと存じます」

 ブラダンコリエ先生が温厚な御方で本当によかった。 これがシューウィッチ先生だったら明日まで、いや、少なくとも三日間は確実に尾を引いていただろう。


 ともかく、名前でお呼びするのは諦めるしかない。 ただ焦っているせいか役職名さえ浮かんで来ないのには困った。 まさか御典医を掴まえて、お医者さん、と呼んだりは出来ない。 かと言って御典医と呼ぶのもまずい。 サジ兄上のような平の御典医なら御典医と呼んでもいいが、この人は平じゃない。

 御典医は軍人みたいに何万人もいる職業じゃないから階級もただの御典医と、その上と、その上の三つしかなかったはず。 確か、すぐ上は上級御典医で。 その上だから最上級御典医?

 あれ? 御典医の上に付くのは二文字じゃなかったっけ?

 なら、最上御典医? うーん、たぶん違う。 最高でも第一でもないような。

 必死に思い出そうとしていると、サジ兄上が助け舟を出してくれた。

「筆頭御典医ボルチョック、御典医ヴィジャヤン、準大公の御機嫌を伺いに参りました」

「これは、これは、これは。 あ、あの、た、大変痛み入ります」

 どっと安心したせいで、おばかな返事をしてしまった。 なんだよー、これは、これは、これは、て。 我ながら、なんて間抜けな挨拶だ。 言っちゃったものは取り返しがつかないが、情けないったらありゃしない。 どう言えば正しいのか分からないから仕方ないけど。


 サジ兄上とは会うつもりだったから、もしかしたらその時上司のボルチョック先生に御挨拶する事になるかもとは思っていた。 だけどいきなりスティバル祭祀長のお部屋で面会する事になるだなんて俺でなくても思わないだろ。 しかも俺の御機嫌を伺う、て。 なんで? 御典医が臣下の健康を気にする事はない、あるとすればサリの御機嫌を伺うだけ、と聞いていたのに。

 もっともこの面会が正式に予定されていたとしても俺に御典医用儀礼を練習している余裕はなかった。 何しろ皇王陛下に拝謁する時の儀礼だけでも俺にとっては越せるか越せないか分からない難関で、そのうえお神酒を頂戴する練習もある。 軍対抗戦の時には沢山の人と会うから、そういう時の序列の付け方も覚えなきゃいけない。 新年会のダンスだって練習しておかなきゃ忘れちゃう。

 それに神域に泊まれば沢山の貴族と顔を合わせずに済むという長所はあるが、ここにはスティバル祭祀長以外の祭祀長や皇王族のどなたかと鉢合わせする可能性が高いという欠点もあるんだ。 ブラダンコリエ先生によると、準大公が神域にお泊まりになったという前例はないらしく、そういう場面に出くわしたら俺が自分で答える以外の道はない。


 スティバル祭祀長は俺がサリを育てる事を温かく見守って下さるが、サリを神域で育てるべきという声も侮れないくらいあるんだとか。 だから他の祭祀長や、その方々にお仕えする神官の皆様への御挨拶も疎かには出来ない。 失礼な態度を見せたら、やっぱりこいつは瑞兆の親として相応しくないと思われる。

 おまけに神域の外に出れば親戚じゃない貴族に声を掛けられる機会だって沢山あるだろう。 ほとんどトビに対応してもらうつもりでいるが、宰相、大審院最高審問官、皇王庁長官など、要職に就いている方々への挨拶まで執事にやらせる訳にはいかない。 それでなくても叩けば埃の出る体だ。 トビがどんなに丁寧な挨拶をしようと、私には挨拶さえしたくないという訳か、と誤解されたら困る。

 それで出発まで毎日、もうこれ以上何も覚えられないくらい儀礼を詰め込まれた。 何かを覚えさせられたら別の何かを忘れるようになっちゃったんで、サジ兄上関係は後回しにするしかなかったんだ。

 御典医なら常に陛下のお側近くにいる。 ブラダンコリエ先生によると、俺が陛下のお側近くまで行くのは新年の御挨拶と神酒の儀だけで、その時に御典医が同席していた事はないと言われたし。


「御典医が同席するとしたら陛下の御健康が優れないからです。 そうではなかったとしても世間はそう受け取るでしょう。 ですから余程の事がない限り新年の儀礼に御典医が同席した事はございません。

 先代陛下でしたらお年という事もございますし、御典医が常に同席しても驚く者はいなかったと推測致しますが、三十を越えていくらも経たない当代陛下に御典医が同席していたら臣下に不安を抱かせる元にもなります。 本当に御病気であれば尚の事、御典医が同席する事はないでしょう」

 それを聞いて思わずほっとため息をついた。

「もし御典医のどなたかとお会いしても、いつも兄がお世話になっております、でいいですよね?」

「いえ、それは不適切かと存じます。 実兄ではあってもサジ様はヴィジャヤン伯爵家の御方。 準大公は既に別家を構えていらっしゃる。 他家の者の上司に、お世話になっております、では丁寧過ぎる御挨拶となります。 それはサジ様を自分の家の者と思っているからだ、と世間に勘ぐられる事にもなりかねません。

 又、筆頭御典医の位は準伯爵。 ですから仮に北方伯扱いされたとしても同位となり、実兄の上司であろうと目上への対応をする必要はございません。 サリ様の担当御典医でしたら世話になっているという労いのお言葉があっても構いませんが、現在の所サリ様の担当がどなたになるか決まってはおりませんので。 あちらから準大公と呼ばれた場合は、お役目御苦労程度にお止めおき下さい」

「それじゃ目礼だけで何も言わない方がいいですか?」

「それは丁寧過ぎる挨拶よりも差し支えがございます。 何と申しましても他ならぬ皇王陛下の御健康をあずかる御方。 時と場合によっては皇王族のどなたよりも重要な鍵を握る事もあり得ます。 あちらから挨拶された場合、必ずお言葉でお返し下さい。

 そして準大公がどこで何をなさったか、誰とお話しになったか等、世間は常に注目しております。 時候の挨拶を交わしただけでも世間はあれこれ噂するでしょう。 お声を掛ける際は周囲に誰がいるか、呉々も御注意下さいますよう」


 ブラダンコリエ先生にそう言われていたからサジ兄上には神域まで会いに来てもらうつもりだった。 なのにボルチョック先生の方からいらっしゃるだなんて。 焦ってつい、思いついたままを口に出しちゃった。

 大変痛み入りますって丁寧だよな? 丁寧過ぎると思う? 丁寧過ぎるのを挽回するにはどうしたらいいの? それも習っておけばよかった、とかぐるぐる考えていると、ボルチョック先生がいきなり俺の左手を掴んだ。

「お手を拝借します」

 な、何? また脈を看られるのかと思ったら、左手を先生の両手で強く握り締められた。

 すごい。 お医者さんとは思えない握力だ。 本業はお医者さんでも趣味が格闘技とか? それにしては筋肉が付いていないし、手だって柔らかい。


 俺はこう見えてもりんごをぐしゃっと潰そうと思えば潰せるくらいの握力がある。 その俺が痛いと思うだなんて、百剣並み?

 痛いとは言っても師範の拳骨みたいに目の前に火花が飛ぶような痛さじゃないが。 でも前にボルチョック先生に触られた時はじわじわ温かいものが伝わって来る感じで全然痛くなかった。 痛いどころか、とても気持ちよかったんだけどな。

 とにかく手を握られたくらいで顔を顰めたら失礼だろ。 そう思ったからなるべく平気な顔をした。

 俺の気のせいかもしれないが、握手をし始めた途端、ボルチョック先生が御機嫌? と言うか溌剌としてきたみたい。

「御気分は如何ですか?」

 最初に感じた痛みはもうない。 単なる握手というには随分強いし、いつまでもぎゅっと握られているのはいい気分じゃないが、だからって気分が悪いと言ったら言い過ぎだろう。

「普通です」


 ボルチョック先生は五分間くらい俺の手を握り締めて離さなかったが、ようやく離してくれた。 何だか腕相撲で勝ったみたいに嬉しそう。 見掛けは大人でも案外子供っぽい人だったんだな。 それとも俺の手を思いっきり握るのがいい運動になった、とか? だけど今は平気でも、あれだけきつく握り続けたら後で筋肉が痛むんじゃない?

 ま、本人は喜んでいるんだし、医者なんだ。 自分で何とかするだろう。 医者でもない俺が余計な事を言う必要はない。

 ボルチョック先生がサジ兄上に何やら目で合図をなさった。 するとサジ兄上が俺の左手をさすってくれた。 はあ、気持ちいい。 そう言えば、子供の頃弓のやり過ぎで背中を痛めたりした時にもこんな風にさすってくれたっけ。 そんな事を思い出していると、サジ兄上がスティバル祭祀長とボルチョック先生に向かって申し上げた。

「春に準大公のお手に触った時にはございませんでした」

 その言葉にボルチョック先生とスティバル祭祀長が無言で頷かれた。

 ございません、て何が? サジ兄上に聞きたかったが、何となく聞きづらい雰囲気。 まあ、後で聞く機会があるよな。


 ボルチョック先生がスティバル祭祀長にお暇を告げる。 これで終わりかと思ってほっとしたら、びっくりするような事を言われた。

「準大公。 皇王陛下がお召しです。 明朝八時にこの部屋へお越し下さい。 私が先導致します」

 新年まで後三日ある。

「明朝?! あの、明朝って。 つまり、明日の朝、ですよね?」

「「「……」」」


 質問した後でするんじゃなかったと後悔した事はこれが初めてじゃないけどさ、サジ兄上がそっと顔を背けて目を伏せたのを見た時はぐさっときたかも。

 サジ兄上にまで見捨てられた? そんな、まかさ。 いや、まさか。

 サジ兄上宛に届いた恋文を間違って開けた時にも、宛名が似ているから無理もない、と俺を責めたりしなかったのに。 あれがサガ兄上宛だったら逆さ吊りにされていただろう。 実家では俺以上に怒らない人、結婚して一層丸くなったという評判のサジ兄上だ。 そのサジ兄上でさえとうとう堪忍袋の緒を切らしたと知られたら俺の立場はどうなる?


 いやいやいや。 そんな事を気にしている場合じゃない。 それより大変なのはこのお召しだ。 ブラダンコリエ先生やトビ、マッギニス補佐でさえ陛下から突然のお召しがあるとは予想してなかった。

「皇王陛下と雖もお好きな時にお好きな人を呼べる訳ではございません。 特に年末年始となると動かせない行事が目白押し。 影武者の数にも限りがある事ですし、予定にないお召しがあるとすれば軍対抗戦の後になるでしょう。

 しかしながら軍対抗戦の後は大隊長がお忙しくなります。 お見送りでの一連の行動に加え、猫又の処遇をどうするかという問題もあり、大審院と皇王庁からは勿論の事、祭祀庁や宰相からも面会や呼び出しが分刻みで予定されておりますので。

 また、お帰りはスティバル祭祀長と御一緒である事が決まっております。 祭祀長の御予定を動かす事は陛下でもなさいません。 予定外のお召しを御希望になったとしても時間切れ。 又の機会に、となるかと存じます」


 マッギニス補佐の予想なら神の予言も同然だろ。 だから予定にないお召しがあった場合の儀礼なんて何も練習していない。 何と申し上げたらいいの? 新年になっていないのに、謹んで新年のお慶びを申し上げます、と言ったらおかしいよな?

 でももしかしたら、これって新年の御挨拶の前倒し? それなら同じ口上でもいいんじゃない? それに一縷の望みを掛けてボルチョック先生に聞いた。

「新年の御挨拶の代わりに明日伺うのでしょうか?」

「いえ、そちらはそちら。 新年の御挨拶及び神酒の儀はどちらも予定通り御出席下さい」

「そうしますと、明日お目通りするのは、その、何の為か、お分かりですか?」

「陛下と握手して戴く為です」

「握手?」


 俺が練習した儀礼の中に握手はなかった。 もっとも俺以外に準大公と呼ばれる人はいない。 お目通りした時挨拶以外に何をすればいいのか俺に教えられる人はいないんだけど。 陛下が臣下と会う時は少なくても十人以上の人が同席するが、準大公は準皇王族扱いだからか、誰も同席していない事がよくあったんだって。

 とは言え、そうおっしゃっていたブラダンコリエ先生も詳しい事は御存知なかった。 だから誰も知らなかっただけで、昔から握手していたのかもしれないが。

「あの、なぜ握手するのか理由を御存知ですか? そういうしきたりなのでしょうか?」

「しきたりかどうかは存じません。 けれど握手には陛下の御健康を促進する効果がございます」


 握手にそんな効果があるだなんて初めて聞いた。 物知らずの俺が知らなくても不思議じゃないけど、これに関しては他の人も知らないような気がする。 だってもしそんな効果があると知っていたら、みんな毎日握手しているだろ。 ただで出来るものなんだし。

 それとも人を選ぶとか? 俺の握手には特別な効果がある、て事?

 でもこの国では普段握手はしないが、外国に行った時とか、握手が習慣になっている国の人と握手した事なら何度もある。 俺と握手したら健康になったなんて誰からも言われた事はない。

 あ、医者なら詳しい事を知っているかも。 後でメイレに聞いてみよう。

 そこでスティバル祭祀長がおっしゃった。

「ヴィジャヤン大隊長。 明日のお目通りにはタケオ大隊長も来るように伝えなさい」

「御意」


 なぜ握手すると健康にいいのか、どうして師範も呼ばれたのか、さっぱり分からないが、陛下からのお召しだ。 来いと言われれば行くしかないし、握手しろと言われればするだけだ。

 口上はトビに聞いて一夜漬けするしかない。 口上の後、何と受け答えしたらいいのかまではトビでも分からないと思うが。

 それにしてもほんとに師範でいいのかな? なぜモンドー将軍じゃないんだろう?

 俺としては将軍にいてもらった方が、何かまずい事になった時庇ってもらえそうで安心なんだけどな。

 なぜ将軍も呼ばないのか不思議だったが、もし将軍にも出席してもらいたいのならスティバル祭祀長が言い忘れるはずはない。

 もしかしたら握手は単なる口実で、怒られに行くの? だから師範? 師範なら俺を庇ったりしないし、俺が何かやらかした時って大抵師範も一緒にいた。 猫又を拾った時も。 考えてみれば、お前が一緒にいたのになぜ止めない、と師範が将軍から怒られた事もあったよな。


 怒られるなら誰かと一緒に怒られた方が気持ち的には楽だ。 師範からは、なんで俺まで怒られなきゃならない、みんなお前のせいだろ、と後で八つ当たりされるとは思うが。

 案の定、スティバル祭祀長のお言葉を師範に伝えたら、まだ誰からも怒られていないのに八つ当たりしてきた。

「なんで俺まで行かなきゃならないっ!」

 んもー、ほんと短気なんだから。 他人事ながら、よくこれで大隊長が務まっていると思うよ。 第三大隊の中隊長で百剣は一人しかいない。 直属の部下は剣豪というより文官っぽい人がほとんどだ。 いくら上官だって剣を鍛える調子で大隊の指揮をしていたら、その内誰も付いて来なくなるんじゃ? かんかんに怒っている師範にそんな事を言ったりはしないが。

「お前が真昼間にぼーっと夢を見たりしているから俺が割を食うんだっ!」

「えー? 夢だとか、今更そんな事を言わないで下さい。 師範だって目の端を青い何かが通り過ぎて行ったと言ってたじゃないですか。 それにこのお召しは俺の命令じゃないです。 俺は伝えろと言われた事を伝えているだけだし」

 珍しく師範の拳骨が飛んで来なかった。 どうやら八つ当たりしたって行かなきゃならない事には変わりがないと諦めてくれたらしい。


 次の日の朝、スティバル祭祀長、ボルチョック先生、師範と俺の四人で馬車に乗った。 馬車の前後左右には護衛が付いていたが、スティバル祭祀長はお付きの神官を一人もお連れになっていらっしゃらない。 ボルチョック先生もお一人で、サジ兄上の姿は見えなかった。

 馬車から下りると、すぐ前に茶室らしい建物があった。 そこに案内され、平伏して待っていると陛下がお出ましになった気配がした。 ボルチョック先生が合図して下さったので、トビから教えられた通りに御挨拶申し上げた。

「皇王陛下の御代に万歳、万歳、万々歳を申し上げます。 臣民サダ・ヴィジャヤン、勿体なくもお召しに与り恐悦至極。 只今まかり越しました」

「準大公、よう来た。 面を上げよ」

 皇王陛下にお目にかかるのは一年ぶりだ。 以前お目に掛かった時よりお疲れになっているような気がしたが、年末だからいつもよりお忙しいんだろう。

「そなたが皇都の道すがら出会った不思議を聞かせてくれるか」

「青い御方を拝見した件でございましょうか?」

「うむ。 左手で握った石が溶けて消えたとは真か?」

「はい」

「近う寄れ」

 陛下のすぐ側に控えていたボルチョック先生に促され、進み出て左手を陛下に差し出した。 陛下が俺の手を握った途端、ものすごい痛みが走った。 ボルチョック先生の握手どころじゃない。 普段師範の拳骨に慣れていなかったら、ぎゃっと叫んでいただろう。 歯を食いしばって我慢したが、涙が零れちゃいそう。

 有り難い事に最初の強烈な痛みは長く続かず、徐々に消えていった。 ふう。 これなら師範の拳骨よりましかも。


 はい? 拳骨はがつんと来たら終わりだろ、て?

 甘いね。 拳骨の強さには最、特、並があるが、並でも一週間くらいズキズキ痛むんだぜ。 師範に殴られた事のない人には分からないだろうけど。

 陛下のお手が離れた。

「間違いない」

 とても晴れ晴れとしたお顔だ。 何が間違いないんだ?

「準大公。 近衛に移る気はないか?」

「ありません」

 あ、まずかった? いきなりの御下問だったから何も考えないで答えちゃった。 でも近衛に移りたくない事は移りたくない。 俺みたいな礼儀知らずがそんな所に行ったら毎日泣いて暮らさなきゃいけなくなる。

「然様か。 まあ、よかろう。 本日は大儀であった」


 陛下は俺が断った事をお叱りにならず、あっさり御退席になった。 御不興を買ったようには見えないが、表情に変化がないから御機嫌なのか不機嫌なのか分からない。

 それに、なぜ「間違いない」の次が「近衛に移る気はないか」なんだ? ただ理由は分からないけど、握手の後、陛下のお顔に生気が戻ったというか、ぱりっとした感じ。 握手が健康によいというのは本当みたい。

 とにかく間違いらしい間違いはしないで済んだ。 まだ新年の御挨拶とお神酒が残っているし、軍対抗戦の後は審問やダンスもあるから安心は出来ないが。

 左手もまだ痛んでいる。 うう。 握手がこんなに痛いだなんて。 これじゃ誰もやりたがらなくたって当たり前だよな。


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