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弓と剣  作者: 淳A
零れ話 III
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後見人 3

 後見人となると金儲けが上手い事を基準に選んでも我が子の命は守れない。 今この会場に愚か者はいないが、誰より計算高い者ばかり。 それでなくても殺された正嫡子の子を引き受ける奇特な人間はいない。

 けれどこの会場に出席している誰かでなくてはダンホフ家の刺客を防ぐ事は出来ないだろう。 運がよければどこかに売り飛ばされ、そこで生き延びる道を見出すかもしれないが。 もしダンホフの血筋を利用しようと考える者に育てられたら、我が子の人生は始まったと同時に終わったも同然。

 そんな事を思い巡らしていたせいで誕生会から抜け出す機会を失った。 発表後、父の誕生会並みの豪華な料理が出されたが、砂を噛むような思いで味わっていると、ナジューラ様の側近から伝言があった。

「会食後、次代様がエイウィルの間でお会いしたいとの事」


 一寸延ばしにした所で私の運命が変わる訳でもない。 ライーラボルトには引き止められたが、後の事を全て頼み、私はお呼び出しに応じた。

 呼ばれたのがエイウィルの間である事は幾らか私の気持ちを楽にしたからでもある。 エイウィルの間はブルセル国の家具調度で統一された部屋で、なぜか邸内の誰もこの部屋を使っているのを見た事はない。 ダンホフ公爵本邸の中でただ一室、私が寛げる部屋でもあった。 次代様がそれを承知でこの場所を選び、今日そこで殺されるのだとしても部屋に罪はない。 私の方が先に着いたので、気持ちを落ち着かせる為にお茶を飲んだ。


 程なくしてナジューラ様がいらっしゃり、すぐに本題へと入られる。

「ロジューラ兄上。 お聞き及びのように私が爵位を継承する事になりました。 つきましてはロジューラ兄上を分家したいと考えておりますが、如何?」

 それは正に私の望んでいた事。 だが私は今までずっとナジューラ様の競争相手を援助してきた。 ナジューラ様を援助した事は一度もないのだから敵と見做されても文句は言えない。 何故という疑問がまず湧いた。

 確かに次代に選ばれたからといってそこで終わりなのではない。 それどころかダンホフ公爵となった後こそ困難の幕開けと言っても良い。 どんなに巨大な組織であろうと舵取りを一つ間違えば船は沈没する。 ブレベッサを例にするまでもなく。


 ナジューラ様は造船関係に御関心がおありなのだとか。 新技術開発への投資にも意欲的だが、金融財政に明るい訳ではないと聞いている。 次代ではなくともダンホフ公爵家継嗣なら経済関係に明るい側近が十人いても多すぎる事はない。 なのに今までそちら関係の専門家らしい専門家が一人も居ないのは不思議ではあった。

 元々いた五人の側近は全てブルセル国出身で、いずれも義母が選んだ。 金融は門外漢で収支決算書の収入項目と支出項目の違いさえ理解してはいない者ばかり。 外交や軍事には詳しいらしく、金の動きに無知ではなかったが、ブルセル国人なだけに皇国の金融事情に関して疎い。

 ライーラボルトが聞いて来た情報に拠ると、新しくナジューラ様の側近になった者達は全員ブレベッサ号の乗組員だと言う。 それなら金融関係に詳しいはずはない。


 金融を生業とする家の継嗣の周辺を固めるのに不可解な事ではあったが、ナジューラ様には幼い頃から金融関係を教える教師が一人も付いていなかった。 継嗣として大切に養育されていた事は確かだし、数学、物理、化学、音楽、法律、文学等、教師は両手で数え切れない程いたのにも拘らず。

 何事も見逃さない父がそれに気付かなかったはずはないのだが、義母の誤りを正そうとはなさらなかった。 教師はともかく、側近は執事以上に重要だ。 適当な人物を推薦して下さる様、義母が父へお願いすればよさそうなもの。

 しかし両親が放っておいている事に私が口を出す気にはなれなかった。 下手に義母やナジューラ様に近づいても自分が殺される機会を増やすだけ、と。 今回の逆転劇に義母が絡んでいたとは信じられないが、ブルセル国大公家令嬢が只者であるはずはない。 その一人息子に恩を売っていなかった事がつくづく悔やまれる。


 私の子を殺さないと約束してくれるならナジューラ様に損はさせない自信はあるが、過去に一度もナジューラ様の為に何かをしてあげた事がない私に、どうして分家を約束してくれるのか。 その真意を計りかねた。

「誠に有り難き仰せなれど、その様な御厚情を受け取る程の事をした覚えはないのですが?」

「実は、私はディルビガー公爵令嬢との婚約を破棄するつもりでおります。 そこでロジューラ兄上にセライカへ御足労願い、ディルビガー公爵と交渉の上、承諾を獲得して戴きたい。 穏便に合意してもらえるならどのような条件であろうと呑みましょう。 たとえ相手の要求が紅赤石二個であろうとも」

「……それは何とも思い切ったお言葉。 そこまでなさらずとも取りあえず御結婚なさり、持参金を手に入れた後で病気や出産での死亡を計画なさった方が余程安上がりでは? 急いで婚約破棄せねばならない事情でもおありなのでしょうか?」 

「私は準大公の義兄となりました。 ディルビガー公爵令嬢を妻にすれば、たとえ妻が亡くなったとしてもディルビガー公爵は準大公の義姉の実父。 その関係は準大公家に対して口出しする権利を与えます。 ディルビガー家が存続する限り。 それは準大公の御為になりません」

 それが理由? 何と返答してよいやら適当な言葉が見つからない。 

「失礼ですが、父上はこの破棄をお許しになったのでしょうか?」

「これは私の決断です。 セライカより承諾の連絡が届き次第、父上にもお知らせしますが、事前のお許しを戴こうとは思いません」


 この御方から従順以外の態度を見た事はなかっただけに意外の感は拭えない。 そう言えば、誕生会でも父から最上の賛辞を戴いたというのに、父上の御期待に添うよう努力しますとか、当代の偉業を褒め称えるに類するお返事をなさらなかった。 一体、どのような心境の変化があったのか?

「もしや、御心に適った御方が既にいらっしゃる?」

「私はリューネハラ公爵の妹、ミサ殿に求婚するつもりでおります」

 リューネハラ公爵の妹? ミサ殿は、確か、子が生めないという理由で離縁された女性では?

「それは、何と申し上げてよいものやら。 お許しどころか父上は勿論の事、義母上からも相当な反対があるでしょう。 それも御無理のない事。 廃嫡された、或いは分家したのならともかく、晴れてダンホフ公爵家次代となられた今、不妊と噂される女性を正妻に据えるなど考えられません」

「父上には既に何人もの孫がおります。 私に子供が生まれなくても然したる不都合はありません。 そもそも爵位を継ぐに相応しい者なら私以外にいくらでもいる。 父上が私に御不満があるなら廃嫡し、次を据えればよいだけの話」


 それは一理あるが、当代の意向に背くなど次代であっても気軽になさってよい事とは思えない。 何より、父がどうした、と言わんばかりの態度に内心驚いた。 次代と指名された後に取り消された例は過去にないが、少々不安になった。 父が本当にナジューラ様を廃嫡したらどうなる?

 しかしユレイアが子を産めば、その子はサリ様の血縁の従兄弟。 ナジューラはその子の血縁の伯父だ。 廃嫡の可能性は否定出来ないとは言え、簡単に廃嫡などしたくても出来ないだろう。 そもそも私に分家の申し出を受ける以外の道がある訳でもない。


「お役目を承りましょう。 ところで私を御指名になった理由を伺っても構いませんか?」

「交渉相手はディルビガー公爵です。 時間をかければかける程、こちらの持ち出しが増える事は明白。 父上でなければこの交渉をこちらの希望通りに纏める事は難しいでしょう。 けれど婚約破棄に反対なさるであろう父上に交渉をお願いする訳にはまいりません。

 その点、ロジューラ兄上の筆頭側近、ライーラボルトには父上に優るとも劣らぬ交渉能力がある。 そしてロジューラ兄上ならセライカ国内での身の安全が保証されております」

「私の身の安全とは?」

「ロジューラ兄上はブルセル国ダーラツ王家の血を引く御方。 ディルビガー公爵の娘の一人はブルセルの第一王子に嫁いでおります。 第一王子の従兄弟がディルビガー公爵家滞在中に暗殺されたら、将来娘が国王妃となる事は不可能とは言わないまでも、大変難しくなる事を承知しているはず」

「父にさえ気遣われぬ身だと言うのに、そこまで御配慮戴けるとは有難き事」

 皮肉でも何でもなく私がそう返答すると、ナジューラ様は少し首を傾げられた。 

「気遣われぬとは。 何とも異な事をおっしゃる。 父上がこの世でただ一人、お気遣いなさっている人がいるとしたら、それはロジューラ兄上ではございませんか」

 私が訝しげな顔をして返答せずにいると、更に言葉を続けられた。

「ロジューラ兄上は、ロジューラ兄上以外、誰もこの部屋を使用してはならないという命が父上より出されている事を御存知ない?」

「存じませんでした」

「もしや、ライーラボルトが側近となった理由も?」

「亡母より指名された、と聞いておりますが」

「……それはそれは。 ロジューラ兄上は昔話に関心はないかもしれませんが。 父上は当初、私の伯母であり、母の実姉でもあるテュナラン大公令嬢と婚約する予定でした。 しかしブルセル国を訪問なさった父上はエリアーナモア王女と出会い、恋に落ち、そちらに求婚なさった」


 父が、恋?

 ナジューラ様が言葉の選び間違いをするとは思えないが、私は父の事を金の亡者としてしか知らない。 愛人はいくらでもいるが、どの愛人も自分が気に入ったから愛人にしたのではなく、彼女達の実家に恩を売っておきたいか金銭的な理由があったから選んだようにしか見えなかった。 あの父が金以外の何かを愛した事があるとは。 果たして事実なのか?

 私の驚愕を読み取ったかのようにナジューラ様がおっしゃる。

「その辺りの事情は私よりライーラボルトの方が詳しいでしょう。 ライーラボルトは父上と共に金融を学んだ学友で、道に転がる石であろうと金に変える男として知られておりました。

 そのため父上の相談役からロジューラ兄上の側近として引き抜かれた時、それはロジューラ兄上が次代になるための布石として受け取られた、と聞いております。

 父上が先の妻を深く愛していた証拠はその他にも残されております。 例えば、この部屋。 皇国でもブルセル風を模した家具は手に入りますが、ここにある物は家具は勿論、絵画、絨毯、ランプ、皿に至る全てがブルセル国から運ばれた物で模造品は一つもありません。

 ブルセル国への旅に同道したライーラボルトなら、エリアーナモア王女が御自分の身の回りの物以外何も持たずに輿入れなさった事を知っておりましょう。 又、ロジューラ兄上がエリアーナモア王女からの遺産として受け取ったものは、ダンホフ公爵家の資産とは別に父上が用意した父上個人の資産。 それをライーラボルトに管理させ、増やしたものです」

「それ故父上に恩を感じるべき、とおっしゃる?」 

「父上がどの息子に何をしてあげようと、ロジューラ兄上がそれをどう受け止めようと、私には無関係。 それ故この交渉の成功報酬として分家を約束している訳です」

「私が紅赤石を手にして出発したら持ち逃げするとはお考えにならない?」

「持ち逃げ? 一億程度の金ならあっと言う間に増やせるロジューラ兄上が?

 多くの者にとって生涯目にする事のない大金でしょうが、ロジューラ兄上の個人資産は現在でさえ二億を越えていらっしゃる。 それに亡き母上からの資産と不動産の含み益は含まれておりません。 スアサンダ近辺の土地を少しばかり手放せば、兄上が愛するニーナへあの石を贈る事も容易ではありませんか」


 私がナジューラ様に無関心であったように、ナジューラ様も私に無関心と思い込んだのは誤りであったか。 スアサンダの土地の所有者である事はまだしも、ニーナの名前まで御存知だったとは。 

 スアサンダから第一駐屯地へ続く荒地は貸した金の質草として手に入れた。 私の資産目録の中では地価百万ルークとして記載されている。 私の資産目録を見る事は他の子弟でも出来るが、目録を見ただけで現在の評価額が分かるようにはなっていない。

 今の所北の地価に下降の兆しはないから売る気はないが、スアサンダ離宮建設工事が開始した事によって道路が整備された。 今日あの土地を百区画に分割して売れば一区画百万ルークで売れるだろう。 その含み益を計上するなら私の資産は三億を越えるが、競争相手でもない私の資産の詳細までナジューラ様に知られているとは思わなかった。


 自分の命に未練はなくても、ニーナと生まれる子を守るためには次代様にとって有用な男である事を証明するしかない。 私は帰宅を諦め、すぐにセライカへ出発する事にした。


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