御利益 ドレジェッツ船長の息子の話
親父もさ、いい加減、年ってものを考えるべきだと思うんだよな。 十八になる俺に、北軍に入隊しろって言うなら分かるんだ。 俺の家は代々船主で、親戚を含めたって今まで北軍に入隊した男なんて一人もいねえが、所詮は平民の漁師上がり。 そんな大層なもんじゃねえ。 俺には弟だって二人いる。 いざって時には嫁に行った姉貴がぽろぽろ子供を産んでいるから、その内の一人をがめて来たっていい。
寒いのはうんざりだけど、俺だって生きている内にギラムシオ様を一度は見ておきたいし。 どうせその内六頭杯を見に行くつもりだった。 若い内に世間を見ておくってのは悪い事じゃねえよな。 二、三年お勤めして帰って来て所帯持てば丁度いいだろ。 だから親父に言ったんだ。
「俺、北軍に入隊しようと思う」
「止めとけ。 ふん、お前みたいな気合いの入っていねえ奴にギラムシオ様の有り難みが分かるもんか」
有り難みが分かるのに気合いなんているのかよ?
今思うと最初から自分で行く気だったからそんなふざけた事言って俺の事を止めたんだろうな。 まあ、親父の入れ込みように気合いが入っているのは認めるけどさ。
何しろギラムシオ様のカレンダー目当てに「貴婦人の友」を毎年予約して三冊買っているんだぜ。 俺の村に本屋はねえが、本を買う奴なんて珍しいから隣町の本屋だって店主はお客がどこの誰か知っている。 俺だったら女房がいたって、こっぱずかしくてそんな注文なんか出来ねえ。
最初の年は誰もギラムシオ様と六頭殺しの若が同一人物だと知らなかったんで、親父はお袋に一冊買ってあげただけだった。 ギラムシオ様だと分かった途端、慌てて自分の分を買いに隣町まで船を走らせた。 だけどとっくに売り切れ。 それがよっぽど悔しかったらしくて。 その失敗に懲りた親父は次の年から予約注文するようになったんだ。
因みになんで三冊かっていうと、お袋用と自分用、それと保存用なんだと。 去年出た別売のポスターなんか四枚も買っていた。 船用もいるって言って。
俺が自分の小遣いで買う物だったら、やれ金の無駄遣いだの何だのうだうだ言うくせに。 同じ物を三つも四つも買うのは無駄じゃねえのかよ。
ただお袋が自分用がなきゃやだ、てごねた気持ちは分かるんだ。 だって親父用ってのは客間や食堂に貼ってあるんじゃねえ。 自分の部屋なんだ。 ポスターやカレンダーなんてみんなが見たからって減るもんでもねえだろ。 せめて夫婦の部屋に貼りゃあいいのに。 あそこじゃ日当りがよすぎて色が落ちるとか言ってさ。 それはまだ分かるが、ギラムシオ様が貼ってあるから誰も入るな、てなんで? 意味分かんねえ。
お袋も呑気なもんさ。 掃除する部屋がひとつ減ったとか言って喜んでいるんだから。 いつもは気に食わねえ事がありゃ、すぐにがつんと言うくせに。 ギラムシオ様の事となるとほっぽってる。 だから親父がつけあがるんだっての。 親父に内緒で同人誌「弓と剣」を買っている弱味があるから強く出れねえんだろうな。 そう言う俺もヤバめの本を買ったとこを、ま、そんな事はどうだっていいんだけどよ。
親父の気合いは家から出る時帰る時、毎日欠かさずギラムシオ様を拝んでいる事にも表れている。 あれじゃお袋の顔見るよりギラムシオ様の顔を拝んでいる時間の方が長いだろ。
ま、食うに困ってるって訳でもねえ。 ポスターの一枚や二枚、余計に買ったって屁でもねえさ。 親父が何に嵌っていようと俺の知ったこっちゃねえし。 だけど家業を捨てて北に行く、なんて言われたら黙っちゃいられねえだろ。 だってちょっと行ってお顔を見たら帰って来るとかじゃねえんだぜ。 一年間ギラムシオ様にお礼奉公してくるんだと。 それって今年四十になる男の言う事か?
ギラムシオ様に奉公したいって手紙を出したのに、いつまでたっても返事がこねえからしびれを切らしたんだろうな。 手紙には厩番でも警備でも下男でも何でもやります、て書いてあった。 自分の船も持って行きます、てな。
船って。 漁船なんだぜ。 そんなものを北に持って行ったってギラムシオ様が迷惑するだけじゃん。 ギラムシオ様の家業が漁業なら、ただで船長付きの漁船が手に入りゃ儲かったと思うかもだけど。 普通の貴族だったら魚は買って食べるんじゃね?
なけなしの伝手を使ってもらった推薦状まで添えてさ。 涙ぐましいったらありゃしねえ。 因みに、何で俺がそこまで知っているかと言うと、親父は一応読み書きは出来るが、字が汚ねえもんだから俺に代筆を頼んだんだ。
向こうは飛ぶ鳥落とす勢いの伯爵様。 いくら叙爵されたばっかりで人手不足だって、平民の、しかも漁師を雇う訳ねえ。 手紙を出すのは勝手だけど、向こうにだって都合ってもんがあるだろ。
そもそもギラムシオ様に奉公したい奴なんて、俺が住んでいるしがない村だけで何人いると思う? 俺が代筆してやっただけでも二十人はいるんだぜ。 なのに誰一人雇われた奴はいねえんだ。 それ見ただけで分かりそうなもんじゃねえか。 わざわざ息子に意見されなくたってさ。
さすがに親父も返事を待っていたって無駄と悟ったようで、直接行かなきゃ話にならん、となったようだ。 それがだめだったら北軍に入隊するんだと。
入隊って、確か年齢制限あるんじゃなかったっけ? 二十五とか。 上官だって新兵が自分の親父の年齢だったら命令しづらいだろ。 いくら見てくれが若いからって白髪が生えてんのに二十五に見えるかよ。
普通なら親父がバカ息子に説教するのに、バカ親父に説教しなくちゃいけない息子の身にもなれっての。 だからじいちゃんに言ったんだ。
「親父を止めてくれよ。 あれじゃ本気で北へ行っちまう」
「う、ああ、……ま、な」
何、この歯切れの悪さ。 いつもは親父だろうと誰だろうと、ばしっと言うのに。
どうやらじいちゃんも一緒になって親父を焚き付けてたみたいで。 ほんと、参るぜ。 亀の甲より年の功って言ってたのはどこの誰なんだ。 こんな時頼りになるばあちゃんは去年病気でぽっくりいっちまったし。
俺が何を言っても馬の耳に念仏。 親父は北へ行った。 全然止めようとしないお袋もお袋だぜ。
「お袋、どうして止めねえのさ」
「無駄だもん」
散々止められたって親父は出発した。 船を見送りながら、案外お袋って賢いのかもな、とは思ったけどよ。
それでも冬前には諦めて帰って来る、て思っていたんだ。 ところが一ヶ月もしねえ内に噂が聞こえて来た。 公爵様のどでかい船が沈没して。 その時ギラムシオ様が泳いで八十人を助けたんだと。
すげえ。 さすがはギラムシオ様。 船より速い泳ぎ手だって事は親父からもう耳にタコが出来るくらい何度も聞いていたし、八十人引っ張るなんざ、朝飯前だろ。
そんな事じゃあ驚かねえけどよ、なんでもギラムシオ号って名前の船を手に入れて、その船の船長と乗組員を奉公人として雇ったらしい。 最初は、へー、同じ名前の船がもう一隻あったんだ、と思っただけだった。 目出度い名前だからな。 他にもギラムシオ号があったって不思議じゃねえ。 ところが親父がマーシュから手紙を寄越してさ。 なんとギラムシオ様に雇われた、て書いてある。 しかも一年ぽっきりじゃねえ。 働いている限りずっと給金がもらえるんだと。
いやーー、魂消たのなんのって。 手紙は確かに見慣れた親父の汚い字だ。 だからって、そうですか、て簡単に信じられる話じゃねえだろ。 だけどよ、その噂は俺達の村に届いただけじゃねえんだ。 どこの桟橋に行ったって、ドレジェッツという平民がギラムシオ様に雇われた、て噂で持ち切り。 俺がそのドレジェッツの息子だ、て名乗ったら扱いが全然違う。
親父ってすげえ、と生まれて初めて見直した。 ギラムシオ様に奉公したいと夢見ている船長なんて何百人いるか分からねえのに。 やっぱり人間、気合いなんだなあ。 つくづく思い知らされたぜ。
しかも話はそれで終わりなんじゃねえ。 俺達平民は桟橋に船を付けたら一時間毎に金を払う事になっている。 半日分とか丸一日分先払いすりゃ割引があるけど、時間が経てば経つ程金が飛んで行く事に変わりはねえ。 だから平民の漁船や客船なら手早く積み込み積み降ろしを済ませて、さっさと桟橋から離れる。
だけど貴族の船は無料だ。 それで用もないのに桟橋に居座って他の船を平気で待たせていた。 それでなくても平民の漁船だと次々貴族の船に割り込みされる。 丸一日空きを待っている事だって珍しくなかったし、急いで側を通り過ぎる貴族の船に網を破られる事だってよくあった。 ところが親父がギラムシオ様に雇われて以来、平民の漁船だって蹴散らされねえ。 おかげで仕事がすごくやりやすくなったんだ。
決め手は船旗だ。 ギラムシオ号と同じバリシャツを掲げていると貴族の船でも割り込みしてこねえし、網を流すと避けてくれるようになったんだ。 貴族の船が先に桟橋に付いていたって今までみたいに長々居座ったりしねえ。 手早く積み込み積み降ろしを済ませたら、さっと桟橋から離れてくれる。 だからいつまでも立ちんぼしねえですむようになった。
但し、どのバリシャツでもいいって訳じゃねえ。 色は紺。 前がケルパ神社。 後ろに「愛」って染め抜いているやつじゃねえと。
そのまま船旗として使ったら雨や塩であんまり長持ちしねえから、注文する時に防水加工してくれって頼んでいる。 それだと特注になるんで、一枚を安くあげるのに俺の村の漁業組合では五百枚まとめて注文する事にした。
なんで「愛」、とは思ったけどな。 ちょっと軽いんじゃね? 他に何かもっとこう、どーんと来るやつがありそうなもんだろ。 有り難い御利益があるもんに、いちゃもん付けるなんて罰当たりな真似をする気はねえけどさ。




