女難 猛虎の話
サダに女難の相が出た事は昼飯を持って来たロゼンソンから聞いた。
ところで、今では俺にもロゼンソンとデゴーテの区別がつく。 当人達は見分け方をサダから聞いたのだろうと思っているようだが、そうじゃない。 最初から気配の違いは感じていた。 剣の腕前は五十歩百歩だが、二人に十番勝負させればロゼンソンが六番勝つだろう。
だが俺はこいつらを一人と思い込んでいたし、この二人と別々に剣の手合わせをした事はなかった。 午前と午後で気配が違うだなんて変わった奴だとは思っていたが。 時々午後の気配の奴が午前に現れたりする事もあったから何なんだと混乱したが、二人いると分かってしまえば見分けるのは簡単だ。
有り難い事に俺の従者は全員俺を煩わせないよう心掛けている。 毎日馬鹿をし続けるサダのあれこれを一々俺に報告して来る事はない。 とは言え、寒い駄洒落や信じられない勘違い、その全てを切り捨ててさえまだ報告する事があるんだから嫌になる。
この前の立ちションにしたってそうだ。 大隊長のくせにそれぐらいどうして危ない真似だと気が付かない? 背を向ければ辺りに目を配る事が出来ないじゃないか。 本人が大袈裟な護衛を嫌がったから、サダにはたった一人しか付いていないんだ。 身辺護衛は百剣から選んでいるが、どんなに力量がある剣士だって数で襲われたら万が一の時に守りきれない。
ただサダは目がいい。 周囲の動きに敏感だから、おかしな動きを見せる奴がいたら護衛より先に気が付く。 常に弓矢を持ち歩いているし、声が届く距離に常駐の護衛もいる。 と言う訳で、我が儘が許されているが。 あいつの周りに用もないのにうろちょろしている奴らがいざと言う時助けてくれるか、それとも襲撃者の手先なのか、分かったものじゃない。
上級将校用便所だってわざわざあいつのために作ったんだ。 今まで大隊長が毎日的場に行くなんて事はなかったから、あそこには一般兵士用の普通便所しかなかった。 せっかく自分の為にわざわざ作ったものを使わなかったら悪いと思わんのか?
しかもこの立ちションの噂があっと言う間に広まり、明日もサダが立ちションするかしないか、するならどこでするかで賭けが始まった。 この人手不足の真っ最中に茂みに潜む奴らが続出しては見過ごせない。
辺りに人がいる所でサダをがんがんに怒鳴ってやった。 もう二度としません、と辺りの奴らにも聞こえるように言わせ、ようやく騒ぎは下火になったが。 それでも諦めきれなくて茂みの辺りを徘徊する馬鹿がいるらしい。
まったく、俺の仕事を増やすな、と言いたい。 こんなばかばかしい事で将軍や副将軍を煩わせる訳にはいかないし、中隊長に大隊長を叱れるはずもないから、結局大概の後始末は俺に押し付けられる。
まあ、今日の女難の相はサダのせいじゃないが。 あいつ、毎晩寝る前に災難よ来い、早く来いと願掛けでもしてるんじゃないだろうな。 今度は占いかよ。
俺自身は占いを信じていない。 神官の予言だって当たるも八卦、当たらぬも八卦だと思っている。 ただ占ったのがカールポールとなれば話は別だ。 俺にとってどうでもいいからと言って放って置く訳にはいかない。
カールポール伯爵は代々超一流の占い師として知られている。 上流社会では恐れられている、と言ってもいいらしい。 外れた事がない占いだなんて。 当たるように何らかの裏工作をしているのでは、と疑う奴がいない訳ではないらしいが。 そんな事を公言した者には遠からず災難が降り掛かるのだと言う。 それで今年の春、カールポール伯爵家継嗣が北軍に入隊した時ヘルセスが警告してくれたのだ。
迷信深いのは人の常。 それでも占いで災難を告げられたからって高い金を出してまで祓おうとする者は少ない。 しかしカールポールのような百発百中の占師に厄災が降り掛かるぞと脅されては、安いお祓いで防げるか不安になるのが人情。 そこでカールポールによるお祓いの出番となる。 占い、と言うか、厄災の方はカールポールの方から勝手に告げて来る。 つまり無料だが、お祓いは有料だ。
カールポールのお祓いは最低でも一回十万ルーク。 ものによっては百万を吹っかけられる事もあるらしい。 サダなら百万だろうと払えない金じゃないが。 ロゼンソンによると、サダがお祓いを頼んだ様子はない。
ならみんな賭け始めるだろう。 当たるか当たらないか。
サリの誕生、リヨの時も、北軍中が賭けで盛り上がった事を後で聞いた。 大穴(性別、誕生日、誕生時間、名前の全て)を当てた奴さえいたと言うのだから驚く。
うんざりしながら俺の隣にいるポクソン補佐に零した。
「又そっちこっちで給金をすって食うに困る奴が出るんだろうな」
意外な事に、首を横に振る。
「女難では賭けにならないでしょう。 まず何をもって女難とするかで揉めるはずです。 仮に女三人に同時に言い寄られた、或いは女が原因で御夫妻が不仲となられたらそれを女難とすると合意したとしても、それが実際に起こったかどうかを確実に知る術はありません。
今まで噂になった事と言えば、サリ様の目覚ましい御成長や大隊長の飾り帯のデザインとか、どれもヴィジャヤン大隊長が嬉しくて辺りに漏らされたお言葉が原因です。 恥ずかしがりのヴィジャヤン大隊長が夫婦喧嘩を誰彼構わずお話しになるとは思えません。 それは夫婦の揉め事が世間の噂になった事はない事からも窺えます。
万が一夫婦喧嘩なさったとしても世間に知られず元の鞘に納まるでしょう。 お嬢様が皇王室にお輿入れなさるのです。 御両親に離婚の許可が下りるはずはありません。 たとえ別居する事になったとしても奥様は社交界にお顔を見せられる御方ではなく、外出なさるとしたらサリ様のお散歩程度。 ヴィジャヤン大隊長も舞踏会が苦手でいらっしゃる。 愛人を引き連れて舞踏会に御出席なさる可能性など、まずないと申せます」
「そう言われてみれば。 押し寄せる女の数だけ数えるなら、あいつは入隊当初から女難の相の真っ只中だ」
どんなに断ろうと結婚した今でもサダ目当ての女が次々と送られて来ている。 数が減るどころか外国からも押し寄せるようになり総数では増えている、とタマラが言っていた。 そもそもサダにとって女にもて過ぎた故の災難なんて今始まった事ではない。 考えようによってはサリの誘拐未遂事件だって先代皇王妃陛下がサダに会いたくてしでかした事なのだから女難だ。 世間には誘拐未遂事件があったとさえ公表していないが。
ただ占いなら過去にあった事を指しているはずはない。 似た様な事がこれから起きる、と言いたい訳か。
「それにしてもサダに女難、ねえ。 冬に雪が降るだろうって言われてもな」
俺の呟きにポクソン補佐が深く頷く。
「世間も冬の雪と思うかどうかは微妙としても、北方伯に女難と聞いて驚く者はまずいないでしょう。 抜かりがない事で知られるカールポール伯爵が仕掛けたにしては、今一つな選択です。 あちらも些か焦っているのかもしれませんね」
「焦るって、何に?」
「お祓いと言えば占い師に頼むのが一般的ですが、神社にいる僧もお祓いが出来ます。 ケルパ神社は以前なら平民の為の貧乏神社でしたが、今では瑞雲棚引く北方伯家が檀家。 有り難みが違います。 しかもケルパ神社のお祓い料ならあって無きが如し。 境内の掃除を一日しただけでもよいのですから。 最近は依頼が山積し、無料の出張はしていないようですが。 もしヴィジャヤン大隊長がケルパ神社にお祓いを頼み、しかも効果があったとなれば、高額なお祓い料を取るカールポールに頼む人はいなくなるでしょう」
「ふうん。 収入源を脅かされる前に先手を打とう、てか。 すると、もしサダがお祓いをケルパ神社に頼んだら、それが役に立たなかった事を世間に知らしめようと向こうは躍起になるんじゃ?」
「あちらもまさかお祓いを頼まれないとは予想していなかったのではないでしょうか。 或いは無料でお祓いをして恩を売るつもりだったのかもしれません。 その目論みが外れ、慌てているとも考えられます。 ケルパ神社のお祓いが役に立たなかったと世間に知らしめる、とは口で言う程簡単な事ではないのですから。
北方伯家が檀家となる前でしたらカールポール伯爵の一存でケルパ神社の僧侶全員を自分が選んだ僧とすげ替える事も可能だったでしょうが。 今そんな事を仕掛けたら、ヴィジャヤン大隊長はともかく、マッギニス補佐を始め、後ろに控える親戚一同が黙っているはずはありません」
「サダの事だからお祓いなんてどこにも頼まないような気もするがな。 いずれにしてもケルパ神社にとってはとんだとばっちりだ。 祓っても祓わなくてもカールポールの恨みを買うだろう」
「念のため、ヴィジャヤン大隊長にどうするおつもりか、お伺いしておいては如何でしょう? ケルパ神社にお祓いを頼むのは必ずしも良策とは申せませんが。 頼まなかったせいで、そらみろと言われるのも面白くない。 他に頼むならどこに頼むのか、頼まないなら事が起こった時にどうするか、対策を予め立てておく必要があります。 ヴィジャヤン大隊長の御気性では誰かから頼めと言われない限り頼まないと考えられますし」
そう言われて頷いてはみたものの、ついため息が漏れる。
「お祓いを頼めと俺から言われたって、サダなら後で、あ、忘れてた、とか言いそうだがな」
それでもサダはいい。 どんな揉め事に巻き込まれようと気が付いたら窮地を脱しているだろう。 しかし一緒に災難に巻き込まれた者も無事とは限らない。 ケルパ神社の僧はたったの十人。 ど田舎の神社ではないし、貴族出身の僧もいると聞いたが、政治や貴族のあしらいに長けている者などいないはずだ。
一番上はランティーニ大僧。 生まれも育ちも平民だ。 得度する前は大工だった。 何でもある日ケルパ神社で出会った僧に、屋根が雨漏りして困っていると言われ、お布施のつもりでただで修理してやった。 何しろ古い神社だから一つ修理すると他も目に付く。 とまあそんな感じで、次々修理してやっている内に居着き、遂には僧としての修行を始める事になったらしい。
ランティーニ大僧にはヨネの安産祈願に参拝した時初めて会った。 機敏な身のこなしからして五十半ばにはとても見えない。 年長者の鷹揚さもあるが、瞳の輝きはまるで新しい悪戯の種を見つけた悪戯小僧。 そして誰もがびびる俺の眼光を平然と受け止めた。 半端ではない胆の据わり方と言える。
何となく大僧の人柄に心魅かれるものを感じ、俺もケルパ神社の檀家となった。 俺に続いてマッギニスも檀家になったから今では強力な後ろ盾がない訳じゃない。
ヴィジャヤン準公爵夫妻やグゲン侯爵は檀家ではなくとも北に訪問した際に喜捨しているし、いざとなればスティバル祭祀長に御援助をお願いする道もある。 ともかく元々サダが原因で巻き込まれた災難だ。 ここで知らん振りを決め込む訳にもいかない。
「ロゼンソン。 ランティーニ大僧にサダの女難の件を知らせておけ」
「承知致しました」




