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弓と剣  作者: 淳A
新興
302/490

萌芽  猛虎の話

「タケオ大隊長暗殺を指令した者に、どのような処罰を希望するか?」

 ジンヤ副将軍が報告なさる予定の会議を明日に控え、アーリー副将軍補佐が俺の執務室にいらして御質問になった。


 無表情な顔は神域で刺客が付けていたお面を思い起こさせる。 その質問に対しすぐには返答せず、俺の親父より年上の男の端麗な顔を見つめ返した。 親父より年上と言っても、あんなよぼよぼじゃない。 四十代と言っても通るだろう。 一目で軍人とわかる鋭い視線をしている。 穴があく程見つめた所でサダでもあるまいし、顔を見ただけで何を考えているのか分かる訳でもないが。

 上級将校ともなれば感情を隠すくらいお手の物。 俺のような駆け出しにこの人の腹の底が読める訳がないが、勿論、感情がない訳じゃない。 マッギニスでさえあいつの中には熱いとも言える感情が巣食っていたし、初めてレイ・ヘルセスと会った時は能面の様な顔だと思ったが、後にその下には万華鏡の如き複雑な感情を抱えていると知った。 しかしそれは偶然の賜物で、何年も側にいたから知れるというものじゃない。

 あると知らない以上、ないも同然。 それは子爵家正嫡子であるアーリー副将軍補佐にも言える。 日常の振る舞いにも何となく優雅さが漂い、喜怒哀楽らしいものを垣間見せた事はない。 有能な執政官として知られるが、長年同僚として一緒に第一駐屯地で任務に就いていらしたトーマ大隊長とも別段親しい訳ではないと聞いている。 俺が大隊長になって以来、会議や任務で副将軍補佐に会う事はよくあるが、任務以外の事で声を掛けられた事はないし、それは俺に限った事でもないようだ。


 俺みたいな平民が大隊長になるのは異例の人事だし、たとえ何もしなくても貴族のアーリー補佐からは嫌われているだろう。 俺は俺なりに北軍に貢献していると思うが、それを帳消しにするくらいの問題を起こしてもいるんだから。 この人の査定では、おそらく差引ゼロ。

 だとしても、好かれる為に駆けずり回ろうとは思わない。 どうせこれ以上の昇進がある訳でもないし、直属上官である将軍の命令を果たす以外の心配をするのは無駄骨だ。 副将軍補佐に限らず、同僚である大隊長の誰に生意気と思われようと、どうでもいいと思っている。

 子供の頃から俺は一人。 今更一人じゃ寂しいなんて言うつもりはない。 どんなに頑張った所で異分子である事は変えようがないんだし。

 ただ異分子は俺の他にもう一人いる。 サダだ。

 貴族のくせに、あいつは俺より大隊長として浮き上がっていると言える。 会議では毎回必ず馬鹿な発言をして皆を脱力させているが、それだって意図してやっているんじゃない。 普通に馬鹿なのだ。 賢い人に囲まれていればどうしても目立つ。


 もっとも異分子である事は同じでも俺は恐れられ、サダは好かれている。 侯爵令嬢と結婚した事で俺が貴族の振る舞いを真似る事を期待した者もいたようだが、相変わらず平民丸出し。 それを悪いとも思わず、改めようとする様子もない。 今では同じ大隊長同士。 なぜ俺が下手に出ねばならない、と言わんばかりの可愛げのない態度だから無理もないが。

 そのうえ俺は新兵の時から毎週祭祀長にお茶を御馳走になっている。 相手が相手なだけに、たかが一杯の茶とは言えない。 祭祀長が中隊長以下を御招待する事さえなかったらしい。 大隊長でさえ恒例となっているのは年二回。 それ以外で招待された人はいないと聞いている。


 どうして俺が、と自分だって不思議に思うんだ。 他にも不思議に思う奴がいるのは当たり前だ。 誰も口には出さないが、そのせいで上級将校からやっかみや反感を買っている事も知っている。 かと言って祭祀長からのお誘いを平民の俺が断れる訳もない。 自分のせいでもない事で責められたって困るんだが。 どうやら今回の事件の背景にはそんなどうしようもない理由があるようだ。

 何しろ俺が招待されるだけでも気に食わないのに、祭祀長は何故かサダを御招待なさらず、それはサダが入隊して四年経った今でも変わらない。 どうして平民如きが叙爵された瑞兆の実父より上の扱いを受けるのだ、という訳だ。


 そんな無粋な質問を俺から祭祀長にした事はない。 茶くらい誰と飲もうと勝手だろう? とは言え、俺は最初の頃無言を通し、出されたお茶に手をつける事さえせず、祭祀長がお茶を召し上がるのを見ただけで帰っていた。 だから俺と話をするのが面白いという理由で招待されているのでない事は確かだ。 それに面白さで選んでいるならサダと一緒にお茶を飲んだ方がよっぽど笑える。

 だがサダが俺に連れて行ってくれと頼んだ事はない。 それどころか、俺が大隊長に昇進して護衛の同伴が許されるようになり、一緒に行かないかと誘ったら断られた。


「緊張するから嫌です。 これからはお前も毎週来い、とか言われちゃったらどうしてくれるんですか? 師範が責任取ってくれるんですか? どんな風に?」

 それで無理強いしなかったんだが。 それを知っているのはポクソン補佐とマッギニスだけだ。 世間には俺がサダを連れて行きたくなくて誘わないと思っている奴も多いだろう。


 いずれにしても今回の事件の目的が俺の首なら、やりたい者はともかく、出来る者は限られる。 いくら前々から準備し、絶好の機会を窺っていたのだとしても、神域内で襲撃するだなんて北軍の要所に即座に指令が出せる大隊長か、大隊長の指令を偽造できる大隊長補佐でなくては不可能だ。

 サダが祭祀長に会いに行く事は木曜に決まった。 お茶に行くまで二日しかない。 その限られた時間で神域内の神官に便宜を図ってもらい、傭兵を忍び込ませ、人形と棺桶の用意までするだなんて。 中隊長辺りが何人集まろうと出来る事じゃない。

 それにサダの女難なら誰だって知っている。 そのお祓いをケルパ神社が行った事も周知の事実だが、ケルパ神社が祓った事を神官が将軍に抗議し、それにどう対処するか、サダが祭祀長に相談に行く事になったと知っているのは上級将校でも何人もいないのだ。


 ポクソン補佐は当初から今回の襲撃は複数の思惑及び偶然が絡み合った可能性を指摘していた。

「ヴィジャヤン大隊長を誘拐したい者ならそれこそいくらでもいるでしょう。 その企てを利用しようと考える奴がいたとしても驚くべき事ではありません」

 但し、第一駐屯地勤務の大隊長は俺とサダを抜かせば僅か三人だが、どの大隊長にも五人から十人の補佐がいる。 ポクソン補佐とマッギニスは含めないとしても、誰かの補佐が上官の指示がないのに勝手に仕掛けた可能性もある。 すると容疑者は合計二十人いる事になる。

 その中で、俺は次期副将軍の呼び声が高いブロッシュ第一大隊長を一番に疑っていた。 副将軍補佐に質問され、その疑いは確信となった。

 自軍の将兵を暗殺しようとするのは反逆罪だ。 結果の如何に拘らず、本人だけではなく場合によっては親兄弟や妻子も連座で死刑になる。 処罰をどうする、と俺に訊ねる必要などない。 だがブロッシュ大隊長は将軍の命を救った軍功によって大隊長に昇進したと聞いている。


 それにしても他の大隊長から暗殺されそうになるとは俺も出世したもの。

「俺の首が欲しい理由は何か、御存知ですか?」

「タケオ大隊長が次期副将軍となる事を恐れたようだ」

「俺が次期副将軍? 大隊長の中で、ただ一人平民の俺が? そんな荒唐無稽な理由で殺されたら割に合いませんね」

「私は荒唐無稽と思わない。 念の為に言っておくが、だからと言って私にタケオ大隊長を暗殺するつもりはない」

「ほう。 それは有り難い。 副将軍補佐に暗殺する気がないと聞いただけで長生き出来る様な気がします。 参考までに、その理由を聞かせて戴けますか?」

「ヴィジャヤン大隊長が悲しむ」

 その返事には意表を突かれた。 副将軍補佐がサダを贔屓している様子を見せた事なんて今まで一度もなかったから尚更だ。 俺は案外自分が知る以上にサダに守られているのかもしれないな。

 俺は副将軍補佐の最初の質問に考えを戻し、答えた。

「主犯の依願除隊を希望します」

「寛大な処置である」


 副将軍補佐はそれ以外何も言わずに帰った。 見送った後で、すかさずポクソン補佐が聞いてきた。

「依願除隊とは。 いくら何でもあまりに軽微ではありませんか。 本当にそれだけでよろしいのですか?」

「ああ、充分だ。 実際の処分をどうするかは将軍次第だが」

「将来の禍根となる事を思えば最低でも主犯の首を要求すべきでは?」

「将来の禍根? おいおい。 まさかポクソン補佐まで俺がいつか副将軍になると思っているんじゃないだろうな」

「副将軍は勿論、将軍になると思っています」

 ぶっ、と茶を吹き出して笑い始めたが、ポクソン補佐は真面目な顔を崩さない。 俺はようやく笑いを収めて言った。

「将軍が引っ張って行くのは兵士だけじゃない。 百や二百ならともかく、万の兵士を動かすのは脇を固める将校がいなけりゃ無理だろうが。 平民の俺に貴族の将校が黙って付いて来るか? 中隊長なら平民でもなる奴がいるだろうが、平民大隊長なんて俺が最初で最後に決まっている。 万が一俺が将軍になったとしても自分の背中ばかり気にして前を見れないんじゃ物の役に立ちはしない。 

 サダは信頼出来るとしても、あいつは名ばかりの大隊長だ。 あいつ以外に俺が将軍になって嬉しい大隊長がいるか? そんな北軍を負かすなんて赤子の手を捻るようなものさ。 俺を将軍にするくらいならサダを将軍にした方がまだましだ。 もっともあいつに将軍をやれと言ったって、やれませんと言って終わりにするかもしれんがな」

 それに対してポクソン補佐は何も言わなかった。 


 翌日、会議が終わった後で、陛下のお言葉にじーんときちゃいました、とサダが言ってきた。 陛下が本当にあのお言葉をおっしゃったのか、俺は知らない。 あれはどちらかと言えば、俺がブロッシュ大隊長に対する厳罰を要求しなかった事への将軍の感謝だったのではないかと思う。

 皇王族の御希望を叶えようとしたと言えば聞こえはいいが、サダと会うだけなら穏便に叶える方法は他にいくらでもあったはずで、神域内で誘拐する必要はない。 要するに皇王族の御希望の尻馬に乗って俺を殺すのがブロッシュ大隊長の目的だった訳だ。

 いくら錦の御旗があろうと大隊長暗殺を謀ったのだ。 主犯及び関係者全員の極刑を望んだ所で不当な処罰じゃない。 たとえ相手が将軍の命の恩人だとしても。 俺が望めばブロッシュ大隊長は処刑されただろう。

 それは将軍の胸に忘れ難い痛みとなって刻まれたに違いないが、俺は将軍に恩を売ろうとして奴を見逃したんじゃない。 俺が気に食わない奴を片っ端から殺していったら北軍が弱体化すると思っただけだ。


 俺にしてみれば、なぜ俺を殺さねばならない、と会議の場で発言してくれたサダの言葉にこそ動かされた。 皇王族の御希望を叶えるのは忠義であり、いくら暴挙と言える手段を使ったとは言え、他の大隊長がいる前で批判するのは非常にまずい。 聞く者によっては皇王族を糾弾した、又は皇王族の権威を軽んじたと受け取られかねない発言だ。

 あの発言が将軍より上に届いたとしてもサダなら罰せられなかったと思うが。 将軍の制止がなければ他の大隊長の誰かに厳しく叱責されたに違いない。 そしてあのバカなら叱責されてさえ相手に果敢に食って掛かっていったのでは、と思うのだ。

 あいつにはそんな向こう見ずな所がある。 普段は年上に弱く、階級が同じどころか下の者にさえ謙り、どんなに叱られても言い返した事はないくせに。


 俺だから、なのではない。 サダは理不尽な扱いを受けた者の為に泣き、怒る。 常に泣き寝入りを強いられる平民にとって実に頼もしい味方と言える奴なのだ。

 そうは言ってもサダ一人で世の中を変える事は出来ない。 人の考えが変わるのには時間がかかる。 俺が生きている間に平民が公平な扱いを受ける日が来る事はないだろう。 俺の子の代でさえ無理だと思う。 なのにあいつは公平であろうとする。 周りがどうであろうと。 それはトタロエナ族のソーベルを中隊長に昇進させた事からみても明らかだ。


 あんな最果ての領地で、金なんか一ルークも持たないトタロエナ族相手に、何が育つとも思えないのに。 サダは全財産を傾けて種を蒔いた。 親切心から、そんな無駄な事は止めろと忠告した者もいたと聞いている。 それでも。

 岩塩が次々と入荷されてくるのを見ながら種が芽吹いている、と感じるのは俺だけではないはず。 たとえそれがどんなに小さな芽であろうと。


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