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弓と剣  作者: 淳A
新興
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放鳥  ハーブスト筆頭女官の話

「籠の中での安寧と籠の外の自由。 選べるものなら、この鳥達はどちらを選んだのであろうな?」

 ファレーハ皇太子妃殿下は故郷のヤジュハージュ王国から連れて来た美しい小鳥達を飼う巨大な鳥籠の前で私にお訊ねになった。 妃殿下は鳥を見つめていらっしゃる。 けれど鳥の気持ちをお訊ねになったのだとは思わない。 先頃、皇王陛下よりお達しがあった。

「追って沙汰があるまで、一切の外出を禁ずる」


 御出席が予定されていた様々な行事は妃殿下の御気分が優れないとの理由で全て取り消された。 元々妃殿下はそのような御公務は単なる義務として淡々とこなされていただけのように思うから、それに関しては別段お気に掛けてはいらっしゃらないだろう。 でも週に一度は神域へとお出掛けになり、マーガタン祭祀長の説話を伺う事を今まで欠かされた事はなかった。 それさえも禁じられたのだ。 明らかに懲罰。


 程なくして御退職まで後二十年近くあったはずのマーガタン祭祀長が御退職なさったという知らせが祭祀庁より届いた。 しかもその後任として副祭祀が昇格なさった、と。

 常の御退職なら祭祀長見習が祭祀長になる。 けれどマーガタン祭祀長には祭祀長見習がいらっしゃらない。 それで副祭祀が新しい祭祀長に選ばれたようだ。 このような副祭祀の昇格は非常に異例で突然の事故や御病気等が原因で祭祀長が「来世へ旅立ちし者」となった時にのみ起こる。 ただ誰もマーガタン祭祀長の御身に何かあったとは聞いていない。

 常の御退職であれば妃殿下の蟄居の御沙汰が終わり次第、お会いする事が出来たであろう。 蟄居中でもお手紙を出す事くらいは許されたと思う。 でも来世へ旅立ちし者とは御面会はもちろん、交流の一切が禁じられている。 自国の女官は全て後宮からお役御免となり帰国した今では妃殿下こそ籠の鳥。


 マーガタン前祭祀長は話術に巧みな御方で、妃殿下にとって数少ない御心を許された御相談相手でもあった。 サルジオルキ女官を始めとして気心の知れた数多の女官を従えて御興入れなさり、異国でただお一人と言う訳ではなかったけれど。 新婚当時でさえ妃殿下のお姿を拝見する度に私の脳裏には孤独という言葉が思い浮かんだ。

 とは申せ、妃殿下の孤独は昨日や今日始まった事ではない。 ヤジュハージュの第二王女としてお生まれになった妃殿下とセジャーナ第二皇王子殿下との御婚約が調ったのは妃殿下が御年八歳の時。 国益が絡んだ御結婚を拒むなど許されるはずもなく。 籠の外で大空を駆け巡る自由など、お生まれになったその日からなかったと言えよう。


 私はヤジュハージュの習慣や言葉を詳しく知っている訳ではないけれど、どの国であろうと王女様が他国へ差し出される人質である事に大した違いはないであろう。 国にとって王族の婚姻は外交の一手段。 将来外交問題に発展する様な御方では困る。 だから幼少の頃より息をしている従順な人形であるよう躾けられるのだ。

 大切に育てられはしても、なぜ自分の希望が通らないのか。 御聡明でいらっしゃる妃殿下が、その理由にお気付きにならなかったとは思えない。 その証拠に、妃殿下は常に周りの都合を優先させて下さった。 皇王子殿下お二人の乳母の選択から日々のお召し物、お食事に到るまで。 既に決められた事であれば変えるようにと御所望なさった事はない。 たとえそれがお気に染まぬ決定であったとしても。


 全てに無言を通される妃殿下のお好みを推察申し上げるのは、お側近くに仕える者にとって容易な事ではない。 その点、出仕十八年を数えるサルジオルキ女官は妃殿下の御心に添う事に長けていた。 皇国とは違い、ヤジュハージュでは御幼少の頃より同じ乳母が王子王女に仕える事が許されているからでもあろう。 但し、そのサルジオルキ女官と御一緒の時でさえ、妃殿下が御心を許されている様子は窺えなかった。

 妃殿下はどの女官と話す時でも分け隔てなく皇国語をお使いになり、用件だけを手短かにお伝えになる。 私とて妃殿下にお仕え申し上げて七年。 我が儘をおっしゃるでもなく御公務をお務めになる妃殿下の御希望の一つや二つ、希なだけに是非とも叶えて差し上げたいと思う。 とは言え、妃殿下にはお立場というものがある。 皇太子妃殿下だから何をしても許されると思うのは大きな間違いだ。


 特にサルジオルキ女官にはたまさか驕る振る舞いがあった。 妃殿下の後宮における序列は第二位。 それはそうなのだけれど、陛下にとって野心のない皇太子殿下は都合がよいから安泰であると言うだけの話。 しかもその安泰はオスティガード第一皇王子殿下が成人なさるまでのかりそめ。 立太式が終われば臣下に下る身分である事を忘れてはならない。

 それを御忠告申し上げようにも筆頭となる前の私は単なる一女官。 筆頭女官を叱れるのは妃殿下しかいらっしゃらない。 けれど妃殿下から直接お言葉を頂戴する機会さえ私にはほとんどなかった。 筆頭女官がいる前で彼女の行き過ぎを諌めるのは職を失う覚悟がなければ出来る事ではない。

 皇国出身の女官は私の他にも何人もいるけれど、皆似たり寄ったりの立場。 後宮のしきたりに詳しい故の教育係、或いは妃殿下主催の行事の進行役として召し出されているに過ぎず、妃殿下に諫言出来るような身分ではない。


 それにしても皇太子殿下主催の舞踏会においてサルジオルキ女官の企みを事前に掴む事が出来なかった事は重ね重ね悔やまれる。 準大公はお若いといえども決して蔑ろにしてはならない御方。 所詮は女子供にもてはやされるだけの人気者と軽んじる愚か者もいるようだけれど、人気者だからどうしたというのだろう。 準大公のお父上が宮廷内最大派閥の首領であるヴィジャヤン準公爵である事に変わりはないではないか。

 なぜか準大公に直接お会いし、お話しした事がある者程、大局を見失う傾向があるように思う。 その同じ誤りをサルジオルキ女官も犯したよう。

 あの場にいた女官達の話を繋ぎ合わせてみると、サルジオルキ女官は準大公御夫妻が北方伯夫妻と呼ばれてもお咎めにならなかった為、与し易しと侮ったらしい。 それ故サリ様とは別のお部屋に御案内申し上げたのだ。

 皇王族のどなたかと同衾なさった女性が他の皇王族に嫁がれた例は過去にない。 お子様同士、何が起こる訳でもなくても、妃殿下の御長男であるラムシオン皇王子殿下をサリ様と同室でお休みさせれば、将来サリ様と御結婚なさるのはラムシオン皇王子殿下、と考えたらしい。 そのような小細工、妃殿下の首を絞めるも同然であるのに。 


 準大公が急に御出発なさった為、その目論みは水泡に帰した。 けれど事の次第をお聞きになった皇太子殿下のお怒りは凄まじく、即座にサルジオルキ女官の処刑を命じられた程と聞いている。

 御無理もない事。 もし誰かが、これは妃殿下の御指図。 皇太子殿下さえ御存知であった、と陛下へ讒言したらどうなっていたか。 陛下がそれをお信じになったら、いえ、お信じにはならなくとも世間がそのように受け取る事を問題視なさったかもしれない。 そうなったら皇太子殿下以下、御家族、お仕えする者全員の処刑となっていたはず。 たとえヤジュハージュと開戦の恐れがあろうと陛下が躊躇なさったとは思えない。 それによってどれ程の血が流されたか想像するだに恐ろしい。 


 フェラレーゼとの関係が深まろうとヤジュハージュを蔑ろにしたい訳ではない。 であればこそ皇太子殿下は常日頃より妃殿下の御身の回りが快適である様、御心を砕いていらした。 妃殿下の周囲がヤジュハージュ出身の女官ばかりでは不都合が少なからずあったにも拘らず、許されていたのは皇太子殿下の御配慮があればこそ。

 けれど次代の皇王陛下を変えようと試みるとは反逆罪。 皇太子妃殿下お気に入り筆頭女官であろうと見逃せるような罪ではない。

 妃殿下の御指図があったのか、サルジオルキ女官が出過ぎた真似をしたのか、私は知らない。 いずれにしてもサルジオルキ女官が降格だけで済んだのは、あまりの厳罰は世間の耳目を集め、引いては陛下に御不審を抱かせる種となるやもしれませぬ、との皇太子殿下筆頭侍従の進言があったからと聞いている。 妃殿下が庇って下さったからではないし、ましてや罪が軽い故ではないのだ。


 残念な事にサルジオルキ女官はそれを理解しなかった。 さもなければそのほとぼりも冷めない内に準大公誘拐未遂事件という大それた企てに関与したはずはない。 ダンホフ家からの情報によれば、誘拐犯はサリ様の血縁の伯父上でいらっしゃるタケオ大隊長のお命さえ狙ったのだとか。

 北の猛虎の名くらいは知っていても、皇国軍の内情に関して無知なサルジオルキ女官が、そのような暗殺を計画し得たはずはない。 それに関しては更に厳しい詮議が行われるだろう。 この謀の背後にヤジュハージュがいるのか、または第三者に妃殿下の御希望を利用されたか?

 今の所分かっているのは、サルジオルキ女官は準大公を密かに皇王城内の神域へ御案内申し上げる様、マーガタン前祭祀長にお願いしたという事だけ。

 サルジオルキ女官は先代皇王陛下の御外遊のお供として選ばれ、既に後宮から去っている。 妃殿下付き女官は全員皇国出身に交換されたからこの件に関して詳しい事情を知る者はいない。

 全てはサルジオルキ女官の先走り。 妃殿下に咎はない、と言いたい気持ちはある。 その一方で、消せぬ疑いがないとは言えない。 もしや妃殿下は準大公に会いたいとマーガタン前祭祀長かサルジオルキ女官に漏らされたのではあるまいか?


 五月の舞踏会の夜を思い返さずにはいられない。 妃殿下は今まで御自分から踊ろうとなさった事はなく、常に陛下又は皇太子殿下からの御要望があった時にのみ踊られていた。 あの夜、そんな御要望は誰からもなかった。 女官達はそれを知っているだけに妃殿下が準大公を踊りにお誘いした事に内心驚いていたほど。

 ただ妃殿下は初めは準大公を北方伯とお呼びした。 明らかに準大公を見下しておられたから最初のお誘いは単なる好奇心に過ぎなかったと私は見ている。

 準大公を見る限り、緊張された面持ちでお口元をきゅっと引き締めて踊っていらした。 妃殿下に話し掛けたとか、話し掛けられた御様子はない。 なのに踊り終わって、もう一曲とお強請りなさったのは妃殿下の方だった。

 更に驚いたのが、あの場で妃殿下がお笑いになった事。 準大公がどんな御冗談をおっしゃったのか聞こえなかったものの、妃殿下が公のお席でお笑いになった事などかつてない。

 今思えば、妃殿下のお幸せを誰より、激しいとさえ言える程に願っていたサルジオルキ女官の耳に、あの笑い声はどれほど輝いて響いた事か。 もう一度聞きたい、と思ったとしても無理からぬ事。

 そして準大公が御出発なさったと私が御報告申し上げた時の妃殿下の無言。 そこに隠された深い失望。 私には読めなくともサルジオルキ女官には分かっていたのかもしれない。


 準大公は新年及び皇太子殿下の舞踏会以外には一切御出席なさらないと明言されている。 すると妃殿下が次にお会いする機会が巡って来るのは新年舞踏会か、来年の皇太子殿下舞踏会。

 皇国皇太子妃殿下をお待たせするにはあまりに長い時間と言える。 だからと言ってサルジオルキ女官と同じ轍を踏む訳にはいかない。

 来年の舞踏会では準大公御夫妻に心ゆくまで楽しんで戴き、御滞在を出来るだけ延ばして戴けるよう、尽力するつもりでいる。 その日を長々待たされた御方にしてみれば、あまりに短く儚い一時に過ぎないと知ってはいても。

 皇国で準大公に踊りを所望出来るのは皇王妃陛下と皇太子妃殿下、お二人のみでいらっしゃる。 手にした幸せがいかに些少であろうと投げ捨ててよいものであろうか。


 私は妃殿下へ申し上げた。

「籠の外には飢えも他の鳥の餌となる危険もございます。 運命さだめと言うもの、選び難く。 生まれ落ちた場所がどこであれ、許された命の限り羽ばたくのみ」

 妃殿下はしばし無言で小鳥達を見つめていらしたが、おもむろに鳥籠へと歩まれ、静かに扉を解き放たれた。

 飛び立つ鳥をお見送りなさる妃殿下の胸に去来するものが何であったか、知る者はいない。


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